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体の傷と心の傷 その10

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結局のところ、何かにどれだけ傷つくのかということは、その人が世の中に対して、どれだけの理解を持っているのか、ということを示しています。

世の中の価値観に洗脳されているうちは、その価値観に自分を当てはめて考えますから、他人がどれほど慰めたところで、心の傷を癒やすことはできません。

傷が癒えたように見えたなら、それは傷を癒やすことを、あきらめているのです。

この世界に、絶対にこうだという決まりなど、ありません。

今の社会や法律があるのは、それなりの利点があるからなのですが、人類がこの世界に登場した時から、存在していたものではないのです。

長い歴史の中で、誰かが勝手に創ったものであり、それは必ずしも人間にとって、いいものとは言えません。

もちろん、法律や決まりには、それができた背景があり、それなりの意味があるわけですから、決まり事を守るなと、言っているわけではありません。

しかし、守らなくてもいいはずの、常識と見なされているような事柄に対しては、もっと反旗を翻しても構わないでしょう。

別に、そうしたところで法律違反になったり、誰かを傷つけるのでなければ、人は自由に生きればいいのです。

権力者は厳しい法律や罰則だけで、人々を支配するのではありません。

力で押さえ込もうとすると、人々の反発心を煽ることになります。

そんなことをする権力者は、権力者としてはレベルの低い者たちです。

レベルの高い権力者は、人々に反発心を起こすようなことはしません。

思想や価値観を巧みに植え付けて、勝手にそれが真実なのだと、信じ込ませるのです。

自分たちで勝手に信じて、従ってくれるわけですから、権力者にとって、これほど楽なことはありません。

これが洗脳というものです。

権力者が無茶苦茶なことをしても、みんなは黙って従います。

従えない場合は、自分が悪いと思ってくれるのです。

あるいは、周囲にいる者たちが、支配者に代わって、その人を排除しようとしてくれます。

権力者が自分の手を汚すことはありません。

でも、こんなのは実に理不尽です。

せっかく人間として生まれて来たのに、その喜びを享受することもできず、ロボットのように使われるだけなんて、生まれて来た意味がなくなってしまいます。

それは自分の人生の主権を、相手に手渡しているのと同じです。

世の中にある決まり事や、慣習などが、本当に人々の喜びにつながるものであるならば、人知れず泣いたり苦しんだりする人は、いなくなるでしょう。

ところが、実際は多くの人が、自分の言いたいことも言えずに、我慢を強いられています。

そして、これが当たり前なのだと、あきらめ気分を基盤にして、自分が置かれた状況を、受け入れているのが現状です。

自分が悩んだり傷つくのは、自分が悪いのではないと、理解する必要があります。

自分の責任を問うならば、何も考えずに、世の中にある価値観を、自分の一部として取り込んで来たことでしょう。

そういう意味では、自分が悪いのです。

でも、それはいつでも改善することができます。

必要のない価値観は捨てて、自分が生き生き暮らすための価値観だけを、取り込めばいいのです。

そうすれば、その人にとっての世界は一変し、それまでの悩みや心の傷など、すぐにでも消えてしまうことでしょう。

そのためにも、自分とは何なのか、人間とは何なのか、世界とは何なのか、命とは何なのか、そして、愛とは何なのか、ということについて、真剣に考えてみることです。