戦争と平和 その2
人は死んでも、再び生まれ変わり、新たな人生を迎えます。
この考え方を世界中の人が受け入れたなら、争いごとをなくすための、大きな力となるでしょう。
自分は間違っていない。
悪いのは相手の方だ。
そんな風に決めつけて、喧嘩や戦争は始まります。
しかし今の自分が、前世の自分が責め立てていた相手の側だとすれば、どうでしょうか。
かつて、自分が痛めつけていた相手が、今の自分だとすればどうでしょう。
あるいは、今の自分が死んだあと、今度は今の自分が争っていた相手側に、生まれ変わるとすればどうでしょうか。
自分はいつでも、自分がいる側の立場で、ものを考えます。
そちらの側に有利になるようにという基準で、何でも考えますから、相手の側のことなど考えません。
その結果、相手が苦しむことがあっても、そんなの仕方がないじゃないか、と切り捨ててしまうでしょう。
でも、その切り捨てる相手に、前世や来世の自分がいたとしたら、どうでしょうか。
あるいは、自分の大切な家族や友人が、同じように相手の側に生まれ変わるかもしれません。
そういう人たちがいるのを知りながら、相手の人たちを痛めつけたり、苦しめたりができるのでしょうか。
前世や来世を受け入れていなくても、同じようなことを、今のロシアとウクライナの争いは、教えてくれています。
戦争が始まるまでは、ロシアとウクライナは親戚同士のような関係で、夫婦の片方がロシアで、もう片方がウクライナという人たちは、少なくありません。
国境を越えた親戚や友人を持つ人も数多く、どうしてそんな国同士が争うことになったのかと、疑問を持つ人が多いでしょう。
自分はロシア側、自分はウクライナ側と、きれいに分かれて、相手を攻撃したならば、必ず相手側にいる、自分と親しい人たちを、傷つけることになってしまいます。
それを本意ではないけれど、上から命令されたからと実行するのは、自分の思考を捨てたのと同じことです。
今の状況を見ると、そういうことを深く考えていない人が、いかに多くいるのかということがわかります。
でも、親しい人に武器を向けるのは嫌だと、拒む人もいます。
この争いでは、人々の本当の想いが、試されていると言えるでしょう。
また、ロシアとウクライナ以外の国の人々も、どうしてこの争いが起こってしまったのか、その本当の原因を探らなければなりません。
そうでなければ、いつ争いが自国へ広がるかもしれませんし、新たな争いが勃発するかもしれないからです。
この争いは決して他人事ではありません。
全人類が、自分たちは地球人なのだという意識を、持てるかどうかが試されているのです。