戦争と平和 その1
ロシアとウクライナの争いが続いています。
どちらが戦いを仕掛けたかに関係なく、戦場では多くの兵士や市民が、命を失っています。
互いに相手への憎しみを募らせ、自国の裏切り者に対しても、容赦しない怒りを向けます。
住む場所や家族、友人を失った人々の悲しみは、新たな怒りや憎しみへと変わり、今日も新たに命が奪われるのです。
人間の歴史を見ると、争いの連続です。
大きなものは戦争と呼ばれ、小さなものは喧嘩と呼ばれます。
でも、争いの大きさには関係なく、その本質は同じです。
相手を思いやることなく、自分の言い分ばかりを、押し通そうとしています。
争いは、どちらかが手を出すことで始まりますが、本当の争いはそれ以前から始まっています。
手を出した方は、貯まっていたものが、一気に噴き出したに過ぎません。
手を出しさえしなければ、争いは起こらないでしょうが、それは表面的な争いです。
心の中では、いつもどろどろしたものが渦巻いていて、いつかは必ず何かの形で噴出します。
見た目は何でもないように見えていた火山が、ある日大爆発するのと同じことです。
あるいは、地中の中で徐々に貯まった地殻のプレートの力が、ある日大地震や大津波を起こすのと同じなのです。
手を出した方が悪者扱いされますが、どうして手を出すに至ったのかという点を、よく確かめなければ、本当の問題解決にはなりません。
一度は収まったと思われた争いごとが、思いも寄らない所で、再燃するからです。
それは歴史を見れば明らかです。
みんな自分のことばかりを考えて、他の人が苦しんでいても、見て見ぬふりをしたりします。
自分たちの平和な暮らしのために、誰かが苦しむ必要があるのなら、それを当然のこととして受け止めて、その誰かを生かさず殺さずという感じで、とことん利用しようとします。
世界は平和だと、一部の町の光景を見せることで、本当はそうではないものから、人々の目を遠ざけようとします。
そんな見せかけの平和の中で、助けを得られず苦しむ者たちの中から、こんな理不尽なことはがまんできないと、怒りを爆発させる者が現れます。
その結果、新たな争いが勃発し、多くの人が絶望へと追いやられるのです。
結局は、何度争いを繰り返しても、人間はそこから何も学べていないということなのです。