幽霊を科学する2
幽霊になるのが、無念の死を迎えた人だけであれば、幽霊はその人自身ではない、という考え方もあります。
死んだ人の心と言うより、その人が抱いていた強い思いが、念として残っていると、理解するのです。
要するに、死んだ人の心は消え去るけれど、その人の恨みや悲しみなどの、強いマイナスの思念の渦だけが、しばらくは幽霊という形で、残り続けるというわけです。
しかし、強い思念というものも、物質エネルギーではありません。
強い思念が残るというのであれば、結局は物質エネルギーとは別のエネルギーを、想定する必要が出て来ます。
精神が属するエネルギーを想定するのであれば、人の心が肉体の死後に、残っていても問題はありません。
それでも、肉体は死後に崩壊するから、心も死後に崩壊するだろうと、考えたくなるかも知れません。
確かに、それも一つの考え方だと思います。
しかし、それは推論に過ぎませんし、死後も心が、どこかに存在しているという、可能性を否定できるものではありません。
そのどこかを、昔の人はあの世という言葉で、表現していたのでしょう。
あの世があるのであれば、世界を考える時に、この世とあの世の両方を考慮する、必要が出て来ます。
また、あの世があるとなれば、当然、この世とあの世の間で、連絡を取り合う方法が、あるのではないかと考える人が、出て来るでしょう。
「おじいちゃん、そっちの世界では、何をして暮らしているの?」
「生きていた頃と、同じだよ。違うのは、誰かに会いたいって思ったら、その相手が目の前にいるってことかな」
こんな風に亡くなった家族と、いつでも気軽に会話ができれば、素敵だと思いませんか。
テレビ電話のように、モニター画面があれば、遠方で離れて暮らしているのと、何の変わりもないですよね。
未解決の殺人事件も、死んだ本人から話が聞ければ、解決できるかも知れません。
誰かを殺した人は、自分が死んであの世へ行くことを、とても恐れるでしょう。
死後の世界にいる人から、あの世の様子や、この世に生まれて来ることの意味などを、教えてもらえたら、どうでしょうか。
きっと人々の価値観に、革命が起こるに違いありません。
どうせ死んだらおしまいだから、生きている間にいい思いをしよう、という考えは、成り立たなくなってしまいます。
今の世の中は、科学技術ばかりが大きくなり、人としての心が未成熟な、いびつな社会です。
しかし、あの世の発見により、科学も社会も新たなステージを、迎えることになるでしょう。
新たな時代を迎えた社会は、これまでと違って、精神と科学のバランスが取れた、素晴らしい世の中になるに違いありません。
でも、そのためには幽霊の存在を認め、幽霊について研究しなければなりません。
ただ、幽霊とは、元々生きた人間だったのです。
穏やかな死を迎えた人が、研究に協力するということで、あの世から幽霊となって、現れてくれるのであれば、問題はありません。
しかし、無念の死を迎えて、幽霊になった人たちは、死んだ後も苦しみ続けていると、考えられます。
そういう方たちを研究対象にする場合、その苦しみや無念な思いに対する、配慮が必要なことは、言うまでもありません。
肉体があろうがなかろうが、みんな私たちと同じ人間なのです。
そうは言っても、実際に幽霊を研究しようという、学者はほとんどいないでしょう。
科学的な結論を待っていては、人々が抱えている悩みや、社会の問題を解決することができません。
科学的に研究すれば、必ず素晴らしい成果に、結びつくと思います。
でも一般の人々は、研究を学者任せにしないで、幽霊の存在が意味するところを、自分たちで考えるべきだと思います。
科学的な立証がなくても、自分が納得できれば、人生を生きて行くための指標を、持つことができます。
それは豊かで深みのある人生を、約束してくれるものなのです。