非色

「非色(ひしょく)」は有吉佐和子の小説です。

絶版になっていたのが、最近になって復刻版が出版されて、話題になっています。

これは差別を描いた小説で、主人公はアメリカの黒人男性と一緒になった日本人女性です。

生まれた娘が肌の色のことで差別を受け、彼女は夫の国アメリカへ渡りますが、そこで黒人差別というものを、肌身で知ることになります。

しかし、その黒人もプエルトリコ人を差別したり、裕福なアフリカ黒人が、アメリカ黒人を見下すという、複雑な差別関係を経験します。

そして、彼女が出した結論が、肌の色ではないんだ、ということです。

これがこの本のタイトル「非色」です。

人が誰かを差別する時、相手に差別をされる理由があるかのように考えますし、それが真実であると信じてしまいます。

しかし、相手を差別する理由なんて、何でもいいわけです。

要は、自分には差別できる相手がいるということが大事であり、差別の理由なんて、いくらでも後付けできるわけです。

誰かを見下している時、その人は少なくとも、自分はその相手よりは上にいると、認めることができます。

そうすることによって、自分は最低の人間ではないと、考えることができるのですね。

そのために、つねに誰かの粗探しをして、質の悪い人間だと決めつける機会を窺っているのです。

肌の色は誰にもわかりやすいものですから、肌の色を理由に差別するのは、誰かを踏み台にしたい人にとって、最も簡単な難癖でしょう。

相手を見下す者が他にも現れると、差別をする自分への自信が強まるわけですが、それは他の差別者にしても同じなので、差別する者は互いを励みにしながら、どんどん増えて行くのです。

結局は自分に自信がない人が、それほど多いということですね。

差別の問題がある時、誰かが誰かを理不尽に傷つけるということが、問題とされますが、本当の問題は、差別する人たちが自信を見下している所にあるでしょう。

自分を見下しているから、誰かを見下して、その気持ちをごまかそうとするのです。

だからこそ、差別されていたはずの人が、他の人を差別してしまうということも、起こってしまうわけです。

自分を見下したりしないで、胸を張っていれば、他人に何を言われようと平気です。

何故、自分は自分を見下してしまうのか。
何故、自分はあるがままの自分を認められないのか。

そこにこそ、本当の問題が潜んでいます。

それは、知らない間にすり込まれた、誰かにとって都合のいい価値観です。

そんな価値観をさっさと手放し、自由になることが、差別をなくす一番の方法でしょう。

「非色」の復刻が話題になるということは、日本人の心が変わろうとしているのだと思います。

差別を単なる善悪で考えず、心の奥底に潜んだ、歪んだ価値観の問題であると、一人一人が認識できれば、差別のない社会が生まれるでしょう。