本当の姿
あなたは本当の姿を、表に出すことができているでしょうか。
本当の自分を求めて、自分探しの旅に出る人もいると思います。
大抵の方は、「本当の自分」という言葉を用いることで、具体的な作業や仕事をしている、自分をイメージしようとするのでは、ないでしょうか。
でも、そのイメージがなかなかつかめず、悩んでいる人は少なくないでしょう。
それは、求めるものが違うからです。
求めるべきなのは、本当の自分というよりも、本当の姿です。
では、本当の姿とは何でしょうか。
私たちは心の存在です。
私たちの本質は、体ではなく心にあります。
その心は、本来姿を持ちません。
しかし、この世界では何等かの形が必要とされます。
だからこそ、私たちには体があるのです。
でも、自分というものは、体ではなく心のことです。
私たちは体を通して、この世界の出来事を知り、この世界を感じます。
また、体を使って自分の想いを表現し、自分がやりたいことを、体を用いて行います。
この自分の想いを表現したり、行動するということが、姿を持たない心が、この世界で表す姿です。
具体的に、学校の先生になるとか、医者になるとか、料理人になるとか、スポーツ選手になるとか、科学者になるとか、そういうことは重要ではありません。
もちろん、どの分野の仕事や作業に関わるかは、自分の好みの問題ですから、自分の本質に関わっていることではあります。
本当は人と直接関わりたいのに、一日中狭い部屋に閉じこもって、パソコンや書類とにらめっこをするのは、その人の本質にそぐわないでしょう。
そんなことを、ずっと続けていると、いつか必ず病気になってしまいます。
ただ、分野というものは広いので、その中のこの仕事と、ただ一つだけを決めてしまう必要はないのです。
さて、話を戻しますが、具体的にどんな仕事をするかは、重要ではありません。
重要なのは、その仕事に取り組む、その人の姿勢なのです。
たとえば、人を助ける医者になっておきながら、患者の顔も見ずに、パソコンのデータばかりを見ていたり、患者の話を聞こうともせず、データだけで判断して、とにかく診察の数をさばくことだけを、考えるような人はどうでしょうか。
一方で、寝る間も惜しんで、患者のために動き回り、患者の思いを共有してくれる医者もいるのです。
どちらも仕事は同じ医者です。
あなたは、どちらの医者でも構わないと思いますか。
通常は、患者に親身になってくれる医者を、選ぶでしょう。
その姿が、その人の人柄を示しているからであり、医者という仕事以前に、その人物に親近感を抱くことになるのです。
では、患者の顔をろくに見ないで、経営ばかりを考えている医者は、どうでしょうか。
この医者が自身の本当の姿を、表していると言えるでしょうか。
私は、そうではないと思います。
人間は基本的に、みんな同じです。
他の者とのつながりを求め、そこに喜びを感じるものです。
でも、実際にそうなっていない人も、多く見られます。
それは、その人が生まれ育った環境により、すり込まれた歪んだ価値観が、本来の姿を覆い隠しているのです。
自分の姿は、自分ではよくわからないものです。
似たような人の姿を見せてもらうことで、自分の姿を悟ることができます。
他人の気持ちを顧みない、生き方をする人を見た時に、患者の顔を見ない医者も、自身の姿を重ね合わせて、それが本当の姿ではないと、知るかもしれません。
本当の姿を見せている時、そこにはいかなる期待も下心もありません。
他人からどのように見られるかという、不安や心配もありません。
混雑したバスで、お年寄りや困っている人に席を譲る時、本当にその人のことを気に掛けるのであれば、自然に席を譲れるでしょう。
他の乗客の目を気にすることもなければ、断られるかもしれないという、心配もしません。
それが自分の自然な姿なので、そうするだけのことです。
たとえ断られたとしても、同じような状況になると、また同じことを自然にするでしょう。
そして、そういう自分であり続けるということが、本当の姿でいるということなのです。
誰に認められることがなくても、本当の姿でいられることは、その人にとって幸せなことです。
あなたの本当の姿は、どのようなものでしょうか。