生命の起源1
生命とは、どのように発生したのだろうと、考えたことがある方は、多いと思います。
それについて研究者たちの間でも、多くの議論があるようですが、未だに結論は出ていません。
一般的には原始地球に、アミノ酸などの有機物質が蓄積され、やがてこれらが集まって、原始的な細胞が、生まれたと考えられています。
この有機物質が地球で作られたのか、隕石によって、宇宙から運ばれて来たのかは、意見がわかれるところです。
いずれにしても、原始地球に似せた環境下に、有機物質を集めて置いても、新たな生命は生み出されないようです。
ただ、面白い話が二つあります。
一つは、タンパク質などの有機物質が集まった、小さな粒子の話です。
水中にあるこの粒子は、太陽光などのエネルギーを与えられると、周辺にある有機物質を取り込んで、成長すると言います。
その大きさは、直径数十~数百ミクロン程度で、止まるそうです。
この粒子は、大きさは安定しているものの、形は完全な丸ではなく、少しゆがみがあるそうです。
成長したこの粒子に、さらにタンパク質分子が過剰に入り込むと、粒子のゆがみが強くなって、その一部が瘤のように膨らみ、ついには二つに分裂すると言います。
これは細胞ではありませんが、自然の力で小さな粒子が、分裂して増えて行くことができる、ということを証明したものです。
さて、もう一つは、アメーバのように動き回る、油滴の話です。
マイクロメートルサイズの油滴は、表面(水との境界面)上に起こる、部分的な張力の差によって、張力の弱い部分の成分が、張力の強い部分へ引っ張られます。
それによって油滴は、水中をアメーバのように変形しながら、移動するそうです。
そういう油滴が実験によって、作成されているのです。
また、動きながら分裂する油滴も、これまでに作られているそうです。
この油滴は化学物質を取り込んで、内部で化学反応を起こし、新たな化合物を作ることも、できると言います。
また、先に紹介したタンパク質の粒子ですが、その表面に脂質を集めるので、細胞膜のような脂質の膜を、形成するようになるかも、知れないそうです。
脂質の膜とは、油の膜ということです。
油膜で包まれた空間は、周辺の空間とは、隔離された状態になります。
その内部環境は、油膜がない時と比べると、極めて安定だと言えます。
また、油膜で包まれていれば、油滴と同じ運動をするようになります。
自然にできる表面の張力差によって、動いている場合、いわゆる意思は、そこにありません。
どの方向へ動くかは、行き当たりばったりになるでしょう。
しかし、意図的に表面の張力差を生み出せたなら、思った方向へ移動することが、できるでしょう。
それは細胞が発生するための、乗り物が提供されたようなものです。
研究者の人たちの努力には、本当に脱帽です。
ここまで生命の秘密が、解明されたことは、本当に素晴らしいと思います。
ただ、この細胞の乗り物が、どうやって細胞になったのか、という点については、まだわかっていません。
この細胞の乗り物の中に、どんどんいろんな物質が取り込まれ、中で化学反応を起こして、新たな物質も作られて、そうするうちに遺伝子も作られて、細胞ができた。
そんな考え方もあるようですが、それでは細胞が、プラモデルのように聞こえます。
人間で言えば、フランケンシュタインの怪物のように、いろんな臓器や身体を寄せ集めれば、一人の人間として活動するのか、ということです。
映画の中では、人造人間は生きて活動します。
しかし、現実には有り得ないことです。
つまり、人は単なるパーツの組み合わせでは、ないということです。
それと同じで、細胞もバーツの寄せ集めではありません。
では、何が足りないのでしょうか。
それは恐らく、細胞の意識です。
人にとっての、心と同じです。
今の科学では、細胞に心があるとは、考えていません。
また、無機質には命がないとされています。
その無機質から有機物質が作られ、その有機物質が集まってできるのが、細胞です。
ですから、細胞が何らかの活動をしても、それは単なる反応的な動きであって、心があるとは考えられていないのです。
しかし、その考えが前提である限り、細胞の乗り物と、細胞との間を埋めることは、できないでしょう。