虹が教えてくれること その5

 ※torsmedbergさんによるPixabayからの画像です。

虹を見ればわかるように、光には七色の光が混在しています。

しかし、プリズムなどで分散されなければ、七色の光が混ざっているとはわかりません。

全部混ざった状態の、白い光があるだけだと思います。

それと同じように、世界には様々な波長が混在していると、考えることができます。

実際、世界のある所では、戦争や飢餓などで苦しむ人がいますが、別の所では、みんなが楽しそうに暮らしています。

同じ地域の中でも、いろんな不安を抱えて生きている人もいれば、何も心配せずに暮らしている人もいるのです。

そして、この状況がこれからもずっと続くと、誰もが考えていることでしょう。

しかし、光がプリズムに当たって、七色の光に分散するように、私たちの世界も、私たちの知らない所で、プリズムのような環境に置かれることが、あるかもしれません。

そうなると、どうなると思いますか。

混在していた七色の光が、それぞれの波長ごとに、分散するのと同じように、私たちの世界も、その波長ごとに分散して行くのです。

それぞれがパラレルワールドになるわけですね。

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

虹をたとえにしたので、七つに分かれるようなイメージになりましたが、実際はいくつに分かれるかは、わかりません。

いくつに分かれるにしても、自分にとっては、常に世界は連続性を持った、一つの世界として認識するでしょう。

そうであれば、分離した世界のことなど、さっぱりわかりません。

ただ、もしかしたら分離したんじゃないだろうか、と考えたくなることが、あるかもしれませんね。

たとえば、誰のことも信じられず、周りはみんな敵ばかりで、力こそが生きるために必要なものだと、信じ込んでいる人が、いるとしましょう。

一方で、どんな人で合っても、必ず心は通じるものだと疑わず、誰に対しても、愛に満ちた態度で接する人が、いるとします。

この二人は水と油のような存在です。

 ※A_Different_PerspectiveさんによるPixabayからの画像です。

現在は水と油が混在している状態ですが、世界が波長ごとに分離すると、水と油の人たちは、同じ時空間に存在できなくなるでしょう。

存在できるのは、それぞれの波長に合った時空間だけです。

誰も信じられない人を、Aさんとしましょう。

誰のことも信じている人を、Bさんとします。

世界が分離をしても、AさんもBさんも、そのことを認識することはできません。

でも、お互いに存在する世界は、離れて行くわけです。

これをAさんの視点で見てみますと、Bさんがいなくなってしまうわけです。

幽霊のように、スッと消えてなくなるのであれば、わかりやすいですね。

でも、そうではなく、Aさんが知っているBさんは、病気や事故で亡くなってしまうのかもしれません。

一方、Bさんの視点で見ても、同じ状況になります。

Aさんがいなくなってしまうのですが、スッと消えるのか、病気や事故で亡くなるかの、どちらかでしょう。

スッと消える場合、目の前で消えない限り、その人は行方不明になったと、見られるはずです。

もちろん、どこを探しても見つかりません。

病気や事故で亡くなる場合、その人はこちらの世界から、いなくなるわけですが、もう一方の世界では存在していることになります。

Aさんの世界で、Bさんが亡くなっていなくなったとします。

でも、Bさんの世界では、Bさんは生きています。
亡くなるのは、Aさんの方なのです。

こうなると、どっちが本物のAさん、あるいはBさんなのかと、なるでしょう。

スッと消える方が、わかりやすいはずです。

もし波長の合わない人が、亡くなる形でいなくなるとした場合、問題はその人の自我は、どうなっているのかということでしょう。

私たちは、自分というものを、唯一の存在として認識しています。

しかし、その概念が間違っているのかもしれません。

 ※Saurabh GさんによるPixabayからの画像です。

自分とは何なのか。

潜在意識や無意識という言葉があるように、私たちの意識は、表面的には認識しづらい要素を、秘めています。

その要素こそが、自分というものの核であるわけですが、そこの部分については、一般的には理解も認識もされていないと、言えるでしょう。

でも、本当の自分を認識できたなら、先に述べたような、分離した世界の矛盾も、理解できるかもしれません。

もし世界が分離したら、どうなるのか。

そんなの、あるわけないだろ、と決めつけないで、面白いから考えてみて下さい。

それは自分を探求することでも、あるわけですから。

虹が教えてくれること その4

自分が体験しているのは、自分だけの世界だと言っても、どこかからミサイルが飛んで来たり、大災害に巻き込まれたら、どうするのか。

そんな声も聞こえて来そうです。

でも、そこで大事なのが、この世界をどう見るか、ということなのです。

この世界が全てであり、人間は死んだらおしまい、と考えていると、悪意のある誰かの行いや、予期しない自然災害は、とても脅威でしょう。

 ※Hans BraxmeierさんによるPixabayからの画像です。

しかし、人間は何度も生まれ変わり、死ぬことがわかった上で、今の人生を経験しているのだと理解すれば、死を迎える場面にでくわしても、うろたえることはありません。

ただ、ここがむずかしいところで、死んだあとも意識は残り、次の世界へ移行するのだと、信じている人は、死を迎える時に、パニックになるかもしれません。

と言うのは、信じるということは、疑うということと、表裏一体だからです。

要するに、わからないという意味であり、信じるという言葉の裏には、不安が隠されているのです。

これに対して、知っているという人は、全く焦ることはありません。

知っているのですから、焦る理由がないのです。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

どんなに書物を読んだり、誰かの話を聞いて、わかったつもりになっていても、自分が知っているのでなければ、どうしても不安が付きまといます。

じゃあ、どうすれば知ることができるのか、となりますよね。

私のお勧めは、ヘミシンクというものです。

左右の耳から、少しだけ波長の異なる音を聴かせることで、計画的に脳波を操作するのです。

これによって、簡単に深い瞑想状態になり、肉体と意識が別であるという体験ができるのです。

そんな体験ができれば、死んでおしまいではないと、信じるのではなく、知ることになるでしょう。

ヘミシンクはアメリカで開発された技術ですが、日本では坂本政道氏が、普及させています。

興味がある方は、調べてみて下さい。

 ※toraemonさんによる写真ACからの画像です。

ところで、類は友を呼ぶ、という諺がありますよね。

これは、気の合う者や似た者は、自然に寄り集まって仲間を作るもの、という意味です。

波長の合う者同士は、互いに引き寄せ合うってことですね。

これは単なる理屈ではなく、現実にそうなるのです。

ですから、諺として表現されているのですね。

これは人間同士の関係ですが、エネルギー的に考えますと、寄り集まる対象は、人間だけとは限らなくなります。

つまり、状況や環境、出来事なども、引き寄せられるということです。

マイナスのエネルギーに満ちている人には、マイナスの事が引き寄せられるのです。

これも諺にありますが、泣きっ面に蜂、と言いますよね。

どうして自分には、嫌なことばかり続くのだろうと、考える人もいるでしょう。

それは自分が嫌なことを、引き寄せているわけです。

自分のエネルギー状態を変えれば、引き寄せられるエネルギーパターンも変わります。

しかし、これが自分なんだと、自分の考え方や価値観を、頑として変えずにいると、いつまでも同じようなことが、続くのです。

考え方や価値観を変えることで、物事の受け止め方が変わります。

そうしたところで、自分自身が変わるわけではありません。

ある波長の自分から、違う波長の自分になるだけです。

価値観を変えるというのは、季節によって服を着替えるようなものです。

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

ミサイルや災害で命を落とすことが、生まれて来る前に、自分で決めていたのであれば、どんな価値観を持っていようと、そうなるでしょう。

そういう死に方をすることで、何かを得ようと計画するのかもしれませんし、自分の死をとおして、家族や世間の人に対して、何等かの影響を与えるつもりなのかもしれません。

それは他人からはわからないことですが、何か深い意味があるのだと思います。

理不尽な亡くなり方をされる人は、現実にいらっしゃいますが、恐らく、何か深い意図があるのでしょう。

でも、そんな亡くなり方を予定していないのであれば、基本的には、時が来れば違う形で、世を去ることになると思います。

いずれにしても、この世を離れる時は、必ず来るのです。

ですから、この人生で死ぬということよりも、この人生で何を学ぶのか、ということが重要なのです。

自ら命を絶たない限り、自分が予定している時が来るまで、この世を去ることはありません。

しかし、自ら命を絶つというのは、いわゆる自殺とは限りません。

そんな事をすれば死ぬとわかっているのに、それをしてしまう自殺行為と呼ばれることが、ありますよね。

それで命を落とすのも、自ら命を絶つのと同じです。

それは言い換えれば、心の声を少しも聞こうとしていない、ということです。

 ※miyukiiiさんによるイラストACからの画像です。

心の声に耳を傾けるというのは、生まれる前に予定していた、生き方をするということです。

それは予定どおりの生き方をするわけですから、この世を去るべき時が来るまで、死ぬことはありません。

つまり、自分は守られているのですから、余計な心配はせず、心の赴くままに生きればいいのです。

思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、より深い知性を持つよう心掛けていれば、素晴らしい人生を送れると思います。

ただ、その人生を他人の目から見た場合、大変な人生に見えるかもしれません。

それでも、あなた自身は自分の人生に、十分満足することができるのです。

虹が教えてくれること その2

世界の波長と自分の波長は同じです。

でも、ここで言う世界とは、一人一人が体験している世界のことです。

一見すると、誰もが同じ世界にいて、同じ経験をしているように思えます。

でも、私たちが体験できるのは、自分の体を通して得られる知覚情報と、それに応じた感情や価値観で構築された世界です。

隣にいる人が体験している世界と、あなたが体験している世界は、同じ世界のように見えますが、実際は違うのです。

あなたが赤いと思っている色を、隣の人が赤だと認識しているとは、限りません。

隣の人に幽霊が見えたとしても、あなたには見えないかもしれないのです。

それは、あなたと隣の人が体験している世界が、異なるからなのです。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

隣の人と運動会で、二人三脚で走ったとしましょう。

みんなが見ている前で、あなたたちは派手に転び、観客たちは大笑いをします。

この時に、あなたは大恥をかいたと思って、怒りと悲しみを感じたとしましょう。

ところが、隣の人は転んでしまったことが面白くて、大笑いをしています。

同じ体験をしたはずなのに、受け止め方が異なるため、このような違いが起こるのです。

それは二人が体験している世界が、別々だということなのです。

物理的な現象は同じなのに、片方は怒りの世界を経験し、もう片方は喜びの世界を経験する。

その違いは、感情です。

つまり、感情の差が、二つの世界を大きく隔てていると、言えるのです。

と言うことは、何を感じたのか、どう感じたのかということが、体験している世界の波長を決めていると、言うことができるでしょう。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

世界の波長と自分の波長が同じだと言うのは、こういうことなのです。

あなたが怒りを感じていると、世界は怒りに満ちたものになります。

あなたが喜びを感じていると、世界は喜びに満ちたものになります。

世界の波長と自分の波長が同じだと言っても、それは未来永劫変わることのない、固定的なものではありません。

喜怒哀楽というように、人間の感情はころころと変わります。

それに応じて、世界もころころと変わるのです。

ところで、あなたが世の中に対して、常に受け身で、世間の目を気にしたり、世の中の流れに乗ることばかり考えているとします。

この場合、あなたと世界の波長を決める主導権は、あなた自身にはありません。

あなたは自分の波長の決定を、他の人たちに委ねているのです。

世の中で楽しいことがあれば、あなたも楽しい気分になります。

嫌なことがあれば、嫌な気持ちになります。

世の中がずっと楽しければいいのですが、ずっと不安に満ちたままだと、あなたもずっと不安を抱えたままになります。

主導権は自分にありませんから、自分ではその不安を、どうすることもできません。

でも、自分の波長を決める権利を、自分自身が持つと、不安を消すことができます。

他の人が不安におびえていても、あなただけは、のんびり構えていることができるのです。

お金があるかないかは、関係ありません。

お金を持っていても、不安な人は不安なのです。

虹が教えてくれること その3

自分の波長を、自分で変えることができたなら、体験している世界の波長も変わります。

たとえば、一見つらそうな状況の中でも、楽しい世界を体験することができるのです。

しかし、つらい所にいて、楽しくなるというのは、簡単なことではないかもしれません。

 ※Berutaさんによる写真ACからの画像です。

慣れている人であれば、むずかしいことではないでしょうが、慣れていなければ、そんなの無理、となってしまうでしょう。

でも、無理だと決めつけると、結局、自分がつらい思いから、抜け出せなくなってしまいます。

決めつけないで、自分の波長を変える訓練を、やってみて欲しいと思います。

では、どうすれば波長を変えることができるのでしょうか。

具体的に言えば、感情をコントロールし、むっと来るところを、にこっとできるかということです。

 ※FineGraphicsさんによる写真ACからの画像です。

何かにむっと来るのには、それなりの理由があります。

もちろん、それは相手が悪い、状況が悪い、という話になるでしょうが、そうではなく、どうして相手や状況を、悪いと考えてしまうのか、ということです。

相手の状況を理解したり、一見悪く見える状況も、よい状況を生み出すための前段階だと、受け止めることができれば、むっとすることはなくなります。

そのためには、人生や世界について、深く考える必要があります。

つまり、物事をこれまでよりも、高い視点から眺めるようにするということです。

 ※⭐︎AKA⭐︎さんによる写真ACからの画像です。

高い視点に立つための踏み台が、深い知識と洞察力です。

表面的なことばかり見るのではなく、その裏に隠れている部分までも、見抜くようにすれば、腹が立ったり不安になるということも、少なくなって行くでしょう。

そのためには、他人への思いやりや、悪い面ばかりでなく、いい面を見つける習慣を、持つことが大切です。

そうやって、しっかりとした自分の基準を、持つことにができれば、世の中の動きに、振り回されることはありません。

他の人たちが、世界の状況に青ざめていても、あなたは平然としていられるのです。

虹が教えてくれること その1

 ※sharonjoy17さんによるPixabayからの画像です。

七色のアーチを作る虹。

きれいですよね。

あの七色の光が、どのように作られているのか、ご存知のことと思います。

空気中にある無数の水滴が、プリズムの役目を果たして、光を七色に分散させているのですね。

ですから、雨上がりの空や、庭に水を撒いた時などに、見ることができます。

通常の光を見た時には、光は白っぽく見えます。

そこに七つの色が、隠されているとは思えません。

ところが、波長ごとに分散されると、虹が出現するのです。

面白いのは、光が七色に分散されるだけではありません。

七色の光が一つに重なることが、できるということです。

これは光の特徴で、同じ所にスポットライトを、いくつも当てたところで、そこで光が盛り上がることはありません。

光は無限に重なることが、できるのです。

 ※無料テクスチャ写真素材LABOさんによる写真ACからの画像です。

光を空間の一部だととらえると、光は空間そのものの振動だと、見ることができます。

振動の違いは、波長あるいは周波数という形で、表現されます。

光が空間の一点を振動させている時、そこには七色の光の振動が、重なっているわけです。

つまり、波長の異なる七色の光の振動が、同じ一点に重なって、存在しているということです。

ところで、私たちがいるこの世界を見てみますと、しっかりとした形や、触感があります。

私たちはそれを物体と呼び、物体を構成しているものを、物質と呼んでいます。

私たちの体も、その物質でできています。

そして、この物質と光が別物であると、私たちは感覚的に理解しています。

物質は手で触れたり、つかんだりできますが、光はそれができません。

ですから、両者は別のもののように受け止めているのです。

しかし、物質は素粒子という、形のないエネルギーで構成されています。

しっかりとした形があるように感じるのは、素粒子が構成している原子の表面が、電気的にマイナスになっているからです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

原子と原子が、ある程度以上近づこうとするのを、互いのマイナスが反発し合って、防いでいるのです。

手で何かに触れる時、手の表面の原子のマイナスと、物体の表面の原子のマイナスが、反発し合って、それ以上は近づけない状態にあるわけです。

もしこの電気的な力がなければ、あなたの手は幽霊の手のように、すっと物体の中を抜けてしまい、その物体を持つことも、触れることもできないでしょう。

そうなれば私たちの世界は、つかみどころのない、幻のようになってしまいます。

と言いますか、本当は幻のようなものを、実感があるように構成しているだけなのですね。

実際は私たちの世界そのものも、光と同じエネルギーであり、空間の振動によって、表現されたものなのです。

それは、世界の一部である、私たち自身についても言えることです。

私たちも、光と同じエネルギーであり、かっこいい表現をすれば、私たちは光の化身なのです。

虹が教えてくれているように、空間を振動させる光の中には、異なる波長の光が混在しています。

また、私たちの世界も、空間を振動させるエネルギーにより、表現されたものです。

そして、私たちの世界を構成している空間には、別の振動エネルギーが混在しているかもしれないのです。

いや、混在していると考える方が、自然でしょう。

虹のように、様々な波長の世界が、同じ空間に重なって混在しているのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

ただ、私たちが認識できるのは、この世界の波長だけです。

他の波長の世界を、直接には知覚することはできません。

いわゆるパラレルワールドや、あの世などの世界は、どこか遠くにあるのではなく、私たちの世界と、隣り合わせに存在しているのです。

私たちが、この世界に存在しているのは、私たちの波長が、この世界の波長と同じだからです。

私たちと世界を分離することはできません。

私たちは世界の一部なのです。

ですから、世界の波長と私たちの波長は、同じなのです。

自分一人が、世界と異なる波長を持つことは、できないのです。

小惑星帯(アステロイドベルト)の謎

 ※NASAより

火星と木星の間には、無数の小惑星が集まっているエリアがあります。

これは、かつて存在した惑星が、何らかの原因で、粉々になった痕跡かと、考えられていました。

でも今は、巨大惑星木星の重力に、散らばる星屑が引っ張られ、一つにまとまる事ができなかった、という考えが主流のようです。

つまり、惑星が壊れたのではなく、惑星になりそこねたという事ですね。

しかし、疑問は残ります。

 ※NASAより

現在の木星は、地球の300倍以上という、巨大な質量を持っています。
当然、木星の引力は、それぐらい大きいとわかります。

でも、太陽系の初期で、惑星が形成され始めた頃は、今ほど大きくはなかったはずです。

最初は宇宙に漂う、小さな岩石が集まって、原始惑星が生まれます。
その原始惑星がさらに集まって、今の地球型の岩石惑星が、生まれたと考えられています。

木星が今のように、巨大に成長して行く過程で、そちらに引っ張られた岩石があっても、不思議ではありません。

しかし、木星が今ほど巨大になるまでには、かなりの時間がかっているはずです。
その間に、この小惑星帯の軌道でも、地球のような惑星が、形成されなかったとは、言い切れないと思います。

そこにあった惑星が、何らかの理由で破壊され、粉々になった。
そして、その破片が現在の木星に引っ張られて、広範囲に広がったと考える方が、自然のような気がします。

 ※NASAより

ちなみに、日本でほうき星として知られる、彗星ですが、その形は小惑星と区別がつかないそうです。

彗星は太陽に近づいた時だけ、水蒸気やガスを噴出し、尾のように見えます。
ガスなどを噴出していない時には、小惑星にそっくりだと言います。

噴出するガスなどは、いずれ尽きる時が来ます。
その時は、彗星はただの小惑星になるようです。

また、小惑星と思われていたものが、突然ガスを噴出し、彗星と呼ばれるようになる事もあるそうです。

小惑星と彗星が同じ物だと考えると、その軌道が違うのは何故でしょうか。

小惑星は太陽の周りを、円を描いて回るのに、彗星は大きく軌道を外れて、楕円を描いています。

これも小惑星帯にあった惑星が、こなごなに粉砕された時の勢いで、一部の破片が遠くへ飛ばされ、彗星になったと考えると、説明がつきます。

今の天文学でも、太陽系の形成について、絶対的な事はわかっていません。
いろいろ言われているのは、全て仮説であり、一つの意見に過ぎないのです。

 ※NASA-ImageryさんによるPixabayからの画像です。

私としては、惑星に太陽系外から来た、大きな天体がぶつかって、それぞれが壊れて、小惑星帯になったという意見に、賛成したいですね。

ところで、元々小惑星帯にあった惑星を、マルデックと呼ぶ人たちがいます。
調べてみましたが、どこからその名前が来たのか、よくわかりません。

ただ、かつてその惑星には、高度な文明があったと言われています。

恐らく、その情報はチャネリングという、異星人あるいは別次元の知性体との、無意識を通じた、交信によるものと思われます。

私は異星人が存在していると考えていますし、地球にも既に訪れていると、理解しています。
また、チャネリングという交信も、有り得ると思います。

しかし、チャネリングと称しているものが、全て本当に異星人との交信なのかは、わかりません。
一部は思い込みであったり、注目を浴びるための嘘であるとも、考えられます。

チャネリングと言われた時に、それが本当の交信なのかどうかを、判断する術はありません。
その人物が信用できるかが、鍵になるでしょう。

それでも、その発言内容の信憑性を考えれば、誰が発言したのかは、大した問題ではないかも知れません。

もちろん信憑性を判断するのは、自分の知識や経験です。

たとえその話を信用したとしても、矛盾する事実が見つかった時には、すぐに考えを変えられる、柔軟な思考が必要です。

いずれにしても、マルデックの文明の話は、やはり本当の事かどうかは、わかりません。

とは言え、この太陽系に人類以外の、高度文明があったという話は、ロマンがありますよね。

 ※Douglas Gina IrisさんによるPixabayからの画像です。

チャネリングによれば、マルデックの文明は、惑星崩壊と共に滅亡しましたが、知性体の魂は火星や地球に、転生したと言うのです。

宇宙全体が、精神エネルギーでつながっているとすれば、星を超えての転生も、有り得ると思います。

本当にそうだとしたら、やはりロマンがありますよね。

それに火星にも、文明があったというわけですから、驚きです。

つまり太陽系には、マルデック、火星、地球と、三つも文明が生まれたわけです。

事実の確認はできませんが、それにしても興味深い話だと思います。

宇宙の果て その2

前回の記事で、ワープでもしなければ、宇宙の果ては確かめようがないと、書きました。

その時に使った図が、下の図です。

 ※地球から見たGN-z11の動き。

この図は、地球からGN-z11を眺めた様子です。
しかし、同じことがGN-z11からも、言えるわけです。

地球からGN-z11が見えたのですから、GN-z11でも地球が属する、銀河系の光が見えたはずです。

つまり、GN-z11からは、誕生直後の銀河系が見えたのです。

しかし、GN-z11でその光を確認できた今、銀河系本体は、もっと先へ移動しています。

その位置は、GN-z11から 320億光年離れています。
ですから、今の銀河系をGN-z11から、確かめることはできません。

その様子を描いたのが、下の図です。
GN-z11と銀河系(地球)の立場を、入れ替えました。

ここでは地球ではなく、銀河系という言葉を使っています。
その理由は、地球は自らは光っていないし、確認するには小さ過ぎるからです。

 ※GN-z11から見た銀河系の動き。
  GN-z11から見える銀河系の姿は、130億年前のものかも知れません。

この図で見ると、現在の銀河系の位置は、赤い直線と黄色い円の交点です。

青い円が宇宙の端ですから、宇宙の果てはすぐ近くという事になります。

グラフの小さな目盛りが、20億光年ですから、宇宙の果てまで、せいぜい100億光年ですね。

ところで、この図で見ると、現在の地球の位置は、宇宙の中心から、およそ 350億光年ほど離れた所にあるようです。

この位置からでは、GN-z11の放つ光を、どんなに過去にさかのぼっても、見ることはできません。

しかし、現実には確認されているのです。

これは、どういう事なのでしょうか。

そもそも初めの図では、地球の位置は宇宙の中心から、160億光年ほどの位置にありました。

でも、二つ目の図では、中心から350億光年ほどの所にあります。

これは大きな矛盾です。

これは宇宙空間が、光速を遥かに超えた速さで広がったという、ややこしい設定があるからではないかと思います。

つまり、ビッグバンによって宇宙が生じたという、前提自体が間違っているのではないか、という事です。

私は天文学者でも数学者でもありませんから、難しい計算や理屈はわかりません。

しかし、宇宙の創成について、ビッグバン以外の発想が必要ではないか、と思うのです。

ビッグバンという発想が生まれた理由として、宇宙の星々が互いに離れて行くように見えるという、観察結果があります。

互いに離れて行くということは、時間を逆に動かすと、全ては一点に凝縮されるだろうというのが、ビッグバン理論の始まりです。

宇宙はどんどん膨張した後、いつかは膨張をやめて収縮し始め、かなり縮んだ所で、再び膨張するという事を、延々と繰り返すという考え方もあります。

しかし、全体を風船のように見るのではなく、宇宙の様々な所で、宇宙を構成する物質エネルギーが、火山の噴火のように、噴き出していると見ることも、できると思います。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

実際、現在観察されている宇宙は、銀河集団が集まった超銀河団が、全体で網目のような構造、もしくは泡が集まったような構造を、形成しているそうです。

つまり、宇宙に存在する星々は、均一に散らばっているのではないのです。

超銀河団は、いくつもある泡の縁を形成するように、泡の周辺部に長細い形で、集まっています。

一方で、泡の中の部分には、光を発する天体が、ほとんどありません。

しかし、何故こういう構造になっているのかは、まだ結論が出ていないようです。


宇宙には質量を持ちながら、物質としての形を持たない、ダークマターというものが、満ちていると言われています。

この宇宙の泡構造の泡の中は、このダークマターが噴き出しているのではないかと、私は考えています。

それぞれの噴出口から、噴き出したダークマターは、他の噴出口から出たダークマターと、ぶつかり合います。

ぶつかり合ったダークマターは、新しい星を創るエネルギーと、なるのでしょう。
それで、泡の縁に銀河が集まっているのだと思います。

また、あちこちで噴き出されたダークマターが、その領域を広げて行くと、その周辺にある銀河は、互いに離れる方向に動きます。

すぐ近くにある銀河同士は、引力で引き寄せ合うでしょうが、離れた所にある銀河と銀河は、互いに遠ざかるように動くでしょう。

あちこちでダークマターが、噴き出していると考えれば、ビッグバン理論のように、宇宙の始まりを規定する必要がありません。

始まりがなければ、終わりもないわけで、宇宙の果てを考える必要もないのです。

では、果てがなければ、この宇宙は無限なのでしょうか。

 ※Youssef JheirさんによるPixabayからの画像です。

この世界が平面だと信じられていた頃、海をどんどん進んで行くと、出発点に戻って来るとは、誰も考えていませんでした。

それと同じように、宇宙の果てを目指して、どんどん進んで行くと、その先に地球が待っているのかも知れません。

私たちは宇宙を、三次元空間ととらえています。

しかし、実際の宇宙の構造が、別の形態であったなら、そういう事も有り得るでしょう。

また、パワレルワールドとして、別次元の宇宙がいくつもあると考えれば、この宇宙は有限と言えます。

それでも、次々に湧き出るダークマターが、創り出す世界に制限はありません。

そういう意味では、この宇宙は無限の姿を秘めていると、言えるでしょう。

 ※BessiさんによるPixabayからの画像です。

ところで、人が見る夢にも、空間があります。

もし、空間の果てを目指して、どんどん移動したとしても、果てなど見つからないでしょう。

それは夢が、その人の心を表現したものだからです。

心が果てを規定しない限り、どこまで行っても、果ては見つかりません。

それは夢でなく、目覚めている時の、イメージでも言える事です。

果てを想定しない限り、イメージの世界に果てはありません。

つまり、心の中に広がる世界は、無限なのです。

 ※bBearさんによる写真ACからの写真です。

また、少し話がそれますが、心霊写真などで、オーブと呼ばれる、小さな光点が写っている事がありますね。

あの小さな光点の一つが、一つの意識だとすると、あの光点の中には、無限の世界が広がっているという事になります。

話を戻しますと、この世界の実体は、宇宙という大きな意識が見ている、夢なのかも知れません。

私たちは宇宙の夢の一つを、のぞいているのでしょう。

そして、オーブが一つの意識であるように、宇宙も実は、一つの点のような存在だと考えることもできます。

きっと私たちが知る世界は、一点がビッグバンを起こして、できたのではないと思います。

一つの意識の点の中に、すでに広がっている、宇宙の心の世界に違いありません。

宇宙の果て その1

 ※skeezeさんによるPixabayからの画像です。

宇宙は138億年前に、ビッグバンによって生まれたと、考えられています。

最近の計算では、宇宙の年齢はもう少し若く、114億年という話もあるようですが、ここでは138億年としておきます。

実際に宇宙が、一点から爆発的に拡大してできたのか、あるいは膨張と収縮を繰り返しているのかは、わかりません。

宇宙の起源の話はさておき、宇宙の果ては、どうなっているのでしょうか。

138億年前に宇宙が誕生した時の光が、到達できる距離は、文字通り、138億光年です。
一方、138億年の間にも、宇宙は拡大し続けています。

その結果、宇宙誕生から138億年が経った今現在、宇宙の端は中心から464億光年の所にあるそうです。

光や時空間が、均一に広がる事を前提にしますと、その関係は下の図のようなものです。

 ※青い円が、現在の宇宙の広さを示している。
  赤い円は、宇宙誕生の光が届く距離。

ビッグバンが起こった瞬間は、星は存在しません。
形を持たない高エネルギーが広がり、その途中で元素が作られ、星々が生まれたとされています。

星という形を持つと、光と同じような速度では、移動できません。

初めは全てが一緒に広がったとしても、形を持つようになったエネルギーの速度は、やがて落ちて行きます。

光から取り残される格好になりますから、全ての星は宇宙の中心から広がった、半径 138億光年の球体の中に、収まっているはずです。

しかし、宇宙空間は138億年の間も広がり続け、半径 464億光年の球体になっているのです。

単純に考えれば、上の図の赤い円と青い円の間には、星もなければ光もない、ただの暗黒の空間が、広がっているだけになります。


ところで、おおぐま座(北斗七星)の方向にある、GN-z11という銀河は、地球からの距離が約320億光年だそうです。

これでは半径 138億光年の球体の中に、収まりません。
地球かGN-z11のどちらかが、球体の外に出てしまいます。

でも、そこには星も光もないはずなのです。
これは矛盾しますね。

と言うことは、広がる時空間に乗って、星も光も本来の速度以上の、すさまじい速度で移動しているのでしょう。

138億年前に、宇宙の中心から発せられた光は、広がる時空間に乗って、実際には 464億光年先に到達していると、考えられます。

そうすると単純計算では、光の速度は本来の 3.5倍ほどになっているようです。

しかし、拡張する同じ空間にいる者から見れば、光の速度は通常どおりなのでしょう。
何故なら、その人たちも同じ速度で、移動しているからです。

実際、人類の観測で、通常の3.5倍の速度の光を、見つけたという報告はありません。

話をGN-z11に戻しますが、地球で観測したこの銀河の光は、134億年前のものだそうです。

つまり、この星は宇宙誕生の 4億年後には、存在していたということです。

先の図で見ますと、その時のGN-z11の位置は、宇宙の中心のすぐ近くにあったことになります。

それが現在は、地球もGN-z11も互いに離れてしまい、今の実際の距離は、約320億光年と言われています。

ちなみに、太陽系が属している銀河系には、HE 1523-0901という、推定年齢 132億年の星があります。

その位置は、てんびん座の方向に 7500光年離れた所で、地球から比較的近い所と言えます。

この星の存在を考えると、銀河系の年齢も同じぐらいと、見ることができるでしょう。

つまり、宇宙誕生から 6億年後には、銀河系の卵が生まれていたということです。

この事からGN-z11も銀河系も、ほぼ同じ頃に誕生したと考えられます。

 ※赤い点は、現在の地球(銀河系)の位置。座標軸の交点は、宇宙の中心。
  地球とGN-z11が宇宙の中心から、同速度で真逆に移動したら、両者は水色の円周上で向かい合う。
  GN-z11の移動方向や移動速度が別の場合、現在GN-z11は黄色の円周上にある。

宇宙誕生後、互いに真逆の方向に、同速度で移動したとすれば、地球とGN-z11はどちらも、上の図の水色の円周上にあるはずです。

この円の直径は 320億光年なので、お互いに中心を挟んで、向かい合った位置にあります。

しかし、GN-z11が地球と同じ速度で移動しなかったり、別の方向へ移動したとすると、どうなるでしょうか。

それが黄色の円です。

黄色の円は、現在の地球の位置を中心にした、半径320億光年の円です。

現在のGN-z11は、この黄色の円周上のどこかにあるはずです。

ただし、宇宙の端である青い線を、超えていない所です。

 ※赤い直線がGN-z11の動きを示す。
  今の地球が見ているGN-z11は、緑の円との交点にあった時のもの。
  現在のGN-z11は、黄色の円との交点にある。

上の図の緑の円は、現在の地球から、134億光年の距離を示しています。

GN-z11は宇宙の中心を離れて、過去にこの緑の円と接したはずです。

その時の光が現在の地球に、134億年前の光として、届いたのです。

宇宙の中心から、緑の円に接する直線が、GN-z11の軌跡を示しています。

中心からの円の接線は、二つ描けますので、直線は2本あります。

宇宙には前後左右がありませんから、どちらを選んでも構いません。

実際には、緑色の円は球体であり、2本の赤い直線は、緑の球体に接する円錐の一部です。

平面図に投影しているので、円錐が2本の線となって、描かれているだけです。

そして、GN-z11はこの赤い直線(本当は赤い円錐)の上を、移動するのです。

緑の円に接した時の光が、地球に届くまでの間も、GN-z11はさらに移動します。

そして今現在は、地球との距離が 320億光年ですから、赤の直線と黄色の円の交点に、GN-z11はあるというわけです。

この図からわかるのは、GN-z11が宇宙の中心から、緑の円に到達するまで、138 - 134= 4 で、4億年かかっていること。

そして、緑の円から黄色の円まで移動するのに、134億年かかっていることです。

その距離は、中心から緑の円までの距離の、3倍近くです。

しかし、その距離を移動するのに要した時間は、134億 ÷ 4 = 約34億倍です。

それは空間の広がる速度が、それだけ落ちたということですね。

逆に考えると、ビッグバン直後は、まさにすさまじい速度での、広がりだったと言えます。

それはさておき、こうして見ると、かなり宇宙の果てに近い所に、GN-z11はあるようです。

しかし、現在のGN-z11が発している光は、しばらくの間、地球には届きません。

何故なら、宇宙が誕生してから、138億年しか経っていないからです。

そのため、138億光年を超える距離にある所の光は、まだ旅の途中で、地球には到達していません。

今の地球の科学では、138億光年の距離を超えた所の事は、確かめようがありません。

ですから、実際に 中心から464億光年離れた所に、宇宙の果てがあるのかは、ワープでもできない限り、直接確かめることは、できないようです。

 ※GentyさんによるPixabayからの画像です。

宇宙より古い星

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

宇宙はビッグバンと呼ばれる、一点の大爆発で生まれたと、現在の科学では考えられています。

それは今から、138億年前のことだそうです。

しかし、何と推定年齢が140億年以上という星が、見つかったようなのです。
宇宙の始まりより、もっと古い星です。

宇宙が生まれるまでは、時間も空間も、存在しない状態だったと言います。

それがどんな状態であるのか、科学者さえ想像はむずかしいでしょう。

それにしても、時間も空間もないのであれば、そこに形のある星など、存在しようがありません。

それなのに、この星はそこにあったと言うのです。

これって、いったいどういう事なのでしょうか。

この奇妙な星は、天秤座の方向にある星で、地球から約200光年離れた恒星HD 140283です。
通称メトシェラと呼ばれているそうです。

メトシエラというのは、旧約聖書の創世記に描かれている人物です。
969歳という長寿だったそうで、この人物にちなんで、この星はメトシエラと呼ばれていると言います。

その動きから、この星は元々は、銀河系に属していたのではなく、銀河系に吸収された、他の小さな銀河に属していたと、考えられています。

恒星の年齢は、そこに含まれる金属量と、表面温度の値から計算するそうです。
その計算に基づいたメトシエラの年齢は、144億6000万年となると言います。

しかし、いろんな誤差を修正すると、この年齢はもうちょっと少なくなって、宇宙の年齢である138億年に近づくそうです。

それでも今のところは、宇宙よりメトシエラの方が、年上のようです。

さらに困った事には、宇宙の年齢が138億年というのが、間違いであるという話があるのです。

最近の、新たな手法の計算によれば、宇宙の年齢は114億年になると言います。
138億年より、24億年も若くなるわけです。

これでは、メトシエラの年齢を、138億年に近づけたところで、解決にはなりません。

これはビッグバン理論自体が、正しくないのかも知れません。
あるいは、年齢を決めるための要素に、何かが足らないのかも知れません。

でも、こういう話を聞かされると、素人でも心が湧き躍るような、興奮を覚えます。

この事は人々の暮らしとは、直接の関係は何もありません。
しかし、科学者たちは今日もどこかで、このことを議論し合っているのです。

それは人間の持つ、最高レベルの好奇心なのでしょう。

お金が欲しくて、やっているわけではありません。

誰もが真実を知りたくて、むずかしい研究を続け、日夜議論を戦わせているのです。

この真剣さを、多くの政治家の方たちには、学んで欲しいところですね。

月の起源

 ※unicさんによる写真ACからの画像です。

昨夜もきれいな満月でした。

でも、正確には一昨日の夜の月が、満月だったようです。
ぱっと見た目には、昨夜の月もまん丸でした。

この月ですが、天文学の世界では、その起源が注目されているみたいです。

月のように、惑星の周りを回っている星を、衛星と呼んでいます。

地球以外の惑星でも、衛星を伴っている星はあります。
火星、木星、土星、天王星、海王星です。

火星の衛星は二つだけですが、木星、土星、天王星、海王星は、二桁の数の衛星を伴っています。

これらの衛星は、周回の中心にある母惑星と比べると、とても小さなものです。

質量を比べると、最大でも母惑星の1000分の1だそうです。
半径を比べても、母惑星の数パーセントほどしかありません。

それなのに、月を地球と比べると、質量は地球の80分の1、半径比は27パーセントなんですって。
これは衛星にしては、母惑星と比べて大き過ぎるのです。

それで、月がどうしてできたのかということが、注目されているようです。

いくつかある仮説の中で、最も有力視されていたのが、他の星が地球にぶつかったというものです。
火星ほどの大きさの天体が、地球にぶつかって、その時に月ができたというのです。

しかし、それほど大きな天体がぶつかると、かなりの衝撃です。
計算によれば、地球の深い部分にある成分が、たくさん外へもぎ取られるとのこと。

それに、かなりの高温になるだろうから、揮発しやすい成分は、少なくなるそうです。
でも、実際の月の岩石の成分を調べると、そうはなっていないと言います。

そこで、最近出て来た説では、火星よりももっと小さな天体が、複数回に渡って地球に衝突したというものです。

一度の衝突で起こる、衝撃も熱も少ないので、月の岩石成分の説明がつくのです。
今のところは、この説が最も有力視されているようです。

 ※Thomas BreherさんによるPixabayからの画像です。

でも、本当のところは、わかりません。
それなら、地球のすぐ隣にある、火星にだって、同じ理由で大きな衛星があっても、不思議ではありません。
どうして、地球の衛星だけが大きいのかと考えると、やはり謎です。

それでも、月は地球の妹みたいなものなんですね。
地球にそそがれる月の光は、物静かで柔らかな感じがします。

まるで、地球をそばで見守ってくれているように思えますよね。

でも、地球から引き離されて、ちょっぴり悲しげなようにも感じます。

 ※Thanks for your Like • donations welcomeさんによるPixabayからの画像です。