がんが自然に治る生き方 その10

「どうしても生きたい理由を持つ」
生きるために目的を持つということですね。
それは強い生への執着を生み、生きるための力となります。
もういいや、と生きることをあきらめれば、当然そのようになるでしょう。
私たちは、わざわざこの世界に生まれて来たわけですし、そのための心と体が用意されているのです。
心と体のエネルギーは、生きるために整えられているわけですから、生きるんだという想いを強くすることは、心身のエネルギーに活力を与えることになります。
もういいやと人生をあきらめると、逆に心身のエネルギーの元栓を閉めるようなものですから、エネルギーの活力は失われ、希望どおりの結果を迎えることになるでしょう。
ただ、注意は必要だと思います。
通常であれば、誰だって死にたいとは思いませんし、もっと長生きしたいと思うでしょう。
やりかけていた作業があれば、せめてその作業を終えるまでは、生きていたいと思いますし、来年の桜の花を見るまでは、何が何でも生きていたいと考える人もいるでしょう。
近々産まれる予定の孫の顔が見たいとか、孫の結婚式に出るのが夢だとか、執筆している本を死ぬまでに書き終えたいとか、行ったことがない所へ旅行をしたいとか、生きていたい理由はいろいろあります。
そんな人たちが、がんになったとしても、こんな想いを持ち続けていれば、がんを克服できるのでしょうか。
答えはNOです。
その理由は、誰もがこのような願いを持ちながら、この世を去って行くからです。
とは言っても、私は「生きたい理由」を否定しているのではありません。
要は、どれだけ強い想いで「生きたい理由」を持っているかということです。
死ぬまでにこんなことがしたい、こうなったらいいな、と誰もが願いますが、その願いの強さは人によって違います。
そう願いながらも、心の中では、そうは言っても多分無理かな、と思っている人が大半でしょう。
でも、それではあきらめているのと同じですから、口で何を願おうと、心身のエネルギーは弱る一方です。
何が何でもこうするんだ、死んだってやってみせるぞ、というほどの強い気持ちで臨めば、エネルギーは活力を得て、体が回復する力となると思います。
それでも、やはり自分では意気込んでいるつもりでも、心のどこかで不安を抱いていれば、その分だけエネルギーは弱ってしまいますから、結果的には望みが叶わなくなるかもしれません。
本当に何かを望んだ時、その人の心の中には、一点の不安もありません。
望みを実現するために、できることは何でもやるでしょうし、その間も心の中はわくわく状態です。
うまく行かなければ、うまく行くように工夫するだけのことで、失敗してあきらめるという発想自体がありません。
望んだことが必ず実現できることを知っていますし、それまでの過程を楽しんでいるのです。
また、そうしながら死ねるのならば、本望だと思うでしょう。
死そのものを怖がらず、その時が来れば受け入れるという気持ちで、とにかく頭の中は、実現することで一杯です。
こんな状態の心身のエネルギーは、がんがん活発になっていますし、まさに本来の自分の状態であるわけです。
こんな状態で、がんなどの病気になって死ぬのだとすれば、それこそそれは寿命であり、そこで人生を終えるように、初めから決まっていたというものでしょう。
途中で死んでしまっては、何の意味もないではないかと、怒る人もいるかもしれません。
でも、人生の意味や目的というものは、その人でないとわからないものです。
一見、何かを途中で投げ出すような形で、死を迎えた人がいたとしても、それがその人にとって十分であるのなら、他人がとやかく言うものではありません。
何が本当の完成で、何が本当の完璧なのかは、三次元に生きる人間の頭脳では、理解できないものでしょう。
話を戻しますと、「どうしても生きたい理由を持つ」という表現は、実は不適切だと思います。
わざわざ理由を探して見つけるのは、自然な生き方とは言えません。
自分の魂から伝わる生き方をするという方が、正しい表現でしょう。
何が何でも生きるという気持ちは、ちょっと意気込み過ぎと言いますか、死ぬかもしれないという不安の裏返しのように思えます。
もし今が死ぬ時であるならば、それを受け入れますという気持ちで、自然な生き方を追い求めることこそが、本当の心身のエネルギーの活力になるのだと、私は思います。
がんが自然に治る生き方 その9

「自分の魂と深くつながる」
魂という言葉には、宗教的な匂いが漂っていますので、日常的な会話の中で、この言葉を使うことに抵抗を感じる人は、少なくないと思います。
そのことはケリー博士も述べていますが、その場合は、魂という言葉を使わずに、自分の好きな言葉に置き換えればいいのです。
要は、魂という言葉が、本来何を意味しているのか、という所にだけ目を向けるということです。
人間の心というものが、実在しているのは、誰にでもわかります。
心が大切であることも、誰もが理解できることです。
それなのに、今の科学では心は得体の知れないものです。
学者によっては、心は脳が生み出す現象だと、考える人もいるくらいです。
と言うか、多くの学者や医師たちは、心は脳が創り出していると理解していると思います。
心に対する科学の姿勢とは、残念ながらそのレベルなので、魂という表現となると、アレルギー反応を起こすでしょう。
それは中世の時代に、ヨーロッパで科学が産声を上げた頃、国々を支配していたキリスト教的思想によって、幼い科学が弾圧されたという歴史があるからです。
魂という言葉は、主に宗教で用いられます。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎し です。
宗教憎けりゃ魂まで憎し、という状況にあるのです。
科学が魂というものを嫌うため、一般の人は魂について語ることができませんし、周囲から白い目で見られないために、魂という言葉に反発する習慣がついているのです。
でも、心が何なのか、意識が何なのか、世界とは何なのか、誰も教えてくれません。
学者がいう事は全て推論であり、その学者の立場を守ることが、前提になっている推論です。
わからないことは、自分で探り、自分なりの答えを、自分で導き出すしかないのです。
そんな気持ちで、魂という言葉が何を意味しようとしているのかを、考えてみるならば、自分も含めた様々なものに対する見方が、それまでとはがらりと変わって来ると思います。
ここでは魂という言葉を使わせてもらいますが、魂というものについて考えて行くと、今の自分がとても表面的なものに、思えて来るでしょう。
いわゆる本当の自分というものが、この魂と呼ばれるものにこそあるのだと知ると、心の中にある声が、今の自分の価値観から出て来たものなのか、あるいは魂から出て来たものなのかを、区別できるようになります。
魂の声は、人間社会の状況や価値観に汚されていない、素のままの自分の声です。
本来の自分の状態にあるためには、どうすればいいのかを、伝えてくれるものなのです。
それは初めは直感として受け止めるでしょうが、ここで言う魂と深くつながる、というのは、そのさらに上を生きます。
直感と言う場合は、まだ魂の存在を認識していません。
でも、魂と深くつながる場合、当然、魂の存在を認識しています。
言い換えれば、何が本当の自分なのかを、理解しているということです。
病気になってしまった時に、どうすればいいのかを、自分自身の中に答えを求めます。
それは自分のエネルギー状態を、どうすれば元に戻せるのかを探る行為です。
だからこそ、その答えは医師にはわかりません。
自分にしかわからないのです。
魂と深くつながるということは、本当の自分を取り戻すということに、他なりません。
がんが自然に治る生き方 その8

「周囲の人の支えを受け入れる」
人は社会的な生き物で、互いに助け合って生きています。
一人で生きていると思う人もいるでしょうが、実際はいろんな所で、多くの人たちの力の恩恵を受けています。
たとえば、当たり前に歩いている道だって、誰かが造ってくれたものです。
暮らしている家だって、着ている服だって、毎日食べる食べ物だって、会ったこともない誰かが、作ってくれたものなのです。
そもそもこの世界に生まれて来られたのは、両親がいたからです。
どんなに親子関係が悪くても、親があったからこそ、今の自分がいるのです。
その事実を忘れてしまうと、人は孤独に陥り、自分一人で生きていると感じることを、寂しく感じたり、あるいは逆に誇らしく思うのです。
この場合の誇らしさとういうものは、寂しさの裏返しです。
誇らしく思うことで、寂しい気持ちを打ち消そうとしているのです。
孤独に見えても、飄々と生きている人は、決して自分を誇らしくは感じていません。
もちろん寂しさも感じていません。
一人で生きているように見えても、常に周囲とのつながりを認識し、いろんな人への感謝の気持ちを持っている人は、決して孤独ではないのです。
孤独な人がいた場合、あるいは困った状況にある人がいる時に、その人たちに手を差し伸べる人がいます。
そういう人を見ると、放っておけないと思う人たちです。
とても善良で、素敵な人たちです。
しかし、彼らの中には、自分が困った状況になった時に、周囲から差し伸べられた手を、大丈夫だからと言って、拒む人がいます。
自分は常に手を差し伸べる側の人間であって、差し伸べられる側の人間ではないと思うのです。
人に何かを教える立場の人が、誰かに教えられるのは、得意でないということは、結構あるのではないでしょうか。
それと同じようなものです。
そこにはプライドがあって、そのプライドが他人からの支援を、拒ませるのです。
でも結局、これは自分はあなたたちとは違うんだ、自分はあなたたちより高い所にいるんだ、という気持ちがあるということで、ある意味、相手を低く見ているのです。
だからこそ、自分がその低い位置に落ちることを、受け入れられないのですね。
こういう人たちは、本当は自分に自信がなく、自分こそがみんなより低い位置にいるのだと、心の底で受け止めているのです。
それを認めたくないがために、相手の方が自分より低い位置にいるのだと思いたくなるし、そう見える人がいると、喜んでそこへ行こうとするのです。
自分も相手も対等であると思っていれば、誰かを助けることを特別なこととは感じません。
ですから、自分が助けてもらう時も、気軽に助けを受け入れて、「ありがとう、助かりました」と言えるのです。
助けを愛を示す行動だと考えれば、助け合いというものは、お互いに愛を贈り合うということです。
助けるばかりで、自分への助けを拒む人は、愛を贈り合っていません。
愛を拒んでいますし、相手へ贈っているのも、本当の愛ではなく、施しに過ぎません。
その施しは、実は相手のためではなく、自分のプライドのためにしているだけなのです。
でも、なかなか本人はそのことに気がつかないものです。
悪意があってやっているわけではないからです。
しかし、その結果、自分が実は孤独なんだ、ということもわからなくて、エネルギー的には閉塞状態に陥ります。
その結果、体のエネルギーにも変調を来し、がんなどの病気を引き起こすのです。
川の流れのように、エネルギーというものは、見た目は同じでも、その中身は常に新しいものが流れ込んで、同じ新鮮な状態を保ちます。
体の中でも、常に血液が酸素や養分を細胞に運びますし、酸素や養分は呼吸や食事という形で、新しいものを取り込み続けています。
私たちの心のエネルギーも、自分自身の意識の高い部分から、常にエネルギーが流れ込んでいますし、他の人や他の生き物たちからも、心を通わせる形でエネルギーを交換しています。
自然の中にいる時に、全身に伝わって来る自然の息吹も、自然から受け取るエネルギーなのです。
しかし、自分が孤独だと感じたり、そう思い込んだりしていると、他人からのエネルギーを受け取れなくなります。
ひどくなると、自分自身の高い部分からのエネルギーさえも、受け取りにくくなります。
そんな時でも、他の動物や植物と接したり、大自然の真っ只中に身を置くと、人間の価値観を通さずに相手と向き合えるので、何の抵抗もなく相手の愛を受け取ることができます。
それによって、愛を受け取るという感覚を思い出すことができれば、相手が人間であっても、その人からの愛を素直に受け取ることができるようになります。
また、自分自身についても、もっと大きな存在なのだと理解できると、上からのエネルギーがスムースに流れ込んで来るのです。
自分が孤独だと感じているいないに関わらず、他の人からの愛の気持ちを、素直に受け取れない人は、自然と触れ合うようにしてみて下さい。
きっと、自分が自分自身を愛していなかったのだと、気づかされると思います。
それは、自分なんかこの程度の人間なんだと、自分で自分のことを、悪く決めつけていたということに、気づくことです。
自然に受け入れてもらえると、自分にはそれだけの価値があるとわかります。
自分を素直に認め、素直に愛せるようになれば、周囲の人たちの関係も変わります。
そして、人々と心がつながるということを理解できれば、本来の自分の姿を取り戻し、心身ともにエネルギーは自然な状態になるのです。
がんが自然に治る生き方 その7

「より前向きに生きる」
より前向きに生きるとは、幸せ・喜び・愛といった感情を、日々感じるようにすることだと、ケリー博士は述べています。
人生に喜びを感じながら生きることは、体をリラックスさせ、傷んだ部分を修復したり、消化機能を高めたり、免疫力を強める働きがあるとされています。
それは体の状態を、本来のあるべき姿に戻すということであり、心が喜びに満たされることで、体がそのようになるのは、まさに互いがエネルギーとして、作用し合っていることに、他ならないでしょう。
そして、そのことは人が喜びに生きるということこそが、人間としての自然な状態にあると、教えてくれています。
そうでなければ、喜びを感じることで、体が自然な状態に戻ろうとするわけがありません。
喜びが人にとって自然な状態であるからこそ、体も連動して自然な状態になるのです。
これは逆も言えることで、体のエネルギー状態がゆがんだままでいると、それが心のエネルギー状態のゆがみを引き起こして、精神的な問題につながることもあるということです。
カルシウムが不足すると、イライラするという話がありますが、これなんかは体の状態が、心に影響を与えるいい例でしょう。
体の不調から気分が重くなるということも、日常茶飯事です。
具合が悪くても働き続ける生活をしている人は、喜びを求める気持ちが起こらなくなります。
あきらめの気持ちが、さらに体を酷使して、悪循環に陥ります。
職場によっては、このようにロボットみたいな、人間を望む所があります。
どんなにひどい目に遭わせても、たまに文句を言うだけで、毎日同じように働き続けてくれるからです。
前向きに生きるということは、そのような場所は、自分には似つかわしくないと悟ることであり、本来の自由な自分というものを、取り戻すことなのです。
病気になると、人は同じ環境を維持するために、病気を治そうと躍起になります。
でも、あなたはこの環境にいてはいけない、と体が訴える声こそが、病気なのだと理解するならば、病気が起こった時の対応の仕方が、全く違ったものになるでしょう。
病気を治すことばかりに意識を向けるということは、危険を知らせる警報器がうるさくて、その音を消すことだけに、懸命になるのと同じです。
実際に、警報器が煩わしくて、その電源を切っていたために、大惨事を引き起こしてしまったという、愚かな事件が起こっています。
病気の本当の意味を知らずに、病気を治すことばかり考えるのは、これと同じことです。
がんのように命に関わる病気であれば、尚更その意味を理解するべきでしょう。
自分を一人の人間と見た時に、自分のエネルギー状態は、果たして自然な状態にあるのだろうか、と考えるべきです。
がんが自然に治る生き方 その6

「抑圧された感情を解き放つ」
ストレスがいろんな病気を、引き起こすということは、今や常識と言えるでしょう。
それがわかっているのに、人々は多くのストレスを抱え、それをどうすることもできずにいます。
こんなのは嫌だと思っても、どうすることもできませんから、その嫌だと思う気持ちを、ぐっと呑み込んで、何でもないふりをして暮らすのです。
こうやって、本来は外へ発散されるべき感情は、心の中に溜め込まれて行くのです。
感情は形のないものですし、言ってみれば、ただの心の反応に過ぎないと、思われがちです。
つまり、感情を抑えるということは、感情をコントロールしているとか、その感情を消したように思えるのです。
ところが、感情とはエネルギーです。
心がエネルギーですから、感情もエネルギーなのです。
たとえば、落ち着いた心のエネルギーが、静かな湖面だとします。
強い感情は、その湖面を激しく波立たせる、大きな渦だと思って下さい。
感情が表に出ている時は、湖面が荒れてしまい、その人が怒ったり混乱したりしているのが、見た目にもわかります。
しかし、感情を押し殺して無視すると、その人は見た目には微笑んだり、平静でいることができます。
心のエネルギーの湖面は、元の静かな状態になっていますが、感情の渦は深い湖の底へ押し込まれただけで、そこでずっと渦を巻き続けています。
それは大きなエネルギーのゆがみであり、しこりです。
このゆがみが、体のエネルギーに伝わると、体のエネルギーにも、似たようなゆがみやしこりが生じます。
これが心を原因とした病気です。
がんもその一つですが、がん以外にも、様々な病気が同じ理由で起こります。
心のエネルギーのゆがみが、体の病気の原因になっているのであれば、何より先にすべきなのは、心の奥に押し込まれた、強い感情の渦を消し去ることです。
隠していた感情を表に戻してやり、まずは自分にそんな感情があることを、受け入れます。
感情自体は、単なる心の反応ですから、いいも悪いもありません。
嫌な感情を感じてしまう時は、その感情を否定したり、その感情の赴くままに、周囲に悪態をつくのではなく、どうしてそんな感情を抱いてしまうのかを、探る必要があります。
人は様々な価値観に従って生きており、感情もその価値観に応じて生じます。
何の価値観も持たなければ、何の感情も起こりません。
ある物事に怒りを覚える場合、物事そのものには、いいも悪いもないのです。
それを悪く取ってしまう、自分の価値観に問題があるのです。
一見、悪く思えることでも、違う立場で眺めてみると、それによって生じる、いい影響というものも、理解できるでしょう。
そうやって、物事を広い目で見られるようになると、自然に感情の渦は収まります。
嫌な感情を感じる時は、自分が大きく成長できるチャンスです。
感情を理解して、一段高い所から、物事を眺められるようになった時、私たちのエネルギーは正常な状態を取り戻すと同時に、そのパワーをアップしたり、美しいハーモニーを奏でるような、調和性を高めることができるのです。
がんが自然に治る生き方 その5

「ハーブとサプリメントの力を借りる」
日常的に健康的な食事をし、体に悪い物を取り込まないようにしている人は、ハーブやサプリメントは必要ないでしょう。
しかし、自分では健康的に暮らしているつもりでも、知らない間に食べ物に紛れ込んでいる、化学物質などの有害物質を、体に取り込み蓄積している人は少なくありません。
みんなが食べている物だと、それだけで安心しますし、食べてすぐに急性の中毒症状が出なければ、毒を毒だと認識することはありません。
あとで具合が悪くなったとしても、まさかそれが日常的に食べている物に、含まれている物が原因だとは考えないでしょう。
また、普通に食事をしているつもりでも、ビタミンや微量元素が不足することは、珍しいことではありません。
そんな人たちには、ハーブによる解毒・浄化作用を利用したり、サプリメントでビタミンや微量元素を補うという方法は、有効だと思います。
ただ、基本はやはり、害のある物は取り込まないようにすることですし、本当に必要な物は、意識的に摂取することです。
この項目の説明に、あえてエネルギー的な考察は、必要ないかもしれません。
でも、体に必要な栄養素を、体を構成するための正しいエネルギーと見たり、体に有害な物質を、体を構成を邪魔する悪いエネルギーと見ると、わかりやすいでしょう。
エネルギー体としての自分を、本来の状態に保つためには、適切なエネルギー補給が必要です。
実際は、多くのゆがんだエネルギーを、知らない間に取り込まされており、私たちの体のエネルギー状態は、いろんな所ががたがたになっているのです。
ちなみに、私はひどい花粉症でしたが、今では治ってしまったような感じです。
心当たりとしては、気持ちを安定させることと、自然栽培の玄米や、農薬や化学肥料不使用の野菜を中心とした食事に、切り替えたのがよかったのではないかと思っています。
花粉症は免疫の異常です。
体に取り込んだ化学物質の蓄積が、免疫を初めとした、様々な身体以上を引き起こしている可能性は、十分にあると思います。
そんな有害物質が心配な人や、正しい食事に自信がない人は、ハーブやサプリメントの力を借りるのは、有効だと思います。
ただ、それだけで安心してしまう人もいるようなので、そこは注意が必要でしょう。
ハーブもサプリメントも補助的な物であり、基本は普段の食事や暮らし方、物事の考え方にあります。
そこのところは忘れないようにして下さい。
がんが自然に治る生き方 その4

「直感に従う」
直感に従う、という言葉は、誰しもわかると思います。
でも、何が直感なのかと言われると、よくわからないかもしれません。
いわゆる勘だと考えると、よく勘が外れたという人には、直感に従うという言葉は、とても曖昧で好い加減なものに、聞こえるでしょう。
でも、当たるかどうかという勘のことではなく、もっと心あるいは体の奥深い所から伝わって来る、どうしてもこうしたいとか、こうしないといけないと感じるようなものが、直感です。
この本にも書かれていますが、病になった体に何が必要なのかは、医師ではなく、体自身がわかっています。
ただ、体は言葉を喋って伝えてくれません。
体が使う言葉とは、感覚です。
たとえば、具合が悪い時に、食欲がなくなるのは、体が今は何も食べないで欲しいと、訴えているのです。
食べるにしても、脂っこい物ではなく、あっさりした物が欲しいとか、酸味のある物がいいなどと感じるのは、体がそう伝えているわけです。
病院の治療が体に合っているのかどうかも、体は伝えてくれています。
その体の声を無視して、医師の指示に従い続けると、体はどんどん衰弱してしまい、却って死期を早めてしまうことにもなりかねません。
自分の体がどうして欲しいのか、その声に耳を傾けることは重要です。
また、直感には体ではなく、心の奥の方から伝わる、天の声のようなものもあります。
明らかに声で聞こえる場合もありますが、大概は何となくそう思ったり感じたりするものです。
ただ、そんな思いがどこから来るのかは、自分ではわかりません。
あれこれ考えて導き出したものではなく、ふと頭に浮かんで来るのです。
それは、虫の知らせと呼ばれるものと、同じと言えるでしょう。
無視し続けていると、取り返しがつかない状況になってしまいます。
さて、この直感ですが、自分の心と体が、一つにつながったエネルギーだと考えてください。
体が病気になっている時、体のエネルギー状態は、ゆがんでいますが、そのゆがみを治して、元の状態に戻ろうとする力が働きます。
軽いゆがみであれば、自然に戻るということになるでしょうが、大きなゆがみとなると、なかなかそうも行きません。
それでも、体はそのゆがみを戻そうとします。
その時の体のエネルギーの動きが、心に伝わった時、私たちは体が何を求めているのかを、知るわけです。
また、心もエネルギーですが、私たちが自分を意識しているのは、全体のエネルギーの一部に過ぎません。
全体を手だとすれば、私たちの意識は、一本の指の先です。
指で何かを触れると、それがどんな物かを、指は感覚で知ります。
それが熱いとか、痛いという感覚につながれば、自分で対象から離れます。
反射としての反応ですね。
でも、熱いとか痛いという感覚がなければ、たとえそこに毒が含まれていても、指は反射的にそこから離れたりはしません。
そして、知らない間に毒に冒されてしまうのです。
しかし、指より上位にある手の意識は、そこに毒があると感知すると、意識的に指を離そうとします。
でも、この指示が指に伝わらなければ、指はいつまでも触れてはならない物に、触れ続けることになります。
この上からの指示を受け取ることも、直感と呼ばれます。
それは、自分自身の上位から伝わるエネルギーの流れであり、そのエネルギーを自分に取り込むことで、私たちは本当の自分と一体になった、行動を取ることができるのです。
逆に、体や心の上位からの声に、耳を貸さずにいることは、エネルギー的には孤立した状態となり、正しい選択や行動を見つけることが、できなくなります。
私たちは、何かと他人任せ、行政任せ、専門家任せの生き方をしてしまいますが、産まれて来た時には、そんな予定ではなかったはずです。
長年生きている間に、周囲の人たちの状況を見て、何でも自分以外のものに任せて生きる、という生き方が当たり前だと思うようになったのです。
しかし、この世界に生まれて来るために、体というものがあるわけですし、どう生きるかということが、上の意識から伝えられています。
直感というものは、産まれながらにあるもので、自然な能力なのです。
動物は人間のように、後付けの理屈で考えませんから、素直に体や心の奥からの指示に従います。
それがいわゆる本能と呼ばれるものです。
親から教わっていなくても、体や心の求めに応じて行動することで、生きて行けるのです。
でも、人間社会では、直感能力を忘れさせられるばかりか、直感に従うなどということをすると、頭がおかしいのではないかと、見られてしまう風潮があります。
直感を軽んじるのではなく、どうして直感を軽んじてしまうのかということを、人々は考えなければなりません。
人々が直感をどのようにとらえようと、エネルギー体として存在している私たちが、直感的にその状態に異変を感じたり、直感的にそれを戻そうと思うのは、自然なことなのです。
がんが自然に治る生き方 その3

「治療法は自分で決める」
がんから劇的に回復した人たちは、医師の言いなりにはならず、自分で治療方法を決めていました。
医師から見れば、みんないい患者には見えないでしょう。
一般的に多くの人は、いい患者であろうとするがために、医師の考えに従って、本当はどうしたいということを、口にすることもできずにいます。
自分は本当はこうしたいと、医師に伝えるには、相当の勇気がいることです。
それができるのは、かなりの強い意志があるということです。
医師の勧める治療法が、必ずしも悪いわけではありません。
しかし、マニュアル的に物事を考える医師が、多いのも事実ですから、マニュアルから外れるような治療や暮らし方を、頭から否定する医師も少なくないと思います。
そんな医師に当たってしまった場合、自分の命が懸かっているにもかかわらず、また、医師の勧める治療方法が、よくないと感じているにもかかわらず、そこから逃れられないのは悲劇でしょう。
前方に大きな壁があるのがわかっているのに、そこへ向かって車のアクセルを全開させろと、言われているようなものです。
結局は、生きるのも死ぬのも患者であり、医師ではありません。
責任も結果も全て患者にのしかかって来るのに、その患者に主導権が与えられないのは不当です。
また、それを要求しようとしない患者も、絶対に生きてやるという強い意志が、欠けていると言えるでしょう。
自分は素人で、相手は専門家だから、自分の言い分など通せるわけがない、と考えてしまうのでしょうが、専門家が全てをわかっているのではないのです。
専門家が100%正しいのであれば、専門家の指示に従ったがん患者のほとんどは、完治していないといけません。
ところが、実際はそうではありません。
専門家と言えども、知らないことは知らないのです。
それに、自分が知らない所に問題解決の鍵があると、考えられない専門家は、患者を治すことよりも、自分の権威を守ることを重視します。
そうは言っても、専門家を自称する人たちを相手に、治療法を自分で決めると言うのであれば、当然、それなりの勉強をして、知識や情報を得る必要があるでしょう。
それは面倒くさい、そんなのは無理、と思うのは、そこで人生を捨てたということです。
自分の人生を生きるのに、面倒くさいとか無理だと思うこと自体が、そもそも病気の原因になり得ることです。
つまり、生きる気力に欠けているわけです。
それは無力感と言うこともできますが、この無力感が免疫力を低下させるという、研究結果もあるそうです。
免疫力とは体内環境を保つためのものです。
菌やウィルスなど異物が侵入すれば、それを排除しようと働きますし、自らの細胞ががん化した場合にも、これを排除しようとします。
全ては自らの体内環境を、あるべき状態に維持するためです。
ところが、心が無気力であるということは、何でもかんでも他人任せ、世の中の状況任せということです。
心のあり方が、体の状態に影響を与えるとするならば、無気力な心というものは、体の状態を維持しようとする免疫機能に対して、ストップをかけていると言えるでしょう。
外敵が侵入して来ても、がん細胞が発生しても、しょうがないよと免疫細胞に囁いているようなものです。
それに対して、自分で治療法を決めるという意思の強さは、自分を維持しようという強い力となるでしょう。
当然、免疫細胞にもそのように働きかけることと思われます。
エネルギー的に言えば、自浄作用を起こそうとする動きですね。
ただ、自分で決めれば、それでいいということではありません。
自分が選ぶ治療法が、間違ったものであれば、当然、そのような結果をもたらします。
たとえば、病院への不信ということだけを理由にして、他の流行りの治療に飛びついたりするのは、自分で決めているとは言えません。
流行りに乗っかっただけのことです。
結果的にも治療につながらず、自分で決めたつもりだったのに、最悪の結果を迎えるということに、なる可能性があるでしょう。
誰かがこう言ったからとか、他の人はこうしているから、という理由だけで選ぶのは、他人が決めたことに従うのと同じです。
医師の指示を拒んだとしても、結局は同じことなのです。
本当に自分で考えて納得し、どんな結果が出ようと、それを受け止めるだけの、責任と覚悟を持つ気持ちが大切でしょう。
それは自分を信じるということでもあり、本来の自分でいようという姿勢です。
選ぶ治療法が大切なのはもちろんですが、この姿勢そのものが、自分のエネルギーを本来の状態に、戻そうとする力となります。
それは自分の人生を、自分の手に取り戻すということでもあるのです。
がんが自然に治る生き方 その2

「抜本的に食事を変える」
食事は体を作るためのエネルギーを取り込む作業です。
体を構成するための物質は、飲食によって取り込まれますから、食事の内容が重要であることは、誰もが理解できると思います。
がんから劇的な回復を遂げた人たちは、砂糖・肉・乳製品・精製食品は、食べるのをやめるか減らすということをしていました。
砂糖についてですが、細胞は砂糖の主成分であるブドウ糖を分解して、そこからエネルギーを得ています。
そのエネルギーを得る過程には、無酸素の過程と、有酸素の過程があります。
無酸素の過程で得られるエネルギーを2とした場合、有酸素の過程で得られるエネルギーは36です。
通常の細胞は、両者の合計38のエネルギーを、ブドウ糖分子を分解することで得ています。
ところが、がん細胞は無酸素の過程のエネルギーしか、得られないのです。
それは酸素があってもなくても変わりません。
そのため、がん細胞が通常の細胞と同じだけの、エネルギーを得ようとするならば、通常の細胞の19倍のブドウ糖が、必要になるわけです。
これは理論上の話ですが、実際にがん細胞は正常細胞の、10~15倍の糖分を消費することがわかっています。
ですから、摂取する糖分を減らすということは、がん細胞を兵糧攻めにするのと同じであり、甘い物をたくさん食べるということは、がん細胞にどんどん餌を与えて、太らせるのと同じなのです。
乳製品についてですが、牛乳に多く含まれるカゼインというタンパク質は、がん細胞の成長を促す可能性があることが、ラットを用いた実験で確認されているそうです。
また、牛には成長ホルモンや抗生物質など、薬剤が投与されていますし、牛が食べる飼料には、農薬や化学肥料、除草剤などの化学物質が含まれています。
これらのものが、がんに悪影響を与えている可能性は、大いにあるでしょう。
また、飼料そのものの成分も、安価な飼料を使うことで、がんと関係があるとされている、悪い脂肪酸が、牛乳に多く含まれるようになると言います。
肉についても、がんとの関係を示す研究結果が、多くあるそうですが、肉に対する人為的な汚染は、牛乳と同じです。
また、それは養殖魚についても言えることです。
精製された白砂糖や小麦粉は、短時間で糖分を体に吸収させます。
その結果、血糖値が急上昇して、がん細胞を喜ばせてしまいます。
一方で、精製されていない穀類は、血糖値の上昇が抑えられますし、精製されたものにはない、ビタミンなどの成分も含まれています。
また未精製の穀類には、がんを抑制する作用があるという、研究結果も多く報告されているそうです。
これらの事実から考えると、がんから劇的な回復を遂げた人たちが、砂糖・肉・乳製品・精製食品の摂取を、やめたり減らしたりしたとうのは、理にかなったことだと言えます。
ここで体と食事の関係について、エネルギー的に考察してみたいと思います。
エネルギーには活動に必要なものと、体を構成するものがあります。
グルコースを分解して得られるエネルギーは、細胞の活動に利用されるエネルギーです。
一方で、細胞を構成しているエネルギーがありますが、それは細胞を構成するための、様々な分子や原子そのものです。
分子や原子というのは、エネルギーなのです。
これらのエネルギー状態が、本来と異なると、できあがった細胞も、本来の姿とは違って来ますし、その機能や働きにも違いが出て来ます。
人間は本当に短期間の間に、様々な化学物質を作り出し、それを食べ物に混ぜて摂取するようになりました。
ところが、体自体はそのような物質を利用して、自分の細胞構造を作るようにはできていません。
何百年、何千年という時が経てば、そのような化学物質をも、正式な細胞の構成要素として、利用するようになっているかもしれませんが、現時点ではそうはなっていません。
それは本来の材料の中に、余計な混ざり物を入れられたのと同じです。
細胞をエネルギーとして見た時、混ざり物が入っている所は、エネルギーのゆがみや乱れが生じていると考えられます。
そうなると、細胞の中にはあるべき姿になれないものや、あるべき働きができないものが、出て来ても不思議ではありません。
もしかしたら、がん細胞が生まれる原因や、がん細胞を抑えるはずの、免疫細胞の機能低下などに、化学物質が影響しているのかもしれないのです。
がんになっている人を、エネルギーの塊として見ると、やはり本来のあるべきエネルギーの状態ではなく、大小様々なゆがみや乱れがあるはずです。
がんを治す、あるいは、がんの状態から回復するというのは、このエネルギー状態を、本来の状態に戻してやることに他なりません。
そして、肉体的なエネルギー部分に関していえば、そのエネルギーを乱すようなものは、絶対に取り込まない、ということが基本なのです。
ケリー博士は良質の水を、多量に飲むことを推奨しています。
人間の体の70%は水分であり、その水の成分を入れ替えることで、体の中の悪い成分を、外へ排出するのです。
悪い物を取り込むのをやめて、きれいな水によって、体内にある悪い物を洗い流すのですね。
それはエネルギー的に、体を浄化しているわけです。
がんが自然に治る生き方 その1

「がんが自然に治る生き方」というのは、アメリカのケリー・ターナー博士が執筆した本のタイトルです。
一般的には、がんに罹患したとなると、まずは手術が勧められます。
手術が適用されないがんについては、抗がん剤治療や放射線治療が行われます。
それでも効果がなければ、お手上げです。
最先端治療として、重粒子線を使った治療や、免疫力を利用する治療もありますが、まだ一般的とは言えませんし、費用もかなり高価なので、お金がない人は利用ができません。
また、高いお金を支払って、これらの治療を受けたとしても、それでがんが治るという保証はないのです。
多くの人にとっては、がんの治療と言えば、手術と抗がん剤と放射線まででしょう。
そして、これらが効果なければ、あとは死を待つのみです。
ところが、世の中には病院から見放されたはずのがん患者が、見事にがんを克服して健康を取り戻したという話が、少なくないのです。
ただ、それは特殊な例であって、一般の人には当てはまらないという理由で、病院ではそんな患者たちの存在は無視されて来ました。
当然、がんの治療の選択肢として、そういう患者が行って来たことが、紹介されることはありません。
病院で支持しないので、テレビでも紹介することは、まずありません。
取り上げるとすれば、「がんから奇跡の生還!」のようなタイトルで、普通の人には該当することがない、特殊な話として紹介されるだけでしょう。
その話を本気でとらえて、どうしてがんが治癒したのかを、真剣に調査しようという医療関係者は、ほとんど目にすることはありません。
たまに、そんな話を本などで紹介する医師が出て来ても、他の医師たちがそれに追従することはありませんでした。
紹介した医師は、変わり者として見られるだけです。
それでも、命が懸かっているがん患者にすれば、病院から見放されたはずなのに、がんを克服できた人が実際にいるならば、その人のことを知りたいと思うはずです。
どうしてがんが治ったのかという点について、医師のゆがんだ推測による説明ではなく、患者本人の話を聞きたいでしょう。
でも、そういうことを書いた本に巡り会えることは、以前にはありませんでした。
それについて初めて世に紹介したのが、ケリー・ターナー博士であり、その本が「がんが自然に治る生き方」なのです。
ケリー博士は、それまで誰もして来なかった、末期癌の状態から劇的に回復を遂げた人々に、インタビューを行いました。
その数は100人を超えました。
また、末期癌が劇的に寛解したとされる症例の医学論文を、1000以上調べました。
その結果、劇的な寛解を遂げるのに、重要な役割を果たしたと思われる項目が、75見つかったと言います。
そのうちの上位9項目については、聞き取り調査をした人のほぼ全員に、共通した項目でした。
病院からも見放された末期癌だったのに、そこから回復することができた人たちに、共通した要素ですから、これはかなり重要な情報でしょう。
それは次の9項目です。
① 抜本的に食事を変える
② 治療法は自分で決める
③ 直感に従う
④ ハーブとサプリメントの力を借りる
⑤ 抑圧された感情を解き放つ
⑥ より前向きに生きる
⑦ 周囲の人々の支えを受け入れる
⑧ 自分の魂と深くつながる
⑨「どうしても生きたい理由」を持つ
これらは、それぞれが互いに独立した、一見無関係の項目のように見えます。
しかし、人間をエネルギー体と考え、心も体も互いに絡み合ったエネルギーだとすると、この9項目が述べていることは、全て自身のエネルギーを本来の状態に戻す、という点において共通しています。
すなわち、がんになる人は、自分のエネルギーのどこかが、大きくゆがんでしまっている、ということなのでしょう。
そのゆがみ方は人によって様々で、それが発症するがんの種類を、生み出しているのかもしれません。
いずれにしても、心のゆがみと体のゆがみには、相関性があって、どちらか一方だけを見ていたのでは、本当の治療には結びつかないということです。
詳しくはケリー博士の「がんが自然に治る生き方」を読んでみてください。
ただ、直感とか魂とかいう言葉が出て来ると、それだけで拒絶反応を示したり、よくわからないと思う人がいるかもしれません。
そういう人のために、次回からこの各9項目について、エネルギーの観点から考えてみたいと思います。