前世と来世 その3
私たちが知る世界は、今世のものです。
私たちが考えている時間の流れも、今世のものです。
前世や来世があるのなら、そこにはそれぞれの世界があり、それぞれの時間の流れがあるでしょう。
また、今世と関係がある前世や来世だけでなく、今世とは関わりのない、パラレルワールドにも、今世とは異なる世界や、時間の流れがあります。
それぞれの世界の自分が統合された、自分の全体的な意識を考えた時、その意識にとっては、全ての世界は同時に存在していることになります。
全ての人生における分身たちが、一つになったのが全体的な意識であるのなら、そこに全てが同時に存在しているはずなのです。
今世では前世は過去のもの、来世は未来のものとして、受け止めますが、それは今世の時間の流れから、前世や来世を眺めてのことです。
しかし、全体的な意識からすれば、そこに前後はありません。
全ては一緒に存在しているのです。
全体的な意識からみると、私たちが認識している世界や、時間の流れというものは、ただの幻想に過ぎません。
この世界が唯一確固たるものであり、真実なのだと信じている人にとっては、受け入れがたい話だと思います。
でも、前世や来世の存在を認めるならば、この世界は全体の意識が、自分の中に見る幻想に過ぎない、ということになるのです。
私たちが見る夢と同じですね。
この世界を幻想でなく現実だとするのであれば、全ての夢も現実だと、認めなければならないでしょう。
でも、幻想か現実かというのは、単なる言葉の遊びですから、本当はどちらでもいいのです。
問題は、この世界が全てではないし、前世や来世を含めた他の人生が、全て同時に存在しているということなのです。
私たちにとっては過去であり、既に終わってしまった前世の自分が、今もこの瞬間に存在して、その人生を送っているのだと考えると、何だかぞくぞくしませんか。
前世があるのであれば、今世の幼い頃の自分というものも、今この瞬間に存在しているはずです。
同じ自分ですから、心は繋がっているわけですね。
ですから、当時はわけがわからなくて、怒ったり悲しんだり、おびえたりつらかったりしていた、昔の自分に対して、大丈夫だよと心の中で、慰めや励ましの気持ちを、伝えることができるということです。
そんなことをしたところで、過去の自分が変わるもんかと、思うかもしれません。
しかし、やってみて下さい。
過去の自分に、今の自分の気持ちが届いたならば、過去の自分は慰められて、強い気持ちを持てるようになるでしょう。
今の自分は、その強い気持ちを持った、過去の自分の延長にあるわけです。
過去の自分が慰められることで、現在の自分も強い心を、持てるようになるでしょう。
来世についても、私たちの時間感覚で言えば、まだ未確定で存在していないわけですが、全体意識の視点でみれば、今世と一緒に存在しています。
つまり、来世は未確定ではなく、すでにあるわけです。
ただ、パラレルワールド的に考えれば、すでにある来世というのは、必ずしも私たちの知る時間軸の、直線上にあるとは限りません。
途中で時間軸がいくつも分かれるとすれば、その数だけ来世もあるということです。
また、今世の自分の未来というものも、同様に一つだけに限られているわけでは、ないでしょう。
いろんな可能性があり、今の自分が、その中のどこを目指して進むのか、ということだと思います。
どうせ進むのであれば、楽しく喜びの未来に向かって、進むのがいいですよね。
そうであるなら、そんな未来の自分をイメージして、そこへつながるような生き方をすればいいのです。
自分がイメージする未来の自分は、実際に存在しているはずです。
その未来の自分につながるように動いていれば、必ずその自分にたどり着けるでしょう。