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虹が教えてくれること その5

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 ※torsmedbergさんによるPixabayからの画像です。

虹を見ればわかるように、光には七色の光が混在しています。

しかし、プリズムなどで分散されなければ、七色の光が混ざっているとはわかりません。

全部混ざった状態の、白い光があるだけだと思います。

それと同じように、世界には様々な波長が混在していると、考えることができます。

実際、世界のある所では、戦争や飢餓などで苦しむ人がいますが、別の所では、みんなが楽しそうに暮らしています。

同じ地域の中でも、いろんな不安を抱えて生きている人もいれば、何も心配せずに暮らしている人もいるのです。

そして、この状況がこれからもずっと続くと、誰もが考えていることでしょう。

しかし、光がプリズムに当たって、七色の光に分散するように、私たちの世界も、私たちの知らない所で、プリズムのような環境に置かれることが、あるかもしれません。

そうなると、どうなると思いますか。

混在していた七色の光が、それぞれの波長ごとに、分散するのと同じように、私たちの世界も、その波長ごとに分散して行くのです。

それぞれがパラレルワールドになるわけですね。

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

虹をたとえにしたので、七つに分かれるようなイメージになりましたが、実際はいくつに分かれるかは、わかりません。

いくつに分かれるにしても、自分にとっては、常に世界は連続性を持った、一つの世界として認識するでしょう。

そうであれば、分離した世界のことなど、さっぱりわかりません。

ただ、もしかしたら分離したんじゃないだろうか、と考えたくなることが、あるかもしれませんね。

たとえば、誰のことも信じられず、周りはみんな敵ばかりで、力こそが生きるために必要なものだと、信じ込んでいる人が、いるとしましょう。

一方で、どんな人で合っても、必ず心は通じるものだと疑わず、誰に対しても、愛に満ちた態度で接する人が、いるとします。

この二人は水と油のような存在です。

 ※A_Different_PerspectiveさんによるPixabayからの画像です。

現在は水と油が混在している状態ですが、世界が波長ごとに分離すると、水と油の人たちは、同じ時空間に存在できなくなるでしょう。

存在できるのは、それぞれの波長に合った時空間だけです。

誰も信じられない人を、Aさんとしましょう。

誰のことも信じている人を、Bさんとします。

世界が分離をしても、AさんもBさんも、そのことを認識することはできません。

でも、お互いに存在する世界は、離れて行くわけです。

これをAさんの視点で見てみますと、Bさんがいなくなってしまうわけです。

幽霊のように、スッと消えてなくなるのであれば、わかりやすいですね。

でも、そうではなく、Aさんが知っているBさんは、病気や事故で亡くなってしまうのかもしれません。

一方、Bさんの視点で見ても、同じ状況になります。

Aさんがいなくなってしまうのですが、スッと消えるのか、病気や事故で亡くなるかの、どちらかでしょう。

スッと消える場合、目の前で消えない限り、その人は行方不明になったと、見られるはずです。

もちろん、どこを探しても見つかりません。

病気や事故で亡くなる場合、その人はこちらの世界から、いなくなるわけですが、もう一方の世界では存在していることになります。

Aさんの世界で、Bさんが亡くなっていなくなったとします。

でも、Bさんの世界では、Bさんは生きています。
亡くなるのは、Aさんの方なのです。

こうなると、どっちが本物のAさん、あるいはBさんなのかと、なるでしょう。

スッと消える方が、わかりやすいはずです。

もし波長の合わない人が、亡くなる形でいなくなるとした場合、問題はその人の自我は、どうなっているのかということでしょう。

私たちは、自分というものを、唯一の存在として認識しています。

しかし、その概念が間違っているのかもしれません。

 ※Saurabh GさんによるPixabayからの画像です。

自分とは何なのか。

潜在意識や無意識という言葉があるように、私たちの意識は、表面的には認識しづらい要素を、秘めています。

その要素こそが、自分というものの核であるわけですが、そこの部分については、一般的には理解も認識もされていないと、言えるでしょう。

でも、本当の自分を認識できたなら、先に述べたような、分離した世界の矛盾も、理解できるかもしれません。

もし世界が分離したら、どうなるのか。

そんなの、あるわけないだろ、と決めつけないで、面白いから考えてみて下さい。

それは自分を探求することでも、あるわけですから。