荒れ狂う世界 その4
人は困らなければ、新しい変化を受け入れようとしないものです。
コロナ騒ぎで多くの人が、かなりの制限を強いられました。
中には絶望して、自ら命を絶った人もいます。
それほどの困窮の中で、新しい生き方や、新たな楽しみを発見した人もいます。
彼らはコロナ騒ぎが落ち着いても、もう以前の暮らしには戻らないと言います。
しかし、コロナ騒ぎがなければ、そんな暮らしも知らないまま、それまでどおりの暮らしを、何の疑いも抱かずに続けていたでしょう。
初めから、そのような暮らしを受け入れて、実践して来た人にとっては、コロナ騒ぎというものは、多くの人ほど大変なことでは、なかったかもしれません。
自分を知り、状況の変化に柔軟に対処できる人にとっては、どんなことが起こったとしても、身動きが取れなくなることはないのでしょう。
中国に広がる政府批判も、人々が困り切ったからこそ、生じたものです。
ロシア国民に戦争反対の声が広がり出したのも、困り切った人が増えたからでしょう。
地球温暖化もかなり前から警鐘が鳴らされていたのに、それに早くに対処した来なかったのは、実際に気候変動による被害を、直接には体験していなかったからです。
繰り返しになりますが、人は困らなければ、新しい変化を受け入れようとしないものなのです。
どうしようもないと思われる困難に出会っても、必ず思いがけない発想や、解決方法が生み出されます。
それを邪魔するのは、既存の考え方から脱却できない人たちです。
彼らは新しい発想を否定します。
そんな当てにならないものより、実際に活用して来たものの中から、解決方法を見付けるべきだと考えるのでしょう。
新しい発想を持つ人の数が少数だと、その考えは潰されてしまいます。
しかし、新しい発想に同調する人の数が増えると、とにかくやってみようという動きになります。
その結果、それがいいぞとなると、あっと言う間にそれが広がるでしょう。
まるでオセロゲームの逆転劇のように、世の中のあり方が、それまでとは全然違うものに、がらっと変わってしまうのです。
ピンチはチャンスと言いますが、まったくそのとおりです。
ある状況が終わろうとする状態がピンチであり、新たな状況が生まれようとする状態をチャンスと言います。
つまり、両者は同じ状態を、違った視点で見ているだけなのです。
あなたはどちらの視点に立つのでしょうか。
どちらの視点に立とうとも、起きるべき変化は必ず起こります。
であれば、来るべき状態に応じた視点に立つ方がいいでしょう。
その方が、新たな状況に混乱しませんし、新しい喜びを享受することができるからです。