ガイドとの交流
先日、面白い夢を見ました。
と言っても、目は覚めていました。
眠っていたわけではなく、目を閉じてぼんやりした状態です。
自分が部屋で寝ていることもわかっていますし、いつでも体を動かせる状態です。
そんな感じで、ただぼんやりしながら、目蓋の裏に見えていた、巨大なスマートフォンの画面を、眺めていました。
別に自分でスマートフォンを、イメージしたわけではありません。
何となく見えていたのです。
その画面には何も映っていませんでした。
文字入力のボタンは見えず、画面の下に送信ボタンがあるばかりです。
人にはそれぞれ、目に見えない存在がついていてくれて、その人が人生から学びを得るために、支えてくれていると言われています。
その目に見えない存在は、ガイドと呼ばれていますが、私は自分のガイドに会いたいと思っていました。
時々、そんなことを思って眠ると、夢の中にガイドと思われる人物や、動物なんかが現れます。
この時は、まだ眠っていたわけではないのですが、すでにスマートフォンの映像が見えていて、これを使って自分の気持ちを伝えれば、ただ念じるよりも、確実に自分の想いがガイドに伝わりそうだと、私は思いました。
それで、自分を支えてくれているガイドたちに、会いたいですと思いながら、そのスマートフォンの送信ボタンを押しました。
文字入力はしていません。
それに送信ボタンを押す指も、イメージの中のものです。
すると、そのスマートフォンの陰から、何かが上下しながら、出たり消えたりするのが見えました。
何だろうと思って見ていると、それは人間のようでした。
大勢の人々に、わっしょいわっしょいと胴上げされています。
一人一人の顔まではわかりませんが、誰かが仲間たちに胴上げされているのです。
私はその胴上げされている人物が、自分なのだとわかりました。
その自分に意識を合わせると、自分自身が上に上がったり下がったりする感じです。
これは、いつでもガイドたちが、自分のことを支えてくれていることを、示してくれているのだろうと思い、とても嬉しく思いました。
意識をそこから離すと、再び大きなスマートフォンの画面の前に戻りました。
私はガイドたちに感謝と愛を込めて、送信ボタンを押しました。
するとボタンを押した途端、自分自身に感謝と愛の想いが、飛び込んで来ました。
相手に送ったはずの気持ちが、自分自身に向かって来るなんて、思いもしなかったので、あれ? という感じです。
でも、すぐにこう考えました。
つまり、ガイドたちという存在は、実は自分自身であるのだと。
今の自分もガイドたちも、同じ大きな存在の分身であるから、ガイドへ送ったはずの念が、自分自身にも届いたのだろうということです。
それにまた、自分とガイドが互いを同じ想いで見ている、ということでもあるのだと思いました。
自分が相手に感謝と愛を伝えたいと思った時、相手もまた同じように思っていたのでしょう。
そして、思いを届けようと心をつなげた時に、互いの同じ想いが交換されたわけです。
自分の念が自分に戻ったのか、自分と相手が同じ想いを抱いていたのか。
一見、異なるように見える理解ですが、実は同じことを、表現しているだけです。
どの視点で表現するかの違いです。
とにかく、普段気がついていなくても、ガイドたちは常に付き添ってくれているということです。
その存在を感じる時は、とても安心感が得られます。
今回の大きなスマートフォンも、恐らくガイドたちが、用意してくれたものでしょう。
自分のガイドとつながってみたいと思う人は、眠る時に、ガイドに会いたいと念じてみて下さい。
ガイドがいるかどうか疑ってはいけません。
また、ガイドを信じる必要もありません。
と言うか、信じるという言葉の裏には、疑いが隠れています。
余計なことは考えず、ただ「ガイドさんに会いたい!」と念じて眠ればいいのです。
きっと意外な形で、ガイドは夢に出て来てくれると思います。