自然災害
またもや豪雨により、大きな被害が起こりました。
静岡県熱海市を襲った土石流は、住宅地の上方の盛り土が、豪雨によって流されたものと、判明しました。
この盛り土は違法であり、熱海市はそれを認識していながら、三度の指導をしただけで、何の対策も取られていませんでした。
この場所が危険であることは、わかっていたにも関わらず、何の手も打てなかったのは、行政側に問題があるということです。
法律上、何もできないと言うのであれば、早急に法律を改正して、悪徳業者の好きにさせないような動きを、見せなければなりません。
それをやらないのは、本気で町を守る、人命を守るという意思が欠けていたとしか言えないでしょう。
誰が悪いと責任をなすりつけたところで、失われた人命は取り戻せません。
自分たちがどこに住むべきなのか、住民側も考えなければいけませんし、自分たちの安全を確保するために、行政に対して意見を言う時には、遠慮しないで強く言うべきです。
これは熱海市だけでなく、どこでも同じことが言えます。
本当は家を建ててはいけないような所に、住宅が密集している光景は、全国のあちこちに見られます。
その問題は、そこが災害に遭ってから、指摘されるわけです。
これはそこに家を建てても構わないと、許可を出す行政の問題ですし、行政が言うことを鵜呑みにしてしまう、一人一人の問題でもあります。
一般的に住民は、無責任な行政に全てを任せ、成り行きに従うばかりということが、ほとんどでしょう。
自然災害と呼ばれる大半は、実は人災であると、私は思います。
土砂が崩れたところで、誰にも被害が及ばなければ、災害とは言えないのです。
自然の動きが災害になる時、それは人間の知性が試されているのです。
同じことを繰り返すのであれば、それは何も学べていないということです。
あるいは、学ぶポーズを取るばかりで、本気で学ぶつもりがないのかもしれません。
それは、自らの知性を高めることを、放棄しているのと同じです。
度重なる災害は、人々の知性を高めるように、要求しているように思えます。
本当に大切なものは何なのか、本当にやるべきことは何なのか、それを自然は問いかけているのです。