大腸癌の治療

ニュースで、進行性大腸癌の治療成績についての、報告がありました。

それによれば、進行性大腸癌の治療で、手術をして抗がん剤を使用した人と、手術をせずに抗がん剤のみで治療した人では、治療成績に大きな差がなかったとのことです。

また、抗がん剤の副作用では、手術をした人の方が、苦しむ人が多かったそうです。

どちらも生存率は2年2ヶ月ほどだったので、今後の治療方針としては、出血などの合併症がない限り、手術はせずに化学療法中心の治療に、なるだろうということでした。

かつては癌と言えば、不治の病の代表で、映画やドラマでも、悲劇のヒロインが癌に罹っているという話が、よくありました。

今では不治の病という印象がなくなったのと、似たような話ばかりになると、飽きられるからでしょうか、こういうストーリーの映画やドラマは、少なくなったように思います。

そうは言っても、癌が治ると言われるのは、早期発見と早期治療の結果でしょう。

見つかるのが遅かった場合や、本人の体力がない場合などは、癌は不治の病になってしまいます。

ところで、昔はこれと言った治療法がなかったため、手術できるものは切除してしまえという風潮が、医療界にはあったようです。

癌と診断がつくと、内科はお手上げ状態で、外科だけが頼みの綱という感じでした。

また、患部を切り取ってしまえば、それで治ったことにするという、暗黙の了解があったように思います。

しかし、たとえば胃癌で胃を切除してしまうと、癌はなくなるかもしれませんが、胃もなくなってしまいます。

それでも生きることができるのだから、それでよし、とされていたのですが、やはり、それまであった胃がなくなると、その方の生活にも影響が出て来ます。

食事の仕方を工夫しないといけませんし、胃を取ったせいで貧血になることもありますから、それを予防する薬も、必要になって来ます。

胃がないと、食べた物がいきなり腸に流れ込みますから、血糖値が急激に上昇することもあります。

このように、癌を切除しても、元の健全な状態に、戻るわけではありません。

それができるのは、ごく早期の癌で、本当にその部分だけを、プチッと取れる場合だけです。

そうでない場合は、癌がある状態を、体の一部(胃癌の場合は胃)が欠如した状態に、置き換えるのです。

癌だと死ぬけれど、体の一部が欠如しても、死なないのだからいいだろう、という感覚ですね。

当然、失われた部分が担っていた役割は、果たす者がいなくなるのですから、その分は何らかの、体の不調という形で現れます。

今回、発表がありました、大腸を切除する場合と、切除しない場合では、切除しない方が、抗がん剤の副作用が少なかったとありました。

と言うことは、癌と一緒に切除されてしまう大腸には、抗がん剤の副作用を抑える、何らかの影響力があったと、考えられるのです。

もしかしたら、大腸を失ったことによる、体力低下が関係しているかもしれません。

しかし、大腸には消化機能以外の、隠された役割があるのかもしれないのです。

いずれにしても、今後は薬による癌治療が、飛躍的に発展して行くでしょう。

その結果、手術による切除というものは、どんどん減って行くことと思います。

ただ、知っておいて欲しいのは、病院は私たちの体について、何でもわかっているように見えますが、実はわかっていないことが、まだまだ、たくさんあるということなのです。

また、寿命や遺伝的なものでない限り、基本的に体は病気にならないように、できています。

病気になる場合は、体の機能を損ねるようなことを、本人が気づかずにしているのです。

これからの癌治療は、自然免疫力を高める方向へ、進んで行くでしょう。

コロナウィルスやインフルエンザなどの感染症についても、やはり自然免疫力が、大きく物を言います。

こういう免疫力を高めるのに、いちいち病院に相談する必要はありません。

自分の生活を見直せば、健全な体を取り戻す、あるいは維持することができるのです。

深刻な病気というものは、表面から見えない所で、徐々に進んで行くものです。

今は元気であっても、知らないところで、病気が進んでいるかもしれません。

それがどんな病気かと、不安になって検査を重ねるより、病気になりそうな状況を、自分が作っていないか確かめて、それを改善することが、手っ取り早くて効果的です。

ただ、歪んだ環境に慣れ親しんでいる場合、それを改善するのは一苦労です。

歪んでいたとしても、その環境が心地よいというのであれば、それなりの理由があるはずです。

環境を整えることは大切ですが、何故歪んだ環境が心地よいのかを、確かめることも重要です。

そこに対処しなければ、いくらいい環境にしても、すぐに歪んだ環境に戻ってしまうでしょう。

うまく対処して、心も体も本当に居心地の良い環境を、作って行きましょう。

心と体 その3

体が不調を起こすのは、全てが心のせいだとは言えません。

まず、怪我は外部からの影響であり、心は関係ありません。

もっとも、そのような状況を作り出したことには、心が関係している可能性はあります。

しかし、怪我そのものは、外部エネルギーによって生じるものであり、心が傷口を創るわけではありません。

同じように、紫外線による皮膚癌や、ウィルス感染による病気、これらも直接的には、外部要因によるものです。

ただ、これらに対処するべき免疫機能が、うまく働かなかったという点においては、心の状態が関係しているのかもしれません。

極度の放射能を浴びた場合、体はこれに対処できません。

これは手の着けようがない、重症の怪我を負ったのと、同じことだからです。

このように、何もかもが心の状態によって、引き起こされるわけではありません。

また、心が通常は対処できないこともあるのです。

また、学ぶべき人生の目的のため、わざと病気の体に生まれて来る、ということはあると思います。

それは心の状態とは関係のないものであり、特殊な例だと言えるでしょう。

一般的に言えば、基本的に体は、病気にならないようにできているのです。

ほとんどの病気は、体が本来の機能を、果たせなくなったことの結果です。

 ※uni10さんによる写真ACからの画像です。

光がある所に手をかざせば、そこに影ができます。

この影が病気なのです。

影を恐れたり、影の前で騒いでも、仕方がありません。

影を消すためには、手をひっこめればいいのです。

光そのものが、影になることはありません。

それと同じで、私たちの体も、本来は病気になることはないのです。

この世を去る時期が来て、エネルギー的に弱った状態は、病気とは言いません。

それは寿命と言うのです。

まだ、本来の寿命が来ていないのに、体のエネルギーに余計なものを突っ込んで、そこに影を作るから、それが病気として表現されるのです。

 ※写真魚さんによる写真ACからの画像です。

その影を作るのは、精神エネルギーの乱れかもしれません。

あるいは、食事や水、空気の汚れなど、物質的生活環境の影響かもしれません。

ただし、それらの生活環境を選ぶのは、やはり心ですから、心は間接的ではありますが、影響しているのです。

逆に考えると、病気になった時に、自分のどこに問題があるのかを見直す、いい機会になります。

心が乱れているからなのか、生活環境が悪いのか、よく考えてみるといいでしょう。

原因がわかったとしても、その原因を手放せないとすれば、それは生きるための価値観が、歪んでいるということです。

自分は何のために生きているのか。
自分にとって、本当に大切なことは何なのか。
今していることや、今の環境は、自分が生きることよりも、大切なのか。

そんなことを考えて、本来の自分の姿、本来の自分の生き方を、取り戻すようにしたならば、いつの間にか、病気というエネルギーの影は、消え失せていると思います。

心と体 その2

心と体つながりを示す、体調不良は他にもあります。

 ※びーちゃんさんによるイラストACからの画像です。

精神的な支えがなく、何となく生きている人は、姿勢や歩き方が悪いかもしれません。

活き活きしている人は、姿勢がしゃんとしているものです。

姿勢が悪い人は、自分の何気ない精神状態を、さほど意識していないのでしょう。

でも、自分を支える骨の歪みや、筋力の低下という形で、その精神状態を体が表現しているように思います。

自分なりに目的を持って暮らすようになると、姿勢も自然によくなって来るかもしれません。

 ※みずさんによるイラストACからの画像です。

細胞はそれぞれが何らかの役割を持っていて、その役割に応じた形に、成長して行きます。

癌細胞というのは、役割がわからなくなった細胞が、持つべき形を持たないまま、増殖して行きます。

通常の細胞は、必要なだけ増殖して数を増やしますが、増える必要がなくなると増殖は止まります。

しかし、癌細胞は役割がわからないので、いつ増殖をとめればいいのか、わからない状態なのです。

体の中にある免疫細胞は、このような癌細胞を見つけると、不具合のある細胞として処理します。

癌細胞が増殖して、癌という病気になるというのは、癌細胞の増殖の勢いが、免疫細胞の攻撃をしのぐほど強いのか、癌細胞を抑える免疫の働きが、落ちているかのどちらかです。

いずれにしても、それが意味するところは、本来の体の形態や機能を、維持できないということです。

 ※なのなのなさんによるイラストACからの画像です。

これを心に置き換えてみると、普通に暮らしているはずの人でも、本来のその人の心が、活き活き出来る状態には、ないのかもしれません。

好きでしていたはずのことが、いつのまにか義務的になっていたり、そもそも生きるために、好きなことすら我慢する。

そんな状態は、自分を殺しているのと同じです。

本当の役割を見い出せず、維持するべき、本来の自分の姿も、わからなくなっているという状態が、体のエネルギーに反映されている可能性は、あると思います。

 ※あーやんさんによるイラストACからの画像です。


心臓はハートと言われ、愛や感情と深い関わりがあるように、理解されています。

愛や感情に問題があると、胸が締めつけられるように感じるのは、そのせいでしょう。

心臓の役割は、全身に血液を送り出すことです。

心臓が愛とつながりがあるのであれば、エネルギー的な心臓の役割は、愛のエネルギーを全身に、送ることなのかもしれません。

だとすれば、いつもイライラしていて、心臓の発作を起こすような人は、自分の中に愛のエネルギーを、うまく送り出せない状態に、あるのかもしれません。

 ※akizouさんによる写真ACからの画像です。

心臓発作は、命に関わる一大事です。

でも、もし自分の心が、愛を受け取れない状態にあったのだとすると、これは体の命以上に、一大事でしょう。

死んでしまえば、それでおしまいという考えであれば、やはり体が何より一番大切ということになるでしょう。

しかし、死んでもおしまいでなければ、心の状態こそが、一番大切なのだと思います。

心と体 その1

体の不調が、心の状態と関係があるという話は、いくつかの本などで紹介されています。

具体的なことの真偽は、わかりません。

しかし、心も体もエネルギー体であり、互いに密接に関わりがあるのですから、一方の状況が他方に影響を与えるのは、当然のことだと思います。

また、人間の体は、人間のためにあるのですから、人間の心の活動を、物質的に具現化したものが、体だとも言えるでしょう。

大雑把ではありますが、そんな心と体の関係を、見てみたいと思います。


飲食は体内に食べ物を取り込む行動です。

食べ物は体の構成要素になったり、体を動かすエネルギーの素になったりします。

一方で、心は様々な考え方や価値観を、取り込んで自分のものにします。

心の活動は思考ですから、その材料やエネルギーを、取り込むわけですね。

 ※Berutaさんによる写真ACからの画像です。

体が食べ物に対して、拒絶反応を起こすと、吐き気や嘔吐、腹痛、下痢などの症状が、現れます。

心の方は、自分の考えと合わない、別の考え方や価値観に対して、やはり拒絶反応を示します。

とても嫌な気分になり、滅入ってしまいます。

嫌なことが続いたり、何かを無理に強いられたりすると、お腹が痛くなったり、むかむかしたりするのは、双方のエネルギー状態が、連動しているからだと思われます。

似たような拒絶反応に、アレルギーがあります。

体が異物と認識したものを、体に取り込まないようにしたり、中へ入ってしまったものを、排除しようとするものです。

心の方では、拒絶したいものに近づくと、軽いものでは不安、ひどいものではパニックになります。

 ※hanamaruさんによる写真ACからの画像です。

体のアレルギー反応が、ストレスや疲労など、本人が置かれている状態によって、出たり出なかったりするのは、よくあることです。

直接の原因は、アレルゲンとなるものですが、その反応を増長させる要因として、心の存在は小さくないと思われます。

また、特に原因となるものが考えられないのに、疲れが溜まって、蕁麻疹が出るということもあるのです。

喘息はアレルギーの一種ですが、やはり、いつでも症状が出るのでは、ありません。

小児喘息にはアレルゲンの存在が大きいようですが、大人の喘息には、精神的ストレスが大きく関わっていると、言われています。

 ※FineGraphicsさんによる写真ACからの画像です。

喘息発作が起こると、呼吸ができなくなって、息が苦しくなります。

これを精神エネルギーに当てはめますと、心が窒息状態にあると、見ることができるでしょう。

誰かと心を通わせたり、自然と心を一つにすることで、心はエネルギーのやり取りをします。

それを心の呼吸と見るならば、これらのつながりがなく、自分が周囲の全てから、遮断されているように感じている時が、心の窒息状態です。

それは極度の不安となり、こういう時に、喘息の発作は起こりやすいと考えられます。


同じ免疫の病気でも、自分自身を攻撃してしまう、自己免疫疾患というものがあります。

この病気の方たちに、直接確かめたわけではありませんが、自分を攻撃する病気ですから、その裏には、自分を責めたり、自分を嫌うよう気持ちが、潜んでいる可能性はあると思います。

自分はだめな人間だと、ひどく責めたりしなくても、自分に自信がなく、自分の価値を認められないというのも、自分を攻撃しているのと同じです。

 ※Stan MadoréさんによるPixabayからの画像です。

いつも他人と自分を比較して、自分のよさを見い出せない。
何か問題が起きると、自分のせいではないかと考えてしまう。
今の自分が嫌いで、別の人間に生まれ変わりたい。

こんな風に考えることは、自己免疫という状態を、導いてしまうのかもしれません。

温泉や水泳などで、リウマチによる痛みがよくなるという話を、聞いたことがあります。

恐らく、体の血行がよくなることが、いい影響を与えてくれているのでしょう。

でも、それだけでなく、自分をいたわったり、喜びや楽しさを感じることが、体のエネルギー状態にを安定させているのかもしれません。

健康になるために

健康になるために、あなたは何かをしていますか。

ダイエット?

ジョギングですか?
それともウォーキング?

 ※Manfred RichterさんによるPixabayからの画像です。

その一方で、あなたは不健康になることを、やっていないでしょうか。

たとえば、喫煙や深酒、睡眠不足、スマホやパソコンゲームのやり過ぎ、偏った食事。

あるいは、ストレスのため込み、不安や心配ばかり思い浮かべる、人生をあきらめる。

こういう事をしながら、ダイエットやジョギングを行ったところで、その効果は限定的です。

場合によっては、全然効果が見られないかも知れません。

健康になりたいのであれば、健康にいい事をするのも大事ですが、その前に悪い事をやめないといけません。

しかし、健康に悪い事を続けるのには、その人なりの理由があるはずです。

その理由を無視したまま、これは健康に悪いからやめましょう、と言われたところで、その実行はむずかしいでしょう。

 ※Free-PhotosによるPixabayからの画像です。

いけない事だと知りながら、そこにどんどんはまって行くのは、大抵の場合、何らかのストレスを抱えていたり、解決できない問題に、途方に暮れているのだと思います。

つまり、現実逃避ですね。

嫌なことを考えずに済むように、何かに没頭してしまうのです。

それは、ある意味、自分の状態を維持するための、バランスを取ろうとしているのです。

本当の問題を解決しないまま、悪癖だけを正そうとすると、他の悪癖が出て来るか、大きなトラブルを起こすでしょう。

本人にとっては、身体の健康よりも、心の安定の方が、大切なのです。

誰かの悪癖を正そうと思うのであれば、その人が抱えている問題に、目を向けてあげる必要があります。

自分の悪癖を正そうと決意するのであれば、自分が抱えた問題から目をそらさず、正面から向き合わねばなりません。

 ※Josep Monter MartinezによるPixabayからの画像です。

話が変わって、健康にいいことをやろうと決めても、長続きしないのではありませんか。

いいことがわかっているのに、どうして続かないのでしょうか。

その理由は、つまらないからです。

本当ならやりたくない事を、健康にいいからという理由で、無理矢理続けようとするから、いずれは嫌になって、続かなくなるのです。

では、どうすればいいでしょうか。

それは、つまらないことを、楽しいことに変えればいいのです。

人間は健康になるために、生きているのではありません。

健康は結果であり、活き活きと暮らしていれば、自然と健康になるものなのです。

それを健康を目的にしてしまうから、つまらなくなって、やめてしまうのです。

~してはいけない。
~しなければならない。

こういう考え方はネガティブですから、面白くありません。

たとえば、ダイエットの場合、たくさん食べることよりも、本当に美味しい物を、時間をかけて食べるという、習慣を楽しむのがいいのです。

 ※RENE RAUSCHENBERGERさんによるPixabayからの画像です。

食事の時間を、食べるだけの時間だとは考えず、会話や景色、風情などを楽しむ時間だと考えましょう。

また、食事以外の楽しみを、見つけることも大切です。

食べることしか楽しみがなければ、食べることでストレスを、解消しようとするでしょう。

それに、楽しみを追求しようとすると、どうしても食事の回数や、食事量が増えて来ます。

食べる事以外に価値を見つけると、楽しみは分散されます。

その分、食事の楽しみも、量より質を求めるようになるでしょう。

ソースや調味料の味ではなく、素材の味を楽しめるようになります。

そうすると結果として、食べないようにするダイエットではなく、食べたい物は食べながらのダイエットになるのです。

ダイエットは目的ではなく、結果なのです。

 ※pasja1000さんによるPixabayからの画像です。

ジョギングやウォーキングについても、同じです。

健康のために、走ったり歩いたりするのは、とても疲れます。

でも、走ることや歩くことそのものに、楽しみを見つけたならば、疲れを忘れてしまうでしょう。

同時に、健康のために始めたことも、忘れてしまいます。

身体を動かすことが気持ちいいとか、外の空気を吸う事や、景色を眺めることが楽しいなどと、感じられるようになれば、運動自体が楽しくなります。

健康になるのは、やはり結果です。

人生は楽しさを、求めるものなのです。

そこを理解していないと、本当に健康な人生は、送れなくなるでしょう。

遺伝子組み換え食品

 ※Toko Donovanさんによる写真ACからの画像です。

遺伝子組み換え食品という言葉を、知らない人はいないと思います。

スーパーの納豆や豆腐などを見ると、原材料の大豆の所に「遺伝子組み換えでない」と表示されています。

これは表示義務はなく、任意表示となっているそうです。

それをあえて表示するというのは、その方が商品価値が高くなると、判断しての事なのでしょう。

それはつまり、遺伝子組み換え大豆が、警戒されているという、証拠だと言えます。


日本で販売されている、遺伝子組み換え食品とは、大豆・ジャガイモ・菜種・トウモロコシ・綿・てんさい(砂糖大根)・アルファルファ・パパイヤだそうです。

何故、遺伝子組み換えという作業を、これらの食品に対して、行うのかというと、世界に向けて大量生産するためらしいです。

そのため、遺伝子組み換えによって、作物が得る性質は、除草剤に強い、ウィルスに強い、害虫に強いというものです。

除草剤に強いというのは、除草剤を分解する細菌の遺伝子を、植物の細胞に組み込むからです。

除草剤で作物が枯れないので、栽培者は安心して、大量の除草剤を撒く事ができます。

 ※Jan AmissさんによるPixabayからの画像です。

しかし、これは除草剤が作物に、吸収されないという事ではありません。

吸収されても、その作物は枯れないという事なのです。

ですから、作物内には分解されていない除草剤も、残されているでしょう。

また、除草剤を分解したとしても、その結果、生じた化学物質が、人間に害がないという証拠はありません。

その作物は平気でも、人間には問題が起きるかも知れないのです。

これらの物質というのは、一時的に微量摂取しても、目立った問題は、起きないだろうとは思います。

しかし、日常的に摂取した時に、蓄積された影響が、どのような結果を生むかは、誰も確かめていないのでは、ないでしょうか。

もし何らかの症状が出たとしても、企業も政府も、この作物が関連したという、明らかな証拠がないと言って、訴えを突っぱねるに、違いありません。

表向きには、遺伝子組み換え技術は、食糧危機に備えたもの、という事になっています。

でも、実際にはアメリカ企業が、世界の食糧事情を牛耳って、利益を独占しようとしているのではないかと思えます。

アメリカの現状を考えると、本当に世界の人々の食料を心配して、技術を開発したとは思えません。

つまり、不審かつ恐ろしく思えるのは、遺伝子組み換え技術ではなく、その後ろにある、企業の思惑なのです。

 ※Nattanan KanchanapratさんによるPixabayからの画像です。

ウィルスや害虫に強いというのも、本来、その作物には存在しない物質を、遺伝子操作によって、むりやり作らせているのです。

それらの物質が、長期的に見て、人間にどう影響があるのかは、わかりません。

それに作物自体の、本来の健康状態を、損ねているのではないかとも思います。

実際、アメリカでの研究で、収穫量を増やすための、遺伝子組み換え技術なのに、結果的には、遺伝子組み換えをしない作物と比べると、収穫量が減っているという、報告があるのです。

これについて、除草剤などに対する強さは得たものの、作物本来の生命力が、落ちてしまったのではないかと、考える意見がありました。

日本などで昔から行われて来た、品種改良のための交配は、自然な形で行われていました。

ですから、不自然な形に改良されてしまったものは、育つ事はできません。

無事に次の世代へと、命をつなぐことができたものだけが、新しい品種として、残って行くのです。

それに対して、遺伝子組み換え技術は、あまりにも強引かつ傲慢な感じがします。

自然と二人三脚で行う開発ではなく、自然をねじ伏せようとしているかのようです。

その目的も、いいものを作るというよりは、お金儲けのように思えます。

何故なら、遺伝子組み換えの作物は、除草剤とセットで販売されるからです。

 ※Gordon JohnsonさんによるPixabayからの画像です。

作物は大地から、養分を吸い上げています。

作物も大地も、エネルギーの集まりだと考えると、作物が大地から受け取るエネルギーは、養分だけではないように思えます。

気のような、目に見えないエネルギーも、吸収しているのではないでしょうか。

そうであれば、このエネルギーは、大気や太陽の光からも、受け取っていると考えられます。

私たちは作物を食する事で、いわゆる栄養素だけでなく、地球や太陽からのエネルギーをも、受け取っているのかも知れません。

むりやり遺伝子を変えられた作物が、かえって収穫量が落ちたのだとすれば、恐らく不自然で不健全な状態にあるのでしょう。

それは大地や大気、光からのエネルギーを、うまく吸収できないという事を、示しているのかも知れません。

証拠はありませんから、決めつける事はできません。

しかし、否定する事もできないでしょう。

そこに除草剤などの化学物質の問題も、かぶさって来るのです。

遺伝子組み換え作物は、少なくとも私には、いいイメージはありません。

食べるということ

 ※白いねこねこさんによるイラストACからの画像です。

植物は根から水やミネラルを吸収し、光合成によってでんぷんを作ります。

動物は植物のように、自らエネルギーを作れませんから、植物を食したり、他の動物を食することで、エネルギーを取り込みます。

植物は大地、水、大気からエネルギーを取り込んでいます。

それを、大地、水、大気を食していると、見る事はできるでしょう。

しかし、食べるという言葉のイメージからすると、食すると言うより、エネルギーを取り込んでいるという、表現の方が適切のように思えます。

 ※Alexas_FotosさんによるPixabayからの画像 です。

一方、動物が植物や、他の動物を食べる場合、これも実はエネルギーを、取り込んでいるだけなのですが、こちらは食べるという表現が、しっくり来るでしょう。

それは、昔からそういう表現をしているから、というのはあるでしょう。

でも、それだけではなく、食べると言った場合、他の生き物の命を、奪い取るという意味合いが、含まれているのだと思います。

人は大地や水、大気を生物とは見なしていません。

ですから、そこからエネルギーを取り込んでも、大地や水、大気を食べているとは考えないのです。

人間も含めた動物は、大気から酸素を取り込んでいますが、酸素を食べるとは言わず、呼吸をしていると表現します。

魚は水中の酸素を、鰓から取り込みますが、これもやはり呼吸です。
酸素を食べるとは言いません。

とにかく、食べるという言葉は、他の生き物の命を奪い、その体の成分を、消化器から吸収するという意味になるのです。

しかし、植物を食べる場合、その植物の命を奪っているというという、イメージが少しぼやけてしまいます。

何故なら、植物は動物のように一つの個体を、限定する事がむずかしいからです。

動物は手足や首をもがれると、死んでしまいます。

しかし、植物は枝を切られても、死にません。

草は土から上の部分を食べられても、下から新しい芽が伸びて来ます。

樹木の幹を切ると、その切り口からも、新しい芽が出て来ます。

切った枝を地面に挿しておけば、枝から根が出て生長します。

 ※ mihomiho7さんによる写真ACからの画像です。

植物は動物と構造が違いますから、個体の判別や、死の定義が違うのです。

動物は一つの個体に、一つの意識があるとみなせます。

でも、植物の場合は、全体で一つの意識を持つと、考えるのが適切のように思えます。

一本一本の草木は、全体の一部であり、生長したり枯れたりするのは、全体の一部が変化しただけとみなせます。

ですから、動物が植物を食べた所で、植物を殺したとか、植物の命を奪ったという表現は、正しくないでしょう。

植物を食べる場合は、植物から養分を分けてもらっていると、受け止めるのがしっくり来ます。

別の言い方をすれば、植物から自然の恵みをもらっている、という表現になるでしょうか。

同じ食べるでも、植物を食べるのと、動物を食べるのでは、受け止め方が違うのです。

動物が、植物や他の動物を食する場合、相手に命があるなどとは、考えていないでしょう。

生まれ育った間に、相手を餌だと学習したので、食べているだけです。

しかし、人間は違います。

植物が生物である事を理解していますし、肉となった動物が、生きていた時の姿を知っています。

ただ、食べる事に夢中の人は、食材は食材としか見ないでしょう。

知識としては、それらが生物であった事を知っていても、そこに目を向けたりはしません。

 ※Thorsten FrenzelさんによるPixabayからの画像です。

でも、目を向ける人は、次第に肉を食べるのが、嫌になるかも知れません。

それは、動物が自分と同じ生き物なのだと、認識したという事でしょう。

生き物だと認識しても、肉の味を堪能し続ける人は、当然いると思います。

しかし、そんな人でも、命について深く考える機会があると、肉を避けるようになるかも知れません。

肉を食べないのであれば、自然と植物中心の食事になるでしょう。

初めは仕方なく始めた菜食でも、いつかは植物というものについて、考えるようになると思います。

そうなると、これは自然からの恵みなのだと、理解するようになります。

みんな同じ生き物であり、自然からの恵みで、命を紡いでいる。

その事を、初めは頭で理解するでしょう。

でも、やがて体でそれを感じるようになり、自分が世界の全てと、つながっているような感覚を、覚えるようになると思います。

それは超能力のような、派手さはありません。

静かで控えめで、別にどうって事ないようなものでしょう。

それでもそれは神秘的な経験です。

他のものとのつながりを、理屈で理解するのではなく、感覚で知るのです。

淡い感覚かも知れませんが、そのインパクトはとても大きいと思います。

それは世界や自分というものを、深く考えるきっかけになるでしょう。

無添加住宅

今日、無添加住宅を売り物にしている、工務店さんからお話を聞くことができました。

無添加住宅って何?

そう思われた方は、多いと思います。

食品であれば、無添加と書かれると、防腐剤や着色料などの化学物質が、添加されていないのだと、わかります。

では、住宅の無添加とは何でしょうか。

それは全ての建材に、天然素材を使っているというものです。

一般的な家は、壁材は塩化ビニールの壁紙でできており、火事が起こると有毒ガスを発生しします。

火事で亡くなる方の大半は、焼け死ぬというより、この有毒ガスを吸って死ぬそうです。

また、この壁紙を貼り付ける接着剤は石油製品で、普通の状態で化学物質を、室内に放出しています。

最近の家は、機密性が高いため、室内に化学物質が、充満してしまいます。

それが原因で、シックハウス症候群という、体調不良になる方もいるのです。

実際、無添加住宅というのは、シックハウス症候群の方の悩みに、応えるために開発された住宅なのです。

無添加住宅では壁材として、昔から使われている漆喰を、採用しています。

漆喰の成分は石灰なので、火で熱しても燃えませんし、有毒ガスも発生しません。

それに壁紙を接着剤で、貼る必要がありませんから、シックハウス症候群を起こしません。

ドアや床などに使われる合板には、ベニヤ板を貼り合わせるため、多量の接着剤が使われています。

無添加住宅では、合板を使用しないので、ここでも化学物質の放出を防ぎます。

一般の家では、水こぼしなどの対策として、床板にはウレタンを、塗布されている事が多いそうです。

しかし、このウレタンも石油化学商品で、床暖房を入れたり、床の上にホットカーペットを敷いたりすると、化学物質が出て来ると言います。

無添加住宅ではウレタンは使用せず、代わりに米ぬかのような、天然素材のオイルを、使っているそうです。

これらは当然、化学物質を放出しません。

接着が必要な所には、米のりや、にかわを使います。

これらは食品から作られていますから、安全です。

防腐・防カビ対策には、人工の防腐剤や防カビ剤を使わず、柿渋を使います。

このように、徹底して化学物質を除いた家を、建てようと言うのが、無添加住宅の目的なのです。

健全な暮らしが欲しくて、食事に気をつけたり、自然に囲まれた所で暮らそうと、考えたりする人は、少なくないと思います。

それなのに、自分たちの拠点となる家が、化学物質で汚染されていたのでは、元も子もありません。

せっかくの苦労が台無しです。

今日はそんな大切な話を、聞かせてもらう事ができました。

しかし、自分の家を持てる人は、それほど多くはないでしょう。

特に若い人たちは、日々の暮らしに精一杯で、高額な家を購入するだけの余裕は、持てないのが現状だと思います。

ところがアパートなどの借家では、今のところ、無添加住宅は皆無のようです。

これでは、いくら無添加住宅の良さがわかったところで、どうしようもありません。

けれども、シックハウス症候群の人にとっては、命が懸かった問題なのです。

また塩化ビニールの壁紙や天井材を、漆喰に変えるだけで、火事による死者は、激減すると言います。

塩化ビニール材の使用禁止を、法律で禁止できればいいと思います。

でも、それよりもいいのは、住宅メーカーが自主的に、塩化ビニール材を使うのをやめることです。

住宅を提供する事は、家を購入する方に、最高の暮らしを提供する事だという、プロとしての誇りを、メーカーの方には持ってもらいたいと思います。

家が売れたら、その後、お客がどうなろうと、関係ないという姿勢は、許されません。

自分が購入した家の影響で、具合が悪くなったら、どうなのか。

これを基本にした建材選びを、して欲しいですね。

自然栽培2

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

人は理由もなく、病気になったりはしません。
病気になるには、それなりの原因があります。

そして、毎日体に取り込む食べ物も、その原因になり得るのです。

これまで世の中の人々は、普段の生活の流れを、当然のものとして受け止めていました。

時間に追われながら、収入を増やすために、機械のように働き続ける毎日。

食事や健康に、時間やお金を費やす、余裕もありません。

途中で倒れる人がいても、全て他人事で、自分とは関係がないと、決め込んでいました。

ところが、自分が病になると、途端に慌てふためき、嘆き悲しむのです。

しかし、世間の人にとっては、やはり他人事です。

世の中は、何事もなかったかのように、それまでと同じ事を、繰り返し続けるのです。

ところが、コロナ騒ぎで、事態は一変しました。

当たり前と思っていた事が、当たり前ではなくなったのです。

人々は病気と生活の、二つの不安を抱えながら、これからの事を、考えるようになったはずです。

今までは、いろいろ考える暇もありませんでしたが、じっくり考える機会を得たのです。

高齢者が増え、介護や入院などの心配を、強いられる世の中です。
人々の健康維持への関心は、どんどん高まっています。

そんな時に、信じていた世の中のシステムが、稼働しなくなったのです。

みんな、新しい価値観を求めようとしています。

そこに自然栽培という考え方が、いいタイミングで姿を見せてくれたのです。

自然栽培という考え方自体は、数十年前からありました。

しかし、初めは細々と挑戦する人が、いたぐらいです。
全国に普及するほどでは、ありませんでした。

それでも自然栽培は、時間をかけて徐々に、広がりを見せて来ました。

そして、今では全国に普及し始めており、存在感を増しています。

全ては自然栽培に携わる方たちの、努力と忍耐の賜でしょう。

 ※Kevin PhillipsさんによるPixabayからの画像です。

今では、自然栽培の野菜を使った、レストランも増えて来ています。

そこで自然栽培の、野菜の美味しさを知った人は、家でもその野菜を食べたいと、思うようになるでしょう。

美味しいだけでなく、健康にもいいというのが、大きな魅力です。

今回のコロナ騒ぎの結果、地方で暮らす事を選ぶ人が、増えていると聞きます。

中には、田舎で農業を始めたいという人も、いるようです。

農業を始めたいと考える人は、農業に生き甲斐を求めています。

それは、農業で金儲けをしようと言うのではなく、農業を神聖な仕事と見ているからです。

彼らが自然栽培の価値を知れば、自然栽培というものが、さらに広がりを見せるでしょう。

今は自然栽培の人気は、ゆるやかな上昇のようですが、ここ数年でぐんと人気度が、アップする事は間違いありません。

それは食の話にとどまらず、水や空気にも広がるでしょう。

生活環境全てが、その質を問われるようになり、自然と人間の関係についての、理解が深まって行くでしょう。

そして、人間も自然の一部だと気づいた時、自然な人間の姿というものが、追い求められる事になると思います。

自然栽培1

 ※ShireShyさんによるPixabayからの画像です。

今、食の世界で大きなうねりが、起きつつあるようです。

それは自然栽培というものです。

最近は健康志向が進み、農薬や化学肥料、除草剤を、極力使わない米や野菜・果物が、好まれるようになっています。

スーパーなどへ行くと、低農薬だとか無農薬、有機農法、栽培期間中は農薬や化学肥料の使用なし、などと説明された品が、目に留まります。

そうは言っても、そういう作物は値段が割高になっており、まだまだ大半は農薬や化学肥料を、使用した作物です。

経済的に大変な人たちは、どうしても安い方の品に、手を伸ばしてしまうでしょう。

しかし、農薬などを使った作物と、そうでない作物の違いがわかれば、少し考えると思います。

野菜の苦みやえぐみ、あくの強さなどが、本来の野菜の味だから、仕方がないと思っている人が、多いかも知れません。

子供の野菜嫌いも、そういう味のまずさが、一番の理由だと思います。

でも、農薬などを使わない野菜であれば、野菜嫌いのはずの子供たちが、美味しいと言って食べるのです。

 ※Luidmila KotさんによるPixabayからの画像です。

私は、食べ比べて知りました。

同じはずの野菜が、農薬や化学肥料などを使っていないと、苦みやえぐみが感じられないのです。

農薬を使った野菜では、、明らかに薬臭いものもありました。

これでは子供が、野菜を嫌いになるのは、当たり前だと思いました。

健康にいいかどうかとは別に、自然に近い物の方が、味はいいのです。

それに薬臭い野菜は、食べ続けると病気になるだろうと、感じました。


ところで、自然栽培というものは、農薬や化学肥料を使用しないのは、もちろんの事、有機肥料も使いません。

元々その土地にある、本来の力を分けてもらって、作物を作るという理念です。

そうは言っても、初めからそこに植わっていない、作物の種や苗を植えても、簡単には育ちません。

そこに根付いて、上手く育つようになるには、それなりの工夫や努力、忍耐力が必要です。

そして、それができるのは、自然と共に暮らす事に、実感と喜びを持てる人だけなのです。

つまり、自然栽培の作物は、単に人工的な化学物質が含まれていない、というだけではないのです。

太陽と大地の恵みをもらって、作物本来の美味しさを、引き出せる事に加え、生産者の方々の想いが、エネルギーとして込められているのです。

 ※Bishnu SarangiさんによるPixabayからの画像です。

今のところは、有機農法の作物ですら、まだ主流と言えない状況ではあります。

でも、有機農法のさらに上を行く、自然栽培の意味と価値を知る人が増えれば、店頭でも自然栽培の商品が、当たり前のように並ぶ事になると思います。

問題は、自然栽培を行う農家の数が、まだまだ少ない事と、商品の値段が割高という事でしょう。

しかし、自然栽培を全国に広げようと、活躍している人たちがいます。

その結果、若い世代を中心に、自然栽培を取り入れる農家が、徐々に増えて来ているようです。

値段についても、自然栽培の商品が、多量に安定的に供給されるようになれば、今より下がるとは思います。

ただ、それでも作物を作る手間を考えますと、現在流通している安い野菜などほど、安くなるかどうかはわかりません。

しかし、その価値を考えると、高く見える値段が、決して高くないと考える人が、増えて来ると思います。

要は、限られたお金を、どこに使うかという事なのです。

健康志向が高まれば、それまでジュースやお菓子に使っていたお金を、自然栽培の商品に回すでしょう。

そうなれば結果的に、出費は増えないわけです。

その理屈がわかれば、余計な物を買うのをやめて、自然栽培の作物を買う人が、増えると思います。