無意識とのつながり その2

先日、行きつけのカフェで、素敵なショールが、目に留まりました。

青空のような爽やかな青色で、手に取ってみると、生地が厚手で、これから寒くなるのに、肩掛けや膝掛けとして、使えると思いました。

 ※koki yamamotoさんによるPixabayからの画像です。

もちろん、私が使うのではありません。

初めは家内に、どうだろうかと思ったのです。

このショールはカフェを経営している方の、お姉さんの手作りだそうでした。

自分で布を藍染めして、作られたそうです。

一点物で、他では売っていません。

しかし、値段を見ると、結構な値がついていました。

そこで、いったんは席に戻って、買うのを諦めようかと思いました。

それでも、どうしてもそのショールに、目が向いてしまうのです。

普段の私は、着る物には全くの無頓着で、穴が開いている物でも、平気で着る人間です。

ファションには、少しも関心がありません。

家内が服を買う時に、どれが似合うかの判定を、手伝う事はありますが、そうでない時には、衣類への関心は、全然湧かないのです。

それなのに、どうしてこのショールに惹かれてしまうのか、自分でも不思議な気がしていました。

食事をしながら、家内と喋っている間も、心の半分は、棚にある青いショールに、向いていました。

とうとう我慢ができなくなって、私はそのショールを持って、家内に感想を聞いてみました。

別に家内の誕生日ではありませんし、家内は別のショールを持っています。

それでも家内に感想を尋ねてみると、家内はそのショールが、素敵だと言いました。

でも、欲しいかと聞くと、今はいらないという返事。

それなのに、私はそのショールを、諦められませんでした。
気持ちは、ほとんど購入するつもりだったようです。

そこで、ふと思いついたのが、お義母さんにどうだろうか、という事でした。

お義母さんは冷えが原因で、神経痛が出るようでしたので、肩掛けや膝掛けにどうかと思ったのです。

その話をすると、家内は母親はきっと、喜ぶだろうと言いました。

ただ、値段の事を気にしていました。

それでも私は、お義母さんが喜んでくれるならと、購入を決めました。

翌日、家内はそのショールを、お義母さんに届けに行きました。

実は、ショールを買った翌日が、お義母さんの誕生日だったのです。

でも私は、その事を忘れていたので、結果的にショールは、誕生日プレゼントになりました。

 ※Michael SchwarzenbergerさんによるPixabayからの画像です。

家内の話によれば、ショールを目にしたお義母さんは、一目でそのショールが、高価な物だとわかったそうです。

実はお義母さんも、そこのカフェがお気に入りで、前に訪れた時に、この青いショールを見て、素敵だと思ったらしいのです。

でも値段を見て、とても買えないと思って、諦めたそうでした。

だから、そのショールを誕生日プレゼントとして、受け取れたことで、お義母さんはとても喜んでくれたようでした。

私はそのショールが、ずっとそこの棚に置かれてあった事を、その話で初めて知りました。

これまで何度も、そのカフェを訪れていたのに、これまでは一度も、そのショールに惹かれた事はなかったですし、ショールの存在自体に、気がつかなかったのです。

それなのに、その日は店に入った時から、どういうわけか、目がそのショールに、釘付けになっていたのです。

全く不思議な事だと思いました。

きっとあの時、私の無意識がそのショールを購入するようにと、私に囁き続けていたのでしょう。

そして、それに従った結果、思いがけない喜びに、巡り会えたわけです。

ですから、普段から常に、無意識の言葉に耳を傾けていれば、幸せな人生を送れるはずだと、私は思いました。

では、どうすれば無意識に、自分の心をつなぐ事ができるのか。

私はショールに心を惹かれていた時の事を、思い浮かべました。

 ※monicoreさんによるPixabayからの画像です。

あの時の感覚。
それは頭の中の感覚だけでなく、空間の感じも、普段とは違っていたように思います。

恐らく体を包む、気のエネルギーの状態が、いつもと違っていたのでしょう。

とにかく、自分を信じて行動を起こすんだと、体の中からも外からも、後押しされているような感覚です。

その感覚を思い出していると、今も心が無意識と、つながっているような気がします。

無意識とつながった感じがしていると、とても安心な気持ちになります。

今は世界中が、いろんな問題で大変な状態にありますが、そんなものとは無縁の世界に、いるような気になります。

みなさんも、誰かを想う気持ちから、思いがけない喜びにつながった時が、あると思います。

その時の感覚を、ぜひ忘れないようにして下さい。

世の中に不安が一杯あふれていても、あなたの周りには、きっと喜びが広がるでしょう。

夢が伝えてくれたこと

先日変わった夢を見ました。

私は乗り物に乗っています。
小さな列車のようで、向かい合った一人掛けのシートに、座っていました。

私は進行方向に、背を向ける形で座り、前のシートには男性が座っています。

後ろには、背中合わせのシートがあり、そこにも背が高い人が座っていました。

 ※kana imageさんによる写真ACからの画像です。

前に座っていた人物は、現実には見た事がない人でした。
でも夢の中では、知り合いだったようです。

私は何だかうとうととなって、背もたれに体を預けました。

しかし、背もたれが低いので、私の頭の位置が、後ろにいる人物の、肩の横になりました。
後ろの人物の顔を、のぞこうとしたみたいな格好です。

すると、その人物もうとうとしていたのか、私と同じような格好になりました。

それでお互いの顔が見えたのですが、その人物は若い男性で、私の知っている人のようでした。

その時、私の前に座っていた男性が、彼のことを、ほら、あいつだぞ、と教えてくれました。
それで私は、やっぱり彼は自分の知っている人物だと、わかったのです。

三十年前、私の家にアメリカの高校生が、ホームステイに来た事があります。
ユダヤ系の男の子で、名前をジャスティンと言います。

夢の中の私は、自分の後ろにいた人物を、このジャスティンだと理解したようでした。

でも、彼の顔は私が知っているジャスティンではなく、アメリカの子役俳優だった、マコーレー・カルキンの顔でした。

映画「ホーム・アローン」で一躍有名になった、あのマコーレー・カルキンです。

その顔は少し眠そうで寂しげでした。

彼は私だとわかると、笑顔で話しかけて来ました。
でも、日本語が上手ではないので、限られた言葉での、ぎこちない話し方です。

それでも彼は懸命に、自分の夢を私に語ってくれました。
それは、どうやって人々に喜びを与え、幸せになってもらうかという、彼の計画でした。

しかし、私には何故か、彼の未来の姿がわかっていました。
彼はエイリアンになってしまうのです。

 ※GeorgeB2さんによるPixabayからの画像です。

彼は将来、エイリアンになって、人類を滅ぼそうとするのです。
それなのに、目の前の彼は、自分がエイリアンになるなんて知りません。

どうすれば人類のためになれるかと、懸命に語るのです。
ただ、世間が彼を快く受け入れていない事は、その表情から理解ができました。

彼は自分の苦難に立ち向かいながら、何とか人々に自分を受け入れてもらい、みんなの役に立とうとしていたのです。

私は切なくなりながら、彼の話を聞いていました。

そして、彼の夢が叶って、将来エイリアンにならずに済むように願いながら、彼の話にうなずいていました。

どうして彼を、うちにホームステイした、ジャスティンだと思ったのでしょうか。

その理由は、ジャスティンという名前です。

英語にはジャスティスという言葉があります。
正義という意味です。

ジャスティンという名前の語源は、ジャスティスだそうです。
日本語で言えば、まっすぐな男の子、正しい男の子という意味になるようです。

つまり、この青年は真面目で真っ正直な人物だったと、いうことなのです。

どうして、マコーレー・カルキンだったのか。

それは本物のマコーレー・カルキンが、気の毒な家庭環境にあったという、事実が関係しているのでしょう。

天才子役として、もてはやされた彼は、家庭の問題が原因で、映画界を去りました。
才能があったのに、環境がだめにしてしまったのです。

こんな夢でした。

私はこの夢で、世間から極悪人だとか、テロリストだとか呼ばれる人たちも、初めからそうだったのではないのだと、改めて理解しました。

赤ん坊の時から、誰かを傷つけようと考える者はいません。

みんな喜びを求めて生きているだけですし、周りの人たちと、楽しく過ごしたいと願っているはずです。

 ※Joshua ChoateさんによるPixabayからの画像 です。

それなのに、ある人たちは、極悪人やテロリストの道を、歩む事になるのです。

でも、それは決して本意ではありません。

彼らが本当に願っていた事は、違う所にあったのだと思います。

ひどい事をした人を、責めるのは簡単です。

でも、その人たちの本当の気持ちや、その人たちがひどい事をするようになった経緯を、知る事は大切だと思います。

何故ならば、その人たちをむりやりに、怪物に仕立て上げたのは、私たち自身かも知れないからです。

奇妙な夢

 ※Peter HさんによるPixabayからの画像です。

今朝、奇妙な夢を見ました。

登場人物は、みんな知らない人たちばかりです。
自分がいる場所も、見たことがない所でした。

私自身も、現在の私ではありませんでした。

現在の私と共通しているのは、自分が男であるという事だけです。

夢の中で認識している自分は、現在の自分とは、全く別人のようでした。

しかも、自分がいるその場所が、過去の世界だと認識しているのです。

夢の中の自分が、現在と理解しているのが、どんな所なのかまではわかりません。

それでも夢の中の私は、意図的に過去の世界へ、タイムスリップしていたようでした。


こんな感じで、今の自分とは、全く別の人格、別の記憶を持った人物である夢を、何度か見た事があります。

 ※Pascal KönigさんによるPixabayからの画像です。

女性だった事もあります。
夢の中の私は、酒場で男性と一緒に、お酒を飲んでいました。

この時は、目覚めてからしばらくの間、とても戸惑いました。

今の私の中には、自分を女性だと信じる要素は、これっぽっちもありません。
男性を求める気持ちも、全くありません。

ですから、どうしてそんな夢を見たのか、理解ができずに困惑するばかりでした。

また、夢の内容は忘れてしまいましたが、目が覚めた時に、しばらくの間、自分がどこにいるのかが、わからなくなった事もあります。

寝ていたのは、いつもの寝室で、目を開けると、いつもの部屋の様子が、見えていました。

でも、その時は自分が全然知らない所へ、運ばれて来たように思っていました。

目覚めているのに、頭の中は、まだ夢の世界にいたのです。

 ※Ulrike LeoneさんによるPixabayからの画像です。

夢は無意識の非言語的思念を、通常の意識が理解できる、言語的思考への変換だと、私は理解しています。

私たちは睡眠中、通常の意識を眠りにつかせて、無意識の状態となって、精神活動を続けていると考えられます。

その無意識だけになっている時に、私たちは何を考え、何を体験しているのでしょうか。

単に覚醒時の経験を、整理しているだけとは思えません。

もしかしたら、他の精神エネルギーと、交流しているのかも知れません。

あるいは、今の現実世界とは別の世界にも、つながりを持っているという、可能性もあるでしょう。

現実とは全く関係のない、別の世界のような夢があります。

そんな夢は、自分の勝手な妄想ではなく、本当にある別の世界の体験を、再体験しているのかも知れません。

それはパラレルワールドなのか、この世界の過去や未来なのか、あるいは、その両方なのか。

とにかく、私という存在の分身が、あちこちの世界に、いるかも知れないのです。

ひょっとしたら、この現実世界の今、同じ時空間の中に、自分の分身が別人格となって、暮らしている可能性もあるのです。

案外すぐ近くに、自分の分身がいるかも知れません。

嫌なやつと思っている、まさにその相手が、自分の分身という事も、有り得ると思います。

戦い合ったり、殺し合ったりしている相手の中に、自分の分身がいるかも知れないのです。

 ※ThePixelmanさんによるPixabayからの画像です。

考えてみれば、全ては同じ所から、生まれたのだと言えます。

私たちはみんな、ある意味、地球の分身です。

全然違う存在と思っているものも、元をずっとたどって行けば、遠い分身と言えるでしょう。

つまり、自分以外の存在を、痛めつけたり苦しめたりする行為は、自分を傷つけているのと、同じという事になるわけです。

今日見たような不思議な夢は、そういう事を伝えようと、していたのかも知れません。

体外離脱体験2

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

学生の頃、ひょんなことから、体外離脱を体験した私は、体外離脱を意図的に行えないかと、体外離脱について書かれた本を参考に、何度か挑戦をしました。

どういう時に体外離脱が、起こるのかと言うと、眠りと覚醒の中間状態です。

体は眠っているけれど、意識はまだ、目覚めている状態の時です。

金縛りの状態に似ていますが、金縛りの時は、緊張してしまうせいでしょうか、体を抜け出すことはできません。

意識ははっきりしているのに、肉体は動かせませんし、意識の体も動きません。

これは自分の意図に反して、そんな状態になってしまうため、驚いてしまうのでしょうね。

自分で体を抜け出そうとしている時は、わかってやっていますので、似たような状態になっても、気持ちは落ち着いています。

 ※愚木混株 Cdd20さんによるPixabayからの画像です。

どんな風になるのかと言うと、最初は足の辺りが、軽くビリビリと、痺れたような感じになるのです。

でも、長時間正座をして痺れるのとは、違います。

そんな苦痛な感じはありません。
ただ、軽くビリビリした感じがするだけです。

正確に言えば、痺れているというよりも、細かく振動しているような、感じかも知れません。

その振動している部分は、通常の感覚が、麻痺した感じです。

そこで驚いたり、慌てたりすると、我に返ると言いますか、ビリビリ感は消えてしまい、普通の状態に戻ってしまいます。

それは、野生の動物や鳥たちが、安全かどうか確かめながら、少しずつ近づいて来るような感じです。

ちょっとでも動いて、驚かせてしまうと、さっと逃げ出して、姿を消してしまいます。

とにかく、ビリビリした感じが起こったら、そのまま放置して、様子を見ておきます。

すると、ビリビリ感は次第に、上の方へ広がって来ます。

足から太もも、腰からお腹、胸から背中と、ビリビリした感じが広がるのです。

ここで体を、抜け出そうとしてはいけません。

まだ機が熟していないのに、体を抜け出そうとすると、意識の体ではなく、本物の体が動いてしまいます。

肉体の体が少しでも動いたら、ビリビリ感は瞬時にして、消えてしまいます。

一度消えてしまったビリビリ感が、もう一度戻って来るのは、むずかしいのです。

慣れている人なら、そんなことはないかも知れません。

でも、素人の場合、そこで完全に目が覚めてしまうか、再挑戦しているうちに、眠ってしまうことの方が、多いと思います。

とにかく、ビリビリ感が首の辺りまで広がって来ても、知らんふりをして、放っておきます。

すると、ビリビリ感は頭の先まで広がります。

足先から頭のてっぺんまで、すっぽりとビリビリ感に包まれた感じになるのです。

この時も、まだ動いてはいけません。

早く体外離脱を経験したくて、動いてしまうと失敗してしまいます。

この時に抜け出そうとすると、一瞬、体を抜け出せたような、感じにはなるのです。

でも、意識のどこかが肉体に癒着していて、完全に抜け出すことはできません。

背中に強力なゴムでもつけられているみたいに、すぐに引き戻されておしまいです。

肉体と意識がビリビリ感に完全に馴染んで、熟した状態になるまでは、ピクリとも動いてはいけないのです。

 ※WikimediaImagesさんによるPixabayからの画像です。

何度も同じような失敗を繰り返しながら、私は完全に肉体から、意識を離脱させることに成功しました。

その時の感覚は、初めて離脱した時と比べると、もっとリアルな感じでした。
本当に離脱したのか、疑わしくなるほどです。

部屋にはスチールの机があるのですが、その机に触れることができました。

幽霊のような存在になっているのであれば、手が突き抜けるはずです。

でも、手は突き抜けず、机に触れてその形状を、確かめることができたのです。

しかも触った感触が、肉体の手で触れるのと、全く同じでした。

机は硬くてツルッとしていて、冷たいのです。

おかしいなと思いながら、机を押してみましたが、硬くて手は突き抜けません。

私は窓から、外へ出てみようとしました。

でも、やはり窓が邪魔です。

それでも、意識の体だから、必ず突き抜けて行けるはずだと、私は思いました。

そこで、水の膜を抜けるような、イメージで挑戦してみました。

すると、あららという感じで、体は窓を通り抜けました。

その時は明け方で、外は明るくなっていました。

体外離脱の練習を、私はよく寝入りばなにしていました。

でも、そのまま眠ってしまうことが、ほとんどでした。

一方で、明け方にふと目が覚めた時は、チャンスでした。

そのまま動かないでじっとしていると、あのビリビリ感が現れることが、あったのです。

そして、この時もそんな明け方でした。

 ※kakkikoさんによる写真ACからの画像です。

私は窓の外にある、一階の屋根瓦の上に、裸足で立っていました。

普段見るのと同じ景色が、目の前に広がっています。

外には、まだ誰もいませんでした。

そよ風が気持ちよく、本当に肉体で、そこに立っているかのようです。

感覚的には、普段の世界と何一つ変わりません。
本当に体外離脱をしているのか、疑うほどでした。

その時に、ふと私は視線を落とし、そこに立っている、自分の姿を見たのです。

瓦の上に立つ足は、裸足です。
その上には、寝る時に来ていたはずの、パジャマがありません。

私は何と、パンツ一枚の姿で、屋根の上に立っていたのです。

感覚は肉体の時と、何も変わりません。
体外離脱をしないで、そこに立っているかのようでした。

私は焦りました。

自分では、体外離脱をしたつもりでした。
でも、もしかしたら体外離脱を、していないのかも知れない、と思ったのです。

窓を突き抜けて、外へ出たはずなのです。

だけど、本当はそれは妄想で、実は普通に窓から、外へ出ただけかも知れません。

そう考えると、どうしようとパニックになりました。

だって、そうでしょう?
パンツ一枚で、早朝の屋根の上に、立っているわけですよ。

もし誰かに見られたら、完全に頭がいかれていると、思われてしまいますよね。

下手をすれば、そこに住めなくなってしまいます。

これは大変だ、早く部屋に戻らないと、と焦っているうちに、はっと気がつくと、私は蒲団の中にいました。

私はちゃんと蒲団を、かぶって寝ていました。

蒲団を剥いでみると、パジャマもちゃんと着ています。

しまった、やっぱり体外離脱ができていたんだと、後悔したけど、後の祭りでした。

もう完全に目が覚めてしまったので、どうにもできませんでした。

体外離脱体験

体外離脱という言葉を、聞かれたことがあるでしょうか。

以前は、幽体離脱という表現もされていましたが、幽体という表現が、よくなかったのでしょうか。
今では、体外離脱という言い方が普通になっているみたいです。

とは言っても、体外離脱が何なのかを知らない人には、幽体離脱でも体外離脱でも、同じですよね。

体外離脱とは、意識が体から、抜け出ることを言うのです。

この時、体は眠った状態ですが、意識はしっかりと目覚めています。

よっこらしょっと起き上がった時に、何だか体が、ふわふわしたような感じがあるのです。

後ろを振り返ると、そこに自分が横になって、寝ているのを目にするわけです。

あるいは、知らない間に、意識だけが天井近くへ、浮き上がっているということも、あるようです。

この場合、下を見下ろすと、そこに眠っている自分の姿があるのです。

この状態というのは、生きたまま幽霊に、なったようなものでしょうか。

体から抜け出す時の状況は、人によって異なると思います。

でも、大体みんな、こんな感じなのではないでしょうか。

どうして、そんな事が言えるのかというと、私も体外離脱を何度か、体験しているからです。

 ※acworksさんによる写真ACからの写真です。

初めて体外離脱を体験したのは、大学生の頃でした。

当時は、一軒家の形のアパートに、同じ大学の学生四人で、暮らしていました。

四畳半の部屋が一階と二階に、それぞれ二部屋ずつあり、私は二階の西側の部屋にいました。

その時は夕方で、私は万年床の蒲団を二つに折りたたみ、それを背もたれにして座ったまま、うたた寝をしていました。

ふと目が覚めたので、私は背もたれの蒲団から体を起こし、そのまま立ち上がりました。

でも、何だかふわふわして、妙な感じでした。
高熱で寝込んだ後で、立ち上がった時に、重心が定まらないのに似ていました。

その時の部屋の空気も、変な感じでした。
水の中に潜っているような感じで、部屋の中に水が詰まっているかのようでした。

でも、体を動かすのに、水のような抵抗は感じません。
逆に、ちょっと動いたつもりが、動き過ぎてしまい、体のバランスを取るのが、大変でした。

どうも、おかしいなと思って、後ろを振り返ると、蒲団を背もたれにして座っている、自分が見えました。

私は驚きました。

でも、体外離脱のことは知っていたので、これが体外離脱なのかと、感動しました。

一階の部屋は、学生たちの溜まり場になっていて、この時も集まった友人たちが、麻雀をして遊んでいました。

その楽しげな騒ぎ声が、二階の部屋にまで聞こえていました。

私はこのままこっそり下へ行き、みんなの様子を眺めてみようと考えました。

みんなからは、私の姿は見えないはずです。
何故なら、私は幽霊みたいな状態ですから。

でも、実際はその状態の自分の姿が、他人から見えるかどうかは、わかりませんでした。

もしかしたら、いつもと同じように見えて、声をかけられるかも知れません。

どっちにしても、それは一つのデータであり、私はわくわくしました。

その時の私の部屋の扉は、閉まっていました。
でも、この状態だったら幽霊みたいに、扉を通り抜けられるかも知れない、と思いました。

ふわふわする体の体勢を整えながら、私は扉の前に移動しました。
扉は引き戸です。

 ※雰囲気イケメンさんによる写真ACからの画像です。

扉に手を伸ばした時、私の頭を、ふと不安がよぎりました。
もしかしたら、これは罠ではないのかと。

何者かが私の意識を、私の体から引き出したのではないかと、疑ったのです。

そうであれば、私がこの場を離れている間に、その何者かに私の体を、乗っ取られてしまうかも知れません。

一度疑うと、その疑いは急速に膨らみました。

私は居ても立ってもいられなくなり、急いで体に戻ろうと思いました。

でも、どうやったら戻れるのかが、わかりません。

それで、余計にパニックになってしまいました。

私は漫画みたいに、自分の体の中に飛び込めば、元に戻れるかも知れないと考えました。

それで、私は跳び上がったのです。

重力が働けば、その後、私の体はすぐに下へ落ち、その勢いで体に、飛び込めるはずでした。

しかし、そうはならず、私の体は部屋の天井まで浮かび上がり、そこから下へ降りられなくなったのです。

私は天井のそばで、手足をばたばたさせながら、宙を泳ぐようにして、何とか体の中へ入ろうと、藻掻きました。

それでも、体は浮いたまま下がりません。

私は藻掻き続けました。
もう必死です。

 ※PublicDomainPicturesさんによるPixabayからの画像です。

自分が回転したのか、周囲が回転したのかはわかりません。

私は渦に巻き込まれたみたいに、ぐるぐる回転し、うわーっと心の中で叫びました。

そして、はっとすると、蒲団を背もたれにして座っていたのです。

私は自分が体と一つになっていることを、確かめました。

自分が動かしている手や足は、間違いなく自分の肉体の手足です。

触ってみると、いつもどおりの体でした。

立ち上がってみると、全然ふらふらしません。

部屋の中もいつもと同じで、水の中のような感覚はありません。

下からは、友人たちの声が、聞こえています。

私はしばらく部屋の中を歩き回り、自分が体に戻れたのだと、確信しました。

途端に、何て馬鹿なことをしてしまったのだろうと、とても後悔しました。

二度とないかも知れない、貴重な体験を、不安が台無しにしてしまったのです。

下の部屋へ行って、みんなが遊んでいる様子を、こっそり確かめていれば、自分が体外離脱をした証明ができたのです。

それはまさに、千載一遇のチャンスでした。

私は悔しがりながら、もう一度蒲団を背もたれにして、眠ろうとしました。

でも、すっかり目が冴えてしまって、眠ることができません。

体外離脱を体験したのは事実です。

でも、そんな体験をした喜びよりも、下の部屋へ行けなかったことの後悔で、その日の私の頭は一杯でした。

それから私は、意図的に体を抜け出す、練習を繰り返したのです。

幽霊の話2

今からお話するのは、私自身の話です。

私はこれを、幽霊と言っていいのかどうか、わかりません。

確かに見たのですが、いわゆる幽霊とは、ちょっと感じが違うのです。

やはり仕事で、ホテルに泊まっていた時のことです。

 ※よろづやさんによる写真ACからの画像です。

夜中にふと目が覚め、私は暗い部屋の中で、目を開けました。

室内は暗かったので、ほとんど何も見えません。

でも部屋の暗さよりも、もっと黒々とした影が、私のすぐ目の前にあったのです。
正確に言えば、真正面よりも少し左側です。

それは枕元の壁から、足の方に向かって、ぬっと伸びた長細い影でした。

でも、足の方まで伸びているのではなく、先端は私の喉の辺りにありました。

こんな所に、こんな物があったかなと考えながら、私はそれを、何だろうと思って、じっと見ていました。

すると、暗闇に目が慣れて来たのか、その黒い影の姿が見えて来ました。

それが何なのかがわかった時、私はぎょっとしました。

それは何と、女性の足だったのです。

女性の左の素足が一本だけ、壁からぬっと突き出るように、伸びているのです。

別に動くわけでもないし、他に何かの気配がしたり、声が聞こえるわけでもありません。

ただ、足がそこに生えているだけでした。

 ※自由工房さんによる写真ACからの画像です。

私は驚きはしましたが、何故か怖いとは思いませんでした。

体が金縛りになった感じもありません。

私はその足をつかんで、足の裏をコチョコチョと、くすぐってみたい衝動に駆られました。

もし、これが幽霊だとしたら、足をくすぐれば、やはりくすぐったがるのだろうか。
でも、足しかないから、笑い声や悲鳴は聞こえないだろうな。

そんな事を考えて、私は手を伸ばそうと思いました。

でも、触ってひやっと冷たかったら、気持ちが悪いなと思うと、手が出なくなりました。

それに触る事で、何か悪い事になっても困るなと、ちょっと腰が引けた気持ちにもなりました。

それでも、一方では触ってみたいという思いが、私を急かします。

幽霊に触れる機会なんて、滅多にあるものではありません。

どうしようと迷っているうちに、その足はふっとかき消すように、消えてしましました。

しまったと思いましたが、後の祭りです。

すぐに壁を調べましたけど、ただの壁です。

それから二度と、その足が現れる事は、ありませんでした。

その時の残念な気持ちは、未だに残っています。

それでも私は考えました。
あれは何だったのかと。

相手には、私を恐怖に陥れるつもりは、なかったようです。
では、一体何のために、あんなふざけた事をしたのでしょう。

実は、私は学生時代、一人で暮らしていた時にも、不思議な経験をしていました。

布団の上に仰向けで寝ている時に、金縛りにあったのです。

意識ははっきりしているのですが、体がピクリとも動きません。

その私の背中を、たくさんの手が、撫でて回るのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

背中は敷き布団の上にあり、布団の下は畳です。
人の手が入るわけがありません。

私の背中を、誰かが触るなんて、有り得ないのです。

しかし、確かにいくつもの手が、私の背中を触っているのです。

まるで目が見えない人が、手で物の形を、確かめるような感じです。

この手の主たちが、実在しているならば、彼らは畳の下から、私の背中を触れているわけです。

そんな事ができるのは、人間であるわけがありません。

うわっと思いましたが、体は動きませんし、手は私の背中をまさぐるだけで、襲いかかる様子はありません。

ですから、気味は悪いものの、怖いという感じはありませんでした。

そのうち、撫でている手が、少しずつ位置が変わって、背中から脇腹の方へずれて行きました。

私はやばいと思いました。

何故なら、私は大層なくすぐったがりでして、脇腹に触られると思っただけで、体をよじってしまうのです。

私は思わず、お願いだからそこには触らないでと、考えてしまいました。

すると、その考えが相手に、伝わってしまったのでしょうか。

手たちは一斉に、私の脇腹を探るようにして、移動し始めました。

すっと移動するのではありません。

行くぞ行くぞという感じで、近づいて行くのです。

私がくすぐったくて、笑い苦しむ様子を、楽しんでいるかのような感じです。

そして、とうとう脇腹に達した手たちは、私の脇腹をくすぐり始めました。

体を動かせない私は、笑いの拷問に、かけられたのと同じです。

よじれない体を硬直させ、止まらない笑いで、息が吸えなくなりました。

笑い死ぬというのは、あんな感じなのでしょう。

苦しくて息が吸いたいのに、笑いが止まらないのです。

あれが続けば、私は本当に、笑い死にをしたに違いありません。

でも、しばらくすると手は消えてしまい、体も動かせるようになりました。

でも、くすぐられた余韻が、ずっと残っていて、私は何度も体を、よじり続けていました。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

この頃、私は他にも不思議な経験をしています。

不思議な話が大好きで、いろんな本も読み、自分でもあれこれと考えました。

しかし、ある時からそういうものへの興味が、次第に薄れて行ったのです。

死んだ後の世界は、自分が死んだらわかる事。

それより、今は生きているのだから、生きる事を懸命になろうと、考えたのです。

それから、生きる事について、いろいろ考えるようになり、奇妙な経験はパッタリと止んでいました。

ところが、ホテルの足の登場です。
久方ぶりの不思議体験です。

私を笑い死にさせようとした手たち同様、恐怖を感じさせない、とてもふざけたシチュエーションです。

きっと足は、私に何かを、伝えようとしたのでしょう。

物質世界だけが全てではないし、死んで全てが、終わるわけではない。

そんな事は、わかっています。

それでは、足は私に、何を伝えようとしたのでしょう。

それは私に再び、物質世界とは別の世界の事を、考えるようにと言う、メッセージだったのではないかと、私は考えています。

生きるという事は理解できただろうから、今度は改めて別の世界の事を考えよ、ということなのでしょう。

それはつまり、この世、あの世と分けて考えるのではなく、全体としての世界を、考えなさいという事なのです。

それから私は再び、異世界や異次元について調べたり、自分で考えたりという事を始めました。

そして、現在の考えに至りました。

宇宙とは、生命そのものであり、私たちはその一部なのだと。

 ※beate bachmannさんによるPixabayからの画像です。

そうそう、もう一つだけ、自分の経験をお話しておきます。

自宅の寝室で、寝ていた時の事です。

隣には、私の家内が寝ていました。

夜中に目が覚めた私は、金縛りにあって、誰かに後ろから、強く抱きつかれました。

その抱きつく力は凄まじく、プロレスラーに締めつけられているような感じでした。

息ができなくて、死にそうになりながら、私は胸の近くにあった手を、必死に動かそうとしました。

後ろから私に抱きついている手を、振り解こうと思ったのです。

その手は、私の胸をしっかりと抱えていました。

わずかずつですが、私の手が動きました。

初めは指先だけ。
それから手全体が、ほんとに少しずつ動きました。

そうしていると、手がもう少し動くようになったので、私は胸の前にある、相手の手をつかみました。

すると驚いたことに、私がつかんだその手は、小さな子供の手だったのです。

 ※Holger LangmaierさんによるPixabayからの画像です。

どこの子供か知りません。

でも私は、この子が愛情が欲しくて、構ってもらいたいのだと思いました。

それで、つかんだその手をぐいっと引っ張り、後ろにいる相手を、自分の前の方へ引き寄せました。

顔も何もわかりません。

私はその子供をぎゅっと抱き締めると、構って欲しいのなら、いくらでも構ってあげようと、心の中で相手に伝えました。

こうして抱いて欲しいのなら、さっきのように無茶苦茶はしないで、抱いて欲しいとちゃんと伝えなさいとも、言いました。

捕まえた子供らしき相手は、もがくこともせず、いなくなりました。

それでも、私はいなくなった子供を、そのまま抱き続けました。

それから、そんな事は起こっていません。

いかがでしたか。

そんなの、ただの気のせいだと言われれば、そうかも知れません。
私は反論はしません。

それでも、私にとっては、ここでお話したことは、全て本当の事なのです。

幽霊の話

今日からお盆です。

お盆と言えば、亡くなった人たちをしのぶ期間です。

私たちのご先祖さまたちは、普段はあの世に暮らしていて、この期間だけこの世に戻って来ると言われています。

 ※sakura3939さんによる写真ACからの画像です。

一方で、幽霊という存在がいます。

こちらも亡くなった人のはずなのですが、あの世へは行かずに、この世に留まっていると考えられています。

今日はこの幽霊の話をしましょう。

あなたは幽霊、あるいは幽霊らしきものを、見たことはありますか。

普段はあまり、そんな話を耳にする事はありません。

でも聞いてみると、幽霊を見たという人が、案外身近にいるものなのです。

私の家内も、若い頃に幽霊を見ています。

家内は昔、病院で働いていたことがありました。
まだ、私と結婚する前の話です

その頃は、一部屋を同僚と二人で使う、生活だったそうです。

今で言うところの、シェアルームですね。

その同僚と二人で寝ていた、ある夜のこと。

家内は、ふと目が覚めたのです。

目は覚めたものの、体は金縛りにあって動けません。

その時、自分の枕元に、誰かが座っていたそうです。

その誰かは、寝ている家内の顔をのぞきこむように、上からぬっと顔を近づけて来ました。

 ※Khusen RustamovさんによるPixabayからの画像 です。

それは白い服を着た、髪の長い女の人で、家内が見たことがない人でした。

体が動かないので、家内は横目で、隣に寝ている同僚を見たそうですが、彼女は何も気がつかないまま、眠っていたそうです。

家内の顔をのぞきこんだ女性は、家内にこう話しかけて来たと言います。

「どうして、あなたはここにいるの?」

そう聞かれて、家内は混乱の中、その問いの答を、考えようとしました。
でも、すぐに答が思い浮かびません。

どうしてだろうと、考えているうちに、その女性は姿を消し、家内は体を動かせるようになったそうです。

その女性が現れたのは、その時一回きりだったようです。

その女性と関係があるかどうかは、わかりませんが、家内と同僚が使っていた部屋は、昔の結核病棟の部屋だったそうです。


家内は私と一緒になった後も、幽霊と思えるようなものを、目にしています。

夜、小学校の体育館を使わせてもらい、知り合いとソフトバレーボールを、やっていた時のことです。

夏の暑い時で、体育館の横にある扉や窓は、全部開けてありました。

その開いた扉の下の端から、おじいさんの顔が、みんなの様子を眺めていたと言うのです。

見た時には、誰かの家族かと、家内は思ったそうです。

でも、よく考えてみれば、いつもはそんな人は来ないし、扉の下の端に、顔があるのも不自然です。

座っていたとしても、顔の位置は、もっと上にあるはずです。

顔があった位置を考えると、そのおじいさんは外で、腹ばいになっていた事になります。

おかしいなと思って、もう一度扉に目をやった時には、そのおじいさんの顔は消えていたそうです。


次は私の息子の話です。

私の息子が学生の頃、友人たちと自殺の名所と言われる橋へ、肝試しで訪れたそうです。

息子と一人の友人は、橋の手前にいたそうですが、もう一人の友人が、橋の中ほどまで行ったらしいのです。

 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。

橋の中ほどまで行った友人は、息子たちの方を振り返って、何もないと伝えて来たそうです。

でも、その友人の向こうから、黒い人影が、ゆらゆらと近づいて来たのです。

息子と、手前にいた友人の二人には、その黒い影が見えていました。

でも、橋の中ほどにいる友人には、それがわからなかったそうです。

息子たちは大声で、早くこっちへ、逃げて来るようにと言いました。
しかし、なかなかそれが、相手には伝わりません。

その間にも、黒い影は次第に、その友人に近づいて来ます。

結局、息子たちの言葉に従って、橋の中ほどにいた友人は、こちらへ移動して、事なきを得たそうです。


今度は、私の仕事関係の人の話です。

以前に名古屋へ、仕事で出張した時、私が宿泊するホテルを、出張先に頼んで予約をしておいてもらいました。

そのホテルは、何と温泉つきのホテルでした。

初めの日は移動だけだったので、私はホテルへ直行し、自分の部屋でくつろいでいました。

する事がないので、持って行った本を、ベッドに寝転びながら読んだのですが、これが怖い話の本だったのです。

初めから読むのではなく、私は適当に開いたページを、読むことにしました。

それで開いたページに書かれていたのが、名古屋の話だったのです。

ああ、この名古屋じゃないか、奇遇だなと、私は思いました。

それで話を読み進めると、その話を伝えているのが、かつてホテルで働いていた人ということでした。

そのホテルの名前は、伏せられていました。

でも、、市内で温泉のある、某ホテルとあるではないですか。

そのホテルに幽霊が出る、という話なのです。

街中で温泉つきのホテルなんて、ざらにはありません。

もしかして、このホテルだろうかと思いましたが、私の部屋では何事も起こらず、無事に過ごすことができました。

翌日、仕事先へ行って、そこの課長さんに、その話をしてみました。

課長さんは、恐らくそのホテルは、私が泊まったホテルでしょうと言いました。

その話をきっかけに、幽霊というのではないのですがと前置きをしてから、課長さんが自分の不思議な体験を、話してくれました。

その課長さんの家が、二階建ての家だったのか、マンションだったのかは、忘れてしまいました。

とにかく課長さんの寝室というのは、高い所にある和室だったのです。

その部屋で寝ていると、閉まっているはずの部屋の入り口から、いろんな人がぞろぞろ入って来るんですよと、課長さんは言うのです。

それで、寝ている自分の周りを、ぐるぐる歩き回るのだそうです。

そして、しばらくすると、今度は閉まっているはずの窓から、出て行くという話でした。

 ※ami さんによるイラストACからの画像です。

課長さん、それは幽霊でしょう、と私が言うと、課長さんは嬉しそうに、やっぱりそうでしたかと仰いました。

こんな話を誰にも聞いてもらえず、やっと私に聞いてもらえたと、課長さんは喜んでいました。

その翌日にも、そこへ行くと、よほど嬉しかったのでしょう。

あれはやっぱり幽霊だったのですねと、課長さんの方から、もう一度話かけて来られました。

本当は怖いはずの話なのに、嬉しそうにしている課長さんを見ると、自分が役に立てたような気がして、私もちょっぴり嬉しくなりました。

確かに、幽霊を見たなんて話をしても、信じてもらえなかったり、馬鹿にされたりすることが多いと思います。

それで誰にも話ができずに、悩んでいる方が、あなたのそばにも、いるかも知れませんよ。

興味がある方は、一度確かめてみたら、いかがでしょうか。

壊れた腕時計

 ※daledbetさんによるPixabayからの画像です。

先日の父の日に、家内と子供たちから、懐中時計をプレゼントされました。

父の日だったことすら、頭になかった私は、思いがけない贈り物に、胸が一杯になりました。

私は昔買った安い腕時計を、何年も使っていました。

でも、その時計が壊れてからは、時計を持ちませんでした。

別になくても、それほど困らないと、思っていたからです。

それでも、立派な懐中時計には、胸が弾みました。

何より、時計に込められた、家族の気持ちが嬉しかったのです。

その懐中時計を喜んでいると、家内が思い出したように、別の時計の話をしました。

同じ市内に暮らす、家内の義父の腕時計の話です。

 ※Bruno /GermanyさんによるPixabayからの画像です。

義父は腕時計を、二つ持っていました。

その二つとも、壊れて動かなくなったので、修理に出して欲しいと、家内は頼まれました。
もう1年ほど前の話です。

昔と違って、最近は時計屋を、見かけなくなりました。

家内は苦労して、古くて小さな時計屋を見つけると、そこへ二つの腕時計を、持って行ったのです。

その結果、一つは再び動くようになりました。

でも、もう一つはどうしても動かないので、これはだめだと、時計屋さんに言われました。

家内は直った方の腕時計を、義父に戻しました。

壊れたままの腕時計は、また別の時計屋を探してみようと思い、自宅の机の引き出しに、仕舞っておきました。

とりあえず一つは直ったので、義父はそれで、満足してくれたようでした。

しかし先週、その腕時計がちょっとした事情があって、無残に壊れてしまったのです。

せっかく修理に出して、直ったはずの腕時計が、どのように壊れたのかを、家内は私に説明しようとしました。

でも、上手く説明できないので、机の引き出しに仕舞っておいた、壊れたままの腕時計を取り出しました。

それを使って、今度の時計の壊れ具合を、私に説明しようとしたのです。

 ※rakuichi_rakuza_v3さんによる写真ACからの画像です。

ところがです。

家内が手に持った、その壊れていたはずの腕時計の針が、動いていたのです。

しかも現在時刻に、ぴったりと合っていました。

その事を指摘すると、家内も驚きました。

だってその時計は、時計屋がだめたと言った、時計なのです。

壊れたまま机の引き出しの中に、ずっと放っておかれた、時計だったのです。

その時計が動いていて、しかも時刻がぴったり合っているのです。

まるで、今回壊れた時計の代わりに、自分を義父の元に届けなさいとでも、言っているかのようでした。

翌日、家内はそれを、義父に届けに行きました。

腕時計が壊れた義父は、かなり落ち込んだと思います。

でも、勝手に直った腕時計を持って行くと、とても喜んでくれたそうです。

時計屋が直らないと、断言した腕時計ですから、家内は捨てることも考えました。

でも結局、捨てないで取っておいたのです。

もし捨てていたら、今回の話はありませんでした。

また、私への父の日のプレゼントですが、これが懐中時計だったのも、偶然とは思えません。

懐中時計だったから、義父の時計が壊れたという、話題が出たのです。

父の日のプレゼントがなかったり、もらっても懐中時計でなかったなら、今回の話にはつながらなかったかも知れません。

それに家内が、壊れた腕時計の説明をするために、何でわざわざ、引き出しの中の腕時計を、出そうとしたのかも不思議です。

その時計がなければ説明ができない、という事でもなかったのです。

それが説明の途中で、ふと思いついたように、引き出しから、この腕時計を取り出したのです。

家内が引き出しを開けなければ、この時計が動いていても、誰も気がつかなかったでしょう。

私たちは、壊れた時計の代わりに、新しい時計を義父に買ってあげようかと、相談をしていたのです。

でも新しい時計より、使い慣れた時計の方が、いいに決まっています。

実際、義父はとても喜んでくれましたから、本当によかったと家内と喜び合いました。

きっと見えない誰かが、そっと力を貸してくれたに、違いありません。

不思議なこともあるものだと言いながら、目に見えない力を、発揮してくれた何者かに、夫婦二人で深く感謝をしました。

本当に不思議で、感動的な出来事でした。

40年前の話

6月になりました。
今日は、40年前の今頃、私が体験したお話をします。

当時、私は大学生でした。
暮らしていたのは、大学近くのアパートです。
近所には、スーパーがありません。

それで買い物をする時には、当時流行のミニサイクルに乗って、山の向こうにあるスーパーまで、買い出しに行きました。

 ※桔梗さんによる写真ACからの画像です。

山越えの道もあったのですが、自転車でその道を登るのは大変です。

ですから、山の向こうへ行く時には、山を迂回して、山裾の道を通っていました。

買い物を済ませてスーパーを出たのは、夕方でした。
山裾の道まで戻って来た時、辺りは夕闇に包まれていました。

空はまだ、ほのかに明るさが残っていました。
しかし、山陰になっていたこともあって、辺りは夜のような暗さです。

それでも、完全に夜というわけではありません。
どこに何があるという程度の、辺りの様子はわかりました。

 ※Hans BraxmeierさんによるPixabayからの画像です。

ミニサイクルの電灯をつけて走る、暗い道には誰もいません。
道の両脇は田んぼです。

左側の田んぼのすぐ向こうには、山裾が広がってできた丘がありました。

その丘には小さな祠があります。
私がそこの道を走っていた時、左前方にその祠が見えていました。

自転車を走らせながら、私は何気なく祠の方に目をやりました。
すると、そこから誰かが降りて来るのが見えました。

闇の中だし離れていますから、直接人影を認めることはできません。
人だとわかったのは、その人物がペンライトを持っていたからです。

ペンライトを持つ手を、振りながら降りているのでしょう。
小さな明かりが、強くなったり弱くなったりしながら、揺れ動いています。

その明かりが祠の長い階段を、ゆっくり降りて来るのが見えたのです。

こんな時間に、あんな所で何をしていたのだろう。
私はいぶかしく思いました。

昼間なら、何も思いません。
真っ暗になってから、丘にある祠に行くのは不気味です。

 ※tsukuriさんによる写真ACからの画像です。

階段の下には、私が進む道に向かって、細い道が真っ直ぐ伸びています。
そのペンライトの人物は階段を下りきると、そのまま細い道を進んで来ました。

その間、私はずっとミニサイクルを、走らせているわけです。
当然、その人物との距離は、どんどん縮まって来ますよね。

ところがです。
距離は近づいているのに、そこに人影が見えないのです。

いくら暗いと言っても、近づけば動く人影ぐらいは、見えそうなものです。

実際、他の構造物は暗闇の中でも、確認できていました。
それなのに、その人物だけが見えないのです。

見えていたのは、ゆらゆら動くペンライトの灯だけでした。

これは絶対におかしいと、私は思いました。
この距離であれば、そこに人がいれば見えるはず。

だけど、いくら目を懲らしても、見えるのはペンライトの灯だけです。
私は背筋がぞわっとしました。

これは人間じゃない!
人魂か?
そう思いながらも、ペダルをこぐ私の足は止まりません。

何も自分から、怖いものに近づかなければいいのにと、今なら思います。

でも、その時は恐怖に固まってしまったわけですね。
固まっているのに、足だけが勝手にペダルをこぎ続けているのです。

 ※RobertoChignoliさんによるPixabayからの画像です。

その人魂のような小さな光は、私が走る道へ出て来ると、こちらへ向きを変えました。

まるで、大きな道に出て来た人間のように、カクッと90度方向転換したのです。

私が走っている道の真っ正面です。
人だったら、見えないわけがありません。
でも、そこにいるのは、その光だけでした。

光はふわふわと漂いながら、私の方へ向かって来ました。
私の自転車も、光に向かって走って行きます。

光が目前にまで迫った時、私は心の中で叫び声を上げました。

胸の中では、心臓がバクバクしています。
全身に鳥肌が立っているような感じでした。

そして、ついに光が私のすぐそばまで、やって来たのです。

だけど、その光は私に何をするでなく、すっと私の横を通り過ぎました。
その時、私はようやく恐怖の呪縛を、解くことができました。

ああ、怖かった。
それが、その時の正直な気持ちでした。

私は自転車を止めると、光を振り返りました。
光はそれまでと同じ調子で、ふわふわと飛んでいます。

私は足下の田んぼに、目を向けました。
すると、稲の葉の陰に、いくつか似たような光が、点滅しています。

そうです。
私が人魂だと思っていた、その光。
それはホタルだったのです。

私はそれまで、ホタルを見たことがありませんでした。
初めてホタルを見た私は、驚きと感動で一杯になりました。

でも、ホタルを人魂だと思い込んで怖がった。恥ずかしさもありました。
辺りに誰もいなかったことが、救いでした。

しばらくホタルを眺めた後、私は無事にアパートへ戻りました。
40年前の話です。

今年も、ホタルの季節になりました。

 ※Anthony JarrinさんによるPixabayからの画像です。

心が奏でるメロディー

 ※Alexas_FotosさんによるPixabayからの画像です。

音楽にはメロディーがつきものです。
楽しいメロディー、悲しいメロディー、明るいメロディー、暗いメロディー。

明るく楽しいメロディーを聴けば、明るく楽しい気分になれます。
暗く悲しいメロディーを聴けば、暗く悲しい気持ちになります。

また、メロディーを表現する、楽器の種類や演奏の仕方によって、同じメロディーでも、雰囲気が違ったものになります。

本来はしっとりした曲も、リズミカルで弾むようなものに、変身したりしますよね。
こうなると、メロディーそのものは、同じかも知れませんが、もう全然違う曲と言えるでしょう。
もちろん、著作権の話は別ですよ。

ところで、楽しいメロディーを楽しく感じたり、悲しいメロディーを悲しく感じるのは、どうしてなんでしょう。

どちらも高さの違う音を、並べただけです。
和音だって、いくつかの音の、組み合わせに過ぎません。

それなのに一方は楽しく感じ、他方は悲しく感じる。
これは何故なのでしょう。

 ※Lee TravathanさんによるPixabayからの画像です。

昔の話ですが、私は不思議な夢を見ました。

ギリシャ神話に出て来るような、白い衣装を身にまとった、きれいな西洋の女性の夢です。

その女性が、かなり離れた所から私に向かって、悲しそうな顔で歌を歌うのです。

でも、何故かその歌は、人の声ではありませんでした。
バイオリンで奏でたような、音だったのです。
かなり高音の、とても悲しげなメロディーでした。

そのメロディーが、私の耳に届くや否や、私の心は、悲しみで一杯になりました。

私に悲しむ理由はありません。
その悲しみは彼女のものでした。

まるで彼女の声が、私の心の中に入り込み、私の心全部に広がった感じです。

気持ちを落ち着けながら、私は自分の考えが正しいかどうかを、確かめようと思いました。
それで、もう一度歌いかけて欲しいと、心の中で彼女に願いました。

すると、彼女は同じメロディーの歌を、私に向かって歌ってくれました。
その声が耳に届くと、さっきと同じように、悲しみが再び、私の心に広がりました。

そこで私は悟ったのです。
彼女の歌とは、彼女の想いそのものなのだと。

歌という形で、彼女は自分の悲しい気持ちを、私に投げかけたのでしょう。

そして、それを受け止めることで、私は彼女の悲しみを、直接体験したわけです。

どうして、そんな夢を見たのかはわかりません。
その女性が何を伝えたかったのか、私と彼女の間にどんな関係があるのか、そんなことは何もわかりませんでした。

でも、その夢を見てから、メロディーとはその人の心が、形を持って表現されたものなのだと、私は理解しました。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

物理学的に言えば、メロディーは音ですから、空気中を伝わる、振動エネルギーに過ぎません。

だけど、それは恐らく、一面的な捉え方なのでしょう。

メロディーとは音の形をとった、その人の心の一部なのだと、私は思うのです。

メロディーに、歌詞がついているかどうかは、関係ありません。

歌詞も言葉を通して、気持ちを表現したものです。
でも、メロディーはもっと根源的な所で、心を表現したものなのです。

だから、楽しい気持ちで作ったメロディーは、他の人が聴いても楽しく感じるのです。

また、悲しい想いがこもったメロディーは、聴いた人を悲しい気持ちにさせるのです。

誰かが作った歌を、別の人が自分の歌い方で歌った場合、それはもう初めの歌とは全然別物です。
誰が作った歌かではなく、誰がどういう気持ちで、歌っているかがポイントなのです。

時代によって流行る音楽を、いろいろ聴いてみると、きっとその時代に生きる人々の、心の状態を探ることができるでしょう。

そういう目、いや、耳で現代の音楽を確かめてみると、どんな心に触れられるのでしょうね。

 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。