水を得た魚 その3
魚にとっての水のように、人にはそれぞれに合った環境や、価値観というものがあるのです。
でも、今の世の中はそれが画一化されて、誰もが同じ環境の中で、同じように暮らすことがよしとされ、またそれを強要されます。
それは何故でしょうか。
人間の本質を理解すれば、そのような社会のあり方は、正しいとは言えません。
それでも、実際に同じような人間が求められているのは、どうしてでしょうか。
それは、その方が都合のいい人たちがいるからです。
多くの人が自分たちの思惑通りに動くように、人間とはこういうものだと、枠にはめて育てるのです。
曲がったきゅうりは、市場価値が下がるということで、スーパーでは真っ直ぐなきゅうりが好まれます。
買う方も、それが当たり前だと思ってしまい、曲がったきゅうりを、出来損ないのように見てしまいます。
でも、実際は育てたきゅうりのほとんどは、いろいろと曲がっているのです。
人間もそれと同じように、こういう人間がいい、という見本があって、子供たちはその見本のように、育てられます。
ところが、そうは育たない子供もいます。
そんな子供たちは低く評価され、役に立たない人間であるかのように、見られます。
でも、それは明らかに間違いであり、人間の成長にとって、とても不自然なことをしているわけです。
権力者たちは、自分たちの富や地位が維持できるように、人々をロボットのように動かそうとしています。
また、みんながそのことに気がつかないように、全てが当たり前であるかのように、仕向けているのです。
しかし、その呪縛を逃れて、自分に合った水の中で、伸び伸びと暮らす人たちが、増えています。
そんな生き方が注目されるようになり、憧れる人も増えているようです。
これまで、自分に合った水なんて、考えたこともなかったような人たちが、考えるようになっています。
時代の流れでしょう。
こうした人たちがどんどん増えれば、社会は大きく変わって行きます。
そんな所で、昔ながらの考え方や価値観に、しがみついている人たちは、時代遅れの変わり者、という目で見られることでしょう。
時代の流れに乗って、新しい社会を楽しみたい人は、自分の水を確かめて下さい。
そして、水を得た魚になるのです。