パソコンの故障

 ※EdarさんによるPixabayからの画像です。

長らく使っていました、デスクトップのパソコンが、そろそろ寿命を迎えそうな様子です。

この何年か立ち上がりに、随分時間がかかるように、なっていました。

それでも、待っていれば起動するので、気にせずに使っていたのです。

しかし、時々プラグラムが途中で止まったかのように、動作が遅くなることが、よくありました。

Windowsや ウィルス対策ソフトが、CPUやメモリーを占領するために、他のプログラムの動きが、悪くなっているのだろうかとも、考えました。

タスクマネージャーで調べてみると、CPUも特に活発に動いている様子もないし、メモリーも余裕がありました。

それでも、ハードディスクが作動しているランプが、ずっと点灯しっ放しなので、どうしたことなのかと、ずっと不思議に思っていました。

でも、その理由が今回の不具合で、ようやく理解できました。

パソコンを立ち上げた時に、パソコンが起動すると、普段はパソコンメーカーのロゴマークが、モニター画面に出て来ます。

でも、今回はロゴマークが表れず、タイプライターで打ち出したような、意味不明のアルファベットや、数字を並べた文のようなものが、ずらずらっと出て来て、動かなくなったのです。

意味がわからないので、このブログを書くのに使っている、ノートパソコンを使い、インターネットで状況を調べてみました。

すると、Windowsを立ち上げるための、Biosというものを、初期化する必要があるとのこと。

しかも、それでも上手く行かない場合は、パソコンの機械が Windowsプログラムが入っている、ハードディスクにアクセス出来ていないと、いうことらしいのです。

つまり、もう機械がだめだってことですね。

それで、書かれてある指示に従って、恐る恐る Biosを初期化してみると、今度はロゴマークが出て来ました。

それで、ほっとしていたのですが、立ち上がったはずのデスクトップ画面にある、たくさんのアイコンが真っ白のままです。

しばらく待ってみたのですが、変化がないので、再起動。

今度はアイコンも元通りになったので、やれやれでした。

しかし、何をするにしても反応がとても鈍く、これはやはり、ハードディスクとのやり取りが、順調に行っていないのだと判断しました。

古い保証書を探し出して調べてみると、このパソコンを購入したのは、平成23年6月でした。
まるまる9年が過ぎて、10年目に入ったところだったのです。

そもそも、このパソコンは Windows7でして、去年の暮れにマイクロソフトのサポートが、終了した代物です。

インターネットに接続するのをやめて、ワープロ専用機として使っていたのですけど、やっぱり無理だったようです。

今はノートパソコンがあるので、特に困るわけではないのですが、このノートパソコンも、いつ壊れるかわかりません。

それに画面が小さいのは、若くない私には、ちょっと見づらくもあるのです。

ですから、いずれまたデスクトップのパソコンを、購入しようと思うのですが、資金がないので、それはもうしばらく、先のことになりそうです。

まあ、それはいいとして、このデスクトップパソコンの中には、家族の写真やら、自分で作った文書や、いろいろ集めた資料が、たくさん詰め込まれているのです。

パソコンが完全に、おシャカになってしまう前に、それらのデータを、外付けハードディスクへ、移しておかねばなりません。

それで昨日から、かかりきりでやっているのですが、動作が非常に遅いので、本来なら1、2分でできてしまうことでも、数十分かかってしまうのです。

大変だから、寝ている間に、勝手にやっといてもらおうと思ったのですが、今朝起きて見ると、動きが止まっていて、画面にメッセージが出ています。

「このフォルダーはほかの人と共有されています」
「このフォルダーを移動すると共有は解除されます」

それで、このまま続行するのか、キャンセルするのかと、こちらに尋ねているわけです。

データの移動作業は、ほとんどできていません。

がっくりしながら、続行ボタンをポチッと押しました。

そう言えば、昨日の作業をしている時も、同じことを求められたなと反省です。

 ※きのこさんによるイラストACからの画像です。

今もこのブログを書きながら、横で時々、この続行ボタンを押しています。

何だか動きがおかしくなって来たなと、感じ始めた時に、必要な作業を済ませておくこと。

自分が体調を崩した時の対処と、同じことでした。

ところで、データを移される外付けハードディスクの、ピコピコ点灯するランプを見ていて、ふと思いました。

この機械の中に、記録されている磁気のデータは、それだけを見ると、0か1なのだなと。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

一つ一つの情報は、0か1のどちらかだけです。

このデータが物を言えたとすると、「ぼくは 0だぞ」「あたしは 1よ」ということしか、言えないでしょう。

それ以外のことは、何もわからないのです。

それなのに、「0のぼく」と、「1のあたし」がたくさん並ぶことで、様々なデータやプログラムが、作られるのです。

しかし、そのデータやプログラムも、自分たちがモニター画面に出て来る、文字や映像、スピーカーの音などを、作っているとは、露ほども知らないのです。

面白いですよね。

モニターで動き回っているキャラクターや、映像などは、自分たちがプログラムとデータの合作だなんて、これっぽっちも考えないでしょう。

ましてや、0と1が並んだだけだなんて、理解の範囲を超えているでしょう。

これと同じことが、私たちにも言えるのですね。

私たちの体も、様々な臓器や筋肉や骨が、皮膚にくるまれているのですが、誰もそんなことを考えながら、生きてはいません。

その臓器なども、小さな細胞でできていて、これらの細胞が、私たちが起きていようと寝ていようと、活動を続けてくれるので、私たちは生きていけるのです。

でも、細胞のことなど、臓器以上に思い浮かべることなど、ありません。

その細胞も、目に見えないほど小さな、原子や分子の集まりです。

そして、原子や分子は、さらに小さな素粒子の集まりなのです。

 ※XpicsさんによるPixabayからの画像です。

今の科学では素粒子よりも、小さなエネルギー単位は、設定されていません。

その素粒子になると、私たちが当たり前に考えている、形というものがないのです。

形というものは、電磁的な力によって、構成されています。

電磁的な力で、原子が引き合ったり、反発し合ったりして、物の形や境界が、形成されるのです。

でも、電磁的な力を働かせる元である、素粒子には形がありません。

つまり形というものは、本質を言えば見せかけであって、本当に存在しているのは、素粒子が集まった、エネルギー体ということなのです。

一種の幽霊みたいなものでしょうか。

幽霊との違いは、幽霊の体を構成する力が、私たちの体を構成する電磁力とは、別の力だということです。

あなたの体も、あなたの周囲に存在している物も、全てがまやかしで、本当はみんな、ただのエネルギー体だと考えると、不思議な気持ちになりませんか。

それは私たちの心にも言えると、私は思うのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

私たちの心は、知性、感情、感覚、記憶によって、構成されています。

あるいは、そういうもので構成された人格が、いくつも集まってできているとも、考えられます。

普段は全てが、一つになっていますから、特に分けて考えることもないでしょう。

でも、たとえば重なっている人格が、分離したような感じになると、精神的な疾患と診断されます。

知性、感情、感覚、記憶、これらの要素が、どれだけ深く、その人物の構成に関わっているかによって、その人の個性や性格といったものが、独自のものになるのでしょう。

あなたが別の人の記憶を、自らの中に取り込んだとしましょう。

すると、あなたは今の自分という、認識を維持しながら、他人の経験を自分の経験として、受け止めることになるのです。

あなたがコンピューターのような知性に、アクセスできたならば、いわゆる数学的天才になります。

人生がつまらないと思っていた人が、何かをきっかけにして、豊かな人生を送るようになったとします。

きっと、その人は感情の要素が、とても豊かになっているはずです。

あなたがコウモリやイルカのように、超音波を聞き取れるようになったり、渡り鳥のように地球の磁気を、感じられるようになったら、どんな感じになるでしょうか。

人の想いを、直接感じられるようになったなら、世界はどんな風になると思いますか。

いろいろ考えると、面白いですね。

 ※Enrique MeseguerさんによるPixabayからの画像です。

知性、感情、感覚、記憶。

こういったものも、恐らくは素粒子のような、小さなエネルギー単位が、集まってできているのです。

一方で、私たちの一人一人の意識が、素粒子のように、もっと大きな何かを、構成している可能性があります。

一番身近な構成物は、集団の意識というものです。

家族、民族、宗教、国、性、年代、いろんな要素が、集団を作るきっかけになります。

誰か一人が孤立する時、目には見えませんが、集団の意識と、そこに入り込めない一つの意識という、エネルギー体の対峙があるのでしょう。

人々が対立し合う時、あるいは、それぞれが自分のことばかり考えている時、そこにあるエネルギー体はバラバラで、一つにまとまることはありません。

一つ一つのエネルギー体は小さいですから、大したことはできません。

しかし、協力し合ったり、互いを思いやったりするようになると、バラバラだったエネルギー体が、一つに集まって大きな集合意識を、形成することになります。

大きなエネルギー体は、パワーがありますから、何をするにも、小さなエネルギーより有利です。

この場合、一人一人は自分で考えて行動している、という自覚を持っています。

しかし、集合意識の立場で考えると、一人一人は自分の分身です。

全員が一つの目的を持って、動いているという認識を、集合意識は持つでしょう。

この集合意識が国や民族、宗教などを超えて、地球全体に広がる、全人類の集合意識となったと考えてみて下さい。

全員が全人類の集合意識の、分身なのです。
そこに敵は、一人も存在しません。

 ※Gerd AltmannにさんよるPixabayからの画像です。

個性は維持されています。
しかし、個性を理由にした対立や、イジメなどは起こりません。

個性は可能性として喜ばれ、多様な個性によるハーモニーが、美しく感動的な振動を、全ての人の心に広げることでしょう。

一人の悩みは、全員の悩みです。
一人の喜びは、全員の喜びです。

どんなに遠方に離れていても、人々の心は、一つにつながっているのです。

そのつながり、そのハーモニーは、肉体を持っていようと、肉体から離れていようと、関係がありません。

心のつながりが、感じられるようになったなら、今の世界でいう生死の問題は、単なる変化として、とらえられるようになるでしょう。

そして、全人類の集合意識が地球を越えて、他の星の集合意識と交流し、やがて一つになって行くとすれば、こんなに楽しく素晴らしいことは、ないのではないでしょうか。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

つい、ブログを書くのに、夢中になってしまいました。

デスクトップのパソコンのモニターが、続行するかどうかと尋ねています。