刑務所の話 その2

日本の刑務所でも、高齢化した受刑者たちが、出所したあとも、わざと軽犯罪を犯して、刑務所へ戻って来るようです。

テレビで見せられた刑務所の様子は、刑務所と言うより、老人ホームのような感じでした。

食事は用意してもらえるし、病気になっても無料で診てもらえます。

中には、透析まで受けている受刑者がいました。

出所しても独りぼっちだけど、刑務所にいると、お友だちが一杯いるという受刑者もいるのです。

もちろん、お友だちというのは、刑務官ではなく、似たような高齢の受刑者たちのことです。

刑務官も困惑の様子で、こういう人たちを扱う所は、本当はここではないと思うのだけれどと言うのですが、どうしようもありません。

凶悪な犯罪を犯す者も、刑務所での暮らしが忘れられずに、罪を繰り返す者も、どちらも根っこは同じだと思います。

つまり、社会の中では居場所がない、幸せを感じられない、疎外感がある、などの状況が犯罪を生むということです。

本当に犯罪を減らしたいのであれば、何故犯罪が起こったのかを、徹底的に調べることが重要です。

恐らく、調査はされているのだと思いますが、その結果が、犯罪防止に活かされていないのが、現状でしょう。

その理由は、議員の方たちが、こういうことを真剣に考えていないからだと思います。

真剣に考えているのであれば、もっと多額の税金を投入し、現場に多くの有能な人材を、投入しているはずです。

使える税金は限られているから、限られた中でするしかないと、議員の方たちは考えるのかもしれません。

でも、これは病気にどう対処するのか、という事と同じです。

本当に具合が悪くなってから、病院で治療を受けるよりも、悪くならないよう、予防に力を入れる方が、お金はかかりません。

本人も病院の人たちも、その方が楽です。

犯罪を防ぐことにお金を使うことは、起こった犯罪に絡んだ、様々な費用を捻出するよりも、遥かに安上がりでしょう。

それにお金のことよりも、被害者であれ加害者であれ、不幸な人間を生まずに済むのです。

何でも個人の責任にする人は、基本的に人間が好きではないのでしょうね。

人間が好きなのであれば、個人の責任だと言いながらでも、困っている人を見ると、助けようとするものです。

国のことを、本当によくしたいと思うのであれば、議員の方たちには、すぐにでも動いてもらいたいものです。

お金をかけるだけでなく、現場に関わっているような人たちに、集まってもらって、いろいろ意見を募るのもいいと思います。

会社などでもそうですが、現場の声を聞かずに、上から指示を出して、とにかくこれに従えというのは、状況改善にはつながりません。

また私たち自身も、何でも国任せにするのではなく、困っている人には手を差し伸べるだけの、優しさと心の余裕を持ちたいものです。

刑務所の話 その1

世界一受刑者に優しいと言われる、ノルウェーのハルデン刑務所を取り上げた、番組を見ました。

刑務所には格子がなく、受刑者は全く普通の暮らしを、刑務所内で過ごすことができます。

建物の内装も立派です。

受刑者の部屋は個室で、テレビもDVDもあります。

小さなスーパーもあって、受刑者はそこで買い物をし、自分たちが食べる物を、自分で調理して食べるのです。

当然、殺人犯のような重大な事件を、起こした者もいます。

でも、お互いに相手が起こした事件など、全然気にしない様子で、みんな和気あいあいとしていました。

気の合う者同士で、ゲームをしたり、歌を歌ったり、ラジオ局までが入って来て、彼らの声を国民に届けています。

毎週末、刑務所を訪れた家族と、自分たちだけで過ごすことができる建物もあり、生まれたばかりの子供を、受刑者が腕に抱くこともできるのです。

日本人で言えば、遠方に単身赴任している夫と、週末に会う家族のようですね。

そこには監視がまったくないので、悪巧みをしたり、薬物を持ち込むことも可能ですが、基本的に受刑者たちは、信頼されている形です。

こうした人間的な扱われ方は、実情を知らずに入所した受刑者を、戸惑わせるようです。

普通は、刑務所とは罰を受ける所であり、嫌な場所だと思われているからです。

また、実情を知っている者の中には、この刑務所に入ることを、警察と交渉した者もいます。

麻薬の密売をしていた受刑者は、この刑務所で勉強をし、資格や技術を手に入れて、外に出ることを目指していました。

彼が言うには、何もないまま外へ出ると、きっと同じことをしてしまうが、もうそんなのは御免だから、ここで勉強をするのだそうです。

ごくわずかながら、所内で自殺をしたり、脱走をする者もいるようですが、ほとんどの受刑者は、この刑務所を好意的にとらえています。

そして、この刑務所を出所した者たちの再犯率は、かなり低いと言われています。

ただ問題は、これだけの刑務所を造るのに、多額の費用がかかることと、受刑者全員に快適な暮らしを提供することに、国民全員が納得しているわけでは、ないということでしょう。

それでも、そうせざるを得ない事情が、ノルウェーにはあるのです。

と言うのは、ノルウェーには死刑も終身刑もありません。

どんなに重大な事件を起こしても、いつかは必ず、受刑者は社会に出て来るのです。

と言うことは、再犯率をいかに下げるかという事が、一番の問題になります。

そのため、感情は脇に置いて、様々な取り組みを試行錯誤する、必要があるのです。

犯罪に巻き込まれた側からすれば、受刑者が罰を受けずに、快適な暮らしをしていることに、違和感を覚えることでしょう。

下手をすれば、被害者よりもいい暮らしを、させてもらっているかもしれないのです。

それに国が犯罪者を罰しないのであれば、自ら手を下して、犯罪者を罰してやると考える人が、現れるかもしれません。

再犯率が低いことは、大いなる魅力ではありますが、被害者の個人レベルでは、再犯率などどうでもいい事でしょう。

要は、犯罪というものを、個人レベルで見るのか、社会レベルで見るのか、という事です。

社会レベルでの視点を優先するのであれば、国や自治体は被害者のフォローを、責任持ってしなければなりません。

ただ、この問題が教えてくれているのは、刑務所の話だけではないのです。

人間的な扱いをされることで、再犯率が減るということは、受刑者たちは犯罪を犯す前は、人間的に扱われていなかったと、見ることができるでしょう。

彼らが初めから人間的に扱われていたならば、彼らが犯罪を犯すこともなかったということです。

権利と義務

権利とは何か。

辞書によると、「ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力」とありました。

また、「一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力」とも書かれていました。

これに対して、義務の意味は次のとおりです。

「人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め」
「倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと」
「法律によって人に課せられる拘束」

要するに、権利とは、やりたいことを自由気ままに行うことを、当然のものとして認めてもらうことですね。

一方で、義務とは、やらなければならないことです。

権利にしても義務にしても、自分以外の存在が必要です。

権利を行使するにも、義務を果たすにも、相手がいなくては、どうにもしようがありません。

山に向かって、土地の所有権を叫んだところで、土砂崩れで埋もれてしまえば、おしまいの話です。

絶滅に瀕している生物がいた時に、その生物を救うか、その生物の遺伝子情報を残すのは、人間の義務であると、考える人がいるかもしれません。

でも、それは義務ではなく、その人が勝手に信じている、使命感でしょう。

 ※Linus SchützさんによるPixabayからの画像です。

権利にしても義務にしても、人間が安心して暮らして行くために、人間によって作られた決まり事です。

それが通用するのは、人間社会の中だけです。

それも、共通の理念を持った者で、構成された社会の中だけです。

国や民族、宗教によって、理念が異なる場合、互いが主張する権利や義務は、噛み合わないことがあります。

その場合、大抵相手が間違っているという結論になり、相手を非難するか、時には暴力的な争いが生じます。

つまり、権利にしても義務にしても、その効能があるのは、地域限定の社会の中においてだけなのです。

それを他の地域に行って、そこで自分の権利を主張すると、トラブルになるのは当然です。

また、その地域における義務を、不本意だと憤慨するのも、間違っています。

こういう問題には、時々いろんな所で遭遇します。

トラブルを避けたいのであれば、あらかじめその地域の風習や、慣習などを調べておき、自分に合う場所か、確かめておけばいいのです。

しかし、元々いる地域でも、差別や無関心が絡んで来ると、権利が平等でなく、一部の者に偏っていたり、その人の事情に関係なく、これは義務だからと言って、無理難題を押しつけるということが、あるでしょう。

結局、社会を安定させるための権利や義務は、力の強い者にとって、有利な内容になってしまうのです。

そもそも、権利や義務という言葉が存在するのは、そういうものがなければ、社会がまとまらないという事情があるからでしょう。

権利や義務が、しっかりしている所は、進んだ社会であるように思われがちです。

しかし、裏を返せば、そんなことを明記しなければ、成り立たない貧弱な社会だとも、言えるでしょう。

無益な争いや、虐げられた者が存在するから、権利や義務という言葉が、生まれるのです。

 ※ねんど130さんによる写真ACからの画像です。

たとえば、育児放棄をする親がいます。

こんな親には、子供を育てるのは、親の義務だと説教が必要になります。

でも、本当は子供は義務で育てるのではなく、愛情で育てるものでしょう。

子供に対する愛情を、感じられないというところが問題なのです。

義務だからと言って、無理に育児をさせようとしても、こういう親は、他の人が見ていない所で、何をするかはわかりません。

そして、それは子供の心に、深い傷を負わせることになるのです。

子供の立場から言えば、ちゃんと育ててもらう権利が、自分にはあるということでしょう。

でも、そんな事を訴えられる、子供なんていません。

訴える力があったとしても、子供が求めるのは権利ではなく、愛情のはずです。

相手への思いやりや配慮が、十分になされる社会であれば、権利や義務について、一々明記しなくても、何も問題は起こらないでしょう。

逆に明記するから、これは書かれていないぞ、という論法で、好き勝手をする者が出てくるのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

これだけ人間の数が増え、様々な主義主張が、飛び交う世の中ですから、権利や義務を規定しないといけない事情は、理解できます。

しかし、権利や義務という言葉があるうちは、人間はまだまだなのです。

現に、起こらなくてもいいはずの争いが、様々な場面で起こっています。

自分の権利を主張するがあまり、憎まなくてもいい人のことまでも、憎むようになっています。

自分が何かを主張したい時は、必ず相手の事情を、考慮するという、思いやりを持つべきでしょう。

主張するにも言葉を選び、相手の気持ちも考えて、どうすればいいのかを、共に考えて行くという社会を、作らなくてはなりません。

義務と言われることも、自ら進んで行えば、義務とはなりません。

互いを思いやり、みんなでやろうという思いがあれば、義務など必要ないでしょう。

そんな中でも、参加できない人には、それなりの事情があるはずです。

それを強制的に参加させるのは、思いやりがあるとは言えません。

今の世の中は、自分の権利を守ろうと固執する人が、とても目立ちます。

自分勝手と思えるほどの、権利への固執は、人々を不快な思いにさせるかもしれません。

でも、権利への固執にも理由があるのです。

恐らく、権利を失えば、大きな損失により、不便かつ不愉快な人生を、強いられるという不安があるのでしょう。

でも、損失と思えるものよりも、よくなったと思えるものの方が、大きいと理解できれば、権利に固執する必要はなくなります。

互いを思いやれる世の中になり、何かを失うことを、恐れる必要がなくなれば、権利に固執することはなくなるでしょう。

 ※Daniel RecheさんによるPixabayからの画像です。

人は誰もが自由です。

自分が自由でいるためには、他の人の自由も、尊重しなければなりません。

自由の多様性と協調を、楽しめるようになれるのが、一番いいのです。

権利も義務も、あとから作られたものであって、最初からあったわけではありません。

権利や義務は、社会を安定させるための、一つの方策ではあります。

しかし、もっと優れた安定方法を、人類は求めて行かなくてはならないと思います。

核兵器禁止条約

核兵器禁止条約が発効されました。

50カ国と地域が批准した条約ですが、米露などの核保有国や、日本など核の傘下にある国は拒否しています。

世界で唯一の戦争被爆国である日本には、この条約に加わって欲しかったと、多くの日本国民が考えていることでしょう。

核が戦争の抑止力になっているという論理がありますが、その論理を認めた人であっても、核兵器がない方がいいと、思っているに違いありません。

結局、核兵器というものは、誰もが知っているとおり、究極の大量破壊兵器です。

いかに効率よく大量の人々の命を奪うのか、という観点で造られた兵器なのです。

人の命は尊いものだと、本気で考える人であるならば、核兵器どころか、あらゆる武器の廃絶を願うはずです。

人を殺してはいけないと、教えられた子供であれば、いろいろ理屈をつけて核兵器を持ち続けることに、大きな疑問を抱くでしょう。

核兵器に限らず、相手を殺す武器を持つということは、相手を信用していないということです。

世の中に、信じられる人しか存在しなければ、人を殺す道具など、持つ必要はありません。

と言うことは、互いを信頼し合うことができたなら、核兵器などいらないということです。

核兵器以外の武器も、いらなくなるのです。

そして、そういう道を歩むのだと、大国あるいは大国に従う国を除いた、多くの国々が、核兵器禁止条約を通して宣言したのです。

この条約に法的な拘束力があるのか、ということは問題になりません。

ほとんどの国が非力かもしれません。

しかし、大半の国が賛同したということに、意味があるのです。

表現が悪いかも知れませんが、マフィアやヤクザの抗争に、我慢ができなくなった一般の人々が、ノーを突きつけたというような格好でしょうか。

条約に加わっていようがいまいが、問われているのは人間性であり、その国の国民性です。

核兵器廃絶の動きを、平気で無視するような国があれば、世界中の多くの人々の心は、その国から離れてしまうことでしょう。

これまで非力で貧しい国に対して、大国はお金で文句を、言わせないようにして来ました。

それは札束で相手の頬を、叩くのと同じです。

文句を言いたくても、お金が必要な国は、文句が言えません。

それをいい事に、これまで大国は好き放題をして来たのです。

しかし、ついに世界中が大国に対して、注文をつけるようになったのです。

これまでも、クラスター爆弾や化学兵器などの禁止条約も、非力な国々の力で成立して来ました。

もちろん大国は加わりませんが、そういった武器は使われなくなっています。

それは、非力であろうとも、多くの国々の声は、無視できないということなのです。

どの国も、平和と平等を求めています。

もし、力のある国が、どこか一つでも、貧しい国々のために立ち上がったならば、その国は世界中から称賛されるでしょう。

力があるのに、いつまでも立ち上がらない国は、世界中から軽蔑されます。

軽蔑は屈辱でしょうから、そういう国も渋々ながら、重い腰を上げることになるでしょう。

でも、どうせ腰を上げるのならば、一番先に自ら立ち上がる方が、かっこいいに決まっています。

その一番の役柄を、日本がするべきだと、私は強く思いますし、また願っています。

いつまでもアメリカの顔色を窺うのではなく、アメリカをも動かすほどの、リーダーシップを持つ国であって欲しいです。

また、そうなれるだけの資質が、日本にはあると思います。

政治家たちの中にも、有能な人はいるでしょう。

でも、一部の有力者の顔色を窺い、力を発揮できていないような気がします。

今の日本とアメリカの関係と、全く同じですね。

政治の世界が、世代交代を果たせたならば、コロナ騒ぎも落ち着くでしょうし、核兵器廃絶や本当の平和への先導役を、日本が果たせると思います。

終わっていなかった南北戦争

 ※WikiImagesさんによるPixabayからの画像です。

先週発生した、トランプ支持者による、アメリカの議会議事堂への乱入事件を見ると、アメリカでは、まだ南北戦争が終わっていなかったんだなと、痛感させられました。

アメリカの南北戦争は、黒人奴隷を巡って、アメリカの北部と南部の州が戦ったものです。

とは言っても、元々は工業中心の北部と、農業中心の南部の、産業構造の違いによる対立が、根底にあり、黒人奴隷に問題は、そこに絡められたものでした。

南北戦争は北部が勝利を収め、それによってアメリカは一つにまとまりました。

黒人奴隷も解放されることになったのですが、相手への無理解や自己中心主義、黒人を見下す差別問題は、現在に至るまで残り続けています。

今回の乱入事件は、そういったものが、一気に噴き出したものでしょう。

 ※PexelsさんによるPixabayからの画像です。

火山が周期的に爆発するのと同じように、人々の心の中に蓄積していた歪んだ思いが、トランプ大統領をきっかけにして、再び爆発したのです。

彼らはトランプ信奉者を装っていますが、本音はトランプ信奉者などではありません。

彼らが信奉しているのは、自分だけです。

トランプ大統領は怒りを爆発させるための、きっかけに過ぎません。

別の言い方をすれば、トランプ大統領は、彼らに利用されたのだと思います。

宗教の原理主義テロリストが、神の名を使って人を殺すのと同じです。

彼らはトランプ大統領を利用して、自分に都合の悪い世の中を、ひっくり返そうとしたのです。

南北戦争のあと、アメリカは一つにまとまったように見えましたが、結局は形ばかりの統一で、心の中はバラバラだったということでしょう。

それは北部と南部が、バラバラのままということではありません。

北部の人たちの中にも、差別主義者や自己中心的な者は、少なくないでしょう。

元々北部の人全員が、黒人に対する人権を、真剣に考えていたはずがないのです。

もしそうであるならば、現在のアメリカの北部地域では、全ての黒人市民が貧困や差別による、苦しみから抜け出していたでしょう。

アメリカ全体で、人々の心がバラバラになっているのです。

 ※c_fishさんによる写真ACからの画像です。

今の世の中は、コロナウィルスによる騒動のせいで、人々が本性をむき出しにしています。

本性を隠していれば、表面的な融和や妥協を、行うことができたでしょう。

しかし、これだけ本性を露わにしていると、見せかけの妥協もできません。

とことんぶつかり、争うしかできないと思います。

20日のバイデン次期大統領の就任式までに、全米およびワシントンで、武装デモが計画されているという情報を、FBI がつかんでいるそうです。

何が引き金になって、アメリカ市民同士の殺し合いが、起こるかわかりません。

これはまさに、南北戦争の再燃でしょう。

このまま争いが続けば、どうなるのかと、誰もが心配になるでしょう。

しかし、これからの未来を背負って行くのは、若い世代です。

彼らの多くは無益な争いを、一歩離れた所から、客観的に眺めることができると思います。

どちらか一方に、肩入れしていたとしても、若いうちは頭が柔軟ですから、他人の意見を聞いたり、自分で調べたりすることで、考え方を変えることができます。

古い考え方に、凝り固まっている者たちには、むずかしいかもしれませんが、若い人たちであれば、理解ができるでしょう。

本当に大切なものは、何なのか。

人を傷つけてまで、自分の意見を押し通すことが、そんなに大切なのか。

世界中に対して向けられた、この問いに、若い世代であれば、答えられるに違いありません。

 ※Phan Minh Cuong AnさんによるPixabayからの画像です。

世界の潮流

 ※ami-amiさんによる写真ACからの画像です。

新年おめでとうございます。

今日から令和3年が始まりました。

しかし、人によっては、新年だからと言って、おめでたい話ではないかも知れません。

コロナ騒ぎは収まりませんし、外出もままなりません。

商売が傾いてしまった人もいれば、大学生活を送れない学生さんもいます。

昨日、東京での感染者が1300人を超えました。

さらなる自粛が求められるのは必至です。

早く元に戻ればいいのにと、願っている人は多いでしょう。

でも、多くの知識人も語っているように、以前と同じ状況に、戻ることはないと思います。

様々な不自由を強いられる、期間が短ければ、元に戻れるかも知れません。

しかし、その期間が長くなると、待っていられない人が、続出しますから、仕事はだめになり、学校も続けることが、できなくなります。

だからと言って、みんな生きることを、あきらめるわけではありません。

何とかして生き延びようと、いろいろ工夫や努力をするでしょう。

これまででは、考えもしなかったような暮らし方にも、目を向けるようになります。

そうして細々ながらも、新しい生活や仕事のスタイルができあがり、それに馴染んで来ると、もはや昔の暮らしに戻ろうとは、誰も思わなくなるのです。

ただ、そうやって新しい生き方を模索しようとする人と、古い経済システムを神のように崇めて、しがみつこうとする人とでは、今後の生き様が大きく違って来ると思います。

特にこれまでの体制の中で、お金や地位や権力に、どっぷり浸かっていた人たちは、何とかしてこれまでの状態を、維持しようと慌てるでしょう。

でも、これまでのようには、多くの人が従ってくれず、大変な思いをすることになるでしょう。

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

私が子供の頃の10年と、最近の10年を比べてみると、最近の10年の方が、変化の度合いが激しくなっていると思います。

新しい技術、新しい概念が、どんどん出て来て、頭の回転がいい人でなければ、その変化について行けません。

それだけ世の中は変化していますし、その変化はまさに最高潮を、迎えようとしているようです。

海釣りをする方であれば、わかると思いますが、海の水位は月の引力と、地球の自転による遠心力によって、毎日高くなったり低くなったりしています。

水位が一番高い時を満潮と呼び、一番低い時を干潮と呼びます。

満潮あるいは干潮の時は、潮止まりと言って、潮の流れが止まります。

その後、緩やかに潮は動き出し、次第に流れの速度を速めて行きます。

ちょうと満潮と干潮の間が、一番流れが速く、それを過ぎると、再び流れは緩やかになって行きます。

今はちょうど、この満潮と干潮の間の、潮の流れのような変化が、世の中に起きているように思えます。

 ※m.maedaさんによる写真ACからの画像です。

満潮や干潮の潮止まりが安定期だと考えると、今は安定から安定へ移動中の、不安定期なのです。

満潮や干潮には、月の引力が関係していると言いましたが、そこに太陽の引力も影響するかどうかで、潮の動きを小潮や大潮などと、呼び分けています。

小潮は太陽の影響が最も弱く、潮の変化は小さく、流れは緩やかな方です。

これに対して、大潮は月の引力と太陽の引力が重なるため、潮の変化が大きく、流れも最大になります。

これまでも人間社会の中では、安定期から別の安定期への、変化はあったでしょう。

大きな戦争や革命などのあとに、新しい国や思想が生まれて来たのは、そういう変化です。

しかし、それらは地球においては、局所的な変化でした。

今の変化は世界中を巻き込んでのものです。

これは大潮のような、ものすごい変化のうねりが、地球全体を呑み込んでいるのです。

そうして混乱が落ち着いた時、社会は再び安定を取り戻します。

でも、その安定は変化の前とは、まったく異なるものです。

恐らくですが、今年は去年以上に、世界的な変化が起こるでしょう。

それも急激かつ驚くような変化です。

しかし、変化の先には、新たな安定した世界が待っています。

私たちにできるのは、その世界がどのようなものになるかを思い描き、その世界が現れた時に慌てないよう、前もってその世界に合わせた、価値観を持つようにする事でしょう。

そして、私が思い描いている新たな世界は、お金ではなく、感謝と思いやりで構築された世界です。

 ※PrawnyさんによるPixabayからの画像です。

どんな結果になろうとも

 ※Jackie RamirezさんによるPixabayからの画像です。

アメリカ大統領選挙は、まだ結論が出ないようです。

アメリカばかりでなく、日本でもトランプ氏が勝つのか、バイデン氏が勝つのかと、人々が大きな関心を寄せています。

その多くの人が、どちらが大統領になれば、日本に有利なのかとか、世界がどうなるのかと、そんな視点で見ているようです。

しかし、本当に大切な事は、誰が大統領になるかという事ではありません。

一人一人が自分の暮らしや世界について、どのように考えるかという事です。

日本に関して言えば、どちらが大統領になるかで、右往左往する事がおかしいのです。

残念ながら、今の日本という国は、アメリカに忠実な犬を演じる事で、世界情勢を生き抜こうと、決め込んでいるように見えます。

でも本音は、違うところにあるはずです。

本当は、他国の情勢に、左右されないのがいいのです。

経済的に逼迫する事があったとしても、一つの国として毅然とした態度を示し、世界を引っ張って行くような国で、ありたいはずです。

今の時代は、一人一人が自分の本音と向き合い、自分に正直に生きることを、求められています。

同様に、一つ一つの国も、自分たちの本音を確かめ、本音に正直に生きる事が、求められるでしょう。

人が本音で生きられなければ、病気になってしまうように、国も本音を表現できなければ、病んだ国になるでしょう。

ただし、その本音の中に、自分の国さえよければいいとか、敵とみなした国の滅亡を望むなどという、低俗で愚かなものがあったら大変です。

世界は争いだらけになり、最悪は第三次世界大戦へと、進む事になるかも知れません。

しかし、国の意識というものは、国民の全体意識でもあるわけです。

思考を放棄し、指導者のいいなりになっていれば、愚かな指導者が戦争を指示した時に、それに従わなければなりません。

何がよくて何が悪いのか、自分たちで考えて行動を取るならば、愚かな指導者のいいなりに、ならずに済むでしょう。

また、本当の指導者と呼べる人を、選ぶ事もできるのです。

 ※hebloさんによるPixabayからの画像です。

大統領に就任したトランプ氏には、既存の理屈は通用しませんでした。

そのため、トランプ氏は様々なやり方、考え方を壊して来ました。

それによって、多くの批判が集まりましたが、トランプ大統領以前の国の在り方が、正しかったという事ではありません。

正しかったとすれば、トランプ大統領以前のアメリカは、平和な楽園だったはずです。

現実には貧困や差別、暴力や略奪などの問題が、はびこっていました。

トランプ氏の行動は、何かと波紋を呼びますが、彼が悪で、それまでが正義だったという事ではないのです。

本当の意味での正義など、存在していなかったと言えるでしょう。

バイデン氏が勝利して、以前のアメリカに戻そうとしたならば、それは必ず失敗するでしょう。

昔のアメリカに戻る事は、問題の解決にならないからです。

トランプ氏は、その突拍子もない言動で、様々な問題を人々に投げかけました。

本当にこれでいいのかと、強引に考えさせたのです。

それによって、それまでは黙っていた人でも、自分の考えを述べるようになったと思います。

傲慢で自分勝手で、何でも損得で考えるトランプ氏は、まさに資本主義の権化です。

体裁を考えて、きれい事を並べていた政治家とは、全然違います。

つまり、体裁やきれい事をなくした、資本主義の本当の姿を、見せてくれたわけです。

そうやって、本当にこれでいいのかと、問題を世界中の人々に、突きつけたのです。

アメリカの下僕になるのが嫌な国は、国の威厳を保つために、どうするべきかを考えたでしょう。

それは日本も同様で、口には出さなくても、将来的にアメリカに振り回されないような、国造りを考えていると思います。

また、損得だけで動くような国はだめだと、多くの人が考えたのではないでしょうか。

多くの日本国民は、日本国憲法の改正よりも、今何をすべきなのか、これからの日本はどうあるべきかを、考え始めるでしょう。

アメリカ大統領選挙に話を戻しますと、アメリカ国民もこれまで以上に、自分たちがどうあるべきなのかを、真剣に考えるよう迫られています。

そして、それこそがトランプ大統領の功績だと、私は思うのです。

今はバイデン氏の有利が、伝えられています。
それでも、トランプ氏が奇跡の逆転劇を、見せる可能性は残されています。

いずれにせよ、どうしてアメリカ国民の半分が、トランプ氏を推すのかという事を、トランプ氏を拒む人たちは、深く考える必要があるでしょう。

自分たちだけが正しいという考えは、大抵の場合、間違っています。

 ※Isa KARAKUSさんによるPixabayからの画像です。

相手の立場を理解し、その言い分を全て聞いた上で、さらにいい方法を、ともに考えて行かなければなりません。

相手を否定してしまえば、それ以上の進歩は望めません。

一時的に自分たちが勝ったように見えたとしても、問題は炭火のようにくすぶり続けます。
そして、ある時に思いがけない大火となって、噴き出すでしょう。

資本主義経済は、何年も前から、その限界を露呈し始めていました。
この時期のトランプ氏の登場は、決して偶然ではありません。

そこに加えて、世界的な新型コロナ騒ぎです。
世界中の人々が、物理的・経済的・思想的に打ちのめされました。

これまでのやり方、考え方では、どうにもならないと、悟らざるを得なかったでしょう。
今は人類が思考や価値観を、変革する時期なのです。

これからどうなるのか、誰にもわかりません。

しかし少なくとも、これまでと同じ社会ではだめだというのが、多くの知識人たちの、共通した見解です。

とにかく大切な事は、どんな状況に置かれたとしても、一人一人が自分の生き方を貫く事だと思います。

多くの人が、争いを好むのであれば、世の中はぐちゃぐちゃになるでしょう。

しかし、どんなに気の荒い人であっても、争いだらけの世の中を、求めているわけがありません。

どんな人であっても、楽しく穏やかに暮らせる事を、望んでいるはずです。

そのためには、感謝と思いやりの気持ちが、欠かせません。

人々が感謝と思いやりに満ちていれば、争いなど起こりません。

国や地域の代表者も、自然とそういう人が選ばれるようになるでしょう。

誰が指導者になるかで、がらりと変わる世の中ではいけません。

世の中を動かすのは政治家ではなく、私たち一人一人の、市民であるべきなのです。

アメリカ大統領選挙

 ※Aline DasselさんによるPixabayからの画像です。

いよいよ今日は、アメリカ大統領選挙です。
日本時間では、夜に投票が開始されるそうです。

共和党のトランプ氏が再選するのか。
民主党のバイデン氏が新大統領に選ばれるのか。

世界の経済や、軍事の中心地と言える国の、大統領選挙ですから、世界中が注目している選挙です。

ただ、どちらが選ばれても、世界の混乱は収まらないでしょう。
下手をすれば、アメリカは国が真っ二つに分かれて、揉め続けるかも知れません。

今の世界に広がる大混乱の原因は、感謝と思いやりの欠如に起因しています。

トランプ氏が再選しようと、バイデン氏が勝とうと、これまでと同じような政策や、態度を見せるのであれば、混乱は収まらないでしょう。

国境を越えて、みんな地球人だという意識を持たないと、次々に起こる問題を、乗り越えるのは困難です。

 ※NHKニュースより

そもそも UFO の存在を、アメリカ政府が正式に認めたというのに、世界中の人々は、どこに意識を向けているのでしょうか。

この重要な情報を、まるでなかったかのように振る舞う人たちを、私は理解ができません。

目の前に大きな変化が迫っているのに、足下しか見ていないなんて、どうかしていると思います。

恐らく、周りが騒がないから、何となく安心しているのかも知れません。
しかし、それは自分の頭で考えるという事を、放棄しているのと同じです。

それでも一部の人たちは、UFO の存在を真面目にとらえています。

その中には、私のようにUFO を好意的にとらえる人もいますが、侵略者だとみなして焦る人もいます。

その真偽はともかくとして、未知の知性体が、既に地球に到達しているのです。
それなのに人々の関心は、全然違う方向へ向いているようです。

 ※HawkskyさんによるPixabayからの画像です。

UFO の動きでもわかるように、この知性体の知識と技術は、地球人のそれを遥かに上回っています。

とても戦って勝てる相手ではありません。
しかし、向こうから攻撃して来る様子は、ないようです。

と言う事は、地球人類との友好を結ぶ日を、待ち望んでいると考えて、いいのではないでしょうか。

そうであれば、それは彼らの知識や技術が、近い将来、人類にもたらされるという事です。

それは、単なる科学革命ではありません。

人々の神や世界への認識が大きく変わる、空前の意識革命となるでしょう。

人類というものが、大進化を遂げる瞬間が、近づいて来ているのです。

これは、すごい事だと思いませんか。

他の時代に生まれていれば、大進化の瞬間には立ち会えません。

今を生きる私たちは、その二度とない瞬間を、目の当たりにする事ができるのです。

経済問題や差別問題など、人類が心を一つにすれば、簡単に乗り越えられるものばかりです。

そんな事で、いつまでも揉め続けているのは、とても歯痒い事です。

これらの問題が、いつまで経っても解決しないのは、みんなの心がバラバラだからなのです。

どうしてバラバラになるのかと言うと、元々みんな一つだったという事を、忘れているからです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

全ての人間の体は、地球から生まれています。
全員が地球の子供なのです。

地球も太陽も、宇宙から生まれています。
だから、私たちは全員が、宇宙の子供でもあるのです。

みんな同じ存在なのに、何をいがみ合っているのでしょうか。

私たちより遥かに高度な存在から見れば、全く愚かで馬鹿げた行為を、人類は繰り返してばかりいると思うでしょう。

今、世界中がアメリカ大統領選挙に、注目しています。

どちらが選ばれるかによって、それなりの影響の波が、世界中に広がるでしょう。

しかし、どんな波が来ようとも、大進化を迎える人類の一員として、胸を張れるような生き方を、貫こうではありませんか。

何がよくて何がいけないのか、一人の人間として判断すれば、自ずと答はわかります。

煽動や策略に巻き込まれる事なく、自分の世界を保つようにしていれば、そこには必ず喜びが見つかるでしょう。

風刺とは何か

イスラム教の預言者、ムハンマドの風刺画に反発したテロが、フランスで続発しています。

どのような理由であれ、テロは許されません。

しかし、わざわざムスリムの人たちを刺激して、テロを起こさせるのはどうかと思います。

根底にはムスリムの人たちに対する、多くのフランス人の蔑視があるのでしょう。

ただ、東北が津波に襲われた時に、福島の原発を巡って描かれた、奇形の力士の風刺画から考えると、ムスリムの人たちだけに限った、蔑視ではないように思います。

恐らく、フランス以外の文化に対する、反発心があるのでしょう。
そうでなければ、何でもかんでも風刺したりは、しないはずです。

ムハンマドの風刺画を、生徒たちに見せて殺された、中学校教師の葬儀で、マクロン大統領は表現の自由を強調し、風刺をやめないと公言しました。

これに対して、イスラム諸国は猛反発をし、フランス製品ボイコットの呼びかけています。

するとマクロン大統領は、ボイコットを無価値で容認しがたいと、批判したと言います。

自分たちには、相手を馬鹿にする権利があるのに、相手には、反発する権利を認めないという姿勢は、説得力を感じません。

フランス以外の多くの人が、テロリストの行いを糾弾しつつも、フランスの態度には、眉をひそめているのではないでしょうか。

フランスでは表現の自由ということが、重視されています。

しかし、自由には責任がつくものです。

自由に行った結果は、全て自身にふりかかるのです。

どんなに文句を言ったところで、どうにもなりません。

表現の自由というのであれば、怒りや憎しみの表現として、相手の命を奪うという行為も、正当化されてしまいます。

さすがに、それはいけないだろうと、そこにルールを設けるのであれば、自らもそのルールに従わなければなりません。

フランスの人たちは、自分の家族や友人など、大切な人が冒涜されても、表現の自由だと言って、相手を許すのでしょうか。

自分たちは、相手が信じているものを、風刺しているのであって、信じている個人を、冒涜しているわけではない。

風刺画を擁護する人たちは、そう言い分けするかも知れません。

しかし、心から信じているものが、否定されたり馬鹿にされると、その人たちの心は、大きく傷つきます。

それは自分が否定されたり、馬鹿にされる以上に、深く傷つくものなのです。

相手が信じているものが、間違っていると考え、それを正したいと思うのであれば、冒涜してはいけません。

何を信じようと、本人の勝手です。

そこを変えさせたいと思うのなら、相手の思想を受け入れながら、本当の思いについて、時間をかけて、深く話し合わねばなりません。

しかし、それでも相手が信じ続けるというのであれば、それは尊重されるべきなのです。

何故ならば、自分自身が信じているものが、絶対に正しいと言い切ることは、誰にもできないからです。

自分が自身の信念を持つのであれば、相手にも相手なりの信念を、持つ自由を認めねばなりません。

直接体に危害を加えないという点で、風刺と暴力は違うと、風刺画擁護派は考えるのかも知れません。

しかし、時に言葉の暴力は、肉体への暴力以上に、相手に深いダメージを与えるものです。
ましてや、風刺画にして世間に広めるなど、言語道断でしょう。

そんな事は、どこの国でも常識だと思うのですが、フランスではそうではないようです。

表現の自由を教える授業で、宗教を侮辱する風刺画を、生徒に見せる行為は「正当化される」と答えたフランス人は、78%に上ったと言います。

では、同じ表現の自由を教える授業で、生徒の家族や生徒自身を、侮辱する風刺画を見せれば、どうでしょうか。

それにも、8割近くのフランスの人々は、賛同すると言うのでしょうか。

今、世界は大きく変化しようとしています。
求められているのは、感謝と思いやりの心です。

世界中で猛威を奮っている新型コロナウィルスは、その事を私たちに告げています。

それなのに、どうしてこの時期に、このような風刺をしようとするのでしょうか。

大人は子供たちに、何を教えようとしているのでしょうか。

本来風刺は、権力者に対する非力な抵抗です。

直接争うとひどい目に遭うので、陰で言葉や絵を用いて、相手を馬鹿にするものです。

権力者から虐げられている者が、ささやかな抵抗手段として使うのが、風刺なのです。

何も虐げられていない者が、権力者でもない者に対して、心を踏みにじるような態度を見せれば、トラブルになるのは当たり前です。

それどころか、政府に守られた権力者が、力の弱い人たちを、堂々と馬鹿にしているのです。

風刺の定義から言えば、彼らは風刺をする立場にないはずです。

それでも政府や国民のお墨付きがあるから、胸を張って風刺を続けるのでしょう。

しかし、風刺された者たちの、みんながみんな、泣き寝入りをする者ばかりではないのです。

今のフランスの風刺画擁護の姿勢は、裏に何か深いコンプレックスが、潜んでいるように思えます。

攻撃的な人というものは、不安だから相手を攻撃しようとするのです。

そうする事で、自分の方が立場が上だと、アピールするのです。

豊かな心を持ち、今の人生に十分満足している人は、誰かを否定したり攻撃したりはしません。

そんな事をする暇があれば、自分がやりたい事に、全ての情熱を注ぐはずです。

風刺を専門にしている出版社は、風刺を仕事にしています。
仕事ですから、毎日、誰かを風刺しなければなりません。

彼らの風刺は、権力に対する抵抗ではなく、商売です。
あるいは、自分たちの存在の誇示でしょう。

インターネットで誰かをボコボコにして、正義感ぶっている人がいますよね。
それと同じ理屈だと思います。

彼らは常に、自分の正義を振りかざすための、生け贄を探しているのです。

フランスの人々は、自分たちがテロと、戦っているつもりなのかも知れません。

しかし、自分たちの行いが、テロリストを生み出していることに、気づくべきです。

テロリストが生まれるのは、宗教が原因ではありません。
宗教は一つのきっかけに過ぎません。

神の名を使えば、自分の行為を正当化しやすいので、利用しているだけです。

しかし、テロリストが全員、神を利用するわけではありません。

彼らがテロを起こす理由は、もっと日常的な所にあるのです。

普段の生活の不満や不安、将来への失望などが、彼らの原動力なのです。

それなのに、彼らの神経を逆なでするような事を、社会全体で意図的にするわけです。
テロが発生するのは、当たり前でしょう。

ただ、これは日本でも言える事です。

日本人は風刺画こそしませんし、多くの人はそういう事を嫌います。

しかし、貧しい国の人たちを、労働力として日本へ連れて来て、まともな賃金を払わなかったり、使い捨ての労働者のように扱う事は、少なくないようです。

こういう事を続けていると、同じ人間として扱ってもらっていないという、不満が蓄積して行き、ある日突然、その不満が爆発する事があるのです。

外国人労働者を受け入れておいて、経費がないなどと言い訳をする、業者がいます。

しかし、支払う経費がないのであれば、廃業するべきでしょう。

外国人労働者は、奴隷ではありません。
みんな同じ人間なのです。

自分がされたら嫌な事を、相手が誰であれ、やってはいけません。

また、お金儲けのために、誰かを利用するという発想は、捨てるべきです。

遠い国から、助けに来てくれる人たちです。

彼らへの感謝と思いやりの気持ちを、忘れてはならないのです。

新たな社会を作る若者たち

 ※My pictures are CC0. When doing composings:さんによるPixabayからの画像です。

香港の民主活動家、周庭さんが釈放されました。

ひとまずは彼女の無事を、喜びたいと思います。

しかし、今後の彼女の安全が、保証されたわけではありません。

日本政府には、香港の人々の自由のために、具体的な動きを、見せてもらいたいと思います。

また、ウィグルの人々についても、同じように支援の態度を、示して欲しいものです。

一方で、日本では広島の黒い雨訴訟について、広島県と広島市が控訴しました。

広島県も広島市も、控訴には消極的だったものの、国が控訴するよう指示したため、控訴をすることにしたということです。

国が控訴を求めたのは、原告の訴えが、科学的でないという理由です。

それならば、どこが科学的でなくて、自分たちの主張の何が科学的なのか、国は具体的に説明するべきでしょう。

今の政治家たちは、科学的という言葉を使えば、何でも自分のたちの言い分が、通ると考えているようです。

今回のコロナ騒ぎの対応についても、やたらと専門家という言葉を使って、自分たちの立場を守ることにばかり、懸命になっていました。

それと同じです。

原爆の被災者に寄り添うと、語っていた安倍総理は、日本語の意味が、わかっていないのかも知れません。

 ※Roland SchwerdhöferさんによるPixabayからの画像です。

あまりにも言っている事と、やっている事が違います。

それに気がつかないのは、政治家に相応しいかどうか、以前の問題でしょう。

世界を見回してみれば、どこの国の指導者たちも、みんな同じようなものです。

国民をないがしろにしても、自分たちはずっと守られているから、大丈夫だと信じているように見えます。

一昔前の人々であれば、政府の思惑どおりに、ごまかされたり、うやむやにされて、黙ってしまったかも知れません。

でも今の人たちは、昔の人々とは違います。

指導者が、人間の心を持っているのか、今の人々は、ちゃんと見極める目を持っています。

特に若い人たちは、価値観が変わって来ています。

昔ながらのやり方で、押し通そうとしたところで、政府の考えたとおりには、動かないでしょう。

 ※Jess FoamiさんによるPixabayからの画像です。

今の若い人は、お金や物よりも、自由や生き甲斐を、大切に思っています。

また、今の若い人たちは、自分の友だちが、どこの国の人間なのかを、気にしません。

新しい世代は確実に、自由と平和や多様な個性への、平等な扱いを求めています。

これは世界的な流れであり、力でこの流れを、抑えることはできません。

むりやり押さえ込んだつもりでも、新しい価値観を持った若者は、次から次に産まれて来ます。

見た目は、古い人間と同じ姿でも、その体に宿っているのは、新たな時代を築くため、大きく進化した心です。

彼らは古い人間たちとは、求めるものが違うのです。

 ※DevanathさんによるPixabayからの画像です。

これまで古い体勢、古いシステムの中で、バラバラに存在していた彼らは、自分たちの居場所がないと、感じていたことでしょう。

中には、それが元で精神が病んでしまったり、自ら命を絶ってしまう者もいました。

しかし、古い社会に馴染めないのは、当然と言えば当然なのです。

新しい社会で生きる者たちですから、古い社会には、波長が合わないのです。

その彼らの多くが、この混乱の中で気づいたでしょう。

どうして、自分たちの居場所が、見つからなかったのか。
どうすれば、自分たちの居場所が、見つかるのか。
今、自分たちが何をするべきなのか。

また、こうも理解したと思います。

自分は独りぼっちでは、なかったのだと。
自分にも、できることがあるのだと。
今こそ、自分が動くべき時なのだと。

 ※Joseph Redfield NinoさんによるPixabayからの画像です。

どこの国も、若い力を封じることはできません。

封じようとすればするほど、自らの愚かさを、示すことになるでしょう。

それは古い人たちでさえ、白けさせて離反させるようなものです。

あまりの無能さは、冷笑を超えて、哀れみを集めるでしょう。

周庭さんは強い人です。

まだ若い普通の女の子なのに、恐怖を感じているはずなのに、それでも中国政府の理不尽に、体を張って立ち向かっています。

彼女は香港の自由を通して、もっと大切なことも、世界中の人々、特に若い人々に訴えているのです。

そんな彼女の声は、数え切れない人々の心をつかみ、一つにしています。

どこの国の政治家に、彼女ほど強力な言葉を、発することができるでしょうか。

彼女は一人の人間として、真っ当な意見を、素直な気持ちで、表明しているだけです。

同じ香港に、暮らす人たちのことを思って、発言しているに過ぎません。

決して無茶苦茶なことを、喋っているわけではなく、当たり前のことを、述べているのです。

政治家たちのように、パフォーマンスで訴えたりはしません。

政治家たちのように、選挙やお金目当てで、動いたりはしません。

政治家たちのように、安全に守られた所で、喋っているのではありません。

イスラム国に襲われて、命を失いかけた、パキスタンのマララさんもそうです。

温暖化対策を訴えた、スウェーデンのグレタさんもそうです。

他にも多くの若い人たちが、世界を変えるために立ち上がり、声を上げています。

たとえテレビで報道されていなくても、その声は確実に広がっています。

よく観察して下さい。

そして、世界に広がるパワーを、感じて下さい。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

若い人々を中心に、人間の本来の姿が、求められています。

人類は今、大きく変わろうとしているのです。