私という存在

私とは、自分の事です。
鏡を見た時に、そこに映る姿を、私たちは自分だと理解しています。
確かに、それは自分の姿です。
正確に言えば、自分の身体が映っているわけです。
でも、それは本当に自分なのでしょうか。
自分とは、いったい何なのだろう。
そんな事を考えた経験が、誰しもあると思います。
私も子供の頃に、自分について、よく考えました。
どうして自分は、動物や虫ではなく人間なんだろう。
どうして自分は、女ではなく男なんだろう。
どうして自分は、日本人なんだろう。
どうして自分は、今の家に生まれて来たんだろう。
こんなことも考えました。
死ぬとは、自分がいなくなる事だ。
自分がいなくなるって、どういう事なのだろう。
死ねば、意識はなくなるはずだ。
その瞬間って、どんな感じなのだろう。
生きているという事も、よくわからない。
どうして自分が生きているのだろう。
ここにいるのが自分でなくて、他の誰かでもよかっただろうに、どうして自分なのだろう。
ちょっと怖いですけど、頭の中で実験的に、こうも考えてみました。
もし、自分の身体から、腕が切り離されたら、自分の意識は、どっちにあるのだろうか。
当然、意識は腕ではなく、身体の方にあります。
こんな事は考えなくても、わかります。
でも子供の私は、自分の意識について、順を追って確かめたかったのです。
では、頭と身体を切り離したとしたら、どうだろう。
次に私は、そう考えました。
そんな恐ろしい事は、絶対にしてはいけない事だし、できるはずもない事です。
頭の中で想像するだけで、気持ちが悪くなりました。
でも、意識について考えるためです。
ぐっと我慢して、想像しました。
もちろん、頭を切り離されるのは、他の誰かではありません。
私自身です。
そんな事をしても、生きているという、仮定の下での想像です。
私の意識は、どちらにあるのか。
これも答は決まっていました。
当然、頭です。
これだけでも気持ち悪いのに、いよいよ本題の仮想実験に入ります。

頭を真っ二つに割られたら、自分の意識はどうなるのだろう。
考えただけで、私はぞっとしました。
想像なんて、したくもありません。
だけど、意識について考えるためには、想像するしかありません。
それでも、頭を割られると考えると、やはり気持ちが悪くなります。
それで、頭が生きたまま、左右に分離するという事にしました。
頭を割られるのと、何が違うのかと思う人もいるでしょう。
でも、割られるのは殺人と同じです。
生きたまま分離するのは、殺人ではありません。
気持ちは悪いですけど、頭を割られるよりは、ましなのです。
とにかく、私の頭は左右に分かれました。
さあ、私の意識はどっちにあるのか。
私は懸命にその状態を、想像しようとしました。
だけど結局、想像はできませんでした。
そんな想像は、私の想像能力を超えていました。
そもそも本当に、頭が左右に分かれたら、生きていられるわけがありません。
そんな状態で、意識がどちらにあるのかなんて、考える事自体が、無意味なのかも知れない。
私はそう思いました。
でも、また別の事が、頭に浮かんだのです。

現実にいる生き物で、細菌や細胞は分裂して増えます。
一つだった存在が、二つに分離するのです。
木も枝を切って地面に挿しておけば、やがてその枝は大きくなって、木になります。
人間で言えば、切り離した腕から身体が生えて、頭までできてしまったようなものです。
もし、細胞や木に自分という意識があったなら、こういう時には、その意識はどんな感じだろう。
私は、またもや意識というものについて、考えました。
それは、自分という存在について、考える事でもありました。
意識とは、自分の意識の事ですから、自分の存在という意味なのです。
子供の頭で、いくら考えてみたところで、答が見つかるわけがありません。
それでも、意識あるいは自分というものについての、興味が尽きる事はありません。
このテーマは、大人になってからも、常に私の関心の中にありました。
今は私は、自分というものについて、私なりの答を持っています。
それがどんなものなのかは、簡単説明できる事ではありません。
語り始めると、長くなりますので、この続きは次の機会に。
素敵な話
フェリシモという通販会社があります。
この会社は、オーガニックコットンの生産を通して、インドの貧しい人たちの暮らしを、支援しているそうです。
この取り組みは、何年も前から行われていたようですが、ニュース番組で紹介されているのを見て、初めて知りました。
きっかけは、ニューヨーク同時多発テロの後の、お客からの一通のメールだったと言います。
それは「テロに対して、フェリシモとして何かできないか?」というものだったそうです。
動いたのは、フェリシモデザインセンター部長・葛西龍也さん。
このメールに応えるため、チャリティTシャツを企画したと言います。
葛西さんはその売上金の一部を、アメリカとアフガニスタンの子どもたちのための、基金にしようと考えたのです。
その過程で、葛西さんが知ったのは、衣服の材料となる、綿花栽培の事情でした。
そこには企業に利用されるばかりで、少しも貧しさから抜け出せない人々が、存在していたのです。
企業は彼らに、遺伝子を組み換えた種や、農薬や化学肥料の大量使用を求めます。
企業の指示に従って、それらを購入すると、それが多額の借金となるのです。
いくら働いて稼いでも、そのお金は借金の返済で、消えてしまいます。
それでも、仕事をやめるわけにはいかず、企業の言いなりに働くわけです。

そこで葛西さんは、服を着替えれば着替えるほど、大地に愛が降り注ぐようなテーマを求め、2008年の冬、有志5人と「コットン部」を設立しました。
最初に始めたのは、オーガニックコットン製の、軍手の販売です。
軍手の値段は1,000円。
そこには200円の基金が、含まれていました。
軍手製作と同時に、葛西さんはインドを訪ねました。
そこで国際協力機構(JICA)インド事務所を通して、協力してくれる現地のNGOと、話し合いをしました。
その内容は、集まった基金のお金を、どうやって循環させるかという、プロジェクト「PEACE BY PEACE COTTON PROJECT」についてです。
まず、集まった基金は、NGOに拠出します。
NGOはその資金で、支援対象の農家がある土地に合う、種の組み合わせや、有機農法を研究・開発します。
プロジェクトに参加する農民には、子どもには労働をさせないと約束させます。
これは、子どもたちを学校へ行かせるためです。
それから、現地NGOが種を提供し、農法を指導します。
やり方を教われば、あとは全部自分たちで、できるようになります。
できたコットンの商品企画、カタログ制作は、フェリシモが行います。
販売価格には、50〜300円を基金として組み入れます。
商品が売れた分だけ、基金が積み立てられ、インド支援に使われる仕組みです。
葛西さんたちの支援は、これだけではありません。
それは、綿花栽培に関わることだけでなく、農村の問題全部を、解決しようというものです。
綿花を作る農家では、収穫のない閑散期には、収入がありません。
そういう期間の収入源になるよう、家畜を育てたり、女性に縫製や刺繍を指導して、物作りができる組織を、作ったりするのです。

こうして村全体の収入が潤えば、基金がなくても大丈夫になります。
それが葛西さんたちの願いでした。
さらに葛西さんたちは、フェリシモ以外の企業が、プロジェクトのオーガニックコットンを使って、物作りができるよう、一連の仕組みを開放しました。
その際に、子供たちが絵を描いてデザインしたり、女性たちが刺繍をほどこしたりと、村の人たちが、好きにできるようにしたと言います。
ただ一つの条件は、他企業はフェリシモから下げ札を購入して、それを商品に付けて販売するということです。
この下げ札のお金は、基金の積立金に加えられるので、基金がますます増える仕組みです。
コットン部のメンバーは、本来の部署はバラバラだそうです。
部署の垣根を越えて、自発的に集まった方たちが、本来の業務とは別の、このような企画に関わったということです。
しかし、フェリシモはこの活動を認め、支援しています。
コットン部のメンバーでない人たちも、彼らがコットン部の仕事をしている間、そのフォローをする形で、応援しているそうです。
自然を守ること、子どもの未来を考えることなど、世の中を良くする方法を、考えることは良いこと。
それが事業になればもっと良い。
そういった考えが、フェリシモという会社には、あるそうです。
「共に幸せになる幸せ」という理念の下、幸せな社会は、どうやったらできるかを考えて、アクションに移す。
その一手段として、通販があるに過ぎない、と葛西さんは言います。
本当に素晴らしい方たちだし、素晴らしい会社だと思います。
この資本主義社会の中では、とにかく勝ち残って生き残ることしか、考えていない企業が、優秀な企業と見なされています。
それなのに、フェリシモという会社も、そこで働いている人たちも、目的は困っている人たちを、助ける事と一貫しており、その努力や工夫に、終わりはないようです。

これこそが、人間が本来持っている気質であり、能力であり、喜びなのだと思います。
フェリシモの方たちは、人として生きるということを、自らがモデルになって、示してくれているのです。
もちろん、フェリシモの方たち以外でも、同様に素晴らしい人たちは、たくさんいると思います。
そして、そういう方たちの活躍が、以前と比べると、かなり注目されるように、なって来たと思います。
これは絶対に時代の流れでしょう。
こういう方たちの生き方は、他の者をわくわくさせます。
自分も何かやってみたいと、思わせる力があります。
心の共鳴ですね。
憎しみも人々の心の、共鳴して広がります。
しかし、愛を基本とした心の共鳴は、それ以上に、広がっているように思います。
きっと、葛西さんたちの考えは、コットンを通して、他の企業にも伝わって行くでしょう。
個人も企業も、誰かのためにという想いを、抱くようになるのです。

壊れた腕時計

先日の父の日に、家内と子供たちから、懐中時計をプレゼントされました。
父の日だったことすら、頭になかった私は、思いがけない贈り物に、胸が一杯になりました。
私は昔買った安い腕時計を、何年も使っていました。
でも、その時計が壊れてからは、時計を持ちませんでした。
別になくても、それほど困らないと、思っていたからです。
それでも、立派な懐中時計には、胸が弾みました。
何より、時計に込められた、家族の気持ちが嬉しかったのです。
その懐中時計を喜んでいると、家内が思い出したように、別の時計の話をしました。
同じ市内に暮らす、家内の義父の腕時計の話です。

義父は腕時計を、二つ持っていました。
その二つとも、壊れて動かなくなったので、修理に出して欲しいと、家内は頼まれました。
もう1年ほど前の話です。
昔と違って、最近は時計屋を、見かけなくなりました。
家内は苦労して、古くて小さな時計屋を見つけると、そこへ二つの腕時計を、持って行ったのです。
その結果、一つは再び動くようになりました。
でも、もう一つはどうしても動かないので、これはだめだと、時計屋さんに言われました。
家内は直った方の腕時計を、義父に戻しました。
壊れたままの腕時計は、また別の時計屋を探してみようと思い、自宅の机の引き出しに、仕舞っておきました。
とりあえず一つは直ったので、義父はそれで、満足してくれたようでした。
しかし先週、その腕時計がちょっとした事情があって、無残に壊れてしまったのです。
せっかく修理に出して、直ったはずの腕時計が、どのように壊れたのかを、家内は私に説明しようとしました。
でも、上手く説明できないので、机の引き出しに仕舞っておいた、壊れたままの腕時計を取り出しました。
それを使って、今度の時計の壊れ具合を、私に説明しようとしたのです。

ところがです。
家内が手に持った、その壊れていたはずの腕時計の針が、動いていたのです。
しかも現在時刻に、ぴったりと合っていました。
その事を指摘すると、家内も驚きました。
だってその時計は、時計屋がだめたと言った、時計なのです。
壊れたまま机の引き出しの中に、ずっと放っておかれた、時計だったのです。
その時計が動いていて、しかも時刻がぴったり合っているのです。
まるで、今回壊れた時計の代わりに、自分を義父の元に届けなさいとでも、言っているかのようでした。
翌日、家内はそれを、義父に届けに行きました。
腕時計が壊れた義父は、かなり落ち込んだと思います。
でも、勝手に直った腕時計を持って行くと、とても喜んでくれたそうです。
時計屋が直らないと、断言した腕時計ですから、家内は捨てることも考えました。
でも結局、捨てないで取っておいたのです。
もし捨てていたら、今回の話はありませんでした。
また、私への父の日のプレゼントですが、これが懐中時計だったのも、偶然とは思えません。
懐中時計だったから、義父の時計が壊れたという、話題が出たのです。
父の日のプレゼントがなかったり、もらっても懐中時計でなかったなら、今回の話にはつながらなかったかも知れません。
それに家内が、壊れた腕時計の説明をするために、何でわざわざ、引き出しの中の腕時計を、出そうとしたのかも不思議です。
その時計がなければ説明ができない、という事でもなかったのです。
それが説明の途中で、ふと思いついたように、引き出しから、この腕時計を取り出したのです。
家内が引き出しを開けなければ、この時計が動いていても、誰も気がつかなかったでしょう。
私たちは、壊れた時計の代わりに、新しい時計を義父に買ってあげようかと、相談をしていたのです。
でも新しい時計より、使い慣れた時計の方が、いいに決まっています。
実際、義父はとても喜んでくれましたから、本当によかったと家内と喜び合いました。
きっと見えない誰かが、そっと力を貸してくれたに、違いありません。
不思議なこともあるものだと言いながら、目に見えない力を、発揮してくれた何者かに、夫婦二人で深く感謝をしました。
本当に不思議で、感動的な出来事でした。
結婚するということ
結婚とは、男と女が夫婦という関係になることです。
では、夫婦とは何なのでしょうか。
辞書で調べますと、「婚姻関係にある男女の一組。夫と妻」とありました。
婚姻ですが、これも調べてみますと、「結婚すること。夫婦となること」と書かれています。
これでは、全然説明になっていませんよね。
舐めとるんかい、と言いたくなってしまいます。

夫婦とは、どんな関係を言うのか。
わかっていても、それを適切な言葉で、説明するとなると、案外むずかしいものですね。
昔からある概念では、男と女が生活を共にすることを決意し、その旨を役所に届け出て、公から認めてもらった状況、と言えるでしょうか。
役所という制度がなかった頃であれば、そこの集落の人々に認めてもらうことが、公に認めてもらうことになったでしょう。
かつての日本では、結婚とは家を守り、家の血筋を絶やさないためのものでした。
夫婦がお互いに、好き合っている必要はありません。
結婚相手は、親が決めるのが通常でした。
結婚すると女性の方は、男性側の家に入ります。
それは自分が生まれ育った家を出て、新たに男性側の家の人間になる、ということです。
つらい事があっても、実家に逃げ帰るなど、なかなかできません。
逃げ帰ったとしても、それはそれで出戻りと言って、肩身の狭い思いをするのです。
家のための結婚ですから、子供を産む事が、嫁入りした女性の最大の仕事です。
望まれるのは、家の後継ぎになる男の子です。
女の子しか産めないと、文句を言われます。
全く子供を産めなければ、女として失格という、烙印を押されてしまいます。
そんな昔と違って、今は自分たちで、結婚を決めることができます。
妻が夫の家族の世話を、強要されることはありません。
世話をする場合、それは妻の好意と、妻自身の決断で行われます。
子供が産まれなくても、夫婦がそれでいいと決めたなら、何も問題はありません。
昔と比べると、みなさん、さぞかし幸せな結婚が、できるだろうと思えます。
でも実際は、いろんな問題があるようです。

芸能人の世界では、幸せな結婚をしたはずなのに、やれ浮気だ、やれ離婚だと、こんな話は日常茶飯事です。
お金もあるし、素敵な方と一緒になった。
それなのに、どうして浮気したり離婚するのかと、首を傾げる人も多いでしょう。
価値観の違いだと言ってしまえば、それまでです。
でも恐らくこういう人たちは、お互いへの思いやりと感謝に欠ける日々を、送っていたのだと思います。
みんなの目を惹くような、素敵な人と結婚したい。
こう考える人が多いのは、芸能人でも一般人でも同じだと思います。
それは物語のように、とても素敵なことだと、多くの人が信じているのでしょう。
そんな結婚ができるのは、幸せなことだと考えてしまうのです。
でも、そんなことを考えていたのでは、結婚生活が上手く行くはずがありません。
それは相手を、自分を引き立てるための、装飾品と見ているからです。

装飾品が、持ち主を喜ばせるのは、当たり前です。
持ち主の方が、装飾品を喜ばせる必要はないのです。
装飾品を手に入れるまでは、努力もするでしょう。
しかし、手に入れてしまえば、おしまいです。
あとは、外の人から羨んでもらうように、装飾品である相手に、いろいろ尽くしてもらうだけです。
本人にとっては、それが幸せな結婚生活なのです。
装飾品である相手に、自分の方が尽くすなんて、思いつきもしないでしょう。
そんな考えで、誰かと一緒になっても、上手く行くわけがありません。
現に、好きで一緒になったはずの人と、多くの方たちが別れています。
そんな悪い実例があるのに、何故同じことをしてしまうのか。
きっと素敵な人と、一緒になれなかった者の人生は、不幸でつまらないものだという、発想があるのでしょう。

その歳になって、まだ独り身なのか、可哀想に。
のんびり構えていたら、誰にも振り向かれなくなってしまうよ。
今はいいけど、歳を取ってから、寂しくなるよ。
そんなことを言われて、その気になると、何がなんでも結婚しないと、と思うようになるでしょう。
そして、どうせ結婚するのなら、できるだけ条件のいい人と、一緒になりたいと考えるのです。
それは全部、自分の都合です。
そもそも、独り身の何が悪いのか、考えてみるべきでしょう。
結婚したい人は、すればいいのです。
だけど、独り身の方がいいと、考える人だっているのです。
どちらが正しい、ということではありません。
どう生きるのかは、その人の自由なのです。
独身でも幸せを感じられる人が、誰かを好きになるならば、きっとその人を、幸せにしたいと思うでしょう。
その人に何かを求めるのではなく、その人を喜ばせたいと思うはずです。
そういう思いで一緒になる。
それが本当の結婚だと、私は考えています。
内子に思うこと

夏のような日が続いていたので、梅雨が開けたような気になっていました。
でも、今日からまた雨がしばらく続くようです。
昨日は内子を訪れました。
内子と書いて、「うちこ」と読みます。
江戸時代の頃には、内ノ子(うちのこ)と呼ばれていたそうです。
愛媛の観光と言えば、松山城と道後温泉が挙げられますが、どちらも松山市にあります。
内子は愛媛の中で、松山に次いで人気のある観光地です。
江戸時代末期から明治時代にかけての、街並みが保存されている、歴史を感じさせてくれる所です。
松山から国道56号線を、一時間ほど南下した所に、内子はあります。
もう少し先へ進むと、大洲市です。
大洲市にはお城があり、江戸時代には、松山とは別の領主が治めていました。
内子は、この大洲の支配下にありました。

内子は盆地になっていて、周辺の山から三本の川が集まり、一本に集約される地形です。
この川はその先で、肱川(ひじかわ)という大きな川と合流し、大洲の城下町の脇を通って、瀬戸内海へと注ぎます。
かつて川は物資を運ぶための、重要なルートでした。
また、内子からは往還と呼ばれる道が、何本も放射状に出ていて、周囲の山村と結ばれていました。
このような立地のお陰で、内子は物資を集める拠点として、発展しました。

元々内子は、お寺の門前市として栄えた町です。
中世に、この辺りを治めていた河野氏は、海の向こうの芸州(今の広島西部)の厳島から、ありがたい荒恵比寿を勧請しました。
本家の厳島では、恵比寿さまのご開帳はなかったのに、こちらでは毎月二十日の市に合わせて、ご開帳したと言います。
それで恵比寿さまの姿を拝もうと、市の日には遠方から大勢の人が訪れて、市は大いに繁昌したそうです。

その他にも、遍路や金比羅参りの道も、内子を通っていますし、松山と大洲を結ぶ街道もあります。
そのため内子は、旅人も多く訪れる宿場町でもありました。
このように、いろんな点で恵まれていた内子は、発展するべくして発展したと言えます。
しかし、時代の流れで町の勢いは失われ、今は昔を偲ぶ観光地になっています。
ただ、観光客が訪れるのは、土日や祝日などの休日が中心で、平日は閑散としています。
特に今の時期は、外国人観光客がいませんので、観光地としては頭を抱えている事と思います。
昨日は平日だった事もありますが、街並みを歩いている人は、一人もいませんでした。
でも、このような事は全国の観光地、特に中心地から離れた地域では、どこでも見られる光景でしょう。
何とかしてあげたいと思うのですが、どうにもなりません。
ところで、内子のような田舎の観光地が、人を呼び込もうと努力するのは、単純に観光客相手の、商売のためだけではないと思います。
その背景には、一次産業の衰退や後継者不足、町の高齢化や過疎化があるのです。
元々の仕事で収益を増やす事が、様々な要因で困難になっています。
若い人がいなければ、独自に全国展開するような仕事も、簡単には行きません。
ですから、その地域を訪れた人に、町を気に入ってもらい、若い人に移住してもらおうという、期待もあると思います。

内子のように、観光で人を呼べる地域は、まだいいでしょう。
観光材料がない所は、本当に大変だと思います。
日本人の食や、暮らしを支えているのは、地方の方々です。
地方がだめになるというのは、中央もだめになるという事です。
二つを分けて考える事はできません。
地方の活性化という声は、選挙のたびに聞かれます。
でも、その言葉を実現しようとする、国会議員は皆無のように思われます。
では地方は、このまま廃れてしまうのかと言うと、そうではないと思います。
都会を離れて、生まれ故郷である田舎に、戻る若者がいます。
見知らぬ田舎へ、自然と人間味のある暮らしを求めて、移住する若者たちがいます。
私は彼らに、期待したいと思います。
定年後に田舎へ、移り住む人を紹介する、テレビ番組があります。
でも、大概が実家へ戻るとか、周りがみんな知人で、いろいろ手伝ってもらえるとか、あるいは資金的に余裕がありそうだとか、条件に恵まれている方たちばかりに見えます。
憧れはするけれど、真似できないなと思う視聴者は、多いのではないかと思います。
若いうちには移住は無理だなと、番組を見た若い人に、思われるかも知れません。
それは地方にとっては、いい事ではないでしょう。

これからは田舎へ移住して、新しい仕事や暮らしにチャレンジする、若い人を紹介する番組を、テレビ局には作ってもらいたいですね。
どういうきっかけで、その地域を選んだのか。
移住するための資金や、仕事はどうするのか。
子供が産まれたら、学校はどうなるのか。
病院や買い物など、不便に思われる事について、どう考えているのか。
正直なところ、田舎のどういう所が、馴染むのに大変なのか。
逆に、田舎で暮らして嬉しかったことは、何なのか。
そんな情報を発信しながら、地方で元気に暮らす若者たちの姿を、全国番組で紹介するのです。
そうすれば、きっと地方をめざす若者は、今よりぐっと増えると思います。
憧れはあるけど、ためらいもあるという人がいるのなら、その理由を徹底的に、確かめるのです。
理由がわかれば、国や地方の自治体できちんと対処して、移住希望者が安心できるような環境を、どんどん整えればいいのです。
子供の親御さんも、普段から地方の素晴らしさを、子供たちに伝えた方がいいと思います。
都会が都会でいられるのは、地方のお陰である事を、ちゃんと教えてあげて下さい。
地方は仕事がないとか、お店や遊ぶ所がないとか、年寄りばかりだとか、悪いイメージばかりが、強調される傾向があると思います。
そんな事ばかり聞かされていれば、地方で暮らそうと思わない人が、増えるのは当然です。
そうではなく、地方だからこその楽しさや可能性、みんなの生活を守っているという誇り、そういう事を、子供に伝えてやらねばなりません。
また、大人もその事を、再確認、再認識するべきです。
何度も繰り返しますが、地方の方たち、特に農業や漁業、林業などに携わっている方たちへの、感謝と思いやりの気持ちを、子供たちが持てるような、教育を望みます。
銀河系の文明

私たちの太陽系が、属している銀河系には、高度文明が36以上存在している、可能性があるそうです。
UFOや異星人の存在について、テレビ局は半分茶化すような形の、番組を作りがちです。
UFOは何かの見間違いだと決めつけたり、明らかに人工的な光を、UFOだと言い張って騒いだりします。
全て視聴率目当てです。
とにかく、真面目な議論の場を、提供する番組は少ないと言えるでしょう。
そんな中で、本当の研究者たちは、異星人の存在を、真剣に探し求めていたのです。
その研究者たちが、高度文明の存在について、このように言及したのは、とても重要な事です。
かつては、この無限に広い宇宙の中でも、地球のような生命にあふれる星が、存在するのは奇跡だと、言われていました。
太陽に対して地球の地軸が、斜めに傾いているため、私たちは四季を経験できます。
地球と太陽の距離が同じでも、自転の傾きによって、私たちがいる地点と太陽との距離は、わずかに変化します。
そのわずかな距離の違いが、地上に届く太陽光のエネルギー差になり、暑い夏と寒い冬が繰り返されるのです。
もし地球自体の位置がずれて、太陽に近づいたり遠ざかったとしましょう。
どうなるかは想像がつきますよね。
今より少しでも近づけば、地球は灼熱地獄になるでしょう。
また、少しでも遠ざかれば、永遠に続く氷河期が訪れるはずです。
太陽の大きさが、今より大きかったり小さかったりしても、地上は灼熱地獄や氷河期に、襲われる事になります。
それに地球が今のような、岩石の惑星ではなく、木星や土星のような、ガス惑星だったなら、やはり生物は存在できなかったと思われます。
このように私たちの地球は、生命が存在できる条件が、見事に揃っているのです。
そこで研究者たちは、地球と似たような星が、この宇宙にどれほど存在するか、その確率を計算したのです。
その結果、そのような星が存在する可能性は、ほとんどないという結論になったようです。
それが当時の学者たちの、主流の考えであったのかは、わかりません。
ひょっとしたら、人類が奇跡的で素晴らしい存在であると、人々に印象づけたいがために、操作された情報なのかも知れません。
そこには、人間は神によって創られたという、宗教的な信念が、からんでいた可能性もあると思います。
事の真偽はわかりませんが、いずれにせよ、以前にそういう話があり、その話を信じ込んでいる人がいたのは、事実なのです。
それでも、宇宙にロマンを求め続けた、学者がいたのも事実です。
実際、宇宙のどこかに、人類のような知性体が、存在する証を求める、研究も行われました。
その研究は、現在も進行中です。
2017年に放送されたNHKの「クローズアップ現代+」で、とても興味深い話が紹介されています。
世界中の研究者が協力し、巨大な電波望遠鏡を使って、宇宙人が発した電波を、とらえる研究です。

この研究は異星人の存在を、前提にしています。
宇宙を探査する技術が進歩し、地球と似たような条件の星が、多数見つかった事が、研究を進める力になっているようです。
先に述べた、銀河系に高度文明が、36以上存在している可能性があるというのも、この研究の大きな後ろ盾に、なっているでしょう。
この研究が始まってから、これまでに異星人を疑わせる情報が、何度かとらえられています。
ただ、どれも決定的なものでは、なかったようです。
しかし、2015年にロシアの電波望遠鏡で、衝撃的な電波がとらえられた時は、騒ぎになったと言います。

それは2秒間だけとらえられた電波で、ヘラクレス座の方向から、来たそうです。
自然界には存在しない強力な電波で、異星人が発したものかも知れないと、疑われました。
しかし、そうだと決めつける事もできず、研究者たちで議論している間に、その情報がうっかり外へ、漏れてしまったそうです。
すると、情報を知った人たちは、宇宙人が攻めて来て、人類は滅ぼされるか、征服されるに違いないと、パニックになったと言います。
結局、この電波は地球由来のノイズに違いないと、アメリカの研究班によって、結論づけられました。
しかし、本当にそれが事実なのかは、わかりません。
もし、地球由来のノイズであるのなら、それまでに何度でも、同様の電波がとらえられているはずだからです。
恐らく、一般の人々がパニックにならないよう、情報が操作されたのに違いありません。
そう言えば、今から80年ほど前に、似たような有名な話があります。
当時のアメリカのラジオで、俳優のオーソン・ウェルズが、ニュースキャスターを演じて、『宇宙戦争(The War of the Worlds)』に出て来る、火星人来襲の場面を、生中継の形で喋りました。
ラジオを聴いていたリスナーたちは、本当に火星人が襲って来たと思い、パニックになったと言います。

それと同じような事が、ロシアでとらえられた、2秒間の電波でも見られたわけです。
その電波の正体が何であれ、言えるのは、現在の一般の人々は、まだ宇宙人の存在を、現実のものとしては、受け入れられないだろうという事です。
UFOも未確認飛行物体だと、騒いでいるうちはいいのです。
これが未確認ではなく、本物の宇宙人の乗り物だと、はっきりすれば大変です。
さらに宇宙人が姿を見せるとなると、コロナ騒ぎどころではない、大パニックになるに違いありません。
地球人を刺激したくない宇宙人にとって、パニックは望む事ではないでしょう。
だから、今の人類の状況を知るために、わざと2秒間の不思議な電波を、研究者たちに示したのではないかと、私は考えています。
研究者たちの間でも、宇宙人の存在が明らかになっても、それをいつどのように公表すべきかという点は、意見が分かれていると言います。
研究者たちでも、人々のパニックを懸念しているわけですから、当事者である宇宙人が、人類のパニックを心配しても、不思議ではありません。
パニックになっている相手とは、まともな話などできないからです。
それに、今の人間は仲間同士で、争ってばかりです。
ここへ宇宙人を呼ぼうとするのは、家族が大喧嘩をしている所へ、外からお客を招こうとするようなものです。
それは相手に失礼ですし、向こうだって来たがらないでしょう。
それと同じで、きっと宇宙人たちも、今の人類の姿を見て、まだ自分たちを受け入れられるほどには、成熟していないと判断したに、違いありません。
残念ですが、宇宙人が姿を見せてくれるのは、まだ何年も先の事になるでしょう。
伊予の軽井沢
今日、仕事で久万高原町という所を訪れました。
ここは松山から高知へ向かう、国道33号線沿いの町で、標高550~1,400メートルの高地にあります。
町の中心まで、松山から車で1時間弱で行けます。
久万高原町は、伊予の軽井沢と呼ばれるぐらい、涼しく過ごしやすい所です。
冬になると雪で真っ白になります。
スキー場もありますし、リンゴ栽培もしていて、麓の平地にある松山とは、別世界のようです。
近くには、西日本最高峰の石鎚山や、面河渓谷などの名所があり、自然豊かな地域です。
また四国遍路のお寺もあり、お遍路さんが訪れる所でもあります。
今日も五、六名のお遍路さんが、歩いているのを見かけました。
町と言っても、マンションのようなビルはありません。
山に囲まれた田畑と点在する民家という、昔ながらの山里と言った感じです。
夜の星空が自慢で、天文台まであります。

今日は仕事で、久しぶりに久万高原町を訪れました。
途中で、田んぼをのぞいてみると、ささっと水の中を、素早く動くものがいました。
それは、オタマジャクシでした。
以前に松山市内にある田んぼを、同じようにのぞいたことがあります。
でも田んぼに張った水に、生き物の姿はありませんでした。
学校のプールのように、ただ水が張ってあるだけという感じでした。
しかし、今日見た久万高原町の田んぼには、数え切れないほどの、オタマジャクシがいました。
もっとよく見ようと、足を一歩踏み出すと、何かちっちゃな生き物たちが、慌てたように足下を逃げ回りました。
見ると、それは1センチほどの、オモチャみたいなアマガエルでした。
恐らくオタマジャクシから、カエルに成長したばかりなのでしょう。
本当にきれいな緑色の、可愛いアマガエルたちでした。

田んぼの中には、オタマジャクシの他にも、アメンボもいましたし、小さな巻き貝もいました。
あんまりゆっくりしている、時間がなかったので、それ以上は探索する事は、できませんでした。
でも調べれば、もっと他の生き物を、見つける事ができたでしょう。
松山では滅多に見かけなくなった、モンシロチョウやシジミチョウも、飛んでいました。
足の近くでは、巣があったのか、たくさんのアリが、忙しそうに動き回っていました。
子供だったら、一日中そこにいても、飽きる事はないでしょう。
時の流れをさかのぼって、過去に戻る事はできません。
でも、自分の心は子供に戻る事ができます。
と言うか、大人になって還暦を迎えた今でも、子供の頃の私は、ずっと私の心の中にいるんですね。
普段は、大人の私の陰に隠れていますが、今日のような場面になると、大人の私を押しのけて顔を突き出し、好奇心一杯の目を、大きく見開くのです。
どうですか。
あなたには、そんな一瞬が、訪れた事はありませんか。
思いがけなく、子供心が姿を見せる瞬間です。
その瞬間だけ、私たちは過去の自分に戻ります。
現在ある余計な事は全部忘れ、目の前の興味を引かれるものに、釘付になります。
それはとても楽しい時間であり、自分をリフレッシュできる、機会でもあります。
あなたの中にいる、子供の心。
普段のあなたの陰に隠れながら、興味が引かれるようなものがないか、探っていますよ。
じっと耳を澄まし、目を凝らして、ワクワクする瞬間を、待っているんです。
ほら、わかるでしょ?

差別問題3
差別問題が起こった時、差別をした者が、個人的に非難を受けます。
しかし、その人がそういう価値観を、持つようになったのには、必ず理由があるのです。
それは、その人が育った生活環境や、教育環境です。

この世に生を受けた時、何かの価値観を持っている者は、一人もいません。
誰もが、可愛らしい赤ちゃんだったはずです。
ところが、その可愛い赤ちゃんが、偏見に満ちた差別者になるわけです。
でもそれは、その子自身のせいではありません。
その子が置かれた環境が悪いのです。
環境がその子に、間違った価値観を、植え付けてしまったのです。
つまり差別問題とは、社会が病んでいる事の表れなのです。
病気になれば、いろんな症状が出て来ます。
差別問題とは、社会が抱える病の、一つの症状に過ぎません。
病気の治療には、対症療法と根治療法があります。
対症療法は症状を和らげますが、病気自体を治すわけではありません。
病気を治すには、根本的な原因を見つけて、解決する必要があります。
差別問題と直接戦うのは、対症療法と同じです。
ですから並行して、根本的な社会の病と、戦わねばなりません。
では、その社会の病とは、どのようなものでしょうか。
それは癌と似たようなものです。
人間の身体は、数え切れないほどの細胞で、構成されています。
各部位の細胞は、どれも個性的で、見た目の姿も違いますし、役目や働きも違います。
しかし、どの細胞にも共通の目的があります。
それは細胞たちにとっての世界である、身体の健康を維持するというものです。
神経細胞も筋肉細胞も、皮膚や粘膜の細胞も、骨の細胞も、みんな違う細胞に見えます。
でも、どの細胞も受精卵が分裂し、それぞれの形に分化することで、生まれたのです。
ですから、見た目はバラバラでも、みんな受精卵の分身であり、兄弟なのです。
だからこそ、身体という世界を維持するという、共通の目的を持っているのです。

しかし癌細胞は、共通の目的がありません。
癌細胞は自分の役割がわからず、自分の存在を誇示する事に、必死になります。
どんどん分裂して数を増やし、無理矢理自分の居場所を、作ろうとします。
それが他の細胞たちの障害になっても、全然お構いなしです。
癌細胞が増え続けたら、いずれ身体は死んでしまいます。
細胞たちにとっての、世界が崩壊するのです。
そうなれば、癌細胞も死滅します。
しかしそんな事より、自分を誇示する事の方が、癌細胞には大事なのです。
これまでの社会を思い浮かべて下さい。
世界の事を常に考えて動く人が、どれほどいたでしょうか。
ほとんどの人が、自分の生活に必死です。
世界どころか、周囲の人を思いやる余裕もありません。
全ての人間が、共通の祖先を持つと言うのに、みんな自分勝手な事ばかり、考えています。
それでも、大半の人たちは善良です。
細胞にたとえるなら、まだ癌細胞にはなっていません。
その一歩手前の、異型細胞の状態です。
異型細胞は癌細胞ではありません。
でも将来的には、癌細胞に変化する、可能性があるのです。
つまり、偏った思想や価値観に毒され続けると、善良な人が差別者に、変身するかも知れないのです。
根が善良な人々に、毒気を吐き続けているのが、癌細胞にたとえられる者たちです。
完全な癌細胞である彼らは、自分が生き残り、勝ち残る事しか考えていません。
このままでは、将来地球が、危機的状況になると言っても、聞く耳を持ちません。
人類が滅びるかも知れないと訴えても、自分だけは、生き残るつもりでいます。
彼らは毒を吐き続け、他人を利用して生き残るのが、賢いやり方だと、人々を洗脳します。
相手に不安を抱かせ、不安から逃れたければ、自分の指示に従うようにと、脅します。
脅されて彼らに支配された者たちは、自らも癌細胞になって、他の者を支配しようとします。
こうやって癌細胞人間は、どんどん仲間を増やして行き、最後には世界を滅亡させてしまうのです。
でも今、若い人たちを中心に、自分たちの本当の姿、本当の役割、本当の目的を、取り戻す動きが出て来たようです。
現在、世界中に巻き起こっている、差別反対運動はその表れだと思います。
今は差別の事を抗議していますが、様々な社会問題の根底に、共通の問題が横たわっている事に、やがて彼らは気づくでしょう。
そして、それらを改善するべく、動き出すに違いありません。
彼らが起こす風は、癌細胞になりかけている人々を、正常な状態へ呼び戻すでしょう。
いろんな人たちが、それぞれの仕事や暮らしを送りながら、その意識は自然な形で、同じ方向を向くようになるのです。
そうなった時、差別はなくなり、多様性は喜びのハーモニーとなるでしょう。

差別問題2

人はどうして差別をしてしまうのでしょうか。
その原因の一つに、ストレスがあります。
弱い者を見つけて、ストレスのはけ口にするのです。
学校や職場でのいじめの多くが、これに該当するでしょう。
大人による子供の虐待も、これに当てはまります。
虐待する人は、相手を一人の人間と認めていません。
つまり、差別なのです。
差別意識が虐待を生むのです。
別の原因に、自分への自信のなさが挙げられます。
自分で自分を認められないため、誰か自分より下の人間を作るのです。
そうやって、自分はその人間よりも上だからと、自分を安心させるのです。
誰かを見下すための理由づけは、何にでも見出すことができます。
容姿や肌の色、経済状況、学校の成績、運動能力、何でもいいのです。
根拠なんか必要ありません。
こいつは自分より下だと、決めつけてしまえば、それでいいのですから。
自分に自信がある人、自信を持てるよう頑張っている人、こういう人たちは差別をしません。
差別をする必要がありませんし、差別をしている暇などないのです。
逆に、恵まれない状況の中で、頑張っている人を見ると、その人を応援したくなると思います。
差別には、もう一つ原因があります。
それは、相手への恐怖や不安、あるいは怒りです。
未知の相手に対して抱く警戒心が、相手を排除しようとするのです。

初めて見た異国人だとか、初めて聞いた方言を、とても異様に感じると、その相手を遠ざけようとします。
また、相手の悪い印象を、先に持つ機会があると、当然のことですが、相手を怖い人だと思ってしまいます。
自分や仲間に対して、明らかに悪意を見せる相手には、当然警戒しますし、排除しようとするでしょう。
不安や怒りが原因で、差別が行われる場合、それが解消されれば、差別も解決します。
特に偏見によって、相手を誤解していた場合、誤解が解けると、珍しい相手への好奇心が強くなり、いろいろ世話を焼きたくなるかも知れません。

不安の対象が、相手の容姿や言葉ではなく、相手の能力や魅力という事もあります。
能力あるいは魅力が、自分より上の者が現れると、自分の立場がなくなると、心配になるのです。
その背景には、先に述べた自信のなさがあります。
相手が自分を立ててくれるなら、相手をうらやみながらも、安心します。
また、自分はその人物とは、特別な関係にあると、周囲にアピールして、自分の地位を、確保しようとします。
でも、相手が自分を立ててくれなければ、隙を見て相手を、貶めようとするかも知れません。
たとえば、相手の悪い噂を広めて、みんながその人を、見下すように仕向けます。
その結果、その人がみんなに見下されたら、自分も安心しながら、相手を見下すのです。
優れている者が、差別を受けるのは、こんなケースでしょう。
その人を貶めるのは、その人の指導者という事もあるのです。
差別をされた経験がある人が、他の人を差別してしまう事も、あるでしょう。
差別がどういう事か、わかっているはずなのにと、あなたは思うかも知れません。
でも、差別をされた経験があろうとなかろうと、差別をしてしまう原因は同じなのです。
むしろ、差別によるストレスや自信喪失が、その人に差別をさせる事があるとも言えます。
親から虐待を受けた子供が、大人になってから、自分も子供を虐待してしまう。
そういう虐待の連鎖は、このような理由で、起きるのだと思います。

差別問題

アメリカで黒人市民が、警察に殺された事件を発端に、人種差別への反発が、世界的に活発になっています。
こういう事は、過去にも同じようなものがありました。
でも今回の動きには、今までにない力を感じています。
まるで、人類全体の心が固い殻を破って、自由を手に入れようとしているかのようです。
ところで、人種差別は国際的な問題でもあり、このように大きな騒ぎにもなります。
マスコミにも大々的に取り上げられます。
しかし他の差別については、誰かが命を失わない限り、騒ぎにもなりません。
マスコミが取り上げる事も、滅多にありません。
死者が出て問題になっても、全てが一時的です。
翌日、他の事件でも起これば、もう忘れられてしまいます。
何故でしょうか。
それは自分自身、あるいは身近な方が、日常的な差別を経験していないからです。
大抵の人は、嫌な思いをさせられる事があっても、それが継続的でなければ、あまり問題に感じません。
しかし、毎日のように嫌な思いをさせられたなら、その人は差別問題を忘れる事はないでしょう。
では、差別問題があまり取り沙汰されない、日本では日常的な差別はないのでしょうか。
そんな事は、ありません。
日常的な差別は、どこにでもあります。
目立たないように行われているのと、人々の無関心で、ないように見えるだけです。
日本人は、表立っての争い事を好みません。
基本的に目立つ事を嫌います。
だから、誰かを人前で罵ったり、あからさまに嫌な態度は見せません。
でも、他の人から見えない所であったり、自分が誰かを特定されなければ、平気で嫌な態度を見せます。
学校や職場のいじめ、ネットでの匿名の誹謗中傷などがそうです。
ある地域へ移住した方が、村八分に遭う原因の一つは、外からはわかりにくい、地域の閉鎖性です。

弱い立場の者に対して、差別は行われます。
相手が抵抗できない、あるいは抵抗しても大したことがない、そういう認識の下で行われるのです。
思いがけず、差別した相手が地位のある者であるとか、強力な仲間が大勢いるなどとわかれば、差別をしていた方は、パニックに陥ります。
差別とは、そのように愚かで情けない行為なのです。
差別なんかした事がないと言う人は、多いかも知れません。
でも子供の頃に、周りの子供たちと一緒になって、誰かを責めたり、からかったりした事が、あるのではないでしょうか。
自分に従わない相手に対して、意地悪をした事はありませんか。
それだって差別なのです。
今述べているのは、一般的に知られる差別ですが、差別とはわかりにくい差別もあります。
たとえば、人が困っているのがわかっているのに、見て見ぬふりをするのは差別です。
遠方にいるから、助けたいけど助けようがない、という話ではありません。
目の前にいて、手を差し伸べる事ができるのに、それをしない行為を言っているのです。

困っているのが、自分の家族や友人であれば助けるのに、他の人間だと助けない。
このように、相手によって態度を変えるのは、差別と言えます。
誰かがいじめられているのに、それを止めようとしない。
知り合いが生活に困っているのに、相談にも乗ってやらない。
道に倒れている人を見ても、助けようとしない。
こういう消極的な差別は、どこでも見られる事です。
行為を行う本人には、それが差別だという認識は、ないと思います。
それ故、このような行為は、悪意なくやってしまいがちなのです。
こう考えると、誰もが差別をした経験があると言えます。
もしかしたら、過去の話ではなく、今現在の事かも知れません。
しかし、私はその責任について、言及しているのではありません。
未熟な者は差別をするものなのです。
ですから、子供は差別をしやすいですし、大人でも精神的に未熟なうちは、差別をしてしまうのです。
私自身、子供の頃は、差別心を持っていました。
大人が言う言葉を鵜呑みにして、アメリカは正義で、ソ連(昔あったロシアを中心とした国)や中国は悪いと、思い込んでいたのです。
もちろん、今はみんな同じ人間だという、認識で生きています。
心が未熟なうちは、差別がなくなる事はありません。
どんなに差別が悪いと訴えたところで、未熟な人には伝わらないのです。
差別が悪いと理解できるのは、心が成熟した人だけなのです。
つまり、差別をなくすためには、人々の心を、成熟させる必要があるわけです。
そのためには、それぞれの人が自分の中にも、差別意識があったのだということを、認識しないといけません。
まずは、自分も差別問題の、当事者だったと知る事が、心の成熟への第一歩なのです。
