創造するということ その3

引き寄せの法則という言葉を、聞いたことがあるでしょうか。

自分が意識を合わせていることが、現実に引き寄せられるというものです。

きっと悪いことが起こると考えていると、実際に悪いことが起こり、楽しいことだけ考えていると、楽しいことが起こるというようなものです。

お金の心配ばかりしていると、いつまで経っても、お金のやりくりに苦労します。

お金がないなら、ないなりに、今できることに夢中になる。
そんな人は、お金のやりくりに振り回されません。

自分なんか、誰にも相手にしてもらえないと考えていると、ずっと独りぼっちの状態が続きます。

自分に自信を持って、暮らしていれば、自然と人は集まって来ます。

他にもいろいろあるでしょうが、こんな風に、自分の意識状態が、体験する世界を引き寄せるというわけです。

そうは言っても、引き寄せの法則が、本当にあるのかどうか、半信半疑になるでしょう。

でも、私たちも含めて、全てがエネルギーだという視点で見て下さい。

私たちは意思のあるエネルギーで、自らのエネルギー状態を選択し、その状態を強めたり弱めたりできます。

エネルギーの状態を強めるためには、同じ状態のエネルギーを、周囲から集める必要があります。

体を維持したり、強くするためには、それなりの食事を、しっかりと摂らねばならないのと同じ理屈です。

エネルギーとしての自分を維持し、強めるために、同じエネルギーを補充しないといけません。

その結果、ポジティブの意識には、ポジティブなエネルギーが集まり、ネガティブな意識には、ネガティブなエネルギーが集まるのです。

全てをエネルギーとして考えると、引き寄せの法則は、理に適っていると言えるでしょう。

また、中途半端なエネルギー状態だと、ポジティブになったりネガティブになったりと、どっちつかずの状況になると思われます。

大概の人が、この中途半端状態ではないでしょうか。

こんな状況は嫌だ、こんな状況から逃げ出したい、と思っているうちは、嫌なことに気持ちが向いているので、結局は嫌なエネルギーが集まり続ける、ということになるでしょう。

嫌な状況から抜け出すのは、ネガティブなエネルギーをポジティブに変える必要があります。

つまり、そこから抜け出したいと思うのではなく、楽しいことをやりたいと考えるのです。

学校や職場が、自分には合わないと思って、やめる場合があると思います。

そんな時も、こんな所にいられるもんか、と飛び出すのではなく、自分はここじゃなくて、あっちで違うことをやりたい、という感じで出るのがいいでしょう。

それまでいた所から出て行くという点は、同じに見えるかもしれません。
しかし、両者はエネルギー的に、真逆の状態になっているのです。

スタート時点は同じでも、進む方向が真逆になるわけですね。

こんな感じで、次の世界がその人のエネルギーで引き寄せられるのです。

それは、世界を創造するのと、同じ意味です。

引き寄せの法則も、結局は自分で世界を創造している、ということを説明しているのですね。

創造するということ その2

可能性と言えば、私たちの暮らしの中でも、いろんな場面で使われる言葉です。

昇進の可能性、勝負に勝つ可能性、結婚できる可能性、結果を出せる可能性。

何にしても、やってみないとわからない事ばかりです。

でも、可能性が完全に0でない限り、求める場面は無限の世界の、どこかに存在しています。

その場面に、上手く出会えるかどうかだけのことです。

ところで、私たちは何気なく生きていて、何気なく時の流れに身を任せています。

次の瞬間に何が起こるのかなど、わかりませんし、考えようともしていません。

それでも次の瞬間は来ますし、その連続で人生は成り立っているわけです。

でも、次の瞬間というものも、数ある可能性の中から、自動的に選ばれているのだとすれば、どうでしょうか。

私たちは呼吸をしていますが、意識的に大きく呼吸をしたり、数多く呼吸をしたりすることができます。

でも、何も考えていなくても、呼吸は自律神経によって調節されていますので、勝手に息が止まることはありません。

眠っている時でも、呼吸は勝手に起こっています。

それと同じように、次の瞬間というものは、自律的に選択されているけれど、意識的に選ぶこともできるのかもしれません。

あるいは、意識しているつもりはないのに、気がつかないうちに、自分の意識が反映された瞬間が、選択されていることも、考えられると思います。

たとえば、楽しいことをしようと考えている人は、常に楽しい瞬間を狙っているわけです。

何も考えていなかった場合と比べると、明らかに楽しくなるような、瞬間瞬間を選んでいるでしょう。

また、毎日がつまらないと考えている人は、何に対しても興味を持とうとしません。

もし選んでいれば、そこに楽しさがあるかもしれない瞬間を見逃して、何もないであろう瞬間を、選択してしまいます。

似たような者同士が集まってしまうのも、それぞれが似たような瞬間を選び続けるために、引き寄せ合う形になるのかもしれません。

私たちは、創造するという言葉に対して、何か大事(おおごと)のようなイメージを、持ってしまいます。

でも、創造するというのは、いろんな可能性の中から、何かを選び出し、選び出したもので、自分や世界を生み出すことなのです。

見た目に大事かどうかは、関係ありません。

世界に存在する全てのものが、自分も含めて、創造されているのです。

私たちは、自分自身をも創造していると言えるでしょう。

自分や自分の世界は、他の誰が創ったのでもなく、自分自身で創っているのです。

誰かに文句を言ったところで、どうしようもありません。

この瞬間をどう生きるのか、次にどんな瞬間を導くのか、選択権も決定権も、握っているのは自分自身です。

他の人と同じことをするのか、自分独自の道を進むのか、どんな世界を創造するのか、全ては自分の裁量なのです。

創造するということ その1

私たちは人間で、他の動物とは別の存在です。

また植物は動物とは、異なる存在です。

この世界には、顕微鏡がなければ見えないような、微生物のような存在もいます。

そんな様々な存在は全て、地球を構成している、物質でできています。

では、地球はどうかと言いますと、地球は元は星屑でした。

他の星々も、みんな星屑でした。

ですから、私たちもみんな、元は星屑だったと言えるのです。

実際にビッグバンと呼ばれる現象が、あったのかは知りません。

でも、宇宙の全ては、元々一つのエネルギーだったと思います。

一つのエネルギーが、様々な形を生み出し、いろんな存在が、生み出されたのでしょう。

その可能性は無限大です。

たとえば、地球に月は一つだけありますが、月が二つという可能性も、あったかもしれません。

その確率が1兆分の1だとすれば、私たちには0に等しいものに思えるでしょう。

つまり、可能性は0ということです。

しかし、この宇宙と同じような世界が、1兆個存在すれば、そのうちの一つの世界では、地球に月が二つあるわけです。

人間にとっては、0に見えるものであっても、その可能性が完全に0でない限り、無限の世界の中のどこかで、それは生じているのだと、考えることができます。

人間が想像し得るものはもちろん、まだ思いつきもしていないことでも、可能性のあるものは、全て無限の世界のどこかに、存在しているのです。

そう考えると、私たちが何かを発見したり、発明したりするというのは、既に存在しているものに、遭遇したと言えます。

つまり、何かを創る、あるいは生み出すということは、無から有にすることではなく、すでに存在しているものを、自分たちの世界へ導くということなのです。

自分とは

自分とは何かと考える時、自分と認識しているものと、そうでないものを区別するでしょう。

言い換えれば、その区別があるからこそ、自分というものが認識できるわけです。

具体的に言えば、人は体を自分と見なし、体の外を自分以外と考えています。

体の皮膚の表面を境にして、自分と自分以外を、区別しているのですね。

wksさんによるイラストACからの画像です。

では、どうして体を自分と考えるのかと言いますと、体は思いどおりに動きます。

また、体の感覚によって、私たちは世界を感知しています。

私たちは自分を、体と一体化させて理解していますので、自分と言うと、体を基準にして考えるのです。

しかし、正確に言えば、自分=体 ではありません。

自分とは、心のことです。

その心においても、体を基準にして作られた概念が、多く存在しています。

自分は、日本の愛媛県に暮らす風野陽二だ、という自分の規定は、自分の体がどこに所属しているのかを、述べているに過ぎません。

俺は男だ、男とはこうあるべきだ、という考え方も、自分の体が男だから、そう考えるようになっただけのことです。

人間とは何ぞやという考え自体も、自分が人間だから、そう考えるのであって、別の存在であれば、そんな考えは無意味でしょう。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

本当の自分というものは、産まれる前から存在しており、この世界で死んだあとにも、存在し続けるものです。

人間としての自分という概念は、人間に生まれたからあるだけで、別の世界の別の存在に生まれれば、別の自我を持つでしょう。

でも、産まれるまでは、自分はどこにも存在していなかったとか、死んだら自分という存在は、消えてなくなるのだと信じていると、どうしても体を基準にした自分こそが、本当の自分だと受け止めてしまいます。

それで何も問題が起こらないのであれば、別にそれでも構わないのですが、実際には自分に自信がないとか、自分には価値がないとか、死ぬのが怖いとか、様々な問題が起こっています。

それらは全て、自分というものが、よくわからないまま、他の人と同じような、曖昧な概念で生きているからです。

本当の自分とは、人間を超越した存在です。

人間というのは、一つの存在形式であり、人間体験から何かを学ぶための、一手段です。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

私たちが日常使っている、人間としての思考も、人間経験の一つです。

意識とは思考するものだと理解していると、思考している自分が、本当の自分だと考えてしまうでしょう。

でも、人間の思考は紐のようなもので、細長く順序立てられた形を、取っています。

厚みはなく、紐全部を確かめないと、何を考えているのかがわかりません。

本当の自分が扱っている思考は、そのような薄っぺらいものではなく、細胞の遺伝子的なものでしょう。

つまり、一つの塊の中に、様々な種類の情報が練り込まれているようなものです。

テレパシーと呼ばれているような、意思疎通の仕方が、本来の私たちの思考形式だと思います。

言葉のように、長々と時間をかける思考ではなく、一瞬にして全てを理解できるような、そんな思考です。

私たちはそれを、閃きとして体験します。

情報源は無意識です。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

閃きは、長々と順序立てて説明されたことを、なるほどそうかと、理解するものではありません。

一瞬にして、全てがわかるような感じです。

この閃きのような思考形態こそが、本来の思考であり、そういう思考をする自分こそが、本当の自分と言えるのです。

今の自分に自信がない人、悩んでいる人は、あまり深刻に考えないことです。

どの人も、本当の自分というものは、共通して光輝いています。

そこに優劣は存在しません。

何故なら、元はみんな一つの存在だからです。

 ※PublicDomainPicturesさんによるPixabayからの画像です。

でもこの世界では、その考え方が受け入れられていません。

全ては細かく分類され、分離され、比較され、優劣をつけられます。

人間は最高の存在だと信じたいがために、他の存在を見下します。

同じように、自分は最高の存在だと信じたいがために、他の人たちを見下したくなるのです。

自分に自信がないとか、悩んだりする人というのは、本当の自分を感じ取っている人たちなのでしょう。

だから、今の世の中の仕組みに、上手く適応できないのです。

でも、適応する必要なんかありません。

世の中の方が狂っているのです。

誰かと自分を区別する必要はありませんし、自分のことも他の人のことも、批判する必要はないのです。

みんな自由に、ありのままの姿で生きればいいのです。

世の中がおかしいのに、自分の方がおかしいだなんて、思ってはいけません。

それよりも、今の自分にできること、今の自分がしたいこと、また本当の自分が、今の自分をとおして、何を学ぼうとしているのか、それを理解することが大切だと思います。

卵の殻 その4

人類は一つということは、以前にも言われて来たことです。

でも、これは言葉や理屈でしか、理解されませんでした。

それでは本当の理解とは言えません。

本当の理解とは、感覚的なものでなければならないのです。

たとえば、本当に仲のよい家族や仲間たちの関係を、言葉や理屈だけで説明できるでしょうか。

血がつながっているからとか、同じ経験を積んでいるからとか、互いに優しいからとか、いくら言葉を並べてみたところで、本当の説明にはならないでしょう。

本当に仲がよい人たちは、心がつながっているのです。

一体感を感じているのです。

そこに権利、義務などの言葉は、必要ありません。

 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。

これも、言葉でこんな風に述べたところで、一体感というものを知らない人には、通じないでしょう。

つまり、理解してもらえないのです。

これと同じで、人類は一つだと言ったところで、一体感を知らない人には、理解ができません。

でも、何等かの形で一体感を経験できると、その一体感の範囲を広げることで、人類は一つなのだと、感覚的に理解できるようになります。

そして今、そのように感じる人たちが、急速に増えて来ているように思います。

もちろん、さっぱり感じられない人の方が、まだまだ多いとは思います。

それでも、人々の間に一体感の経験が、波紋のように広がっていますから、理解できる人はどんどん増えるでしょう。

これまでこの感覚は、一部の者だけが理解するだけで、理屈が中心の人類全体には、なかったものです。

人類の大半は見えない殻に、閉じ込められていたのです。

だからこそ、この感覚が全体に広がると、知性体としての人類は、殻を打ち破って大進化を起こすでしょう。

 ※Hans RohmannさんによるPixabayからの画像です。

何を考えるにも、人類は一つという理解を、その根本に持つようになります。

また、人類が一つであるならば、全ての存在も一つという、理解に到達するでしょう。

本当の理解は感覚を伴うものですから、理屈だけの世界観から、感覚的な世界観を持つようになります。

それは人類の感覚が、現在の五感から、さらにグレードアップされるということです。

言葉で地球に優しい、環境に優しいと言うのではなく、自分は地球の一部であり、自然の一部なのだと、感じるようになるのです。

今、世の中は多くの大変な事が、次から次に起きています。

それは、人類の進化すべき方向が、明らかになって来ているので、逆の方向もまた、露わになって来たということなのです。

右があれば左があるのと同じです。

人類は今、大進化を始めようとしているのです。

そして、人類のエネルギーに新たなエネルギーを加えているのは、現在の人類よりも、はるかに進歩している知性でしょう。

それは異星人かもしれませんし、高次元世界の存在かもしれません。

 ※Thomas BudachさんによるPixabayからの画像です。

いずれにしても、世界に存在している知性体は、人類だけではなく、もっともっと優れた知性体が存在しているのは、間違いないでしょう。

何故、そんな知性体が、人類の大進化に力を貸そうとするのでしょうか。

その答えは簡単です。

それは、彼らが全ては一つだと、理解しているからに、ほかなりません。

卵の殻 その3

 ※Okan CaliskanさんによるPixabayからの画像です。

人間は心の存在です。

人間の本質は意識であり、その実体は精神エネルギーなのです。

進化というと、どうしても姿形の変化を、思い浮かべるでしょう。

でも姿形とは、本質のエネルギーが、視覚的に表現されたものです。

それは本質のエネルギーの状態の、視覚的な結果と見ることができるでしょう。

本当の進化とは、本質のエネルギー状態の変化を言うのです。

エネルギー全体は変化を見せず、その中の状態だけが変化する場合、視覚的には小さな進化に見えるでしょう。

たとえば、動物や植物を掛け合わせることで、新しい種類を作りだすようなものです。

でも、どんなに新しい種類を作ったところで、犬は犬ですし、桜は桜なのです。

犬が猫になることはありませんし、桜がヒマワリになることもありません。

 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。

これに対して、あるエネルギーに別のエネルギーが混じることによって、エネルギー全体が変化する場合があります。

これは見た目にも大きな進化となるでしょう。

それまで存在しなかった、全く新しい生き物が登場することになるのです。

恐らく、地球上で見られる大進化は、このような仕組みで起こっているのだと思います。

さて、人間に目を向けてみますと、歴史は繰り返すと言われるように、これまで人類は同じようなことばかりを、繰り返して来ました。

殺人や戦争を批判しておきながら、自らが同じことをやってしまい、それを正当化することに躍起になっています。

それは世界の現状を見ても、明らかでしょう。

世の中を歴史と照らし合わせて見ている人は、どうせまた、同じようなことになり、真の平和など訪れるわけがないと、考えたくなります。

力で世界をまとめる、いや、話し合いで解決しよう、やっぱり力尽くでないとだめだ、だけど外交努力をやるべきだなどと、世の中はいつも堂々巡りです。

その根底にあるのは、自分と他の存在は、別々のものだという考え方です。

別の存在同士が、心を一つにすることなど、有り得ません。

ですから、そこには必ず法やルールがあり、契約や権利、義務、罰などの発想が生まれるのです。

誰かが上になって、他の者たちを指導、あるいは支配しない限り、世界がまとまるはずがないと、考えるわけです。

その考えが卵の殻となり、人々から本当の自由を、奪い取ってしまいます。

このような、自他を分離させる考えが変わらない以上、人類全体のエネルギーは何も変わらないまま、同じパターンを繰り返すフラクタル状態です。

 ※alto2さんによるPixabayからの画像です。

しかし、無意識と呼ばれる心の領域の、ずっと奥深くから新たな理解が、もたらされつつあるようです。

それは、人類は一つの存在だということです。

卵の殻 その2

 ※Henryk NiestrójさんによるPixabayからの画像です。

人間社会で誰も疑うことがなかった、常識や価値観は、目に見えない卵の殻なのです。

これらの固定的な考え方は、人間を一つの枠に閉じ込めてしまいます。

その枠の外のことを、考えることを許しませんし、枠にはまらない者を、社会に適合できない人間だとみなします。

それは、この枠を創った者たちにとって、不都合なことだからです。

多くの人々は、枠によって洗脳されています。

映画「マトリックス」に出て来た、架空の世界に生きる人々のようなものです。

安定した暮らしが、保証されていると信じ込まされ、支配者の望み通りに動く人間に、仕立て上げられているのです。

人々を支配するのに、宗教が利用されることがあります。

多くの人は、神の名の下に事件を起こす者たちを見て、洗脳されていると思うでしょう。

実は自分たちも、宗教とは別の信念に、洗脳されているのです。

でも、洗脳されている者は、そのことに気がつきません。

それでも中には、洗脳が効かない人たちがいて、卵の殻を打ち破ろうと藻掻きます。

だけど、この人たちも自分が卵の殻に閉じ込められいると、しっかり認識できているわけではありません。

とにかく、窮屈さから逃れようとして、藻掻くのです。

 ※Stefan KellerさんによるPixabayからの画像です。

結局、藻掻くばかりで、殻を破ることができず、心身を病んだり、死んでしまったりする人がいます。

しかし、一方で偶然に殻を打ち破ることに成功し、清々しい新しい世界を、発見する人もいるのです。

そして、今や新しい世界を発見する人が、増えて来ています。

そういう人たちの存在は、見えなかった卵の殻が、他の人々にも見えるようにしてくれます。

自分が殻の中に閉じ込められているのだと、気がつくことさえできれば、その人は殻の外へ出ることを目指すでしょう。

未だに殻の中にいながらも、そこから出ようと四苦八苦している人が、大勢いるように感じます。

 ※medetaiさんによる写真ACからの画像です。

魚の卵から、幼魚が孵化する場面を、テレビなどで観たことがありませんか。

初めは数匹が、ちょろちょろと孵化し始めるのですが、やがて全体が次から次へと、一斉に孵化を始めるのです。

人間も今、そんな状況にあるように思います。

自分が何をすればいいのかわからない、自分が社会の何の役に立つのかわからない。

そんな風に思う人は、少なくないでしょう。

でも、何も特別に考える必要はありません。

自分が好きなように、自分が思ったとおりに、生きればいいのです。

 ※カメラ日和さんによる写真ACからの画像です。

誰かのためにと思わなくても、見てくれている人は、必ずいます。

そして、自由に生きる生き方が、そういう人たちに刺激を与え、その人たちが卵の殻を破るための、大きな力となるのです。

具体的に何をするのかが、重要なのではありません。

自由に生きるということこそが、重要なのです。

卵の殻の外の世界が、どんな世界なのかは、もう想像がついたと思います。

そう、それは自由で多様性に満ちた、喜びの世界なのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

卵の殻 その1

 ※PexelsさんによるPixabayからの画像です。

卵と言えば、大体想像するのは、ニワトリの卵でしょうね。

でも、ニワトリ以外にも、卵から孵って生まれる生き物は、たくさんいます。

鳥類、爬虫類、両生類、魚類。
みんな卵から産まれますよね。

卵から産まれる時、卵の中で成長した子供は、卵の殻を破って、外へ出て来ます。

 ※Myriams-FotosさんによるPixabayからの画像です。

もし卵の殻が破れなければ、どうなるでしょうか。

誰でもわかると思いますが、子供は卵の中で死んでしまいます。

死ぬまでの間も、窮屈な卵の中で、苦しい思いをするでしょう。

何故、卵の話をするかと言いますと、卵の中にいて、外に出られない子供の様子が、今の人間の状態に似ているからです。

卵の中で育つ子供は、初めのうちは窮屈な思いもせず、何の苦労もすることなく、ぬくぬくと生きています。

しかし、成長するにつれて、次第に窮屈になって来るし、さらに成長するためには、養分が足らなくなります。

生きるためには、殻を破って外に出て、今度は自分で餌を見つけて、口からその餌を食べなくてはなりません。

卵の中の生き方とは、全然違う生き方が、必要となるのです。

 ※Philipp KleindienstさんによるPixabayからの画像です。


人間はこれまで経済中心の暮らしをして来ました。

誰もそのことを疑問に思わず、その暮らしを当然のものと受け止めていました。

中には、暮らして行けなくなる人もいますが、大方の人々は、それなりに生きて来たわけです。

しかし、近年になると、経済中心の暮らしにほころびが見え始め、今はそれが様々な問題や事件の、共通した原因であることが、浮き彫りにされています。

それによって、これまでの暮らし方、今までのような生き方でいいのかと、疑問を持つ人が増えて来ています。

これまでも、そういう人たちはいましたが、大多数の人たちが経済中心的な考え方をしているので、自分の方がおかしいのだろうかと、悩んでいたでしょう。

今でも、何だか世の中の雰囲気に、自分は合わないと悩みながらも、世の中が正しくて、自分の方が変なのだと、理解してしまう人もいると思います。

でも、そうではなく、今の雰囲気に違和感を覚える人や、もっと違う生き方を求める人たちは、卵の殻を破って、新たな世界へ生まれ出る時期が、来ているのです。

そして、それは人類の進化の前兆でもあるのです。

キリンの首 その3

生物の進化が、異星人の遺伝子操作によるものだという考えは、異星人の存在を認めるか否かで、受け入れやすさが違うでしょう。

異星人が存在し、地球にも訪れている、と考える人にとっては、異星人の遺伝子操作は、有り得る話となります。

でも、異星人が存在しない、あるいは存在するだろうけど、地球へ来ることはできない、と考える人には、異星人の遺伝子操作など、有り得ない話です。

このように、異星人による遺伝子操作は、賛否の分かれるところでしょう。

ところで、私が考える、もう一つの説明は、恐らくほとんどの人が、否定的に見ると思います。

でも、その可能性を否定はできないでしょうから、私は有り得ることだと考えています。

それはどのようなものかと言いますと、異星人というよりも、高次元の知性体で、精神エネルギーあるいは生命エネルギーと呼ぶべきものを、自在に操作できる存在が、行ったことだということです。

 ※Panachai PichatsiripornさんによるPixabayからの画像です。

これらの存在は、私たちのような物質的肉体を、持ち合わせた存在ではありません。

幽霊以上に、はっきりしない存在です。

またこれは、キリスト教などで言われる、世界の創造主という存在のようなものを、想定するものです。

ただし、宗教でいう創造主とは違います。

私が言う創造主とは、全ての存在が一つになった、大元の存在ではなく、あくまでその一部に過ぎません。

私たちが想像し得る異星人を、エネルギー的にバージョンアップしたような存在です。

人間は、今の世界が唯一絶対の時空間だと、信じています。

ですから、この世界を創造したとなると、全ての創造主と考えたくなるのでしょう。

でも、この世界は無数に存在する世界の、一つに過ぎないとすれば、創造主のイメージが、少し変わって来ると思います。

 ※RitaEさんによるPixabayからの画像です。

私たちは料理をするにも、何かを作るにも、必ず物質を用います。

何もない空間からは、何も生み出すことができません。

しかし、全てが同じエネルギーから出来ているのだとすれば、そのエネルギーを意図的に変化させることで、ないはずのものを創り出すことも、可能だと思います。

それは私たちから見れば、魔法の世界であり、ファンタジーの世界です。

新たな種を産み出すのに、研究室も実験器具も必要としません。

イメージするだけで、自動的にそのような存在が、世界に登場するのです。

 ※Monoar Rahman RonyさんによるPixabayからの画像です。

遺伝子の組み合わせを考慮する必要もなく、必要な遺伝子は結果として、作られるわけです。

それは、チャンスがあれば、この物質世界へ出て来ようとしている、様々な生命エネルギーに、チャンスを与えるというものと、考えることができます。

キリンの祖先の体を利用して、新たに生まれ出たキリンという生き物は、元の動物が進化したというよりも、全く別の動物と見た方が、いいのかもしれません。

そんなの有り得ないと思う人が、大多数だとは思います。

しかし、有り得ないと考える根拠を、示すことができるでしょうか。

この世界が、みんなが信じているような、固定的で確固たるものではなく、夢と同じだったとすれば、どうでしょう。

あなたが、あなたの夢の創造主であるのと、理屈は全く同じです。

 ※4144132さんによるPixabayからの画像です。

この世界は、ある高度な知性体が創り出した、一種のイメージで、私たちはそのイメージを、利用させてもらうことで、今のような体験ができるのだと、考えてみて下さい。

信じられないかもしれませんが、有り得ないことではないでしょう。

生命の進化を理解するためには、世界そのものを理解する必要があると、私は思います。

キリンの首 その2

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

人間が今の姿になったのも、異星人による類人猿の遺伝子操作が、原因だと私は考えています。

同じように考えている人は、少なくないのではないでしょうか。

遺伝子について、人類より遥かに知識と技術を、備えている異星人であれば、地球上にいる生物に手を加え、新たな種を産み出すことは可能でしょう。

もちろん、自然の進化で新たな種が生まれることは、あるでしょう。

微生物クラスの生物では、ウィルス感染などによる、遺伝子の突然変異で、新しい微生物に変化をしても、不思議ではありません。

突然変異は遺伝子の安定した状態を、狂わせることになりますから、大抵の場合において、悪い影響を及ぼします。

しかし、微生物の構造は、キリンや人間と比べると、とてもシンプルですし、その数は桁外れに多いですから、突然変異がプラスに影響を及ぼすという、奇跡的な変化も起こる可能性が、高くなるでしょう。

ただ、これが多細胞生物になると、話は簡単ではありません。

多細胞生物自体が、単純に単細胞生物が進化したものとは、考えにくいのです。

ここにも、もしかしたら異星人の介入が、行われていたかもしれません。

 ※Nicolas BAUMERTさんによる Pixabayからの画像です。

イルカやクジラは、一度陸で暮らしていた動物が、再び水の中で暮らすようになったと、考えられています。

しかし、突然変異によって、たった一頭だけが、今のイルカやクジラのような形になったとすると、その変異を起こしたイルカやクジラは、子孫を残すことができないでしょう。

それに、まだ完全に水中で暮らすようになっていない祖先の下に、イルカやクジラのような子供が産まれたら、すぐに死んでしまうと思います。

イルカやクジラなどの種が、存在するためには、種全体が初めから、水に適した形になっている、必要があるでしょう。

 ※homecare119さんによるPixabayからの画像です。

現在の鳥類は、かつての恐竜が進化したものだと、考えられているようですが、これにしたって同じことです。

鳥になって空を飛ぶためには、翼の力や羽の状態だけでなく、体が軽くなければなりません。

現在の鳥の骨の中は、空洞になっているそうです。

それによって体が軽くなっているので、空を飛びやすくなっているわけです。

これらの変化が、偶然の遺伝子の突然変異で、都合よく生じたとは思えません。

やはり何者かによって、新たな種が創られたと、見るべきだと私は思います。