子供たちの心

とても素敵な記事がありました。

難病で視力を失った男性を、小学生の子供たちが、助け続けていたという話です。

和歌山市職員の山崎浩敬さんは、網膜色素変性症のため視力を失い、2005年から白杖を使いながら、通勤するようになったと言います。

初めは家族が付き添ってくれていましたが、2008年からは一人でのバス通勤になりました。

しかし、目が見えないため、バスの乗り口を探すのも、大変苦労されたようです。

ところが、一人でのバス通勤を始めて、一年ほど過ぎた頃、「バスが来ましたよ」と女の子の声がしたそうです。

「乗り口は右です。階段があります」と言いながら、山崎さんを座席に案内してくれた女の子は、それから毎日、学校を卒業するまで、山崎さんを助けてくれました。

女の子は、和歌山大付属小学校の児童で、山崎さんと同じバスで通学し、降りる停留所も同じだったそうです。

女の子が学校を卒業したあとも、別の女の子が山崎さんを助けてくれるようになり、その子が卒業しても、また別の子が助けてくれました。

子供たちの間で、山崎さんの力になるということが受け継がれ、また、子供たちとのお喋りが、山崎さんの楽しみとなりました。

それは、誰かに助けてもらったということ以上の、大きな喜びとなったでしょう。

その喜びは山崎さんにとって、思いがけない贈り物になったと思います。

喜びは相手にも広がります。

そのことは子供たちにとっても、思いもしなかった、お返しとなったに違いありません。


山崎さんは、自分を助けてくれた女の子たちが、全部で四人だと思っていました。

しかし、和歌山大付属小学校で、女の子たちに再会した時に、山崎さんが知らされた話では、他にも山崎さんを、助けてくれていた子供たちが、いたということでした。

そのことに山崎さんが、気がつかなかったのは、その子供たちが、そっと山崎さんを助けていたからでしょう。

自分が知らないところで、たくさんの子供たちが、助けてくれていたのだと知り、山崎さんはとても感激した様子でした。


思い切って行動を示す優しさもあれば、目立たないところで、そっと向けられた優しさもあります。

どちらも本当に素敵なことです。

そのような優しさを示すことができたのは、子供の心が素直で、純真だからなのかもしれません。

こういう子供たちに恥じないように、大人である私たちも、人に優しい気持ちを、持ち続けたいと思います。

そして、目に見える優しさ、目に見えない優しさの双方に、これからもしっかりと、目を向けて行きましょう。

昔の人の気概

松山から今治へ向かう海沿いの道は、今治街道と呼ばれています。

海の景色が素晴らしく、多くの車が行き交っていますが、昔もこの道は、たくさんの人が利用していました。

その途中に、粟井坂(あわいざか)という所があります。

上の写真は、粟井坂を上空から見たものです。

写真中央は、海際まで続いた、海抜50メートルほどの丘陵地です。

今は写真のように、奥の方が開発されて、団地になっています。

この丘陵地の北側が風早郡(かざはやぐん)、南側が和気郡(わけぐん)と呼ばれていて、ちょうどこの丘陵地が郡境になっていました。

写真の左下に「大谷口バス停」とありますが、昔の道はこの辺りから丘陵地を登り、峠を越えた後、写真左上の「粟井坂大師堂」の辺りへ出たそうです。

この丘陵地越えの坂道が、粟井坂と呼ばれているのです。

当時は丘陵地の端は崖になっていて、道はありませんでした。

丘陵地の反対側へ行くには、どうしても丘陵地を越えて行くしかなかったのです。

そのため、この峠には関所もあったようです。

ところが、この粟井坂を抜けるのは、人間にとっても、荷物を運ぶ牛馬にとっても、大変なことでした。

それで、粟井坂の北側、風早郡小川村の里正(りせい)であり、かつ風早郡副長を務めた大森盛寿(おおもり もりかず)氏は、迂回路を造ることを思い立ちます。

ちなみに里正というのは、庄屋のような役割で、里正という呼び名を使ったのか、庄屋という言い方をしたのかは、地方によって様々だそうです。

結局、迂回路の案は上司が受け入れてくれなかったため(恐らく費用の問題だったのでしょう)、大森盛寿氏は建設資金を蓄えることを決めます。

数年後、資金を用意できた大森盛寿氏は、あらためて新道建設を申請します。

すると今度は、新道建設の承認がもらえました。

しかも、県から補助金を出してもらえることになりました。

こうして明治13年4月、ついに新道工事は着工となり、同年7月に道路は完成しました。

それが今も利用されている、海沿いの道なのです。

この時の工事に携わった者は、延べ人数で 5,079名です。

すごい人数ですが、それだけ大変な工事だったと言えるでしょう。

この新道によって、多くの人々が助かりました。

その恩恵は、現在の私たちにまで、続いています。
まさに感謝と尊敬の念しかありません。

それにしても、当時の心ある人たちの気概というものは、凄まじいという言葉が、ぴったりではないでしょうか。

自分の信念を貫き通すという、強い想いを抱き続けるということは、並大抵のことではできません。

現代社会においては、大きな壁にぶち当たれば、すぐに諦めてしまうのではないでしょうか。

また、この大森盛寿氏が自分のためではなく、人々のために動いたというところが、素晴らしいと思います。

彼のその想いがあったからこそ、県も動いたし、人々も動いたのでしょう。

新型コロナ騒ぎで、国民・市民が思ったように動いてくれないと、嘆く政治家は多いでしょう。

でも嘆く前に、自分たちがどれほど、国民・市民の心を動かすような、言動を示せたのかを振り返ってみるべきでしょう。

自分の利益のためでなく、本気で動いている人を目にすれば、誰でも力になろうと思うものです。

政治家に限ったことではありませんが、昔の人の気概というものが、もっと注目されてもいいのではないでしょうか。

また、自分が何かを本気でやっていると言いながら、壁に突き当たって諦めそうになった時、大森盛寿氏のことを考えてみたらいいでしょう。

そうすれば、自分が本当に本気だったのかどうかが、わかると思います。

奇跡のリンゴ

 ※FRANK211さんによる写真ACからの画像です。

みなさんは、奇跡のリンゴの話を、聞かれたことがあるでしょうか。

奇跡のリンゴは、青森に暮らす木村秋則さんが、育てたリンゴです。

かつて、農薬なしには、リンゴは収穫できないというのが、リンゴ農家の常識でした。

しかし、木村さんは奥さまが、ひどい農薬アレルギーだったため、奥さまのためにリンゴの無農薬栽培に、挑戦したのです。

初めはみんなから馬鹿にされ、みんなが言うとおり、農薬を使わないリンゴは、害虫の標的にされて、ぼろぼろになったそうです。

木村さんは毎日毎日、虫を捕まえたそうですが、どんなに取っても切りがありません。

リンゴが収穫できないので、家族をまともに養うこともできず、ついにはリンゴの木が全滅しそうになりました。

とうとう心が折れた木村さんは、ある夏の満月の夜、自らの命を絶とうと思い、岩木山へ登ったそうです。

 ※オーディーフォトズさんによる写真ACからの画像です

首をくくるロープを、木の枝に引っかけようとして投げた時、狙いがそれてロープは、斜面の下へ落ちました。

その時、そのロープが落ちた所で、木村さんが見つけたものは、きれいな葉っぱをつけたリンゴの木でした。

それは、よく見るとリンゴの木ではなく、ドングリの木だったそうですが、その木が病気もなく、元気に育っている姿を見て、木村さんは何故だろうと考えたと言います。

そして気がついたのは、畑とは土が違うということでした。

人間は、きれいで美味しいリンゴを、むりやり作ろうとして、人工的な肥料を与え、養分を横取りされないように草を抜き、病気になったり害虫がついたりしないように、農薬を使います。

とても過保護な状態のリンゴは、自らを守る力がありません。

しかし、山の中で自然に育つ植物は、それ自身が健全であり、病気に打ち勝つ力を持っています。

その力を生み出しているのは、ふかふかした山の土だったのです。

 ※Shibaoさんによる写真ACからの画像です。

草は土の中に根を伸ばして、土を柔らかくしてくれます。

枯れた後は、自然の養分になります。

畑の土は、下へ掘って行くと、どんどん冷たくなり、また固くなっているそうです。

それに対して、山の土は柔らかく、下へ掘って行っても、温度が変わらないのだそうです。

また、土の中には多くのバクテリアが暮らしていて、植物が育つ助けになってくれているのです。

自然はそれだけで、うまく行くようにできているのです。

それを人間が台無しにしているのだと、木村さんは気づき、リンゴ畑の土を山の土のように改良したそうです。

その結果、農薬も肥料も除草剤も使わない、自然農法によるリンゴ作りに成功し、みんなを驚かせたのです。


木村さんが命を懸けてまで、無農薬にこだわり続けたのは、奥さまの健康を気遣ったからです。

そんな木村さんだから、不思議な力が働いて、求める答えへと導いてもらえたのでしょう。

木村さんは死のうとしていた瞬間まで、無農薬リンゴを作りたいという気持ちを、持っていました。

そうでなければ、木の枝に掛け損じたロープを、拾いに行った時に、ロープが示してくれた元気な木に、気がつかなかったと思います。

そんな木村さんが、著書の中や講演で、不思議な体験の話をされています。

それは止まった時間の中で、巨大な白い龍を見た話であったり、幽霊に出会った話、あるいは死にかけて体外離脱体験をした話や、宇宙人にUFOに乗せられた話など、いろいろです。

 ※amamrosaさんによる写真ACからの画像です

木村さんの人柄から言えば、木村さんが体験した不思議なことは、全て真実なのだと私は思います。

そこから考えられるのは、木村さん自身が自覚をしていなくても、木村さんは目的を持って、この世界に生まれ出たのだということです。

また、木村さんがその目的を果たすために、陰で見えない存在たちが、木村さんを支えていたのだということです。

木村さんは無農薬リンゴを作ることを、目的にしていました。

その結果、木村さんは現在の人間の暮らし方に、問題があると気がついて、それを正すように、人々に伝え続けています。

木村さんが無農薬リンゴを、育てることに成功したという事実は、木村さんが語ることに、大いなる信憑性を、与えてくれています。

全然有名でない、その辺の人が、木村さんと同じことを口にしたところで、誰も耳を貸そうとしないでしょう。

木村さんが命懸けで無農薬リンゴを、世に出せたという事実が、みんなに聞く耳を持たせているのです。

こう考えると、木村さんが子供の頃から経験して来た、すべてのことは、彼が素朴で親しみのあるメッセンジャーになるために、周到に準備された人生設計だったようにも思えます。

彼の優しく強い気持ちを、引き出すためには、彼の奥さんや家族の存在は欠かせません。

あるいは、彼を馬鹿にした人たちでさえ、この状況を作るための協力者であったでしょう。

彼が苦労せずに無農薬リンゴを作ったとしたら、やはり人々は、彼の不思議な体験話を、真剣には受け止めないかもしれないからです。

木村さんからは、多くのことが学べると思います。

しかし、木村さん自身は、自分が特別な人間だとは考えていません。

そうではなく、みんなも自分と同じなんだ、ということを伝えようとしているのです。

木村さんは、自分のリンゴが「奇跡のリンゴ」と呼ばれているうちは、まだまだだと言います。

こういうリンゴが普通に食べられることを、木村さんは願っているのです。

それはリンゴのことだけでなく、全てのことにおいて、人が自然を大切に考えて、暮らせるようになるという意味なのです。

 ※ぴょんぴょんうさぎさんによる写真ACからの画像です。

当たり前のこと

日本に暮らすナイジェリアの男性が、拾った財布を交番に届けて、財布が無事に持ち主に戻ったという話が、ニュースの記事に出ていました。

どうしてそんな事が、ニュースの記事になったのでしょうか。

それは、彼がナイジェリアの人間だからです。

でも、ナイジェリアの人が、財布を拾って届け出たことが、日本で話題になったのではありません。

彼の行いが母国のナイジェリアに伝わり、大統領から感謝の言葉が、彼に贈られる事態になったからです。


このナイジェリアの男性は、イケンナ・ウェケさん(38)です。

イケンナさんが育った家庭はとても貧しく、12才の時に、イケンナさんは父親を失くしたそうです。

亡くなったお父さんは、とても誠実な人柄で、「朝、家を出るときに持っていなかったものは、持ち帰らないこと」と、イケンナさんたち子供に、厳しく教えたそうです。

他人をねたまず、自分の置かれた状況に満足することも、イケンナさんは父から学んだと言います。

イケンナさんは、ゴミ拾いなどをして貯めたお金で、高校に進学したものの、大学のお金までは工面できませんでした。

それでも、教員や地元の新聞社のスタッフとして働きながら、将来は大学の教師になるという夢を、持ち続けていたそうです。

そして2013年。
留学生増加のため、日本の文部科学省が実施した、奨学金に申し込んで合格し、イケンナさんは筑波大学へ入ることができました。

今は博士課程まで進み、母国の北東部で襲撃事件を繰り返す、イスラム過激派ボコ・ハラムを研究しています。
どうすればテロを根絶できるのか、その方策を探っているのです。

そんな中、今年の六月に、バスターミナルの近くで拾ったのが、数枚の一万円札とクレジットカードなどが、入った財布でした。

それを警察に届けると、拾ったお金の一割を、もらう権利があると説明されたそうですが、イケンナさんはそれを断ったと言います。

しばらくしてから警察から、落とし主に財布が戻ったという、連絡が入りました。

落とし主からも電話があり、感謝を告げられたそうです。

この出来事をイケンナさんは、フェイスブックに載せました。

と言うのも、その頃、26人のナイジェリア人が、他国でネット詐欺などの容疑で逮捕され、ナイジェリアのイメージが、とても悪くなっていたからです。

それで、イケンナさんはフェイスブックで、全てのナイジェリア人が、悪い人間なのではないと、訴えたのです。

すると、その話が母国に広がり、ナイジェリア大使館から感謝の書簡が、イケンナさんに届けられました。

さらにナイジェリア大統領が、イケンナさんを誇りに思う声明を、発表したのです。

イケンナさんは栄誉なことと受け止めながらも、困惑しました。

自分は財布を拾っただけで、特別なことはしていないのに、こんなに有名になってしまうのは、おかしいと思ったのです。

そこでイケンナさんは、母国の社会を変えたいと考えました。

イケンナさんは財団を立ち上げ、正直であること、清廉であることを、母国の人たちに教えることに決めたのです。

そういった事が母国でも、当たり前になるようにしたかったのです。

そのために日本が子供たちに教えていることや、自分自身が日本で経験したことを、財団で伝えたいと、イケンナさんは考えました。

その話を聞いた財布の落とし主も、イケンナさんの財団への、協力を申し出てくれたそうです。

私はイケンナさんの望みは、きっと叶うものと思います。

きっとナイジェリアも、今よりずっといい国になるでしょう。

でも一方で、私は日本での当たり前を、改めて考えさせられました。

私たちが当たり前と考えていることは、世界全体から見た場合には、当たり前ではないという事です。

それこそ当たり前の話ですし、そんな事は以前から、何度も言われていました。

それでも大統領が声明を出すのは、余程のことでしょう。

でも、日本でも当たり前のことが、当たり前でなくなりつつあるように、感じることがしばしばあります。

イケンナさんの話は、そういった事を改めて考えさせてくれる、いい機会になりました。

イケンナさんに感謝をしつつ、イケンナさんに恥じないような、日本であり続けて欲しいと思います。

がんばれ 勝手につくば大使!

茨城県つくば市の市議会選挙で、とても個性的な方が当選しました。

モヒカン頭がトレードマークの、勝手につくば大使さんです。

得票数は 2,401票で、当選者 28 人中、19番目の得票でした。

元々は北海道の方で、子供の頃は何度も転校をしていたため、落ち着ける所がなかったそうです。

詳しくは、勝手につくば大使さんのホームページを、お読み下さい。
ここではポイントだけを、抜粋してお伝えします。

彼は筑波大学三年生の時、将来何をしようかと思案していたと言います。
その時に、大学の先輩から提案されたのが、勝手につくば大使なのだそうです。

その先輩という方が、どこまで真面目に話をされたのかは、定かでありません。
でも、この話に彼は食いついたのです。

つくばで暮らすようになった彼は、ようやく自分の居場所を見つけたと、実感したそうです。
その大好きなつくばのいい所を、内外に向けて発信する事は、彼にとって、とても魅力的に思えたようです。

勝手につくば大使になった彼は、地元にある見所の場所や、お勧めの店、イベントなどを、ブログやフリーペーパーで紹介しています。

そこでは単なる面白さだけでなく、つくばの人々の活き活きした様子や、魅力についても、しっかりと伝え続けています。

その活動は5年にも及び、今や地元の人たちにとって、勝手につくば大使さんは、とても信頼のおける好人物と、見られているのだと思います。

理屈ばかり述べる人よりも、普段から人々のために、わかる形で動き回っている人物の方が、好感度が高いのは当然でしょう。

今回の市議選の当選は、当たり前と言えば、当たり前の事だと言えます。

勝手につくば大使さんは、トレードマークのモヒカンの頭のまま、立候補しました。

お金もないので、バイトで稼いだお金を、選挙費用に使い、選挙カーもない状態で、地域を回ったと言います。

普段から地道に活動している方は、選挙にお金をかけなくても、当選できるという、いい見本だと思います。

選挙にはお金がかかると、まことしやかに語る人たちは、普段何をされているのかと、考えさせられますね。

勝手につくば大使さんは、まだ若干26才です。
普通だと当選なんて、考えられないような年齢です。

しかし、普段の人柄が認められた上での、若さは何よりも強い武器でしょう。
新しい発想や行動力が、人々の期待を集めているのだと思います。

面白いのは、彼のヘアスタイルです。
モヒカン頭は日本では、あまり馴染みがある、ヘアスタイルではありません。

それについて、勝手につくば大使さんは、ご自分でも見た目は悪いと、認めていらっしゃいます。
でも、見た目が悪くても、中身はとても素敵な人で、信頼できる人物となると、いい意味で人々の目を惹きます。

勝手につくば大使さんが、モヒカン頭のままで市議になった事で、彼の存在は日本中に知られる事になりました。

その結果、人を外見だけで判断する事が、これからの日本では、少なくなるのではないかと思うのです。

また、勝手につくば大使さんのように、枠に囚われない形で、自分の思ったように行動し、みんなに喜んでもらおうと考える、若い人たちが増えて来るように思います。

日常の暮らしの中でも、そんな人が、どんどん現れて来ることでしょう。

政治の世界にも、期待できる若い人が、増えて行くと思われます。

選挙の時だけ、お金をばらまき、選挙カーで騒ぎ回る人ではなく、普段の活動を通じて、広く顔を知ってもらう人が、選ばれるようになるでしょう。

それは芸能人ではなく、日常の中で、みんなのために動き回っている人たちです。

今後の日本中の議員の中に、真剣に市民のことを考えられる、若い人がどんどん参入する事を、勝手につくば大使さんは教えてくれているような気がします。

四国から遠く離れた茨城県のことですが、とても嬉しく、また頼もしく感じました。
今後の勝手につくば大使さんの活動を、応援したいと思います。

これからの日本が、どうなるのか。

勝手につくば大使さんを見ていると、わくわくした気持ちにさせられます。

記録的ヒットのアニメ映画

「鬼滅の刃」というアニメ映画が、空前のヒットだと、NHK ニュースが取り上げていました。

元は少年ジャンプという、週刊漫画雑誌に連載されていた、漫画作品だそうです。

アニメ化されてテレビでも放映していたようです。
今回映画館で上映されたのは、テレビ版の続編だと言います。

私はこの作品を知らないので、何故、これほどの人気が出たのかと、興味が湧きました。

ニュースによると、映画を鑑賞した人たちは、家族愛がよかったとか、敵の鬼も元は人間で、切なさを感じさせられたなどと、語っていました。

また、いろんなキャラクターが登場して、観る人によって、それぞれご贔屓のキャラクターがあるようでした。

そこで、この作品の大まかな話の流れを調べると、時代背景は大正時代で、人を喰らう鬼たちと戦う人たちを、描いた作品でした。

ざっとしか内容を知りませんから、物語そのものについては、私は何も語れません。
それは作品を読んだり、観たりした人でないと、語れるものではありませんから。

私が知りたかったのは、人々がこの作品の、どんな部分に感動したのかという事です。

主人公は、鬼に家族を惨殺され、一人生き残った妹も、鬼に変化させられました。

家族の仇討ちと、妹を人間に戻すため、主人公は鬼と戦う決意をします。

そこには家族のため、妹のために、必死な主人公の姿があります。

ある人が語っていましたが、戦いを主体とした漫画の主人公は、大概がマイペースなタイプだそうです。

しかし、この主人公はとても優しくて、相手が鬼であっても、思いやる心を持っているのだそうです。

また、鬼と戦う人々にも、一人一人の事情や人生があり、悪である鬼でさえ、人間として生きていた頃の、思い出を持っているのです。

単に正義が悪をやっつけるという、勧善懲悪のストーリーではありません。
悪と思える者でさえ、哀れみを感じさせる存在のようです。

そして、敵も味方も、男も女も、次々に死んで行きます。

死というものは、できれば避けたい事です。

漫画やアニメとは言え、自分が好きなキャラクターには、死んで欲しくはないものです。

それをあえて、死なせてしまう事で、嫌でも読者や観客は、死と対峙させれられます。

そして、死と向き合う事で、生きるという事が、強く浮かび上がります。

人は誰でも、いつか死を迎えます。

しかし、死を自分とは関係のないものと考えて、何となく生きているのではないでしょうか。

そんな中、「鬼滅の刃」で生きるという事を、考えさせられた人が、たくさんいたと思います。

これまで、真剣に向き合って来なかった生。

それをどのように生きるのか、という事を、この物語のキャラクターたちは、様々な手本となって、示してくれているのでしょう。

鬼たちでさえ、一つの手本です。

愛を抱いて生きるのか、愛を捨てて生きるのか。

しかし、愛を捨てたはずの者たちにも、実は愛を求める想いがあった。

世の中には、白けている人や、諦めている人、投げやりになっている人、自暴自棄になっている人がいます。

そんな人たちも、自分の本当の気持ちを、突きつけられたと、感じたのではないでしょうか。

本来ならば、男の子に人気が出るジャンルだったようです。

それなのに、女の子にも人気が出て、子供だけでなく、大人までもが夢中になったと言います。

コロナ騒ぎの影響で、敬遠されていた映画館なのに、これほど多くの人が訪れ、何度も繰り返して観ているのです。

この映画には、何か特別なものがあると感じるのは、私だけではないでしょう。

もちろん「鬼滅の刃」が大ヒットしたのは、この作品が奥が深く、質が高いからだとは思います。

でも、ヒットの理由は、それだけではありません。

ヒットした一番の理由は、その作品が描いて訴えていた事が、今の世の中の人たちが、まさに求めていた事だからです。

どんなにいいもの、どんなに優れたものを提供しても、相手がそれを求めていなければ、大ヒットには至りません。

みんな、何かを追い求めていたけれど、それが何であるのか、自分たちでも、よくわかっていなかったのでは、ないでしょうか。

そこに「鬼滅の刃」を示されて、そうだ、これだ、これを探し求めていたんだ、という感じになったのだと思います。

この作品は、これからの生き方を示す、標識や案内板になってくれたに違いありません。

自分が何を求めていたのかを、理解した人たちは、きっと暮らしの中に、それを取り込もうとするでしょう。

躊躇している人も、自分の生き方を見つけた人が、周囲に増えてくれば、新しい生き方に飛び込む勇気が、湧いて来るはずです。

この作品の人気が広がった事は、決して偶然ではないと思います。

「鬼滅の刃」の爆発的な人気は、この世界がこれから、どの方向へ向かうのかを、示してくれています。

そして、それはとても期待のできる、強く優しく思いやりのある、世界に違いありません。

素晴らしい大坂なおみ選手

 ※Ichigo121212さんによるPixabayからの画像です。

女子テニスの大坂なおみ選手が、全米オープンで2年ぶり2度目の優勝を果たしました。

それだけでも素晴らしいことですが、彼女は一人の人間があるべき姿を、世界中に示してくれました。
それが、彼女をさらに素晴らしくしています。

大坂選手は今大会、1回戦から決勝まで、毎回アメリカの黒人市民の名前が書かれた、マスクを着けて入場しました。

名前が書かれた黒人市民というのは、これまでの黒人差別で、亡くなられた方たちです。

大坂選手は今までも SNS を通じて、黒人差別に対する、抗議の声を上げて来ました。

全米オープンの前に開催された、ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは、大会直前に起こった、黒人男性銃撃事件に心を傷め、準決勝を棄権しようとしました。

大会運営を担う女子テニス協会は、彼女の思いに賛同して、その日の準決勝開催を中止し、翌日開催としました。

それで、大坂選手は棄権を撤回し、準決勝に出ました。

この時の彼女の決意と行動を、称賛する声は多かったものの、批判的な声も聞かれたと言います。

その一つは、スポーツに政治を持ち込むな、と言う意見です。

しかし、これは単なる政治運動とは違います。
人間としての問題です。

大坂選手も、これは人権問題ですと、この意見に返しています。

棄権するぐらいなら、初めから大会に出場しなければよかったのに、という意見もあります。

これに対する彼女の答えを、私は知りません。
でも、恐らく彼女の中でも、葛藤があったのだと思います。

どうすればいいのかと悩みながら、大会は進んで行き、行動を起こすしかないと決意した時には、準決勝になっていたということでしょう。

当然、大会運営に迷惑をかけるでしょうし、試合を期待していたファンを、裏切ることになるかも知れません。

それでも大坂選手は、黙ったままでいることが、できなかったのでしょう。

それだけ、アメリカで起こっている黒人差別問題に、強い危機感を覚えたのに、違いありません。

彼女の取った行動を、誰も責めることはできません。
彼女を責めることが、正しいとは私は思いません

一度何かをやると決めてから、これではいけないと気がついて、途中で行動を変えるということは、正しいことです。

また、とても勇気のいることでもあります。

いったん決まったら、それが大きな問題を起こすとわかっても、なかなかやめようとしない。

そういうことが、日本政府にはよく見られますよね。

大坂選手は、それと逆のことを、行ったのです。

これまでアメリカの多くのスポーツ界で、黒人差別に対して声を上げた選手たちは、引退に追い込まれるなどの、代償を払わされて来たと言います。

それは大坂選手も、例外ではなかったでしょう。

自分がどういう処遇を受けるのかという、怖さが大坂選手にもあったはずです。

それでも、自らが信じる行動を示した、大坂選手は称賛に値すると思います。


大坂選手の行動を、彼女自身が黒人だからと、考える人はいるでしょう。

また、確かにその一面は、あると思います。

でも、彼女が声を上げたのは、肌の色に関係なく、人間として黙っていられなかったからではないかと、私は感じています。

差別され殺され続けているのが、黒人でなかったとしても、彼女は同じ行動を取ったに違いありません。


プロのテニス選手なのだから、棄権ではなく、他の方法で差別への抗議をしても、よかったのではないかと言う人もいました。

それが間違いとは言いません。

だけど、自分の仲間たちが、虫けらのように殺されたのを知りながら、平然とテニスをする気持ちには、なれなかったのだと思います。

もし、自分の家族が理不尽に殺されても、あなたは今の仕事を、これまでどおりに続けられるでしょうか。

恐らく、できないでしょう。
普通はできないと思います。

大坂選手が黒人差別による殺人を知り、テニスをプレイする気にならなくなったのは、それだけ亡くなった方に対して、深い悲しみの念を、抱いたからだと思います。

彼女の決断が理解できない人は、結局、差別による殺人を、他人事のように感じているのでしょう。

こんな場面でプロ意識云々と言う人は、プロというものを、ロボットか何かのように、考えているのだと思います。

でも、大坂選手はロボットではありません。
みんなと同じ、一人の人間なのです。

それに今回、彼女が棄権を表明したことで、テニス協会が彼女に同調し、試合日を延期しました。

これは、とても大きな意義があることだと思います。

結果論ではありますが、黒人差別に反対する表明を、テニス協会が出す状況を作ったのです。

大坂選手の棄権宣言がなければ、有り得なかったことです。
これは社会的にも、大きな影響があったと私は思います。

その後、大坂選手はテニス協会と話し合い、出場することになりました。

理由は、より強い抗議の意思を、示すことができると、考え直したからだと言います。

もちろん、自分に賛同してくれたテニス協会への、感謝もあったと思います。

一度棄権すると表明したことを、取り下げたわけですが、これも正しいやり方がわかったから、それを行うことにしたというだけです。

やはり、これも素晴らしいことでしょう。

そして全米オープンで大坂選手は、試合に出ることで、黒人差別問題への、より強い抗議を示しました。

それが入場時に着けていた、名前を書いたマスクです。

そして、それは彼女が予想したとおり、世界中への強いメッセージとなったのです。

アメリカでは黒人差別で、頻繁に黒人の命が奪われています。

そのため被害者の名前は、すぐに新たな被害者の名前に書き換えられてしまうのです。

そうなると、それまでの被害者の名前は、人々の記憶から、忘れ去られてしまいがちに、なってしまいます。

大坂選手はそれを嫌い、亡くなった人たち一人一人のことを、忘れないで欲しいという想いを、マスクの名前に込めたそうです。

また、そうすることで差別問題について、人々に話し合ってもらいたかったと言います。

決勝まで用意した七つのマスクを、全部着けるためには、勝ち進むしかありません。

そのことは、今回の大会での、彼女の大きなモチベーションに、なっていたそうです。

大坂選手は、ただ大会で優勝するために、戦っていたのではないのです。
亡くなった方や、その遺族のために、戦ったのです。

その思いは、彼女の姿に現れていました。

ミスをしても取り乱さず、落ち着いていたのは、人として成長し、強い心を持っていたからでしょう。

全米オープンの決勝では、過去25年間、第1セットを落とした方が、勝つことはなかったそうです。

第1セットを落とすことが、相当のプレッシャーになるのでしょうね。

しかし大坂選手は、第1セットを落としたのにもかかわらず、逆転優勝を成し遂げました。
この事だけでも、彼女がどれだけ強い心を、持っていたのかわかります。

大坂選手は本当のトッププレイヤーが、どういうものなのかを、世界中に示したと言えるでしょう。

ただ強ければいい、という時代は終わったのです。

これからは人間性を、強く求められるようになるでしょう。

それは恐らく、巨大な経済力を持つ個人や、企業にも言えることです。

これからの社会では、お金を多く稼いだ者ではなく、稼いだお金をどう使ったかが、問われることになるでしょう。

そして、人々から称賛されるのは、人間性のある者だけになるのです。

大坂選手は日本国籍を持ちながら、アメリカで暮らしています。
黒い肌を持っていますが、顔は東洋人です。

あなたはどこの人間かと問われても、彼女は答えるのに、窮してしまうかも知れません。

でも、彼女の気持ちはシューズに、書かれていました。

“Home is where the heart is”
(家とは愛がある所)

これが大坂選手の気持ちなのです。
そして、これは多くの人が、願っていることでもあるのです。

大坂選手は、まだ22歳です。

若いのにすごいね、という話ではありません。

これからの世界、これからの社会は、彼女のような若い人たちが、創って行くのです。

その若者たちのあるべき姿を、大坂選手は示してくれました。

これはまさに、これからの世界の姿を、象徴しているように思います。

本当に素晴らしい。

私は改めて、彼女の強靱的なテニスの強さ、そして強靱的な心に対し、称賛を送ります。

おめでとう 照ノ富士関

 ※kou2さんによる写真ACからの画像です。

大相撲7月場所で、元大関で東前頭17枚目の、照ノ富士が優勝しました。

14年春場所新入幕した翌年には、大関昇進した照ノ富士ですが、膝の怪我に病気が重なり、18年には番付が、幕下まで下がりました。

その後、休場が続き、19年春場所には序二段にまで、番付を落としました。

体力も落ち、何度も相撲を辞めようと、考えたと言います。

しかし、その都度親方になだめられ、何とか辞めずに、続けて来たそうです。

そして気持ちを切り換え、再び身体を鍛え直して、徐々に番付を上げて行き、今日、幕内優勝を果たしました。

本当に立派なことだと思います。

落ちる所まで落ち、そこから這い上がって来て、優勝を果たした照ノ富士の頑張りは、多くの人を勇気づけたことでしょう。

大関だった頃の照ノ富士は、酒を浴びるように飲み、健康のことなど、ほとんど考えていなかったそうです。

病気の治療中にも、お酒を完全に断つことは、できなかったと言いますが、気持ちを入れ替えてからは、一切飲むことをやめたそうです。

そうして病気を克服し、体力を取り戻すことで、健康の大切さを実感した照ノ富士は、他にも大切なことに気づいたと言います。

それは、本当に困っていた時に、誰が一緒にいてくれたか、ということです。

相撲を辞めようと思うほど、落ち込んでいた時に、周囲の人々が、ずっと支えて励ましてくれていた。

そのことに照ノ富士関は、とても感謝し、その人たちのためにも、もう一度頑張ろうと思ったそうです。

もし照ノ富士関が、かつて大関になった勢いで、横綱になっていたとしたら、どうだったでしょう。

自分は強いから、横綱になれた。
強さこそが全てだ。

そう思い込んでいたかも知れません。

しかし、相撲人生を諦めるような苦難に遭い、照ノ富士関は、今の心境にたどり着いたのです。

照ノ富士関が相撲を諦めていたら、周囲の人々に支えられていた事に、気がつかなかったかも知れません。

そうなれば、絶望と悔恨と諦めに満ちた、人生を送る事になったでしょう。

再び頑張ると決めて、それをやり通した強い意志が、照ノ富士関を気づきの人生へと、導いてくれたのです。

人生は、好きなことをやっていたとしても、必ず壁やスランプのようなものが、立ちはだかることがあります。

しかし、諦めずにに頑張り続けたら、再び道が見えて来るのです。

そのことを照ノ富士関は、身をもって示してくれました。

本当に素晴らしいし、感謝の気持ちで一杯になりました。

これからも頑張って、ぜひとも横綱になってもらいたいと思います。

照ノ富士関、本当におめでとうございました。

夢中になれること

 ※クルマ旅写真館さんによる写真ACからの写真です。

一昨日、将棋の藤井聡太七段(17)が、棋聖のタイトルを取りました。

史上最年少の17歳で、タイトルを獲得したと、日本中が大騒ぎになるほどの、快挙でした。

過去には、将棋のことを考えていて、ドブに落ちたり、電信柱にぶつかったことが、あるそうです。

ほんとに将棋が、好きなんだなと思いました。

藤井新棋聖は、電車も大好きだそうで、将棋と出会っていなければ、将来の夢は、電車の運転士だったと言います。

好きなことに、はまり込んでしまう性格のようなので、もし将棋の世界に、足を踏み入れていなければ、きっと電車の運転士になる道を、まっしぐらで進んでいたことでしょう。

藤井新棋聖の師匠である、杉本昌隆八段(51)は、愛弟子のタイトル獲得を、心から喜んでいる様子でした。

一方で、今度は自身が、藤井新棋聖に挑戦したいと、プロ棋士としての、熱い気持ちを語っていました。

藤井新棋聖は子供の頃から、杉本昌隆八段に弟子入りし、将棋の腕を磨いたそうです。

杉本八段はそんな弟子たちから、月謝を取らなかったそうです。

その理由は、月謝を取ると、自分は将棋を教えようとするし、弟子は将棋を教わろうとしてしまうので、それを避けるためと言います。

つまり、教えてもらうという姿勢を、持つのではなく、自ら学ぶという姿勢を、持って欲しかったそうなのです。

しかも、お金を取らない上に、弟子たちの食事の費用は全て、師匠である杉本八段が出したそうです。

私はこの話に、杉本八段は本当に、素晴らしい人だと思いました。

そして、本当に将棋を、愛している方なのだなと知りました。

この師匠の姿が、弟子たちに与えたものは、計り知れないと思います。

藤井新棋聖も、タイトルが取れたことで、師匠に恩返しができたと、語ったそうです。

師匠も素晴らしいし、師匠の想いをきちんと受け止めている、藤井新棋聖も素晴らしいです。

藤井新棋聖の活躍や、今後も別のタイトルを、獲得して行くであろう期待感は、子供たちの間に、将棋ブームを巻き起こすでしょう。

杉本八段の優しさもまた、子供たちの憧れとなるに、違いありません。

藤井新棋聖や杉本八段に限りませんが、自分が好きなものに打ち込んで、懸命に精進する姿は、見る者の心を感動させ、奮い立たせてくれます。

また、同じ世界を歩もうとする者たちを、思いやる気持ちは、そこへ飛び込むことを、躊躇している人の背中を、優しく後押ししてくれます。

 ※PIRO4DさんによるPixabayからの画像 です。

世の中には、いろんな仕事や趣味、遊びがあります。

その中で興味を感じたことには、上手く行くかどうかなんて考えず、がむしゃらに挑戦して欲しいと思います。

その世界のトップになるのを、目標にするのもいいですが、その世界を堪能することを、目的にしてもいいのです。

とにかく、自分が夢中になれるものを、持つということ。
これが人生において、大切なことなのです。

日本人は社会に出ると、自分がやりたいことを、諦めたりやめてしまう人が、多いように思います。

忙しい、そんな暇はない、経済的に厳しい。
そんな風に、いろいろ理由をつけて、やりたい事を後回しにしがちです。

 ※ComfreakさんによるPixabayからの画像です。

確かに、やらないといけない事は、優先的にやればいいでしょう。

でも本当に、それはやらないといけない事なのか、という事は再考してみるべきです。

自分で勝手に、やらないといけないと決めつけて、自分を忙しさで、がんじがらめにしているのかも知れません。

どうせ、やったって大した事はできない、やるだけ無駄だと、思う人もいるでしょう。

そういう人は、トップを狙う事ばかり考えて、楽しむ事を忘れているのだと思います。

楽しくない人生より、楽しい人生の方が、いいと思いませんか。

人生を楽しくするためには、楽しいと思える事を、遠ざけてはいけません。

いろんなチャンスを活かして、楽しい事に飛び込んでみるべきです。

これは楽しいと、思えるようになったなら、あなたの人生は、それまでとは全然違うものに、なっているでしょう。

 ※PexelsさんによるPixabayからの画像です。


ブロッコリーの芋虫

 ※もんでんさんによる写真ACからの画像です。

イギリスのサム・ダーラストンさん(27)という方の、記事がありました。

この方はテレビやラジオで、レポーターを務めてらっしゃるとのことでした。

サムさんはブロッコリーが大好物で、スーパーから買って来たブロッコリーを、調理しようと袋から出したところ、そこに芋虫がいるのを発見しました。

さらに別の袋から、6匹の芋虫が見つかり、サムさんは全部で7匹の芋虫を、そのまま育てることにしたと言います。

サムさんは芋虫の一匹一匹に名前をつけ、その成長する様子を公表したところ、多くの人たちから、応援の言葉が届けられたそうです。

芋虫は、初めに一匹がサナギになると、それに続いて、次々とサナギになり、順番にモンシロチョウへと、姿を変えて行きました。

初めは喜んでいたサムさんですが、次々にモンシロチョウたちが、旅立って行くにつれて、寂しくなったと言います。

最後の一匹が旅立った時には、すごく悲しかったそうですが、また芋虫を育ててみたいという、気持ちになったそうです。

自分の世話をしてくれた、サムさんのことがわかるのか、モンシロチョウはサムさんが手を伸ばすと、そこへ飛んで来て留まったと言います。

私はこの話のここの部分に、特に心が惹かれました。

自分を愛してくれる人の思いが、昆虫にも伝わるのですね。

 ※べんりいRさんによる写真ACからの画像です

学者たちは人間を、生物の頂点の存在として、考えがちです。

それは知性あるものが、最高のものだという、価値観によるものです。
そして、その知性の証を脳に求めます。

そのため、脳が身体の割に小さな生き物ほど、下等な存在として決めつけるのです。

脳を持たない植物や微生物など、生きているだけで、何もわからない存在だと、考えているのでしょう。

しかし、生き物と直に触れ合う人々は、そうは思いません。

日本では昔から、一寸の虫にも五分の魂と言います。

小さく弱い者にも、それ相当の意地や根性がある。
だから、どんな相手でも侮ってはならない。

という、たとえです。

このたとえの前提にあるのは、どんなに小さな生き物にも、心があるのだという事です。

昔の人は、小さな生き物にも、心の存在を感じていたのでしょう。

今でも、生き物に関わっている方であれば、同じように感じるのはないでしょうか。

学者は、自分が知っている理屈だけで、理解しようとします。

でも、それでは本当のことは、わからないと思います。

同じ地球に暮らす生き物と、心を通わせられるのは、どれだけ素晴らしいことでしょうか。

そして、その事をサムさんは、多くの方とシェアできたと言います。

これも、とても素敵なことだと思います。

今の地球に必要なのは、こういう想いの広がりなのです。

とてもいい記事に巡り会えたことを、感謝します。