仕事と遊び その1
人間は仕事と遊びを分けて考えます。
特に生真面目な日本人には言えることです。
仕事も遊びも、単なる作業に過ぎません。
何を持って仕事とし、何を持って遊びとするのか、そこには本来線引きなどできないはずです。
それを敢えて線引きするのは、その線引きが自分にとって、都合がいいという人がいるからです。
それは人を動かして、自分がやりたいことを実現しようとしている人。
特に、それによって利益を儲けようと考えている人です。
人間はロボットではありませんから、喜怒哀楽があります。
その日によって、気分も体調も変わって来ます。
あるいは、家の事情などで、いつものようには動けないこともあります。
しかし、毎日毎日決まったように、成果を出したい経営者は、自分の下で働く者たちが、一糸乱れぬ動きをすることを望みます。
それは人間に対して、ロボットになることを、求めているのと同じです。
仕事中に私語は禁じるとか、机の上に家族の写真を置くなとか、勤務時間中はトイレ以外は仕事を続けろとか、営業に出たら営業以外のことはするなとか、職場にもよるでしょうが、厳格な所はとても厳格です。
そんな所はやめればいいのにと思うのですが、自分はそこでしか働けないとか、みんなが頑張っているのに、自分だけが弱音を吐けないとか、そんな強迫観念を子供の頃から、教育の名を通してすり込まれていると、なかなか抜け出すことができません。
その挙げ句、病気になったり、誰かと争ったり、自ら命を絶ったり、ということになるのです。
仕事というものは、ロボットのように淡々と作業をこなすこと。
遊びというものは、楽しむこと。
こんな風に、分けて考える経営者が、昔は多かったように思います。
でも、最近の若い経営者の中には、仕事の中に楽しさを見つけてこそ、初めていい仕事ができると気がつき、社員に働く意欲を持たせる、工夫をする人が出て来ました。
自分たちが楽しい気持ちを持ちながら、お客をどうやって喜ばせるのか、どうすれば素晴らしい結果を導けるのか、ということに、みんなで頭を捻って創意工夫をする。
こんな職場は、遊びと仕事の区別をしていません。
社員は活き活きと働き、失敗があっても挫けず、喜びにつながる結果を出してくれます。
一方、昔ながらの仕事と遊びを、きっちり分けている職場では、社員はいつ辞めようかと考え、仕事にも気持ちが入りません。
いい結果は出ないし、従業員の定着率も悪く、しょっちゅう社員を募集することになるのです。
かつては、上から無茶を言われても、黙って従う人が圧倒的多数だったですが、今は違います。
今の若い人たちは、自分がやりたいと思わなければ、いとも簡単に辞めてしまいます。
彼らをつなぎとめるのは、昔ながらのやり方では無理なのです。
若い人が働いてくれないから、という理由で、海外からの労働者を、安い賃金で使う所が結構あるようですが、これも一時的な対応策に過ぎません。
海外の労働者を見下すような態度を見せていれば、彼らも怒って、働かなくなるでしょう。
若い人たちが、やりがいのある仕事に惹かれるように、海外から来る労働者も、自分を人間として扱ってくれる所を、望むはずです。
そして、実際にそのような動きになると思います。
人を駒扱いするような企業は、これからどんどん潰れて行くでしょう。
今、求められているのは、楽しくやりがいのある仕事であり、そういう仕事で成り立つ社会なのです。