卵の殻 その2

 ※Henryk NiestrójさんによるPixabayからの画像です。

人間社会で誰も疑うことがなかった、常識や価値観は、目に見えない卵の殻なのです。

これらの固定的な考え方は、人間を一つの枠に閉じ込めてしまいます。

その枠の外のことを、考えることを許しませんし、枠にはまらない者を、社会に適合できない人間だとみなします。

それは、この枠を創った者たちにとって、不都合なことだからです。

多くの人々は、枠によって洗脳されています。

映画「マトリックス」に出て来た、架空の世界に生きる人々のようなものです。

安定した暮らしが、保証されていると信じ込まされ、支配者の望み通りに動く人間に、仕立て上げられているのです。

人々を支配するのに、宗教が利用されることがあります。

多くの人は、神の名の下に事件を起こす者たちを見て、洗脳されていると思うでしょう。

実は自分たちも、宗教とは別の信念に、洗脳されているのです。

でも、洗脳されている者は、そのことに気がつきません。

それでも中には、洗脳が効かない人たちがいて、卵の殻を打ち破ろうと藻掻きます。

だけど、この人たちも自分が卵の殻に閉じ込められいると、しっかり認識できているわけではありません。

とにかく、窮屈さから逃れようとして、藻掻くのです。

 ※Stefan KellerさんによるPixabayからの画像です。

結局、藻掻くばかりで、殻を破ることができず、心身を病んだり、死んでしまったりする人がいます。

しかし、一方で偶然に殻を打ち破ることに成功し、清々しい新しい世界を、発見する人もいるのです。

そして、今や新しい世界を発見する人が、増えて来ています。

そういう人たちの存在は、見えなかった卵の殻が、他の人々にも見えるようにしてくれます。

自分が殻の中に閉じ込められているのだと、気がつくことさえできれば、その人は殻の外へ出ることを目指すでしょう。

未だに殻の中にいながらも、そこから出ようと四苦八苦している人が、大勢いるように感じます。

 ※medetaiさんによる写真ACからの画像です。

魚の卵から、幼魚が孵化する場面を、テレビなどで観たことがありませんか。

初めは数匹が、ちょろちょろと孵化し始めるのですが、やがて全体が次から次へと、一斉に孵化を始めるのです。

人間も今、そんな状況にあるように思います。

自分が何をすればいいのかわからない、自分が社会の何の役に立つのかわからない。

そんな風に思う人は、少なくないでしょう。

でも、何も特別に考える必要はありません。

自分が好きなように、自分が思ったとおりに、生きればいいのです。

 ※カメラ日和さんによる写真ACからの画像です。

誰かのためにと思わなくても、見てくれている人は、必ずいます。

そして、自由に生きる生き方が、そういう人たちに刺激を与え、その人たちが卵の殻を破るための、大きな力となるのです。

具体的に何をするのかが、重要なのではありません。

自由に生きるということこそが、重要なのです。

卵の殻の外の世界が、どんな世界なのかは、もう想像がついたと思います。

そう、それは自由で多様性に満ちた、喜びの世界なのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

卵の殻 その1

 ※PexelsさんによるPixabayからの画像です。

卵と言えば、大体想像するのは、ニワトリの卵でしょうね。

でも、ニワトリ以外にも、卵から孵って生まれる生き物は、たくさんいます。

鳥類、爬虫類、両生類、魚類。
みんな卵から産まれますよね。

卵から産まれる時、卵の中で成長した子供は、卵の殻を破って、外へ出て来ます。

 ※Myriams-FotosさんによるPixabayからの画像です。

もし卵の殻が破れなければ、どうなるでしょうか。

誰でもわかると思いますが、子供は卵の中で死んでしまいます。

死ぬまでの間も、窮屈な卵の中で、苦しい思いをするでしょう。

何故、卵の話をするかと言いますと、卵の中にいて、外に出られない子供の様子が、今の人間の状態に似ているからです。

卵の中で育つ子供は、初めのうちは窮屈な思いもせず、何の苦労もすることなく、ぬくぬくと生きています。

しかし、成長するにつれて、次第に窮屈になって来るし、さらに成長するためには、養分が足らなくなります。

生きるためには、殻を破って外に出て、今度は自分で餌を見つけて、口からその餌を食べなくてはなりません。

卵の中の生き方とは、全然違う生き方が、必要となるのです。

 ※Philipp KleindienstさんによるPixabayからの画像です。


人間はこれまで経済中心の暮らしをして来ました。

誰もそのことを疑問に思わず、その暮らしを当然のものと受け止めていました。

中には、暮らして行けなくなる人もいますが、大方の人々は、それなりに生きて来たわけです。

しかし、近年になると、経済中心の暮らしにほころびが見え始め、今はそれが様々な問題や事件の、共通した原因であることが、浮き彫りにされています。

それによって、これまでの暮らし方、今までのような生き方でいいのかと、疑問を持つ人が増えて来ています。

これまでも、そういう人たちはいましたが、大多数の人たちが経済中心的な考え方をしているので、自分の方がおかしいのだろうかと、悩んでいたでしょう。

今でも、何だか世の中の雰囲気に、自分は合わないと悩みながらも、世の中が正しくて、自分の方が変なのだと、理解してしまう人もいると思います。

でも、そうではなく、今の雰囲気に違和感を覚える人や、もっと違う生き方を求める人たちは、卵の殻を破って、新たな世界へ生まれ出る時期が、来ているのです。

そして、それは人類の進化の前兆でもあるのです。

結婚とは その2

人生において、結婚は重視される傾向にあります。

確かに、結婚によって人生が豊かになることや、多くを学べることはあります。

しかし、必ずしもそうではありません。

結婚は人生の終着駅だとか、結婚は地獄だとか、半分冗談半分本気で言う人もいます。

結婚が自分がイメージしたものとは違うとか、結婚によって自由がなくなったなどと、考える人にとっては、結婚なんてするんじゃなかった、ということになるでしょう。

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

では、何故結婚したのでしょうか。

それは、結婚とはいいものだという話を、耳にしたからかもしれません。

大抵の場合、結婚はいいよと聞かされると、結婚相手が自分に尽くしてくれると、受け止めてしまうのでしょう。

あるいは、結婚をしていないと、社会的に一人前には見なされないと、考えている場合もあると思います。

この場合は、したくてした結婚というより、仕方なく受け入れた結婚、という感じでしょう。

また、結婚するつもりはなかったけれど、相手との間に子供ができてしまったから、というのも少なくないように思えます。

こういう結婚からも、何かを学び取ることはできますから、これが無駄なことだと思う必要はありません。

しかし、こういう形の結婚で学ぶことを、すでに理解している人は、似たような結婚をしなくてもいいのです。

もっと言えば、一生独身のままでも構わないのです。

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

多くの人が、人生は一回こっきりだ信じているでしょう。

その考えがあるので、たった一回の人生で、結婚できなかったり、結婚に失敗したら、人生は絶望だと受け止めてしまうのです。

でも、人生は一回こっきりだと、言い切るだけの根拠を、持っている人はいないでしょう。

何となく、そう思い込んでいるだけのはずです。

面倒臭がらずに、世の中のいろんな部分に目を向ければ、この世界が全てではないと、思えるようになるでしょう。

そう思えるようになれば、結婚に対する考え方も、違うものになると思います。

結婚はしてもいいし、しなくてもいいのです。

大切なのは、今の人生で何を学ぶのか、何を体験するのか、ということです。

呼吸をする理由

 ※FineGraphicsさんによる写真ACからの画像です。

呼吸をするのは、どうしてだと思いますか。

酸素を体内に取り込み、二酸化炭素などのいらないものを、外へ吐き出すためですよね。

こんなことは小学生でも、理解しているでしょう。

でも、その理解は単なる知識としてであり、本当の意味で理解しているとは限りません。

それは大人にとっても、同じことが言えます。

呼吸ができないと、死んでしまいます。

必要なものが取り込めませんし、不要なものを排出できないからです。

 ※さしみのいそみさんによるイラストACからの画像です。

生きるためには、必要なものを取り込み、いらないものを捨てる。

これは体のことだけでなく、私たちの生活や、心の有り様にも、言えることです。

何故なら、心も体も全てはエネルギーでできているからです。

体に言えることは、心にも言えるのです。

体はその構成要素であるタンパク質や糖分、脂肪などを、飲食によって取り込みます。

酸素はそれらの養分を、利用する際に使います。

私たちの心はどうでしょうか。

あなたが何かを考えられるのは、まず知識が心の中に、取り込まれているからです。

 ※@ちょりそーさんによる 写真ACからの画像です。

知識の多くは、自らの経験によって、もたらされますが、本や他人の経験などからも、手に入れることができます。

しかし、知識だけではどうにもなりません。

それらの知識を組み合わせ、自分がどういう行動を取るのか、判断をしないといけません。

それが価値観です。

同じ知識を持っていても、その知識の活用の仕方が異なると、それは行動の違いとなって現れます。

たとえば、食べ物を買う時に、食品添加物が多い物と、添加物が入っていない物があったとします。

値段はそれなりで、添加物が多い方は安いですし、無添加の方は高いです。

ここに、食品添加物が体に悪いという知識を、持っている人が二人います。

一人は健康より、経済的なことを重視しています。

もう一人は、経済的なことよりも、健康を重視しています。

どちらが正しいとは言えませんが、二人は価値観の違いにより、それぞれ別の食べ物を選ぶわけです。

 ※kotoneさんによる イラストACからの画像です。

この二人が、生活状況や体調などの変化により、別の価値観を持つことは考えられます。

その場合、これまでの価値観は現状に合わなくなったとして、捨てられます。

そして、代わりに新しい価値観を取り込むのです。

どうですか、呼吸に似ていると思いませんか。

体に栄養が足らないと、栄養失調になりますが、心も知識が足らないと、貧弱になります。

ですから、知識はとても大切ですが、せっかく取り込んだ知識も、上手く活用できなければ、宝の持ち腐れですし、知識がないの同じになります。

食べているはずなのに、不健康そうに見えるのと同じですね。

新鮮な空気を胸一杯吸い込むように、力が漲るような価値観を、取り込みましょう。

そして、いらなくなった古い価値観は、手放して心を軽くするのです。

価値観を整理すると、いかに自分が様々な価値観に、縛られていたのかがわかると思います。

価値観に縛られるのではなく、自分が価値観を利用しているのだ、という認識を持ちましょう。

 ※熊澤充さんによる 写真ACからの画像です。

結婚とは その1

結婚とは何でしょうか。

それは愛し合った者同士が、一つになることです。

同じ家に暮らす場合もあれば、離ればなれで暮らすこともあるでしょう。

でも、二人の心が一つになっていれば、場所は関係ありません。

 ※CANDICE CANDICEさんによるPixabayからの画像です。

逆に言えば、心が一つになっていないのに、婚姻届を出したとか、一緒に暮らしているとか、というのは、真の結婚とは言えません。

これは人間社会の慣習の中で、都合によって作られたルールであり、理屈に過ぎません。

人を心の存在としてとらえた時、結婚というものは、互いの心が惹かれ合って、一つになることを意味します。

そこに性別は関係ありません。

一般に認められている、異性同士の結婚は、子孫を残すという、自然界の生き物の特徴を、受け継いだものです。

ですから、子供が産まれるか否か、どんな子供が産まれるか、ということが重視される傾向にあるのです。

さらに、そこには結婚相手や生まれる子供が、自分の物であるという、所有欲もからんでいます。

これが結婚というものを、どろどろした印象にしてしまうのです。

せっかく一緒になったはずが、すぐに別れたり、不倫をしたり、大喧嘩の末に相手を殺してしまったりとなるのは、こういうことが原因です。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

人は誰の所有物でもありません。

結婚によって相手を所有できる、という考えは間違っています。

結婚が、相手を束縛するものになってもいけません。

結婚とは自由な意思に基づいて、互いに惹かれ合って一つになる、自然なものです。

もし、他に惹かれるものがあり、相手がそちらへ向かうとしても、それもまた自然なことです。

それで、自分は捨てられたとか、この裏切り者などということには、なりません。

自然な気持ちで一緒になったのであれば、自然な気持ちで離れることになったとしても、そこには何のわだかまりもありません。

これでは浮気がしほうだいじゃないかと、怒る人もいるかもしれませんね。

でも、自然な動きで一緒になる場合、そこに浮気というものは存在しません。

浮気は本気ではないということですから、自然ではありません。

自然な動きの中に、浮気は存在し得ないのです。

相手に浮気をされるような結婚は、その結婚自体が、不自然な状態にあると言えるでしょう。

どこか無理をして、一緒になったのだと思われます。

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

自分の願望や所有欲が、その不自然さの原因かもしれません。

また、自分の非を認めたくないという思いも、不自然さを増強します。

その結果、相手はそこから離れようとするわけです。

惹かれるものがあるから、そこへ向かうという場合もあるでしょう。

でも、とりあえず今の所から、離れたいという気持ちのこともあると思います。

どちらにしても、それは自然な動きと言えます。

二人が自然な気持ちで惹かれ合い、一つになったのだとすれば、特別なことがない限り、二人が離れることはありません。

離れるとすれば、互いの関係の中で学ぶことがなくなり、新たな学びを求めるようになった時でしょう。

しかし、それは一緒にいた相手を、否定することではありません。

相手に飽きたということでも、ありません。

離れたとしても、二人の気持ちはつながったままです。

二人で共に過ごした期間は、二人にとって宝物でしょう。

 ※lucaseeepmccwendellさんによるPixabayからの画像です。

キリンの首 その3

生物の進化が、異星人の遺伝子操作によるものだという考えは、異星人の存在を認めるか否かで、受け入れやすさが違うでしょう。

異星人が存在し、地球にも訪れている、と考える人にとっては、異星人の遺伝子操作は、有り得る話となります。

でも、異星人が存在しない、あるいは存在するだろうけど、地球へ来ることはできない、と考える人には、異星人の遺伝子操作など、有り得ない話です。

このように、異星人による遺伝子操作は、賛否の分かれるところでしょう。

ところで、私が考える、もう一つの説明は、恐らくほとんどの人が、否定的に見ると思います。

でも、その可能性を否定はできないでしょうから、私は有り得ることだと考えています。

それはどのようなものかと言いますと、異星人というよりも、高次元の知性体で、精神エネルギーあるいは生命エネルギーと呼ぶべきものを、自在に操作できる存在が、行ったことだということです。

 ※Panachai PichatsiripornさんによるPixabayからの画像です。

これらの存在は、私たちのような物質的肉体を、持ち合わせた存在ではありません。

幽霊以上に、はっきりしない存在です。

またこれは、キリスト教などで言われる、世界の創造主という存在のようなものを、想定するものです。

ただし、宗教でいう創造主とは違います。

私が言う創造主とは、全ての存在が一つになった、大元の存在ではなく、あくまでその一部に過ぎません。

私たちが想像し得る異星人を、エネルギー的にバージョンアップしたような存在です。

人間は、今の世界が唯一絶対の時空間だと、信じています。

ですから、この世界を創造したとなると、全ての創造主と考えたくなるのでしょう。

でも、この世界は無数に存在する世界の、一つに過ぎないとすれば、創造主のイメージが、少し変わって来ると思います。

 ※RitaEさんによるPixabayからの画像です。

私たちは料理をするにも、何かを作るにも、必ず物質を用います。

何もない空間からは、何も生み出すことができません。

しかし、全てが同じエネルギーから出来ているのだとすれば、そのエネルギーを意図的に変化させることで、ないはずのものを創り出すことも、可能だと思います。

それは私たちから見れば、魔法の世界であり、ファンタジーの世界です。

新たな種を産み出すのに、研究室も実験器具も必要としません。

イメージするだけで、自動的にそのような存在が、世界に登場するのです。

 ※Monoar Rahman RonyさんによるPixabayからの画像です。

遺伝子の組み合わせを考慮する必要もなく、必要な遺伝子は結果として、作られるわけです。

それは、チャンスがあれば、この物質世界へ出て来ようとしている、様々な生命エネルギーに、チャンスを与えるというものと、考えることができます。

キリンの祖先の体を利用して、新たに生まれ出たキリンという生き物は、元の動物が進化したというよりも、全く別の動物と見た方が、いいのかもしれません。

そんなの有り得ないと思う人が、大多数だとは思います。

しかし、有り得ないと考える根拠を、示すことができるでしょうか。

この世界が、みんなが信じているような、固定的で確固たるものではなく、夢と同じだったとすれば、どうでしょう。

あなたが、あなたの夢の創造主であるのと、理屈は全く同じです。

 ※4144132さんによるPixabayからの画像です。

この世界は、ある高度な知性体が創り出した、一種のイメージで、私たちはそのイメージを、利用させてもらうことで、今のような体験ができるのだと、考えてみて下さい。

信じられないかもしれませんが、有り得ないことではないでしょう。

生命の進化を理解するためには、世界そのものを理解する必要があると、私は思います。

キリンの首 その2

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

人間が今の姿になったのも、異星人による類人猿の遺伝子操作が、原因だと私は考えています。

同じように考えている人は、少なくないのではないでしょうか。

遺伝子について、人類より遥かに知識と技術を、備えている異星人であれば、地球上にいる生物に手を加え、新たな種を産み出すことは可能でしょう。

もちろん、自然の進化で新たな種が生まれることは、あるでしょう。

微生物クラスの生物では、ウィルス感染などによる、遺伝子の突然変異で、新しい微生物に変化をしても、不思議ではありません。

突然変異は遺伝子の安定した状態を、狂わせることになりますから、大抵の場合において、悪い影響を及ぼします。

しかし、微生物の構造は、キリンや人間と比べると、とてもシンプルですし、その数は桁外れに多いですから、突然変異がプラスに影響を及ぼすという、奇跡的な変化も起こる可能性が、高くなるでしょう。

ただ、これが多細胞生物になると、話は簡単ではありません。

多細胞生物自体が、単純に単細胞生物が進化したものとは、考えにくいのです。

ここにも、もしかしたら異星人の介入が、行われていたかもしれません。

 ※Nicolas BAUMERTさんによる Pixabayからの画像です。

イルカやクジラは、一度陸で暮らしていた動物が、再び水の中で暮らすようになったと、考えられています。

しかし、突然変異によって、たった一頭だけが、今のイルカやクジラのような形になったとすると、その変異を起こしたイルカやクジラは、子孫を残すことができないでしょう。

それに、まだ完全に水中で暮らすようになっていない祖先の下に、イルカやクジラのような子供が産まれたら、すぐに死んでしまうと思います。

イルカやクジラなどの種が、存在するためには、種全体が初めから、水に適した形になっている、必要があるでしょう。

 ※homecare119さんによるPixabayからの画像です。

現在の鳥類は、かつての恐竜が進化したものだと、考えられているようですが、これにしたって同じことです。

鳥になって空を飛ぶためには、翼の力や羽の状態だけでなく、体が軽くなければなりません。

現在の鳥の骨の中は、空洞になっているそうです。

それによって体が軽くなっているので、空を飛びやすくなっているわけです。

これらの変化が、偶然の遺伝子の突然変異で、都合よく生じたとは思えません。

やはり何者かによって、新たな種が創られたと、見るべきだと私は思います。

キリンの首 その1

 ※ramalholoreさんによるPixabayからの画像です。

キリンの首は、何故長いのか。

これについては、遺伝子の突然変異だとか、高い所の葉を食べようとしたとか、いろいろ言われていますが、決定的な説明はなされていません。

化石上、キリンの先祖と思われる動物は、現在のキリンのようには、首が長くなかったと言われています。

また、首の短かった先祖と、現在の首が長いキリンとの間には、中間的な長さの首の動物化石が、見つかっていないそうです。

まだ、これから発見される可能性もあるとは思います。

しかし、今の化石の状況から考えると、キリンの首は徐々に伸びて行ったというよりも、ある時期に突然伸びたようなのです。

突然に伸びたということから、突然変異により、首が伸びたと考えたくなるのでしょう。

 ※HowardWilksさんによるPixabayからの画像です。

では、何故突然変異が起こったのかと言うと、ウィルス感染や放射能などの外的要因の他、細胞が分裂を繰り返す時の、遺伝子のコピーミスなどが、挙げられます。

しかし、これは全て受動的な変異であり、キリンの首が伸びた理由としては、考えにくいと思います。

確かに、首の長いキリンと、首の短いキリンの祖先とでは、遺伝子の状態が異なるはずです。

しかし、たまたまどこか一ヶ所の遺伝子が変異したことで、首の短い生き物が、突然首が長くなるのかと言うと、そういうわけではないと思います。

と言うのは、首が長くなるというのは、骨の数が増えないと行けませんし、首を支える筋肉も強くなる必要があります。

また、胴体はそのままで首だけ伸びると、体の重心が狂って、倒れてしまうでしょうから、バランスを取って、足も長くなければなりません。

実際、キリンは首が伸びると同時に、足も伸びて、背丈が高くなっています。

さらには、高くなった頭に血液を送るためには、心機能が強くならないといけないですし、大きくなった体に酸素を送るための、肺機能も高まる必要があるのです。

これらのことが、たった一ヶ所の遺伝子の変異で、生じるとは思えません。

 ※Arek SochaさんによるPixabayからの画像です。

首の短い先祖から、現在のキリンに姿を変えるには、遺伝子情報を変えなければならないのは、そのとおりだと思います。

しかし、そのための遺伝子の変異は、偶然の突然変異ではなく、意図的な変異が加えられていると、考えるのが妥当でしょう。

それには二つの可能性があると、私は考えています。

その一つは、過去に地球を訪れた、異星人による遺伝子操作によるものです。

本当の姿

あなたは本当の姿を、表に出すことができているでしょうか。

本当の自分を求めて、自分探しの旅に出る人もいると思います。

大抵の方は、「本当の自分」という言葉を用いることで、具体的な作業や仕事をしている、自分をイメージしようとするのでは、ないでしょうか。

でも、そのイメージがなかなかつかめず、悩んでいる人は少なくないでしょう。

それは、求めるものが違うからです。

求めるべきなのは、本当の自分というよりも、本当の姿です。

では、本当の姿とは何でしょうか。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

私たちは心の存在です。

私たちの本質は、体ではなく心にあります。

その心は、本来姿を持ちません。

しかし、この世界では何等かの形が必要とされます。

だからこそ、私たちには体があるのです。

でも、自分というものは、体ではなく心のことです。

私たちは体を通して、この世界の出来事を知り、この世界を感じます。

また、体を使って自分の想いを表現し、自分がやりたいことを、体を用いて行います。

この自分の想いを表現したり、行動するということが、姿を持たない心が、この世界で表す姿です。

具体的に、学校の先生になるとか、医者になるとか、料理人になるとか、スポーツ選手になるとか、科学者になるとか、そういうことは重要ではありません。

もちろん、どの分野の仕事や作業に関わるかは、自分の好みの問題ですから、自分の本質に関わっていることではあります。

本当は人と直接関わりたいのに、一日中狭い部屋に閉じこもって、パソコンや書類とにらめっこをするのは、その人の本質にそぐわないでしょう。

そんなことを、ずっと続けていると、いつか必ず病気になってしまいます。

 ※mohamed HassanさんによるPixabayからの画像です。

ただ、分野というものは広いので、その中のこの仕事と、ただ一つだけを決めてしまう必要はないのです。

さて、話を戻しますが、具体的にどんな仕事をするかは、重要ではありません。

重要なのは、その仕事に取り組む、その人の姿勢なのです。

たとえば、人を助ける医者になっておきながら、患者の顔も見ずに、パソコンのデータばかりを見ていたり、患者の話を聞こうともせず、データだけで判断して、とにかく診察の数をさばくことだけを、考えるような人はどうでしょうか。

一方で、寝る間も惜しんで、患者のために動き回り、患者の思いを共有してくれる医者もいるのです。

どちらも仕事は同じ医者です。

あなたは、どちらの医者でも構わないと思いますか。

通常は、患者に親身になってくれる医者を、選ぶでしょう。

その姿が、その人の人柄を示しているからであり、医者という仕事以前に、その人物に親近感を抱くことになるのです。

では、患者の顔をろくに見ないで、経営ばかりを考えている医者は、どうでしょうか。

この医者が自身の本当の姿を、表していると言えるでしょうか。

私は、そうではないと思います。

 ※miantosさんによるPixabayからの画像です。

人間は基本的に、みんな同じです。

他の者とのつながりを求め、そこに喜びを感じるものです。

でも、実際にそうなっていない人も、多く見られます。

それは、その人が生まれ育った環境により、すり込まれた歪んだ価値観が、本来の姿を覆い隠しているのです。

自分の姿は、自分ではよくわからないものです。

似たような人の姿を見せてもらうことで、自分の姿を悟ることができます。

他人の気持ちを顧みない、生き方をする人を見た時に、患者の顔を見ない医者も、自身の姿を重ね合わせて、それが本当の姿ではないと、知るかもしれません。

本当の姿を見せている時、そこにはいかなる期待も下心もありません。

他人からどのように見られるかという、不安や心配もありません。

混雑したバスで、お年寄りや困っている人に席を譲る時、本当にその人のことを気に掛けるのであれば、自然に席を譲れるでしょう。

他の乗客の目を気にすることもなければ、断られるかもしれないという、心配もしません。

それが自分の自然な姿なので、そうするだけのことです。

たとえ断られたとしても、同じような状況になると、また同じことを自然にするでしょう。

そして、そういう自分であり続けるということが、本当の姿でいるということなのです。

 ※PezibearさんによるPixabayからの画像です。

誰に認められることがなくても、本当の姿でいられることは、その人にとって幸せなことです。

あなたの本当の姿は、どのようなものでしょうか。

情報は選ぼう

 ※Joseph MuciraさんによるPixabayからの画像です。

世の中には、情報があふれています。

情報が手に入らないのは困りますが、情報があり過ぎるのも困ります。

ある人にとって必要な情報が、自分にとって必要だとは限りません。

ある人が関心を持つことに、自分が関心を持つべきとは、言えないのです。

どんな情報が自分に必要なのか、どんな情報を自分は求めているのか。

それは、自分が何をしたいのか、どんな人間になりたいのか、どんな暮らしがしたいのか、ということで決まって来ます。

そこがはっきりしないまま、他人が騒いでいる情報に飛びついたりすると、振り回されるばかりで、少しも役に立たないでしょう。

 ※Jerzy GóreckiさんによるPixabayからの画像です。

誰かが、これは大変だと叫んだり、これが今の最先端の情報だと主張したりした時に、すぐに飛びついてしまう人は、自分というものがありません。

自分が本当にやりたいこと、自分が目指す生き様などが、はっきりしていないので、常に不安が付きまといます。

自分で何も決められないので、いつも他人の考え方や意見にばかり目を向けて、とにかく他の人たちに自分を合わせようとするのです。

それが居心地よければいいのですが、結局は他人の考えで、生きることになるわけですから、しんどくなるのは必至でしょう。

学校や職場で、決められた枠にはまるよう求められると、それに耐えられなくなる人も、出て来ますが、それと同じことですね。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

人は一人一人異なる存在です。

決められた枠や、他人の形に、合うわけがありません。

情報を選ぶ前に、まずは自分というものを、大切にしましょう。

それから情報を選ぶわけですが、自分が生きるのに必要な情報、ためになる情報を、選ばなければなりません。

人それぞれなので、全ての人が平和で楽しい暮らしを、求めているわけではないでしょう。

あえて争いごとを求め、その中で勝ち抜いて行くことを、目標にしている人もいると思います。

仲間と暮らすことを望む人もいれば、一人でがんばろうと言う人もいます。

どんな道を選ぼうと、その人の自由です。

でも、気をつけないといけないのは、自分の望みを叶えるために、他人を巻き込んで利用しようとする人が、いるということです。

こういう人たちは、口で上手いことを言って、巧妙に人を仲間に誘い込みます。

あるいは不安を煽って、自分の言うことに従わせようとします。

自分が不安な人は、同じように不安を感じる人を、集めたくなるものです。

また、不安になる人は、自分の生き方を、つかめていない人でもあります。

不安な者同士が集まっても、何の解決策も見い出せません。

余計に不安が強くなるだけです。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

誰かに頼ろうとしたり、誰かを利用しようとしていると、必ずしっぺ返しをくらいます。

自分の選択および、その結果に対して、全ては自分に責任があるという思いで、情報を選んで活用すればいいでしょう。

また、我が道を進むというのであれば、自分の選択を信頼し、周りで何があろうとも、自信を持って突き進むことです。

少しでも不安があるようであれば、自分の選択を信頼しているとは言えません。

不安は不安を呼び、不安どおりの結果を引き寄せます。

しっかりした生き方をする人というのは、物質的な喜びや裕福さを、目標とはしません。

心の喜びを求め、他人への感謝と思いやりを、自然なこととして受け止めています。

こういう人たちは、目先の条件だけで、情報を選びません。

自分の心が震えるかどうかで、判断するのです。

つまり、一番の情報というものは、自分の心の中にあるものなのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。