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生命の起源3

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 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

宇宙は生命エネルギーに満ちていると、私は考えています。

また、その生命エネルギーは一様ではなく、様々な状態のものが重なり合い、混じり合っているのだと思います。

地球にも、いろいろな状態の、生命エネルギーがあると思われます。

でも、この生命エネルギーは肉眼で見たり、手で触れたりはできません。

その代わり、生命エネルギーは物質エネルギーに働きかけて、私たちが知覚できるような、姿形を形成するのです。

ただ、全ての生命エネルギーが、この物質世界に、直接働きかけるわけではないと思います。

物質エネルギーに直接作用できるのは、とてもシンプルな生命エネルギーでしょう。

今の物理学が追求、あるいは解明している宇宙の法則は、このシンプルな生命エネルギーの働きかけを、説明したものなのだと、私は考えています。

さて、私は生命エネルギーを、精神エネルギーという見方でも、とらえています。

宇宙に様々な、生命エネルギーが満ちているというのは、様々な状態の心が、宇宙にはあるということです。

その中でも最もシンプルな心、つまり宇宙の最もシンプルな生命エネルギーの、心としての側面とは、どのようなものでしょうか。

私はこの心が、「存在する」という一点にのみ、集中した状態にあると考えています。

この心には、人間の心のような、思考や感情、感覚はありません。

物質エネルギーを通して、具体的な形態を持つということにのみ、執着しています。

とは言っても、自分という認識はありません。

存在への執着はあっても、存在している自分、という認識はないのです。

この生命エネルギーが、物質エネルギーに働きかけることにより、具体的な存在を、生み出すことができます。

その根本的なものは、恐らく素粒子だと思います。

しかし、素粒子だけでは不安定です。

その不安定な素粒子同士が、反応し合う中で、原子という、安定な形態が生まれます。

これは偶然にできたのではなく、できるべくしてできたと考えられます。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

どういうことか説明しましょう。

素粒子を形成したのが、最もシンプルな生命エネルギーだとします。
この生命エネルギーを、エネルギーAとしましょう。

生命エネルギーの中には、複雑性において、エネルギーAより少し上位の、エネルギーBがあります。

このエネルギーBは安定した存在を、意識しています。

そのためエネルギーBは、素粒子に働きかけて、原子という安定した形態を作ります。

エネルギーBは、直接物質エネルギーに働きかけて、原子を作るのではありません。

原子の材料となる、素粒子が形成されてから、その素粒子に作用して、原子を作るのです。

つまり、エネルギーBはエネルギーAに働きかけて、間接的に物質エネルギーに作用し、原子を形成するのです。

集まった素粒子が、勝手気ままに反応しあう中で、原子核と同じものを、形成する瞬間があります。

すると、その一瞬だけエネルギーAの状態は、エネルギーBに限りなく近づきます。
そして、AとBのエネルギーはリンクするのです。

素粒子が反応し合って、新たな素粒子が生まれても、それは不安定なまま、すぐに別の形態に変わります。

しかし、原子核の形ができた瞬間だけ、エネルギーBの力が作用して、近くにあった電子が引き寄せられ、原子が完成するのです。

同様に、エネルギーCは原子同士が作用し合って、分子を形成するように、働きかけます。

そして、有機物質が集まって、細胞の乗り物を形成すると、エネルギーDが働きかけることができるようになり、細胞の乗り物は、本物の細胞へと変わって行くのです。

エネルギーDはエネルギーCに働きかけ、エネルギーCはエネルギーBに働きかけ、エネルギーBはエネルギーAに働きかけます。

そして、エネルギーAは物質エネルギーに働きかけます。

こう考えると、物質エネルギーもある種の生命エネルギーだと、解釈した方がわかりやすいですね。

私はエネルギーAを、最もシンプルな生命エネルギーとしましたが、実は物質エネルギーこそが、最もシンプルな生命エネルギーなのでしょう。

人は物質と心を分けて考えますが、物質もまた、一種の精神エネルギーであり、宇宙の心の一部なのです。

宇宙に存在しているのは、精神エネルギーのみであり、宇宙とは一つの大きな心なのです。

そして、宇宙の心の一部である私たちは、宇宙の心をいろいろな角度から、探査していると言えるでしょう。

つまり、生命の起源を考えるならば、それは宇宙が生まれた時とするのが、わかりやすいかも知れません。

しかし、宇宙の誕生という時点が、あったとするならば、生命とは無から突然生じた、ということになってしまいます。

無というのは、何も存在しないことを言います。

何も存在しない所から、何かが生まれることは有り得ません。
それは無という言葉の、定義に反します。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

ビッグバンがあったと仮定する学者も、宇宙が本当の意味での、無から生まれたとは、考えていません。

無に見えるような真空状態があって、そこから宇宙が誕生したと、考えているのです。

宇宙に誕生があったとすれば、宇宙を誕生させるように、働きかける何かがあったはずです。

それも生命エネルギーでしょうから、そう考えると、生命には始まりも終わりもなく、あるのは変化だけ、と言えるのではないでしょうか。

ちなみに、私たちが進化と呼んでいるものは、宇宙に満ちた生命エネルギーの、絡み合いによって生じるものです。

単細胞生物が生まれたのも、そのような生命エネルギーの、絡み合いによるものでしょう。

次回はタイトルを変更して、多細胞生物の話をしようと思います。