UFOの飛行システム

UFOは空中に静止したまま浮遊したり、ジェット機を追い越すほどの猛スピードで、空中を飛びます。
慣性の法則など無視したように、急停止したり、V字のような急激な方向転換も可能です。
突然消えたり現れたり、テレポートしたように瞬間的に、別の場所に移動したりもします。
UFOの動きは、現代科学では解明不能です。
それ故に、UFOの存在自体が、未だに信じられない人がいるのです。
目にも留まらぬ、猛スピードで飛んだ後、急激に停止したり、方向を変えたりすれば、中にいる者はどうなるでしょう。
加速度の変化に耐えられず、死んでしまうというのが、人間の常識です。
無人であれば、中の乗務員の心配は、しなくて済みます。
それでも、UFO内部の機械や本体に、ものすごい負担がかかるのは、間違いないでしょう。
その負担に耐えられるほどの、機械を造れるのかということも、技術者から見れば、懐疑的に思われるでしょう。
いずれにしても、急停止や急な方向転換をする UFOは、地球人が知る常識では、有り得ないことなのです。
しかし、アメリカ政府が認めたように、UFOは実在しているのです。
まるで人類をからかうような、荒唐無稽な動きを見せるのは、自分たちの存在を、見せつけているかのようです。

私は科学者ではありませんし、エンジニアでもありません。
それでも、UFOの動きについて、自分なりに考察してみました。
人間の科学の常識を、越えた動きですから、人間の理屈や理論で考えても、解明はできません。
UFOを操る者たちは、遠い宇宙か異次元から、この地球へ来たと考えられます。
しかし、時空を超える技術がなければ、そんなことは不可能でしょう。
つまり、UFOの中にいる者たちは、時空間というものを、熟知しているに違いないのです。
それに対して、人間が時空間について、知っている事は、ほとんどありません。
ただ、空間と時間がある、ということだけです。
人間の乗り物は、瞬間的に空間を、移動することはできません。
しかし、UFOはそれが可能なのです。
UFOを解明するには、時空間について、考える必要があります。
そこで私は、自分がいる場所について考えました。
空間の中ですから、数学的に言えば、縦・横・高さの三要素が決まれば、三次元空間の中の、私の居場所が決定されます。

ちょっと見づらい図で、申し訳ないのですが、上の図は x, y, z の三つの座標軸で、三次元空間を表現したものです。
空間座標の中の1点を、Pとした場合、Pの位置はx軸とy軸とz軸の数値で、説明できます。
表現の仕方は、P (x, y, z) となります。
上図の点P1は、x軸の数値が0、y軸の数値が5,z軸の数値が4です。
ですから、P1の位置は、P1 (0, 5, 4) と表現されます。
同様に、P2は P2 (-2, 5, 0) P3は P3 (-2, 0, 4) P4は P4 (-2, 5, 4) となります。
私の居場所がP4だとすると、私は P4 (-2, 5, 4) にいると表現できます。
ただ、この世界には、時間の流れがありますから、同じ場所でも、今という瞬間と、過去、未来は、それぞれ別の場所と、考えることができます。
その場合、空間の一点を決めるx軸、y軸、z軸に加えて、時間を表すt軸を考慮します。
でも、それを図で示そうとすると、四次元的なものになってしまうので、ちょっと描くのはむずかしいですね。
文字で表すと、P4 (-2, 5, 4, t)となります。
このtに、t軸の数値を入れるのです。
たとえば現在のt軸の数値を0とすると、この瞬間に私がいる場所は、P4 (-2, 5, 4, 0) となります。
ある未来の一点のt軸の目盛りを、8としましょう。
すると、その未来の私の居場所は、P4(-2, 5, 4, 8) となるのです。
同様に、過去の一点のt軸の目盛りを、-6とします。
すると、その時の私の居場所は、P4(-2, 5, 4, -6) となるわけです。
数学が嫌いな人は、そろそろ混乱して来ているかも知れませんね。
すみません。
でも、もう少しお付き合い下さい。

時間の流れも考慮した、自分の居場所は、(x, y, z, t) の数値で表現することができます。
ここにもう一つ、意識を合わせる世界を、表現する要素wを、加えるとしましょう。
要素wとは、無数にあるパラレルワールドの中の、どの世界に焦点を合わせるか、という意味です。
要素wを考慮すると、自分の居場所は (x, y, z, t, w) の数値で表現されます。
これは 、w という世界における、t という時間の、x, y, z が示す位置、という意味になります。
今、私たちが意識を合わせているのは、この世界です。
でも、死んだ人たちの意識が、合わせているのは、別の世界です。
異星人たちが、普段存在している世界も、私たちとは違う世界だとしましょう。
それぞれ違う世界ですから、w に入る数値が、それぞれ異なるわけです。
私たちの世界の、w軸の数値を0として、あの世のw軸の数値を-1とします。
またUFOが普段潜んでいる世界の数値を、1とします。
今、私がいるP4という場所は、P4 (-2, 5, 4, 0, 0) となります。
この最後の数字、w軸の0を-1に変えることができたら、その瞬間に、私はあの世へ移動するでしょう。
w軸の0を1に変えて、P4 (-2, 5, 4, 0, 1) となれば、私は異星人たちがいる世界へ、移動することになるのです。
しかし、その移動は、物理的な移動とは違います。
自分はその場所から、一歩も動いていないのに、周りの景色が、一瞬で変わるわけです。
360度鑑賞できる立体映画の映像が、別の映画の映像に変わるようなものです。

恐らくですが、異星人たちは、次元を超えた空間座標を、自由に変えることが、できるのだと思います。
自分が見ている立体映像を、好きなように変化させるわけですね。
私たちから見れば、猛スピードで動いているUFOですが、異星人から見れば、ずっと同じ場所にいるわけです。
猛スピードで動くのは、UFOではなく周囲の映像の方なのです。
加速度もかかりませんから、私たちから見て、猛スピードでジグザグ飛行をしていたとしても、UFOの中にいる異星人たちは、振り回されたりはしません。
x軸、y軸、z軸の数値を急速に変えれば、猛スピードで移動できます。
連続変化ではなく、いきなり全然違う数値に変えれば、瞬間移動になります。
w軸の数値を変化させれば、パッと現れたり、パッと消えることができるのです。
t軸の数値も変えられるのだとすれば、過去や未来へも、移動できるのかも知れません。
どうすれば、そんなことができるのでしょうか。
そのヒントは、心や意識にあるのだと、私は考えています。
精神エネルギーである幽霊は、一瞬にして離れた場所へ、移動することが可能です。
私たちが見る夢の世界も、私たちの思考に応じて、一瞬で景色や様子が変化します。
どうすればと考える必要はありません。
全ては自分が、思い浮かべたとおりになるのです。
きっと異星人は、世界が精神エネルギーで構成されていること、自分たちの意識が、その一部であることを、理解しているのでしょう。
空間の精神エネルギーに、自分たちの意識を作用させることで、UFOの自在な動きを、生み出しているのだと思います。

付け足して言うならば、乗り物としての UFOは、彼らの精神エネルギーを、物質化することで、作られているのかも知れません。
つまり、UFOは異星人の意識とつながっており、異星人が考えたとおりに、自動的に動くのです。
UFOを解明する鍵は、精神エネルギーにあると思います。
心が何かわからない、なんて言っているうちは、UFOの解明はむずかしいでしょう。
UFOへの無関心

アメリカ政府が UFO を認めたという話題に、テレビで反応を示したのは NHK だけです。
民放のテレビ局は、お得意の UFO 番組を作る気は、なさそうに見えます。
新聞社なども、これといった特別な反応は示しません。
まるで、アメリカの発表など、聞いていないとでもいう感じです。
マスコミがこんな感じですから、国民も全く無反応です。
危機感もなければ、期待感もありません。
怪談話で有名な稲川淳二さんが、以前に語っていました。
テレビ局は夏になると、怪談話を取り扱う番組を、作ることがありますが、本物の霊については、恐ろしいから取り扱わないそうです。
取材して、これは本物だとなると、せっかくの記録が、お蔵入りになるらしいです。
それと同じで、民間のテレビ局は、UFO が本物だと考えたから、怖くなって番組を作れなくなったのでしょう。

一方、一般の人々が UFO について考えようとしないのは、何故でしょうか。
先に述べたように、マスコミが騒がないからというのが、一つの大きな理由でしょう。
コロナ騒ぎや経済問題、異常気象による災害など、対処しなければいけないことが、山ほどあるせいでもあると思います。
しかし、UFO をアメリカが認めたことは、知っているはずです。
やらないといけない事があったとしても、何らかの反応があってもいいのです。
それなのに反応がないのは、どうしてでしょうか。
それは恐らく、体調が悪いのはわかっているのに、恐ろしい病名を告げられるのが怖くて、病院へ行こうとしない人の、心境だと思います。
UFO について真剣に考えるのが、怖いのです。
そんなことを考えるより、無視していつもどおりの、暮らしをしている方が、気分が楽なのでしょう。
あるいは、実際に自分たちが、UFO から襲われたことがないから、何も問題はないだろうと、勝手に決め込んでいるのかも知れません。
しかし、UFO に襲われないと思うのであれば、UFO について、もう少し考えることがあっても、いいと思います。
そうならないのは、生活に直接影響のあるコロナや景気の方に、どうしても気持ちが、向いてしまうからでしょう。
それでも、国が UFO についての情報を集めるよう、指示を出したのです。
今後は遠慮することなく、目撃談がたくさん出て来ると思います。

UFO の方でも、国がそういう指示を出したのを利用して、自分たちの存在をアピールしようと、これまで以上に出没するかも知れません。
そうなると、嫌でも人々の関心は、UFO に向くでしょう。
そして、UFO について話し合うはずです。
もし、UFO が私たちをパニックに陥れたいのであれば、すぐにでも大量の UFO が、世界中で目撃されるでしょう。
しかし、パニックを望まないのであれば、私たちの様子を見ながら、自分たちは友好的だと示すような、現れ方をすると思います。

今、人類の意識は大きく変化を、しようとしています。
このタイミングで 、UFO 認知の動きが現れたのは、決して偶然ではありません。
UFO に乗っている者たちは、私たちが進化する様子を、見ているのです。
きっと、これまでのように、互いの違いを責め合うのではなく、同じ人類の多様性として、認め合えるようになるのを、待っているのだと思います。
そうなれば、その時には、誰にでもわかる形で、UFO は姿を現すでしょう。
その時期は、それほど遠い未来ではありません。
今、地球人類の間に、急速に思いやりの心が、広がっています。
それに抵抗する人たちもいますが、最終的には抵抗が無駄だと、理解するでしょう。
その時に、世界中で UFO は、はっきりと人々の前に現れると、私は確信しています。

UFOへの自衛隊の対応

アメリカがUFOの存在を認めた時、日本も対応について考えると、河野防衛大臣は明言しました。
そして今日、河野大臣は自衛隊に対し、未確認飛行物体(UFO)への対処に関する、指示を出しました。
その内容は、「日本の防衛および警備に影響を及ぼす恐れのある空中における識別不能の物体」を確認した場合、報告に万全を期すとともに写真撮影などの記録に努め、情報分析を行うというものです。
昔と違い、今はドローンという飛行物体があります。
UFOを信じてはいないと言う河野大臣は、UFOの正体を進化したドローンと、受け止めているのかも知れません。
いずれにせよ、正体が分からない飛行物体を見つけたら、写真等の記録をし、それが何であるかを、徹底的に調査をすることになったのです。
昔のことを考えると、これはとてつもなく進歩的な、対応だと思います。
日本の防衛省が、こういう指示を出したわけですから、航空会社もこれに準じるでしょう。
これまでは航空会社のパイロットが、UFOを目撃したと報告すると、馬鹿にされたり、業務から外されたりしたと言います。
ても、今後はそんな事はなくなるでしょう。
そして、パイロットたちはようやく、安心して体験したことについて、報告ができるようになるのです。

パイロットたちの体験は、国家にとって重要な情報になるかも知れません。
恐らくパイロットたちは、UFO に遭遇した時には、詳しい情報を国に提出するよう、求められるでしょう。
しかし、国は情報を集めながら、それを国民には公表しないかも知れません。
目撃者にも沈黙を守るよう、強く依頼することは有り得ます。
何故なら、UFO 情報が次々に発表されたら、国民がパニックになるかも知れないからです。
とは言っても、現段階では多くの人々にとって、UFO など自分には関係ないといった雰囲気です。
それは日本だけに限りません。
世界中の国が、 この問題について、まるで無関心を決め込んでいるかのようです。

UFO よりも、今日の暮らしの方が大切と、言わんばかりに、人々は目の前に置かれた、現実的な問題への対応に必死です。
仕事はどうなるのか、株価はどうなるのか、ということばかりに、気持ちを集中させています。
しかし、元々 UFO に関心を持っている人たちは、今がどんな状況にあるのかを、理解しているでしょう。
不安に感じている人もいれば、期待を抱いている人もいると思います。
本来はもっと多くの人が、そういう反応を示すと、私は思っていました。
でも実際には、ほとんどの人が無関心のようです。
素晴らしい大坂なおみ選手

女子テニスの大坂なおみ選手が、全米オープンで2年ぶり2度目の優勝を果たしました。
それだけでも素晴らしいことですが、彼女は一人の人間があるべき姿を、世界中に示してくれました。
それが、彼女をさらに素晴らしくしています。
大坂選手は今大会、1回戦から決勝まで、毎回アメリカの黒人市民の名前が書かれた、マスクを着けて入場しました。
名前が書かれた黒人市民というのは、これまでの黒人差別で、亡くなられた方たちです。
大坂選手は今までも SNS を通じて、黒人差別に対する、抗議の声を上げて来ました。
全米オープンの前に開催された、ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは、大会直前に起こった、黒人男性銃撃事件に心を傷め、準決勝を棄権しようとしました。
大会運営を担う女子テニス協会は、彼女の思いに賛同して、その日の準決勝開催を中止し、翌日開催としました。
それで、大坂選手は棄権を撤回し、準決勝に出ました。
この時の彼女の決意と行動を、称賛する声は多かったものの、批判的な声も聞かれたと言います。
その一つは、スポーツに政治を持ち込むな、と言う意見です。
しかし、これは単なる政治運動とは違います。
人間としての問題です。
大坂選手も、これは人権問題ですと、この意見に返しています。
棄権するぐらいなら、初めから大会に出場しなければよかったのに、という意見もあります。
これに対する彼女の答えを、私は知りません。
でも、恐らく彼女の中でも、葛藤があったのだと思います。
どうすればいいのかと悩みながら、大会は進んで行き、行動を起こすしかないと決意した時には、準決勝になっていたということでしょう。
当然、大会運営に迷惑をかけるでしょうし、試合を期待していたファンを、裏切ることになるかも知れません。
それでも大坂選手は、黙ったままでいることが、できなかったのでしょう。
それだけ、アメリカで起こっている黒人差別問題に、強い危機感を覚えたのに、違いありません。
彼女の取った行動を、誰も責めることはできません。
彼女を責めることが、正しいとは私は思いません
一度何かをやると決めてから、これではいけないと気がついて、途中で行動を変えるということは、正しいことです。
また、とても勇気のいることでもあります。
いったん決まったら、それが大きな問題を起こすとわかっても、なかなかやめようとしない。
そういうことが、日本政府にはよく見られますよね。
大坂選手は、それと逆のことを、行ったのです。
これまでアメリカの多くのスポーツ界で、黒人差別に対して声を上げた選手たちは、引退に追い込まれるなどの、代償を払わされて来たと言います。
それは大坂選手も、例外ではなかったでしょう。
自分がどういう処遇を受けるのかという、怖さが大坂選手にもあったはずです。
それでも、自らが信じる行動を示した、大坂選手は称賛に値すると思います。
大坂選手の行動を、彼女自身が黒人だからと、考える人はいるでしょう。
また、確かにその一面は、あると思います。
でも、彼女が声を上げたのは、肌の色に関係なく、人間として黙っていられなかったからではないかと、私は感じています。
差別され殺され続けているのが、黒人でなかったとしても、彼女は同じ行動を取ったに違いありません。
プロのテニス選手なのだから、棄権ではなく、他の方法で差別への抗議をしても、よかったのではないかと言う人もいました。
それが間違いとは言いません。
だけど、自分の仲間たちが、虫けらのように殺されたのを知りながら、平然とテニスをする気持ちには、なれなかったのだと思います。
もし、自分の家族が理不尽に殺されても、あなたは今の仕事を、これまでどおりに続けられるでしょうか。
恐らく、できないでしょう。
普通はできないと思います。
大坂選手が黒人差別による殺人を知り、テニスをプレイする気にならなくなったのは、それだけ亡くなった方に対して、深い悲しみの念を、抱いたからだと思います。
彼女の決断が理解できない人は、結局、差別による殺人を、他人事のように感じているのでしょう。
こんな場面でプロ意識云々と言う人は、プロというものを、ロボットか何かのように、考えているのだと思います。
でも、大坂選手はロボットではありません。
みんなと同じ、一人の人間なのです。
それに今回、彼女が棄権を表明したことで、テニス協会が彼女に同調し、試合日を延期しました。
これは、とても大きな意義があることだと思います。
結果論ではありますが、黒人差別に反対する表明を、テニス協会が出す状況を作ったのです。
大坂選手の棄権宣言がなければ、有り得なかったことです。
これは社会的にも、大きな影響があったと私は思います。
その後、大坂選手はテニス協会と話し合い、出場することになりました。
理由は、より強い抗議の意思を、示すことができると、考え直したからだと言います。
もちろん、自分に賛同してくれたテニス協会への、感謝もあったと思います。
一度棄権すると表明したことを、取り下げたわけですが、これも正しいやり方がわかったから、それを行うことにしたというだけです。
やはり、これも素晴らしいことでしょう。
そして全米オープンで大坂選手は、試合に出ることで、黒人差別問題への、より強い抗議を示しました。
それが入場時に着けていた、名前を書いたマスクです。
そして、それは彼女が予想したとおり、世界中への強いメッセージとなったのです。
アメリカでは黒人差別で、頻繁に黒人の命が奪われています。
そのため被害者の名前は、すぐに新たな被害者の名前に書き換えられてしまうのです。
そうなると、それまでの被害者の名前は、人々の記憶から、忘れ去られてしまいがちに、なってしまいます。
大坂選手はそれを嫌い、亡くなった人たち一人一人のことを、忘れないで欲しいという想いを、マスクの名前に込めたそうです。
また、そうすることで差別問題について、人々に話し合ってもらいたかったと言います。
決勝まで用意した七つのマスクを、全部着けるためには、勝ち進むしかありません。
そのことは、今回の大会での、彼女の大きなモチベーションに、なっていたそうです。
大坂選手は、ただ大会で優勝するために、戦っていたのではないのです。
亡くなった方や、その遺族のために、戦ったのです。
その思いは、彼女の姿に現れていました。
ミスをしても取り乱さず、落ち着いていたのは、人として成長し、強い心を持っていたからでしょう。
全米オープンの決勝では、過去25年間、第1セットを落とした方が、勝つことはなかったそうです。
第1セットを落とすことが、相当のプレッシャーになるのでしょうね。
しかし大坂選手は、第1セットを落としたのにもかかわらず、逆転優勝を成し遂げました。
この事だけでも、彼女がどれだけ強い心を、持っていたのかわかります。
大坂選手は本当のトッププレイヤーが、どういうものなのかを、世界中に示したと言えるでしょう。
ただ強ければいい、という時代は終わったのです。
これからは人間性を、強く求められるようになるでしょう。
それは恐らく、巨大な経済力を持つ個人や、企業にも言えることです。
これからの社会では、お金を多く稼いだ者ではなく、稼いだお金をどう使ったかが、問われることになるでしょう。
そして、人々から称賛されるのは、人間性のある者だけになるのです。
大坂選手は日本国籍を持ちながら、アメリカで暮らしています。
黒い肌を持っていますが、顔は東洋人です。
あなたはどこの人間かと問われても、彼女は答えるのに、窮してしまうかも知れません。
でも、彼女の気持ちはシューズに、書かれていました。
“Home is where the heart is”
(家とは愛がある所)
これが大坂選手の気持ちなのです。
そして、これは多くの人が、願っていることでもあるのです。
大坂選手は、まだ22歳です。
若いのにすごいね、という話ではありません。
これからの世界、これからの社会は、彼女のような若い人たちが、創って行くのです。
その若者たちのあるべき姿を、大坂選手は示してくれました。
これはまさに、これからの世界の姿を、象徴しているように思います。
本当に素晴らしい。
私は改めて、彼女の強靱的なテニスの強さ、そして強靱的な心に対し、称賛を送ります。
二つの道後温泉駅

道後温泉のすぐ近くには、松山市内の路面電車の、終着駅があります。
この路面電車は、松山市唯一の私鉄会社、伊予鉄道が運営しています。
ところで松山の西端には、三津という港町があります。
古くは伊予水軍の拠点として使われ、江戸時代には参勤交代で、殿さまが安芸(広島)まで往来する、水路の港として利用されていました。
明治時代になってからは、三津は松山の玄関口として、海路による人や物資の輸送拠点として、大いに発展しました。
小説「坊ちゃん」で、松山を世に紹介した夏目漱石も、船で三津に降り立ちました。
「坊ちゃん」の中で、マッチ箱のような汽車とされたのは、伊予鉄道がドイツのミュンヘンから輸入したものです。
現在街中を走っている坊ちゃん列車は、当時の汽車を再現したものです。

鉄道がまだなかった頃は、松山の中心から三津まで行くには、舗装されていない道を、歩いていました。
荷物を運ぶには、牛や馬に運ばせていましたが、雨などで道がぬかるんでいたりすると、運ぶのが大変だったそうです。
特に山で切り出した木材を、大阪まで運ぶのに、三津までの道には、難儀したと言います。
松山の中心から、三津までの距離は約6.5km。
それなのに、この6.5kmの木材の運び賃が、三津から大阪までの船賃よりも、高くついたそうです。

そこで木材運搬のための、線路を引こうとなり、市内中心と三津を結ぶ、伊予鉄道が誕生しました。
初めて見る汽車に市民は熱狂し、伊予鉄は貨物運搬よりも、人の運搬が主となったと言います。
こうして三津の町は、ますます盛況を迎えたのですが、問題がありました。
三津の海は遠浅で、大型船が港に、直接入ることができませんでした。
それで当時は、大型船は三津の沖に停泊し、そこから小型の船に、人や物を移し替えて、港まで運んでいたのです。

こんな事をしていては、松山の発展が遅れると、三津よりももっと北にある、高浜という所に、新たに港を造る計画が、立ち上がりました。
当然、伊予鉄も線路を高浜まで、延ばすことになりました。
これを知った三津の町民は、猛反発しました。
三津は松山の玄関口として、栄えて来たのです。
ところが高浜が玄関口になると、三津はさびれてしまうと考えたのです。
三津の人々は、高浜に港を造ることに、猛反対しました。
しかし計画は進められ、高浜に新しい港が、建設されたのです。
伊予鉄も終点を、三津から高浜に変更しました。
怒った三津の町民たちは、伊予鉄の利用をボイコットしました。
そして馬車で、汽車に対抗しようとしました。
しかし馬車で汽車に、勝てるわけがありません。
そこで自分たちでお金を出し合って、伊予鉄に対抗するべく、松山電気軌道という会社を興したのです。

松山電気軌道が作った路線は、伊予鉄の線路に平行するようにして、三津から松山の街中まで造られました。
しかし、それだけでなく線路はさらに、道後温泉まで続いたのです。
三津から道後温泉まで、直行できるというわけです。
観光や仕事で、松山を訪れた人には、便利ですよね。

しかも伊予鉄は軽便鉄道で、線路の幅は小さく、車両も狭いのに対し、松山電気軌道は線路幅が広くて、車両も広かったのです。
さらに伊予鉄は汽車なので、黒煙を吐きますが、松山電気軌道は名前の通り、電気で走る電車だったのです。
伊予鉄が開業した後、道後温泉と市内を結ぶ道後鉄道という、路線が造られました。
松山電気軌道が開業した頃、伊予鉄はこの道後鉄道を合併していたので、道後温泉には伊予鉄と松山電気軌道の、二つの駅が並ぶことになったのです。

両者は客の奪い合いをし、値引き合戦をしました。
松山電気軌道は、道後温泉の入浴料まで、負担したと言います。
伊予鉄は三津と高浜の間の、梅津寺という所に、海水浴場と遊園地も造りました。
松山電気軌道はこれにも対抗して、三津浜に海水浴場と遊園地を造り、松山の街の入り口辺りに遊園地も造りました。
そこまでやるかと言うぐらい、三津の人々の怒りのパワーは凄まじく、まるで映画かドラマでも観ているように思います。
それでも結局は、資金繰りが続かなくなり、松山電気軌道は伊予鉄に、合併されてしまうのです。
恐らく、そうなることは三津の人たちにも、わかっていたでしょう。
それでも自分たちの思いを、行動として表さざるを、得なかったということです。
列車の争いとしては、三津の人たちは、伊予鉄に敗北した形となりました。
しかしその意気込みは、歴史に残るほどになったのです。
この三津の人々の熱意というものには、見習うところがあると私は思います。
何でも政府の言うとおりになり、不満があっても我慢してしまう。
そんな傾向が日本人には強いのです。
言うべきところは、しっかり言うべきです。
しかし今、コロナ騒ぎをきっかけにして、多くの人が意見を、言うようになりました。
また、政府の指示を待たず、自分たちで行動を、示すようになったと思います。
松山電気軌道は資金が続かず、伊予鉄との戦いに、敗れてしまいました。
しかし、政府というものは、私たち国民が選ぶものです。
本気で争えば、国民が負けるわけがありません。
何が何でも政府に文句を言えと、言っているのではありません。
そうではなく、政府が筋が違うことをしたり、国民を切り捨てるような、態度を見せる時には、断固として反対する姿勢を、示すべきだと思うのです。
あなたの世界 その4

吐き出しても、吐き出しきれない苦しさや、再び湧いて来る苦悩は、どうすればいいのでしょう。
そこは自分で、考えなければなりません。
どうして、吐き出しきれないのか。
何故、吐き出しても、再び湧いて来るのか。
そこには必ず理由があります。
それがどんなものかは、人によって異なるでしょう。
ただ言えるのは、本人の価値観が、原因だと言うことです。
つらいことがあったら、笑ってはいけない。
ひどいことをした相手を、許すなんてできない。
人を傷つけた自分が、幸せになってはだめだ。
自分には、一人で生きて行く力なんてない。
人生が台無しになったから、自分には生きる意味がない。
自分なんか、誰にも愛されていないから、一生孤独だ。
他にもありますが、こんな感じのネガティブな価値観を、ずっと持ち続けているのが、問題なのです。

ネガティブな価値観は、あなたの心、あなたの世界を、マイナスエネルギーの振動で、震わせ続けます。
それが苦しみや苦悩となり、吐き出しても吐き出しても、湧いて来るのです。
あなたの人生とは、あなたの世界そのものです。
喜びに満ちた人生を、体験したいのであれば、世界を喜びの振動で震わせる、価値観を持つ必要があります。
ちょっとしたことにでも、喜びの価値がある。
つらいことにも、喜びや優しさにつながるものがある。
人として、生まれて来られてよかった。
そんな価値観が持てるようになれば、あなたは苦しみから解放されるでしょう。

しかし、価値観というものは、勝手に変わるものではありません。
自分自身が考え方や、物事の受け止め方を、変えると決めなければ、何も変わりません。
あなたの世界は、ずっと同じ状態に、留まり続けるでしょう。
とは言え、人は価値観を変えることが苦手です。
まるで、その価値観こそが自分自身だと、思い込んでいるようです。
価値観を変えてしまえば、それはもう自分じゃない、みたいに考える人は、少なくないのではないでしょうか。
何とか頑張って、価値観を変えようとしても、実際はなかなか、上手く行かないかも知れません。
その場合は、恐らく古い価値観を、否定しているのだと思います。
どういうことか説明しましょう。
先に述べたように、人は価値観と自分自身を、同一視しがちです。
ですから、それまでの価値観を否定することが、それまで生きて来た自分を、自分で否定するように、思えてしまうのです。
人は自分の存在を、否定されることを嫌います。
ましてや、自分で自分を否定するなんて、できるものではありません。
でも、そんなことをする必要はないのです。

たとえば、あなたがこれまで、人を傷つけるようなことばかり、して来たとしましょう。
それが社会的に見て、悪いことなのは、わかっています。
それなのに、そういうことをして来たのには、理由があるのです。
他にもいろいろやり方は、あったかも知れません。
でも自分としては、そういう生き方しかできなかったし、そうやることでしか、生きて来られなかったのです。
だけど今は、これまでとは状況が変わりました。
これまでと同じようには、生きたくありません。
だから、新しい価値観を持ち、新しい自分となって、生きて行こうと決意します。
しかし、ここでかつての自分を、否定してはいけません。
過去の行いを、反省することは大切です。
でも、その時の自分を否定しては、いけません。
他人がどう言おうとも、その時の自分は、その価値観でしか、生きる事ができなかったのです。
ああすればよかった、こうすればよかったと言われても、それらは全部、結果論です。
今から思えば、どんなにひどい価値観だったとしても、その価値観を憎んではいけません。
仕方がなかったのです。
どんな価値観も、自分を守るために、生まれた価値観なのです。
怖いことや、不安なことから、自分を守ろうとしていただけなのです。
古い価値観を否定せず、環境が変わったから、お役御免になったのだと、その価値観に別れを告げましょう。
本当はそんな風には、考えたくなかったんだよねと、古い価値観をねぎらってあげて下さい。
そして、これからは新しい価値観で、生きて行くことを宣言し、古い価値観を手放すのです。

古い価値観をねぎらって手放せると、過去の自分を否定せずに済みます。
過去の自分を否定したと、認識してしまうと、新しい人生を送り始めたつもりなのに、自分は悪い人間だったという思いが、ずっとしこりになって残るでしょう。
過去の自分を否定せずに、受け入れる事ができたなら、真っ白な状態で、新しい人生を歩むことができます。
また、過去の自分と同じような状況で、苦しんでいる人の気持ちを理解し、励ましてあげられるでしょう。
それは人として、最高の人生だと思います。
あなたの世界 その3

私たちが認識している、この世界の構成要素は、物質あるいは物質エネルギーです。
山や川や海、炎や光、空気に水に土、建物や道路、自動車、電車、飛行機などの乗り物、食べ物、それに動植物や微生物、人間。
全部、その本質は物質エネルギーです。
ところが、個人が体験している世界とは、身体を通して得た情報を元に、心の中に構築されたものなのです。
世界を構築する元の情報は、身体が属している物質世界のものです。
でも、あなたが認識している世界は、あなたの心に属したものなのです。
つまり、あなたの世界の構成要素は、物質ではなく、精神エネルギーということです。
何かに喜んだり、腹を立てたり、悲しんだりという感情や、素晴らしいものを見たり、体験することで得た感動は、心の中で起こるものです。
これらは心の振動であり、精神エネルギーです。
先ほども述べましたように、自分が見たり聞いたり触れたりしている世界は、精神エネルギーで構成されています。
また感情や感動も、精神エネルギーです。
何が言いたいかといいますと、感情や感動もまた、世界の構成要素だということなのです。

感情や感動がない世界は、写真で言えば、色がついてないモノクロの状態です。
感情や感動があるからこそ、世界に色、つまり意味が生まれるのです。

同じ場所、同じ状況に置かれても、そこに対する感情や考え方が、人によって異なります。
それは、一人一人の体験している世界が、違うという事なのです。
誰も自分のことを、わかってくれない。
自分の気持ちなんか、誰も理解してくれない。
そんな風に考えたくなることって、あるでしょう。
でも、わかるはずがないのです。
一人一人は別々の世界を体験しており、他の人の世界をのぞくことは、できないからです。
わかって欲しいと期待するのは、無意味なのです。

わかるよ、あなたの気持ち。
悩んでいる人に、そう言うことはあるでしょう。
それは相手の状況と自分の体験を、照らし合わせた上で、相手の気持ちを推測しての言葉です。
でも、本当にそのとおりなのかは、確かめようがありません。
同じ状況にあっても、その受け止め方は、人によって違います。
たとえば、悲しい状況を経験すれば、悲しいのは確かに同じでしょう。
でも、その悲しみが、どのようなものなのかは、わかりようがありません。
痛みについても同じです。
同じような病気、あるいは怪我をしても、痛みの感じ方は人様々です。
孤独な人と、愛する者に囲まれている人とで、痛みの度合いは違うと言います。
同じような苦難にあったとしても、それを乗り越えられる人は、大した苦痛を感じません。
でも、そうではない人も、いるわけです。
そういう人たちに、そんなの大したことないでしょうに、と言うのは間違いなのです。
とにかく、他の人の気持ちはわかりません。
推し量ることしか、できないのです。
逆に言えば、他人に自分の気持ちを、わかってもらおうと言うのは、無理なことです。
それでも、苦しい気持ちや、つらい思いは、吐き出せば楽になるものです。
それを相手が、本当に理解してくれているかは、わかりません。
しかし、理解してくれようとする、その姿勢には救われるでしょう。

あなたの世界 その2

感覚を通して得た情報を元に、人は世界を認識しています。
しかし、その情報は身体を通して得た、個人的な情報です。
幽霊が見える人がいたとしても、その人だけが特別な世界を、見ているのではありません。
全ての人が、一人一人違う世界を、見ているのです。
これはサーバーにつながった、パソコンをイメージすれば、わかりやすいと思います。
サーバーの中にある情報は、電磁気的な記録ですから、そのままでは人間は、理解することができません。
その情報を使って、モニター画面に映像を作り、スピーカーに音を再現することで、そこにどんな情報が、あるのかがわかります。
そして、その情報に基づいた世界を、体験することができるのです。
でも、一人一人が見ている世界は、個人的なパソコンやスマホを通して、体験しているのです。
映画のスクリーンみたいに、大きな部屋に一同が集まって、みんなで同じ映像を観たり、同じ音を聴いているのではありません。
パソコンやスマホの設定が違えば、画像の状態や音の質が、変わるでしょう。
ハッカーやコンピューターウィルスに冒されると、他の人が見聞きしているものとは、全然違う映像や音が、現れるかも知れません。
でも、その映像や音は、他の人にはわからないのです。

私たちが認識している世界も、同じような仕組みなのです。
あなたが体験している世界は、あなたの身体が集めた情報に基づいて、あなただけのために創られたものです。
他の人には、あなたの世界を、知る術がありません。
逆に、あなたが他の人の世界を、確かめることもできません。
あなたには、モニターを通して、他の人の姿が見えるし、声も聞こえます。
ですから、みんな同じ世界に、いるように思えてしまいます。
でもそれは、あなたのモニターに、その人の身体の情報が、再現されているだけです。
本物のその人が、そこにいるわけではないのです。

あなたは他の人に、声をかけたり、身体に触れたりすることができます。
そうすることで、あなたはその人と、同じ世界にいると感じるでしょう。
でも、そうでないのはバーチャル世界と同じです。
あなたが他の人に触れた感覚も、取り込んだ情報に基づいて、あなたの中で、創られたものなのです。
私たちは身体を通して、現実世界というバーチャルゲームを、体験しているのです。
ちなみに身体は、この世界に属したものであって、あなた自身ではありません。
あなたは別の世界から、身体を通してこの世界を、のぞくようにして確かめているだけです。
このゲームの中で、あなたは相手に対し、身体を通して声かけをしたり、手で触れたりして、情報を発信します。
コンピューターやスマホのゲームでは、チャットはできても、手で触れる感覚までは作れません。
でも、そういう感覚までもが、このゲームでは利用できるのです。
それによって、世界はとてもリアルに感じられます。
みんなが普段遊んでいる、バーチャル世界のゲームでは、あなたはコンピューターやスマホの前にいます。
ゲームの中にいるあなたは、ホストコンピューターの中にある情報を使い、作り出されたキャラクターです。
ゲームの中で、あなたや他の人たちは、自分の代理であるキャラクターを通じて、互いに交流します。
それと同じで、私たちは自分の代理である、肉体を通じて、他の人たちと交流しているのです。

では、あなたが体験している、個人的な世界は、誰が創っているのでしょうか。
それは、あなた自身です。
あなたが認識できる世界は、あなたの身体の五感によって、構築されています。
これらは自動的に創られますから、あなたがそれについて、何かを考える必要はありません。
では、あなたが体験している世界は、あなたの身体が勝手に創り上げているのでしょうか。
違います。
身体は五感の情報を、脳を通して、あなたに提供する機能があります。
でも勝手に動いて、勝手にいろんな情報を、あなたに送るわけではありません。
身体がどこで何をするのか、それは全てあなたが決めています。
そうでなければ大変です。
あなたが知らない所で、身体が勝手に歩いたり、何かを食べたり、他の人と喋ったりするとしたら、それはあなたが身体を、他の誰かに乗っ取られたのと同じです。
目を開けたり閉じたりするのも、立ち上がるのも、鼻をほじるのも、全てあなたの意思を反映したものです。
そこから得られる情報は、あなたの指示で、身体が集めたものなのです。
つまり、あなたが認識している世界は、あなた自身が創り出した世界なのです。
あなたの世界 その1

たいてい私たちは、誰もが同じ世界に存在していると、認識しています。
同じ物を見て、同じ声を聞いて、同じ空気を吸い、同じ食べ物を食べている。
そう理解しているでしょうし、そこに微塵も疑いを持ちません。
でも、本当にそうなのでしょうか。
この世界が、本当に現実なのかという話は、別の記事で述べました。
しかし、今お話していることは、世界が現実かバーチャル世界かは、関係ありません。
この世界が何であれ、みなさんは他の人たちも、自分と同じ世界にいるのだと、信じていると思います。
でも実際は、そうではないのです。
みんなが同じ一つの世界に、存在しているわけではありません。
そのように仕組まれているだけであって、本当は一人一人が、自分だけの世界を体験しているのです。
具体的に説明してみましょう。

たとえば、目の中にある網膜には、光を感じる細胞が、ぎっしりと並んでいます。
その中に、色を感じる細胞が三種類あります。
たった三種類ですが、それぞれの反応を組み合わせることで、頭の中で他の色も、創り出してしまうのです。
テレビやパソコンやスマホの画面も、同じ理屈で作られています。
テレビなどの画面には、とても小さな発光体が並んでいます。
発光体は赤、緑、青の三色あって、それぞれの色を重ねることで、様々な色を作り出すのです。

網膜の細胞も三色の光を感知しますが、その情報は頭の中で合成されます。
そうして三色以外の色を、人は感じるわけです。
しかし、この三種類の細胞の数は、人によって異なっています。
また、生まれつき色を感じる細胞の数が、二種類以下の人もいます。
色を感じる細胞の数が少なくなれば、それだけ認識できる色の種類が減ります。
もし色を感じる細胞が一つもなければ、薄暗い所にいるような、白黒の世界になってしまいます。
たとえ色を感じる細胞が三種類あったとしても、その割合が違うのであれば、同じ物を見たとしても、人によって見えている色が、微妙に違っているはずです。
でも、私たちは他の人も、自分と同じ色を見ていると、信じています。
それに見えている色が、微妙に違うからと言って、それが問題になることはありません。
そのため、自分と他の人が同じ色を見ているという、信念を疑うことはないのです。
その結果、みんなが同じ世界にいて、同じ物を見ていると、解釈してしまいます。

幽霊が見えるという人が、いますよね。
でも、そこに幽霊がいると、その人が指差しても、他の人には何も見えないのです。
そんな話を耳にしたことは、ありませんか。
もちろん、冗談で嘘をついていたり、怖いと思うがゆえに、何かを見間違えるということも、あるでしょう。
しかし、幽霊を見たという人全てが、嘘をついていたり、見間違えをしたと断定することは、間違っています。
幽霊が絶対にいないと、証明できない以上、一つ一つの証言の真偽を、確かめるべきでしょう。
ここでは幽霊の真偽について、述べるつもりはありません。
幽霊が存在するという前提で、話を進めます。
幽霊が目の前にいたとしても、ある人には見えて、ある人には見えないという事があります。
でも、それは別に不思議ではないのです。
幽霊が見えるということは、幽霊が発する可視光線を、感知できるということでしょう。
しかし、幽霊は物質的な身体を、持っていません。
だから、幽霊から発せられる可視光線は、通常の肉体から出る可視光線とは、異なるものだと考えられます。
その幽霊の可視光線を、感知できる網膜の細胞は、特殊なものと言えるでしょう。
その細胞が数多くあったなら、その人は幽霊を見ることができます。
見えない人は、その細胞を持ち合わせていないか、あったとしても、非常に数が少ないはずです。
いくらかでもこの細胞があったなら、今何かが見えたような気がするとか、かげろうのようなぼんやりした、空間の揺らぎが見えるということが、あるかも知れません。

とにかく、幽霊が見える人と、見えない人がいても、不自然なことではないのです。
これと同じ理屈で、音や匂い、味などの感覚も、他の人とは微妙に違っているでしょう。
場合によっては、他の人にはわからない感覚を、覚える人もいると思います。
暮らす地域を考える

最大瞬間風速が80m/sを超える予想の、強力な台風10号が接近しています。
先の台風8号、9号と同じ進路を取るようで、沖縄や九州の被害が心配されます。
まだ台風シーズンに入ったばかりですから、これから先が思いやられます。
このような強力な台風ができたのは、日本近海までの海水温度が、非常に高いからだそうです。
この夏は日本各地を、40度を超える猛暑が襲いました。
最近、ようやく秋を感じるようになって来ましたが、海にはまだ、猛暑の影響が残っているということなのでしょう。
九州の人たちは、ここのところ、ずっと災害続きで、本当にお気の毒に思います。
しかし、他人事ではなく、日本のどこが同じような災害に、襲われても不思議ではないのです。

梅雨の長雨や、強力な台風が、温暖化の影響であることは、間違いないでしょう。
つまり、この状況は今後も続くということです。
50年に一度、100年に一度と言われるような、大きな災害が、数年に一度に起こるようになって来ています。
下手をすれば、毎年起こるかも知れません。
水害に関しては、海や川の近くに暮らす人は、他の場所への移住を、検討した方がいいかも知れません。
山際に暮らす人は、土砂災害の可能性があります。
危険を感じるようであれば、住む場所を変えた方がいいと思います。
どうして、そこに暮らすのか。
それは、人によって様々な理由があるでしょう。
生まれ育った土地だから。
これが一番多いのでは、ないでしょうか。
他に田舎でしたら、こんな感じでしょうか。
自然が近いから気に入っている。
近所の人たちとの、つながりをなくしたくない。
時間を気にしない暮らしがいい。
都会でしたら、こうでしょうね。
便利がいい。
欲しい物が何でもそろう。
やりたい仕事が、ここにしかない。
人の好みですから、何が良くで、何が悪いということは、言えません。
ただ、自分が暮らす地域が、災害などで住みにくくなったのであれば、考え方を変える必要が、あるのではないかと思うのです。
住み慣れた所を離れて、新しい土地や人々に馴染むのは、何となく気が引けると、思うかも知れません。
それでも、それは新たな環境で、新たな経験、新たな価値観を得られる、チャンスでもあるのです。
安定して暮らしている人には、余計なお世話だということになるでしょう。
でも、暮らしが不安定になった時には、チャレンジ精神で新しい暮らしを、考えてみたらどうかと、私は思うのです。

人間は何のために、生まれて来るのか。
人生とは、何の意味があるのだろうか。
そういう事を真剣に考えた時、ただ安定して生きて行ければ、それでいいとはならないと思います。
人は死ぬまで、成長を続けるのだと理解すると、何事も受け入れられるでしょう。
私は何も、安定した暮らしが悪いと、言っているのではありません。
ただ、何も考えずに、流されて生きるのは、もったいないと思うのです。
見た目は安定した暮らしでも、日々の変化の中で、いろいろ学んでいる方は、何も問題はありません。
こういう方は、突然人生の変更を迫られる時が、あったとしても、それに上手く対処して行けると思います。
しかし、機械のように同じ日々を、何も考える事なく過ごしている人は、突然違う状況に置かれると、パニックになってしまうでしょう。
常にいろいろ考える人であれば、何かが起きても対応できますし、何かが起きることへの、覚悟ができているでしょう。
考えると言っても、ああなったらどうしよう、こうなったら困るというような、ネガティブな考えではありません。
こういう時はこうするぞ、ああなった時にはこれで行こうと、ポジティブに対処を考えるのです。
大事なのは、人生について考えているか、ということです。
自分の生活環境を考えることは、人生を考えることでもあるのです。
その結果、同じ場所で頑張ると言うのであれば、それで構わないと思います。
違う場所で暮らすことにしたのであれば、それもいいと思います。
いずれにしても、自分で考え、自分で決めることです。
こんなはずじゃなかったとか、何で自分が、と後悔せずに済むように、よく考えて決定することが大切です。
