昆虫の変態

昆虫は不思議な生き物です。

多くの昆虫は、その成長過程によって、姿が変わって行きます。

中でも、幼虫からサナギを経て、成虫になるものは、幼虫と成虫とで、全く別の生き物のように、見えてしまいます。

 ※Gordon JohnsonさんによるPixabayからの画像です。

人間や動物は、子供と大人の形態が似ています。

子供は時間をかけて、ゆっくりと大人に姿を変えて行きます。

ですから、そういう形での成長であれば、不思議に思いません。

しかし、幼虫と成虫とで、全く異なる姿をしている昆虫は、不思議以外の何物でもありません。

いったい、どんな風にして、姿を変えるのだろう?
サナギの中は、どうなっているのかしら?

そんな風に考えたことが、あるのではないでしょうか。

 ※Babs MüllerさんによるPixabayからの画像です。

実はサナギの中は、初めのうちは、ドロドロに溶けたように、見えるそうです。

その中には、不要になった部分の細胞が、自ら崩壊したものと、新たな形態を作るための細胞が、増殖したものが交じっているのですが、見た目には区別がつきません。

やがて不要な細胞は消滅し、成虫の形が構築され、時期が来ると、サナギの皮を破って、成虫が出て来るのです。

まったく生命の不思議を、感じさせられる昆虫の変態ですが、人間も母親のお腹の中にいる時に、似たような経過を経て、成長しています。

人間の受精卵は成長する過程で、魚のような姿になったり、爬虫類のような姿になったりしながら、最終的に人間の姿になります。

この過程において、鰓のようなものや、しっぽが作られるのですが、それは人間には不要なものですから、やがて退縮して行きます。

ただ、全体がどろどろに溶けて、全部が別のものに、置き換えられるわけではありません。

やはり昆虫の変態は、人間の成長の仕方とは、次元が違うようです。

 ※Margaret Van de PitteさんによるPixabayからの画像です。

ところで、今の人間社会を見ていますと、昆虫の変態を彷彿させられます。

これまでは災害にしても、不景気にしても、戦争にしても、部分的な変化はあるものの、地球全体に及ぶような、大きな変化はありませんでした。

どんな状況にあっても、お金を基本とした経済観念は、維持されていました。

資本主義だとか共産主義だとか言っても、お金がなければ、何もできない構造は、共通していました。

しかし、資本主義に行き詰まりが、見られるようになって来たところに、世界的なコロナ騒ぎです。

そこに地球温暖化に起因したと思われる、様々な災害が毎年のように、世界中を襲います。

もはや、これまでのようなお金を中心とした、社会は成り立たない状況が、これでもか、これでもかと言わんばかりに、積み上げられているようです。

昆虫の変態に当てはめて考えると、幼虫が脱皮を繰り返しながら、大きく成長して行く様は、肥大化する経済社会のようです。

 ※adegeさんによるPixabayからの画像です。

幼虫は大きく育つために、とにかく食べます。

貪欲に食べ続けることが仕事のようです。

経済社会も利益を追求し、どんな事をしてでも、お金を稼ごうとします。

その結果、権力者や大企業が、市民を犠牲にしてでも、自分たちの利益を、求めようとして来ました。

しかし、それが経済社会の成長を、後押しする以上は、誰にも止めることができませんでした。

ところが、ある所で昆虫の幼虫が、成長することをやめるのと同じく、経済社会も成長を止める時期があるのでしょう。

そして、それがまさに今なのだと、私は感じています。

 ※Ian LindsayさんによるPixabayからの画像です。

幼虫が成長をやめるのは、新たな形態に姿を変えるためです。

それと同じように、人間社会も経済社会から、新たな形態の社会へと、変化しようとしているのだと、私は思うのです。

そのために、これまでは当たり前だった事が、当たり前ではなくなりますし、成立していた商売が、成立しなくなるでしょう。

でも、それは新たな形が、生まれるためです。

これからは古い形態に、こだわり続けるのではなく、新たな形態の仕事や暮らし方が、求められるのです。

初めのうちはその動きも、緩慢に見えるかも知れません。

しかし、やがて勢いのある流れになり、その流れに乗ろうとする、人々の動きによって、流れの勢いは、ますます強くなるでしょう。

恐らく、ここ数年のうちに、これまでの経済社会に代わる、新たな社会の形の礎が、姿を見せることになると思います。

その基本となるものは、お金ではなく、感謝と思いやりという、本当の人間らしさでしょう。

今の暮らしに、不安を抱く人は多いと思います。

でも、その中に感謝や思いやりと、出会う機会があるのでは、ないでしょうか。

そして、感謝と思いやり以外に、今の世界が置かれた状況を、乗り越えることはできないのです。

今の人類は、産みの苦しみの中にいます。

それは希望と喜びを、産み出すためのものです。

感謝や思いやりと出会ったら、その時の想いを大切にして下さい。

そして、その想いを基礎にした、暮らしを追い求めて下さい。

そうすれば、新たな社会が早く産み出され、産みの苦しみも、軽減されるはずです。

どうか、芋虫の経済社会から、蝶のように美しい社会に変わることを、思い浮かべ続けて欲しいと思います。

 ※Gordon JohnsonさんによるPixabayからの画像です。

資本主義の次に来るもの その3

世界中の人々が、お互いを思いやって、無償で働くようになれば、資本主義経済は必要なくなります。

しかし、具体的にどうすれば、そんな事ができるのでしょうか。

世の中には、報償がもらえないと、人間はやる気を失うという、思い込みがあります。

これは間違いとは言えませんが、正しい表現ではありません。

 ※GoumbikさんによるPixabayからの画像です。

大抵の人は、報償という言葉に、お金を結びつけます。

つまり、お金がもらえないと、人間はやる気が出ない、という事です。

しかし、喜びがないと、人間はやる気が起こらない、というのが正しい表現でしょう。

そして、喜びというものは、人によって違います。

お金を喜びと考える人もいれば、達成感を喜びとする人もいるでしょう。

挑戦する事を喜ぶ人もいれば、誰かの笑顔を喜ぶ人もいるのです。

お金を喜びと考えるのは、その人の自由です。

しかし世界中の人が、お金を喜びとするべきだ、というような発想は、明らかに間違っています。

また、人間心理を考えると、明らかに不自然な発想なのです。

ところで他の人のために、無償で働く場合、どんな喜びが大切でしょうか。

それは基本的には、誰かの笑顔です。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

自分の行為によって、誰かが喜んでくれる。

それが嬉しいという気持ちが、新たな原動力になるのです。

挑戦する喜びや、達成感なども、お金に替わる喜びになります。

ただ、応援してくれる人や、暮らしを支えてくれる人たちへの、感謝の気持ちが必要です。

そうでなければ、ただの独りよがりに、なってしまいます。

自分の挑戦や達成が、人々への勇気や励ましになるという、自覚も大きな力になるのです。


実際、誰かの笑顔を動機にして、活躍している人たちがいます。

その人たちの活動は、インターネットの中で見られます。

インターネットでは、世界中の親切な人々が、自分たちが開発したプログラムを、無償で使えるように、提供してくれています。

Wikipediaのような百科事典サイトや、辞書・辞典のサイトも、同じです。

これらのサイトのお陰で、どれほど多くの人が助かっている事でしょう。

また、多くのNGOや、ボランティアの方たちも、誰かの喜びを力に変えています。

みなさん、お金が中心の世界の中で、いろいろ苦労をされながら、自分が思った事をされているのだと思います。

生活費や運営費が、必要ない環境にあれば、さらなる力を発揮される事でしょう。


そんな助け合いや思いやりを、基盤とした暮らしを実現するためには、どうすればいいでしょうか。

それには、どこかにモデル地区となる町を、作ればいいと思います。

 ※David MarkさんによるPixabayからの画像です。

その地区では、人々が助け合う事で、自給自足の暮らしをするのです。

誰もが何らかの形で、誰かに貢献できる町造りです。

食料や物を、作る仕事だけではありません。

芸術やスポーツなど、心の成長や癒やしに、貢献できる仕事も求められます。

怪我や病気で動けなくなった人は、何もできないと思ってはいけません。

休むべき時は、誰もが休めばいいという、発想が大切です。

大切な人は、そこにいてくれるだけでも、ありがたい。
そう思えるような、気持ちも大事です。

それに、具合が悪くなった人は、同じような人の気持ちが、理解できるでしょう。

どんな環境が、そういう人には必要なのかも、わかるはずです。

そう考えれば、具合が悪くなる事も、一種の調査作業となるのです。

原始的ではない、自給自足の暮らしとなれば、いろんな業種が必要になります。

それには、多くの人が必要とされるでしょう。

そのために、モデル地区である意義を、理解してもらった上で、世界中から参加者を、募ればいいでしょう。

きっと参加を希望する人が、殺到すると思います。

 ※PublicDomainPicturesさんによるPixabayからの画像です。

その町で必要なエネルギーは、基本的には、自然再生エネルギーを使います。

それで足らないエネルギーや、町で生産できない物資については、他の町から調達します。

できれば調達先の町も、同様のモデル地区にするといいでしょう。

そういうモデル地区を、あちこちに造り、互いの足らない部分を、補完し合うのです。

当初の必要経費は、国が出します。

モデル地区ですから、投資のつもりで、税金を投入すればいいのです。

どうしても海外から、輸入しないといけない物があれば、そこも税金を使います。

しかしモデル地区の趣旨を、理解してもらえる国であれば、国同士で協力し合う事もできるでしょう。

お互いに無償で、物資や技術を融通し合う事も、できると思います。

ただ、輸送のコストについては、馬鹿にならないでしょう。

産油国などの協力が得られれば、いいのですが、温暖化のことも考えますと、一刻も早いフリーエネルギーの登場が、待たれるところです。

逆に言えば、フリーエネルギーが開発され、誰でも無償で利用できるようになれば、このモデル地区計画は、間違いなく成功すると思います。

そして、そのシステムは瞬く間に、世界中に広がることでしょう。

このシステムが世界に広がる意義は、単に人々が暮らしやすくなる、というだけではありません。

助け合いと思いやりが、基盤になっているのです。

助け合いは、お互いに相手への、感謝も生むでしょう。

助け合いと思いやりに、感謝が加わるのです。

人々の信頼関係に、疑いが入る余地は、なくなるでしょう。

それは争い事が、なくなる事を意味します。

国境問題も、人種差別問題も、人々を分断するような問題は、全て消え去るでしょう。

世界の人々が国境を越えて、心を一つにするのです。

それは人類が自分たちを、地球人だと認識するようになる時なのです。

資本主義の次に来るもの その2

 ※Ben KerckxさんによるPixabayからの画像です。

おぎゃーとこの世に生まれて来た時、私たちは真っ白な状態です。
世界経済の事なんか、何も知りません。

だんだん成長して行く中で、いつも変わらない同じ状況を、当たり前だと受け止めるようになります。

また、大人がずっと続けている事、信じている事を、正しい事だと思うようになります。

そうやって価値観は、形成されて行くのです。

しかし、それが絶対に正しいという理由は、どこにもありません。

それでもその価値観で、物事がうまく進んでいるのであれば、別に構わないのです。

しかし、いろいろ問題が、明らかになって来たのであれば、価値観の修正が必要です。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

寒い国で暮らす人たちは、防寒着が当たり前のものでしょう。

でも、温暖化で気温がぐんぐん上がって来たら、防寒着を脱いで、もっと涼しい服装に、なるのではないでしょうか。

自分たちの着る物は、防寒着に決まっていると言い張って、それを着続けるとどうなるかは、考えればわかりますよね。

また、そんな事をする人がいたとしたら、それが愚かな事だ、というのもわかるでしょう。

経済についての価値観も同じです。

世の中は、変わって来ているのです。

人々が貧富の差を、甘んじて受けていた時代は、もう終わったのです。

みんなが求めているのは、自由で平和で平等な、喜びあふれる暮らしなのです。

一部の人だけが冨を集める、資本主義経済というシステムは、望まれていません。

 ※Susann MielkeさんによるPixabayからの画像です。

ただ、この経済システムが壊れたら、人類は破滅するというような、権力者たちによる洗脳が、行われています。

それで、みんなは不安を感じているのです。

それは、あいつらは敵だ、悪魔だと煽動して、他の国の人々の事を、悪く思わせるのと同じです。

実情を知らなければ、人々は指導者たちやマスコミの言葉を、鵜呑みにしてしまうでしょう。

しかし今の人々は、みんながそんな事を、鵜呑みにするわけではありません。

世界中の多くの人が、知識や気持ちを共有し、真の平和を求めています。

政府が敵国だと決めつけている国の人々が、自分たちと同じ普通の人間である事を、多くの人が理解しています。

あの国は悪い国だと言われて、鵜呑みにしないだけの、経験と知識があるのなら、経済についても、理解ができるはずです。

もう資本主義経済ではだめだし、これに代わる助け合いを基盤にした、新たな経済システムが必要だと、訴える知識人たちも多くいます。

世の中をきちんと見通せる人たちには、自分たちがどうするべきなのかが、わかっているのです。

 ※Małgorzata TomczakさんによるPixabayからの画像です。

資本主義経済が崩壊しても、破滅するのは、冨を集中させていた、権力者たちだけです。

一般の人々は、逆に暮らしが楽になるでしょう。

権力者たちは自分の不安に、関係のない者たちまで、巻き込もうとしているのです。

どんなものにでも値段をつけて、お金を稼がないと生きて行けないと、信じ込ませているのが、今の世の中です。

そうさせたのは、お金によって世の中を、支配して来た権力者たちです。

自分たちが、世の中の実権を握り続けるためには、自分たちに都合のいい論理を、人々に受け入れてもらうしかないからです。

そして、お金をアメやムチの代わりに、用いるのです。

世界の国同士の争いを見れば、その事がわかります。

逆らう国には経済制裁をして、従う国には優遇するのです。

日本政府が地方自治体に対して、核廃棄物を受け入れるなら、多大なる支援をするというのも同じ事です。

普段、ちゃんと支援がなされているのであれば、誰も核廃棄物など、受け入れたいと思うわけがありません。

 ※Phong NguyenによるPixabayからの画像です。

遥か昔には、お金なんて存在していませんでした。
人々は助け合い、必要な物は自らが、作り出していたのです。

食べる物も、着る物も、住む所も、みんなが助け合って、自分たちで作れば、お金は必要ありません。

材料を作る人たちにしても、同じです。

材料をただで提供すれば、いいのです。

その代わり、衣食住の心配は、する必要がありません。

子育てのお金、病気や怪我の心配、老後の不安、これらの全てがなくなるのです。

税金も払わなくて構いません。

お金のために、嫌な仕事をする事もないのです。

つまり、お金なんて必要がなくなるのです。

人々が幸せに暮らすために、お金は必要ないのです。

お金がなくても、思いやりの心が広がっていれば、幸せに暮らして行けます。

逆に、どんなにお金があったとしても、買える品物がなければ、意味がありません。

病院や介護などの、サービスを受けようとしても、そこの人に思いやりがなければ、どうなるでしょうか。

本当に快適な暮らしに必要なものは、お金ではないのです。

資本主義の次に来るもの その1

学者も政治家も、国民を馬鹿にし過ぎています。

自分たちが指導してやらないと、誰も何もできるわけがないと、初めから決めてかかっているようです。

資本主義だの社会主義だの、そういう言葉や概念がある事自体、一般の人々を下に見ている証拠です。

もちろん、好き勝手な事をする人たちばかりでは、どうしてもルールが必要になるでしょう。

しかし、他人を思いやったり、感謝できるような教育を、きちんと受けていれば、物事の流れは自然とできるものです。

一応、ルールのようなものが作られても、それでがんじがらめになる事はありません。

状況に応じて臨機応変に、よりよいルールが作られて行くでしょう。

今の学校教育は、子供に競争する事や、頑張らないとだめになるという不安を、植え付けています。

そうではなく、お互いに助け合い、お互いの違いを認め合い、喜びも悲しみも、お互いにわかち合うという事を、何よりも先に教えるべきなのです。

一部の授業でそういう事を教えても、他の授業でそれが打ち消されては、意味がありません。

何が最も大切なのかという事を、先生方は常に念頭に、置いておかねばなりません。

 ※WikiImagesさんによるPixabayからの画像です。

災害などで多くの人が、大変な状況にあるとします。

そして、その人たちを助けるための人間がいて、機材があって、知恵や技術もあります。
しかし、お金がありません。

こんな状況の時、初めはみんながボランティアとして、動くでしょう。

しかし作業が長引くと、ボランティアを続けられなくなります。

ボランティアでは収入がありません。
逆に持ち出す事が、多いのです。

それぞれの人には、日々の暮らしがありますし、企業には仕事があります。
それらを維持するためには、収入を得なければなりません。

結局、ボランティアは長くは続かず、政府や自治体の支援を待つしかありません。

しかし日本政府の立場は、個人の財産は個人の責任で守る、というのが基本です。

年金暮らしのお年寄りが、家を失っても、大した支援はしてもらえません。

それを、お金がないから仕方がないと考える人は、いるでしょう。

でも、そもそもお金がないから、動けないという状況にこそ、問題があるのです。

 ※extremisさんによるPixabayからの画像です。

全ての人が自らの意思によって、自分にできる事で、誰かの力になればいいのです。

そうすれば、今の経済学者が弾き出すようなお金は、いらないのではないでしょうか。

そんなのボランティアと同じじゃないかと、言われるかも知れません。

確かに、そうです。
気持ちはボランティアと同じです。

でも、全ての人がボランティアになるのです。

それは全員が被災地へ言って、労作業をするという事ではありません。

普段自分たちがする仕事を、無償で行うのです。

一部の仕事ではなく、全ての仕事でです。

そうすれば、誰も生活費の事を、心配する必要がなくなります。

そんなはずがないと思うかも知れませんが、そうなのです。

もちろん、海外から輸入しなければ、手に入らない物がありますから、海外の人の協力は必要です。

つまり、世界中の人が無償で動けば、お金は必要なくなるのです。

何で自分が関係のない人のために、ただ働きをしないといけないのかと、考える人もいるでしょう。

実は、そこがポイントなのです。

関係ないと思うから、ただ働きをさせられると、受け止めてしまうのです。

しかし、みんな家族だと思えば、どうでしょうか。

 ※Omar Medina FilmsさんによるPixabayからの画像です。

顔も見た事がない人、一生の間に、会う事もないような人、そういう人たちの事は、遠い親戚だと思えばいいのです。

向こうの人だって、こちらの事をそう思ってくれるでしょう。

そう思われているとわかれば、向こうの人が困っているのを、放って置くなんてできませんよね。

それは理想かも知れないけれど、そんなのできるわけないと、普通は思うでしょう。

でも、そう思うのは、自分が信じている価値観が、そう思わせているのです。

資本主義と社会主義(共産主義) その3

資本主義にも問題があり、社会主義もだめ。

では、どうすればいいのでしょうか。

資本主義にしても社会主義にしても、経済学者や思想家が考えたもので、ただの理屈です。

そこに一般の人々の心理を、考慮しているとは思えません。

国民は黙って国が決めた事に、従えばいいのだと言わんばかりです。

社会主義が役に立たないのは、ソ連の崩壊で実証されています。

中国などの社会主義国が、現実には資本主義経済を取り込んでいる事でも、同じ事が言えるでしょう。

しかし資本主義経済も、今や断末魔を上げているかのようです。

 ※Zeeshan ShafiqueさんによるPixabayからの画像です。

自国では人件費が高くつくからと、賃金が安い貧困国に、工場を作る企業は、世界中にあります。

その国の経済が良くなって、人件費が上がって来ると、別の貧しい国へ、工場を移転させます。

このやり方では、最後の国が豊かになれば、工場を移す所が、なくなってしまうでしょう。

逆に言えば、資本主義経済においては、貧困がなくてはならないわけです。

貧困がなくなる事は、資本主義の終わりを意味しています。

だから貧しい国が、先進国の地位に引き上げられる事はありません。

ある程度の経済発展は認めても、先進国の地位を脅かすほど、発展されては困るのです。

そのため貧しい国は、いつも豊かな国に利用されています。

そもそも貧しい国々は、かつては大国の植民地にされていました。

植民地の人々は、支配者たちに仕える、召使いだったのです。

今は支配者と召使いの関係は、表向きにはなくなっています。

しかし多くの権力者たちが、貧しい国の人々を見る目線は、昔と大差はないと思います。

 ※Amber ClayさんによるPixabayからの画像です。

自分が儲かるためには、相手の事など、どうだっていい。

それが資本主義の毒に、冒された者たちの、発想なのです。

その姿勢は、貧困な国に対してだけでなく、自国の人間に対しても同じです。

ですから、資本主義に代わる経済システムを、考えようという動きが出たのは、必然と言えるでしょう。

ただ、社会主義というやり方は、国民から自由と喜びを奪い、ただの生産ロボットにしてしまう愚策でした。

しかし社会主義の失敗は、資本主義が正しいという証にはなりません。

資本主義に問題があるのは、明らかなのです。

では、本当に正しいやり方とは、どのようなものでしょうか。

それは世界中の人々が、互いに感謝と思いやりを持つ事を、基本としたものです。

 ※swamianandaさんによるPixabayからの画像です。

経済に限った事ではありませんが、上から押しつけられると、うまく行かないものなのです。

そうではなく、人々が自分たちで考え、納得できるものであるべきです。

具体的に言えば、誰に対しても、家族のように接するのです。

その人の喜ぶ顔を自分の喜びとし、困っていれば、何としても助けるのです。

そういう事をむりやりするのではなく、自然な気持ちの結果として、できるようになればいいのです。

そんな人々の発想や行動が、結果的に経済という形になるでしょう。

ただ、こうなると経済という表現や発想は、適切ではないかも知れません。

経済という考え方の根底には、人々は他人同士という前提が、隠されています。

みんなが家族になってしまうと、経済という言葉は、不適切と言えるでしょう。

いずれにしても、今の経済システムに変わる、新たな生産・流通・消費の形態が、求められています。

その叩き台となるのが、スペインなどで導入が決められている、ベーシックインカムです。


しかしベーシックインカムは、全ての解決策ではありません。

ベーシックインカムをスタートラインにして、新たな世界へ踏み込みたいものです。

資本主義と社会主義(共産主義) その2

自由競争である、資本主義経済が発展すると、貧富の差が広がりました。

その原因は、個人の利潤追求にあり、資金力の強い所が、冨を独占している。

そんな批判の下に、新たな経済システムが考えられました。
それが社会主義です。

社会主義では、経済の自由を個人から取り上げ、全てを国が、取り仕切る事にしたのです。

その理念には、資本家と労働者という対立をなくし、全ての者が労働者である、平等な社会とうものがありました。

労働計画は全て国が立て、国民は国から言われたとおりに働きます。

本当は違う仕事がしたかった、と言っても通りません。

この仕事をしろと言われれば、そうするしかないのです。

それに、どんなに働いても、給料が増えるわけではありません。

みんな平等ですから、働いても働かなくても、給料は同じです。

人々は国に言われたまま、ロボットのように働くだけです。

そこに喜びはありません。

 ※ergoneonさんによるPixabayからの画像です。

それに、仕事の手を抜いたところで、給料は同じなのです。

資本主義であれば、好い加減な事をすれば、クビになってしまいます。

しかし社会主義では、クビにされる事はありません。

真面目に頑張る人は、やってられないよ、となるわけです。

また、国の生産指示が、必ずしも正しいわけではありません。

それでも言われた事は、指示どおりにやるしかないのです。

そんな社会主義に、人々はやる気をなくし、生産性は低下しました。

うまく行くと思われた経済は停滞し、国民の生活は苦しくなりました。

一方で、国民に不満な平等を、押しつけた行政では、指導者たちが冨を独占しました。

国民の不満はついに爆発し、社会主義国だったソビエト連邦は崩壊しました。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

ソビエト連邦を引き継いだ形のロシアでは、資本主義を取り入れています。

また、社会主義国である中国やベトナムなどでも、経済システムに資本主義を取り込んでいます。

その結果、平等であるはずの国民には、貧富の差が広がっています。

ところで社会主義と似たようなものに、共産主義があります。

この二つは、たびたび同じものであるように、扱われています。

調べてみますと、共産主義というのは、社会主義がさらに発展した状態を、言うのだそうです。

共産主義では、あらゆる面で国民が平等なのです。

経済の面だけでなく、地位や階級などの面でも平等です。

つまり、国民を管理する政府や国家も、必要ないという事なのです。

しかし、政府や国家の存在しない国や地域は、存在しません。

共産党が一党独裁を行っている、中国などの国は、共産主義国家とは言えないのです。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

共産党が支配している国は、共産主義なのかと思いがちですが、実はそうではなかったのですね。

そもそも経済に、資本主義を取り込んでいる時点で、共産主義とは言えません。

しかも、共産党の上層部が、冨を蓄えるという構造は、共産主義とはほど遠いものでしょう。

もちろん、社会主義にも当てはまりません。

では、そういう国の経済理念は、何と呼ぶべきなのでしょうか。

資本主義を取り込んではいるものの、個人の自由は、国の管理下にあります。

本当の自由競争ではありませんから、資本主義とは言えません。

政治体制については、共産党の一党独裁という言葉どおり、共産党による独裁政治です。

ですから、独裁資本主義とでも、言うべきかも知れません。

どんな主義であれ、それが国民の幸せにつながるのであれば、それで構わないと思います。

しかし独裁資本主義が、国民のためにあるのかと言われると、そうではないように思えます。

資本主義と社会主義(共産主義) その1

初めに、主義とは何かという事を、確かめておきます。

辞書によると、まず、持ち続けている考え・方針・態度など、とあります。

菜食主義とか完全主義など、個人的な考え方の事です。

次にあるのは、思想・学説・芸術理論などにおける、一定の立場というものです。

自然主義、写実主義など、個人あるいはグループの、いろんな分野における思想です。

最後にあるのが、特定の原理に基づく社会体制・制度などです。

資本主義や社会主義、民主主義など、国としてのシステムの在り方を、示しています。


さて、ここで資本主義と社会主義の話ですが、上で説明しましたように、主義とは言っても、個人やグループの決まった考え方を、意味しているのではありません。

ですから、俺は資本主義だ、私は社会主義なの、という言い方は正しくないわけです。

正しい表現は、俺の国は資本主義だ、私は社会主義の国に憧れてるの、という感じですね。

実際、どこの国の人でも、自分は資本主義だとか、社会主義だとかと言う人は、いないと思います。

 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。

人々が求めているのは、平和で安定した楽しい暮らしなのです。

その暮らしが得られるのであれば、自分の国がどんな主義であろうと、関係ありません。

自分の所へ訪れた人が、資本主義を推しているのか、社会主義を理想と考えているのかも、基本的にはどうでもいい事です。

大切なのは、その人物が自分たちに対して、好意的なのかどうかという事だけでしょう。

自分たちに親切にしてくれる人や、話が合う人を、敵視する理由はありません。

そこに資本主義か社会主義か、という事を持ち込むのは、国同士のいがみ合いを、もっと煽ろうとする者だけです。

一般の人は、誰とでも仲よくできればと、望んでいるはずです。

 ※Hermann TraubさんによるPixabayからの画像です。

そもそも、資本主義や社会主義、あるいは共産主義などについて、ちゃんと説明できる人は、それほどいないのではないでしょうか。

私も専門家ではありませんから、それちょっと違うんじゃないと、言われるかも知れません。

でも、私なりに調べたり、実際に感じている範囲で、説明をしてみたいと思います。


まず資本主義の資本ですが、資本というのは、一般的には商売の元手ですよね。

商売をする時には、元手のお金を使って、安く仕入れた物を、高く売ります。

すると、差額が儲かりますから、儲けた分で、さらに多く仕入れて、多く売ることができます。

それを延々と繰り返す事で、手元に残るお金が、どんどん増えて行きます。

つまり、元手のお金を使って、連続的に利益を増やして行くのですね。

このように、金が金を生むシステムを、資本主義というのです。

 ※PublicDomainPicturesさんによるPixabayからの画像です。

大きな元手を持っている人は、その元手を使って、工場を作り、人を雇って、大きな利益を出すことができます。

雇われている人たちは、給料をもらえますが、手元にはあまり残りません。

しかし、それをコツコツ蓄えて行くと、いずれは大きな金額になります。

そうなれば、それを元手にして、もっと儲けられる商売を、自分で始める事ができるのです。

このように、誰でもその気があれば、元手を使って冨を生む事ができるシステム、というのが資本主義なのでしょう。

ただし、これはあくまでも、表面的な説明であって、実際にそうなっているのかというと、それは別の話です。

資本主義が理想通りの働きを、見せているのであれば、世の中の人々は、みんな夢を持って、前向きに暮らしているでしょう。

今はコツコツ働いている人も、将来は自分が望むような、事業を興す事ができると、期待に胸を膨らませていると思います。

また、実際にそうやって成功している人が、世の中に一杯いるはずです。

しかし、現状はそうではありません。

お金は、すでに余るほど持っている人の所にばかり、集まるようになっています。

 ※DarkmoonArt_deさんによるPixabayからの画像です。

生活保護を受けるようになった者に、再び浮上するチャンスが訪れることは、かなりむずかしい状況です。

経済的に恵まれた家に生まれた子供には、様々な選択肢が与えられます。

しかし、貧乏な家に生まれた子供は、夢を諦めなければならない事が、多いでしょう。

資本主義には、個人的な自由を尊重するという、自由主義というものが、重なっています。

個人の自由を尊重するという事は、とても大切なことです。

しかし、その表現に執着し過ぎているのでしょう。

個人の事は全て個人の責任で、という考え方が横行しています。

その結果、他人への思いやりにかける、風潮にあるようです。

資本主義は、利益を出す事が目的です。

そこに歪んだ自由主義から、他人の事を顧みない考えが加わり、自分さえ儲ければいいという、理屈が成立するのです。

それが、今の資本主義の現状でしょう。

一部の裕福な人々は、貧しい者たちに道を切り開く、手助けをしています。

しかし、その動きは裕福な者の全体には、広がっていません。

その結果、金の亡者に成り下がってしまった者たちが、世界を牛耳る構図が、できてしまったのです。

国境をなくすには2

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 ※Deep GhotaneさんによるPixabayからの画像です。

今の社会は、一番上に位置する権力者たちが、自分たちの地位や権利を守るために、作ったものです。

権力者たちは、自分に忠実な者たちを引き上げて、自分の周囲を固めます。

引き上げてもらった者たちも、同じように、自分に従う者を引き上げて、味方にします。

同様のことが繰り返され、上の者の言葉に従うことが、当たり前という考え方が、ピラミッド社会の、裾野まで広がっています。

これは一種の洗脳なのです。

権力者は、お金で人を動かそうとします。
そのため、お金に困る人が必要です。
つまり、貧困者です。

貧困者がいなくなれば、誰もお金では言うことを、聞かなくなってしまいます。

貧困をなくそうと、きれい事を口にする、権力者はいます。

でも本気で、貧困をなくすつもりはありません。

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 ※Anja🤗#helpinghands #solidarity#stays healthy🙏さんによるPixabayからの画像です。

今の世の中は、他人と比較され、他人との競争を強いられます。
競争に負ければ悲惨な目に遭うのだと、信じ込まされます。

子供の頃から、受験戦争という形で、そういう考え方を、植え付けられるのです。

やりたい事をするために、勉強するのではありません。
いい会社に入れるように、勉強をするのです。
いい会社は多くないので、競争です。

そういう事をさせながら、それがこの社会のルールなのだと、子供たちに教え込むわけです。

特技や能力がある者は、こんな社会でも、それなりに上に、上がることができます。
でも、それができない者もいるわけです。

そういう人たちの中で、自分は無能なのだと、信じてしまう人もいます。

そんな人は、自分の立場を高くするために、誰かを蹴落とそうとする事があります。

自分よりも立場の弱い者がいることで、安心するのですね。

その結果が、いじめや差別なのです。
それは貧困にも、つながります。

そんな中で、絶望して病気になったり、自殺をする人が出て来ます。

悪い事をしてでも、生き延びようと考える者も、現れます。

あるいは社会への憎しみを、無差別にぶつけたくなる者も、現れるでしょう。

つまり、貧困や差別を生み、さらには多くの犯罪を生んでいるのは、今の世の中なのです。

全ての原因は、かさぶたのように地球全体を覆う、歪んだ社会にあるのです。

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 ※BriBraさんによるPixabayからの画像です。

競争というものは、本人たちが楽しめるのであれば、問題はありません。
互いに相手を尊敬し、褒め称えられるような、競争であればいいのです。

問題なのは、権力者のために、無益な競争を強いられることです。
そして、それによって歪んだ価値観を、すり込まれてしまうことなのです。

そういう価値観は、人間が本来持つべき価値観とは、大きくかけ離れています。

つまり、その価値観を植え付けられることで、人間としての可能性を、見失ってしまうわけです。


みんな、権力者の利益のために、騙されて利用されているのです。
これは世界中の人々に、言えることです。

みんながそのことに気がつけば、今の社会構造は、大きく変化するでしょう。

人が人として生きる喜びを、感じられる社会になるのです。

見た目はこれまでと、それほど変わっていないように、見えるかも知れません。

しかし、働く人々の心の中が、以前とは全然違うものになっているでしょう。

他人と競争しながら、お金を稼ぐというのではなく、自分がやりたい事をすることで、他の人にも喜んでもらう。

そこに生き甲斐を感じて、働くような社会です。

そんな社会が、世界中の国で作られるようになれば、自然と国境は意味を失って行くでしょう。

かつて多くの国が集まっていた日本は、平和な一つの国になりました。

それと同じように、世界は国境を越えて、地球という一つの世界を、築くことになるのです。

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 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

国境をなくすには1

 ※K-factoryさんによるイラストACからの画像です。

国と国の間には、国境があります。
それは、それぞれの国の主権を、守るためのものです。

言い換えれば、他国からの侵入を許さない、意思表示であります。

でも、世界が本当の意味で一つになるには、国境はない方がいいのです。

日本も戦国時代と呼ばれた頃、多くの戦国大名たちが、領土の拡張、奪い合いを繰り返し、せめぎ合っていました。

江戸時代になると、徳川幕府が全国を支配しました。

しかし、各地域はそれぞれの大名が治め、領地と領地の間は、国境として関所が置かれて、人々の出入りを管理していました。

明治時代になると、大名ではなく知事がその地域を、治めることになりました。

国境は県境となり、人々は日本中どこにでも、自由に移動をすることが、できるようになったのです。

その延長に、今の日本があります。

 ※旅先の写真家さんによる写真ACからの画像です。

今の日本は、各地域の独自の文化が、残されています。

地域の人は、自分たちの暮らしや文化を、大切にしています。

一方で、国民の誰もが、自分は日本人だという、意識を持っています。

どこへ行っても日本ですから、どこの県へ行くにも、抵抗感は全くありません。

現在の世界の国々も、これと同じように、国境というものをなくすか、あるいは無意味なものにすればどうかと、私は思うのです。

別に国境などなくても、それぞれの地域に暮らす人々が、平和に暮らせるのであれば、何も問題はないでしょう。

EUは加盟国同士で国境を開放しています。

でも、それはあくまで経済圏という概念であって、一つの国になったわけではありません。

経済格差も大きく、これからと言ったところでしょう。

でも、方向性は間違っていないと思います。

他の国々も、一つの国のようになれればいいのですが、まずはお互いを理解し、尊敬し合えるようになる、必要があるでしょう。

それに、いきなり国境をなくしたりすると、悪い企みを持った者たちが、自由に行き来するようにもなります。

平和のための国境開放ですから、それは防がねばなりません。

ですから、そういう者がいないような、世の中にしながら、国境をなくしていくというのが、いいと思います。

これはEUでも、考えねばならないことでしょう。

では、どうやって悪い企みを持つ者を、なくすのでしょうか。

 ※PublicDomainPicturesさんによるPixabayからの画像です。

誰も悪いことをするために、産まれて来てはいません。
産まれた時は、誰もが可愛い赤ちゃんです。

それなのに、成長の段階で、悪いことをするようになる人が、出て来るのです。

でも、それにはそうなるだけの理由があるはずです。

そして、その多くの原因は、貧困や差別にあると、私は考えています。

つまり、世界中の貧困や差別をなくせば、いいのです。
そうすれば、自ずと犯罪は減って行くでしょう。

また、貧困がなくなれば、国の経済格差も埋まって行くでしょう。

犯罪が減り、経済格差もなくなれば、国境を厳格に考える理由が、なくなるのです。

では、貧困や差別は、どうすればなくなるのでしょうか。

貧困や差別が生まれる原因を、探ればいいのです。
これらの原因は同じです。

それは、エゴイズムです。

自分だけがいい思いをしたい、自分だけが優位でいたい、という思いです。

 ※Ay SさんによるPixabayからの画像です。

求められる対策とは2

 ※madsmith33さんによるPixabayからの画像です。

困った人を助けたい。

その気持ちがあれば、そこに新たな仕事、新たな産業が生まれます。

これまでは、誰かの笑顔を見たいと言うより、お金をたくさん稼ぎたい、という考えの上に立った仕事が、多かったのではないかと思います。

その結果が、今の状況につながっているのだと、私は考えています。

世の中が大変な今こそ、社会はお金を稼ぐことに、主眼を置くのではなく、人々に喜びを与えることにこそ、着目しないといけません。

喜びは、世の中から求められています。

誰かを喜ばせたい、という思いで始めた仕事は、必ず成功へつながると思います。

 ※Engin AkyurtさんによるPixabayからの画像です。

初めは、赤ん坊が産声をあげたような、小さく弱々しいものかも知れません。

しかし利用者から、多くの感謝の声が出て来ると、事業は拡大を迫られるようになります。

大きくするつもりがなくても、そうなるよう求められるのです。

また、これまでなかったような楽しい遊びや、ゲームなど、人々の心を楽しませ、和ませるようなものも、いいと思います。

人を傷つけたり、自分だけがいい思いをする、という趣旨のものではなく、参加して幸せな気持ちになれるような、人と人をつなげるようなものが、求められるでしょう。

地球温暖化への対策も、考えねばなりませんが、それに関する研究や仕事も、もっと増えて行くでしょう。

自然環境への取り込みを、人々に広げて行く、仕事も大切です。

元々ロボット好きな、国民性の日本ですから、ロボット関係の仕事も、大いに期待されていると思います。

地方の過疎地の活性化と、食料自給率を上げることを、共に考えるのもいいですね。

もっと都会の人が、農業へ参入できるよう、具体的かつ強力に、働きかけて行くべきでしょう。

今の状況下でも、必要な仕事は、たくさんあります。
優秀な人材も、たくさんいると思います。

両者のマッチングを上手くすれば、社会は活気づくでしょう。

また、以前よりもいい社会になると思います。

 ※khamkhorさんによるPixabayからの画像です。

子供たちにも、受験勉強ばかりさせてはいけません。

どうすれば、人を喜ばせることができるのか、アイデアを出して実践する、という経験を、学校でさせてみるといいでしょう。

子供は大人よりも考え方が、新鮮で柔軟です。

大人が考えつかないようなことを、さらりと思いつきます。

それに、人を喜ばせるということを学べば、いじめ問題もなくなるでしょう。

そういう子供たちが成長して、社会に出るようになると、社会におけるいじめも、なくなると思います。

目の前に、何か問題が起こった時、目先だけの対処をしてはだめです。

その陰に隠れた、問題の本質を探らねばなりません。

そのためには、一つの問題を通して、社会全体に目を向けるのです。

どんな問題も、その本質は社会にあります。

本質を見極めたなら、社会の全体的な対策というものを、取らなければなりません。

その中には、子供の教育も含まれます。

教育は、あらゆる問題の、根本的な解決方法です。

そのことを、政府も私たちも、理解して置く必要があるのです。