生物の進化

 ※Lubos HouskaさんによるPixabayからの画像です。

単細胞生物に続いて、多細胞生物が出現したことは、進化の過程において、大きな謎とされて来ました。

多細胞生物とは、動物や植物、魚や昆虫など、いわゆる生き物のことです。

どの生き物も、一つの細胞が分裂して増殖してできた、数え切れないほどの細胞の集合体です。

単細胞生物も分裂して増殖しますが、一つ一つの細胞は自由に動き回ります。

単細胞生物はどんなに数が増えても、集まって全体で何かをすることは、基本的にありません。

一方、多細胞生物の場合、それぞれの細胞たちは、全体で一つの個体を形成します。
人間で言えば、一人の体を作っているわけです。

体を作っている細胞には、様々な種類があります。

脳神経細胞、筋肉細胞、血液細胞、粘膜細胞、皮膚細胞、骨細胞など、それぞれの役割を果たすために、独自の形態や機能を備えています。

神経細胞と血液細胞、あるいは粘膜細胞など、どれも似ても似つかぬ姿をしています。
とても同じ細胞が、分裂してできたとは思えないほどです。

しかし、これらの細胞は共通の目的を持って、それぞれの役割を果たしているのです。
その共通の目的というのは、個体を形成するということです。

もちろん一つ一つの細胞が、自分たちがどんな個体を形成しているのかなんて、理解しているわけではないと思います。

それぞれの細胞は、ただ自分の特性に応じた、活動をしているだけなのでしょう。
それでもその活動によって、個体は形成され、安定的に維持されているのです。

個体と細胞たちの関係は、人間で言えば、社会と個人の関係みたいなものです。

ほとんどの人は、普段社会というものを考えないまま、自分の仕事をこなしています。
それでも人々の営みが、社会を築き上げているわけです。

 ※Linus SchützさんによるPixabayからの画像です。

単細胞生物と多細胞生物の違いは、個体を形成するかどうかです。
しかし、それは見た目の話です。

生命エネルギー的に考えるならば、両者の違いは、仲間の細胞たちが持つ、社会性の違いと言えると思います。

人間で言えば、個人個人が食べ物を求めて、さまよい歩いているのが、単細胞生物の生き方です。

それに対して、それぞれが役割を決めて協力し合い、手に入れた食料を、平等に分配する社会を作るのが、多細胞生物の生き方と言えます。

そういう点で、多細胞生物の細胞たちは、人間よりもずっと進んだ社会を、築いているようです。

では、単細胞生物の生物エネルギーをエネルギーDとして、多細胞生物の生物エネルギーを、エネルギーEとしましょう。

エネルギーDは単細胞生物の心だとします。
この場合、一つ一つの細胞には個性がありません。

それはエネルギーDが物質世界の領域に、たくさんの指を突っ込んで、まさぐっているような感じです。

一つ一つの指先には、それぞれの感覚があるわけですが、統率しているのはエネルギーDなのです。

多細胞生物の場合、細胞は種類によって個性があります。

でも細胞は細胞なので、これもエネルギーEが物質世界の領域に、たくさんの指を突っ込んでいる状態です。

多細胞生物の細胞に個性はありますが、自分という認識はありません。
ですから、全ての細胞はエネルギーEによって統率されています。

それで、個体という細胞の集合体を、形成することができるのです。

個体を形成できるということは、エネルギーEにはエネルギーDよりも、高い知性があるということです。

エネルギーDが物質世界を把握できるのは、細胞周辺のごく限られた範囲です。

世界にとって、一つの細胞は一つの点に過ぎません。
ですから、エネルギーDは物質世界を、多くの点によって認識していると言えます。

それに対して、個体を形成して活動するエネルギーEは、点ではなく、もっと大きな空間として、物質世界を認識できます。

エネルギーDではわからない、別の世界を認識できるわけです。

その事から言えるのは、エネルギーEはエネルギーDよりも、高い知性があるということです。

しかしエネルギーEが、物質世界を体験するためには、エネルギーDとリンクして、細胞という形態を、利用させてもらう必要があります。

つまり、エネルギーDとリンクしないといけないわけです。

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単細胞生物の中には、分裂して増殖しても、仲間と接触したまま、塊を作るものがいます。
これは群体と呼ばれています。

恐らく、この群体という状態が、エネルギーDとエネルギーEを、つないだのでしょう。

エネルギーEとリンクした群体は、次第に単なる細胞の集合体ではなく、細胞によって役割を持つようになります。

そして、シンプルな形態の多細胞生物が誕生すると、そこから様々な形態の多細胞生物が、爆発的に現れたのだと考えられます。

初めは小さな生き物だったのが、次第に大きなものが現れるようになります。

そして海、陸、空と、あらゆる所を活動の場とした、数多くの生き物が、登場するようになるのです。

 ※homecare119さんによるPixabayからの画像です。

進化論を語る人の中に、生存に有利なものだけが生き残ると、言う人がいますが、あれは間違いです。

有利か不利かではなく、存在が可能なものは、ありとあらゆる姿で現れるのです。

それだけ生命エネルギーが、物質世界で姿を持とうとする力は、旺盛なわけです。

この世界に出て来るチャンスは、ただの一点も見逃さない勢いです。

環境が変わったために、死滅する生き物もいます。

でも、それは他の生き物よりも、生存が不利だったのではなく、環境の変化に適応できなかっただけのことです。

有利不利の問題ではありません。

話を戻し、様々な形態を持つようになった多細胞生物ですが、そのほとんどが、自分という概念はないと思われます。

そんなことはない、ペットの犬や猫は、自分というものがわかっていると、反論される方もいるでしょう。

でも、それは人間の影響で、そうなっているだけでしょう。

自然界の動物たちは、自分という概念は持っていないと、私は思います。

 ※David MarkさんによるPixabayからの画像です。

お腹が空いたとか、水が欲しいとか、熱くてたまらないとか、体がかゆいとか、そういう感覚は、動物にもあるでしょう。

餌や縄張り、あるいは交尾相手を巡って、他の仲間たちと激しく争う動物もいます。
これはオレ様のものだという、感覚があるのでしょうね。

でも、それと自分という概念とは、別なのです。

自分という概念は、観察対象として、自分自身をとらえた時に、生まれるものです。

自分の体は目で見えますし、触れることもできます。
ですから、体は観察対象になります。

しかし、その体に動きを指示している、自分の心を見ることはできません。
もちろん、触れることもできません。

自然の動物は生きることが、最大の目的と言えるでしょうから、意識の目は常に、外界へ向けられていると思います。

気持ちがいいとか、怖いとか、感覚や感情を感じながらも、それを感じている、心そのものの存在には、気づいていないでしょう。

ところが、人間は自分自身についても、自分とは何だろうと考えます。

これが自分を認識する、ということです。
そして、自分という概念を持っている、ということなのです。