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本当の姿

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あなたは本当の姿を、表に出すことができているでしょうか。

本当の自分を求めて、自分探しの旅に出る人もいると思います。

大抵の方は、「本当の自分」という言葉を用いることで、具体的な作業や仕事をしている、自分をイメージしようとするのでは、ないでしょうか。

でも、そのイメージがなかなかつかめず、悩んでいる人は少なくないでしょう。

それは、求めるものが違うからです。

求めるべきなのは、本当の自分というよりも、本当の姿です。

では、本当の姿とは何でしょうか。

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

私たちは心の存在です。

私たちの本質は、体ではなく心にあります。

その心は、本来姿を持ちません。

しかし、この世界では何等かの形が必要とされます。

だからこそ、私たちには体があるのです。

でも、自分というものは、体ではなく心のことです。

私たちは体を通して、この世界の出来事を知り、この世界を感じます。

また、体を使って自分の想いを表現し、自分がやりたいことを、体を用いて行います。

この自分の想いを表現したり、行動するということが、姿を持たない心が、この世界で表す姿です。

具体的に、学校の先生になるとか、医者になるとか、料理人になるとか、スポーツ選手になるとか、科学者になるとか、そういうことは重要ではありません。

もちろん、どの分野の仕事や作業に関わるかは、自分の好みの問題ですから、自分の本質に関わっていることではあります。

本当は人と直接関わりたいのに、一日中狭い部屋に閉じこもって、パソコンや書類とにらめっこをするのは、その人の本質にそぐわないでしょう。

そんなことを、ずっと続けていると、いつか必ず病気になってしまいます。

 ※mohamed HassanさんによるPixabayからの画像です。

ただ、分野というものは広いので、その中のこの仕事と、ただ一つだけを決めてしまう必要はないのです。

さて、話を戻しますが、具体的にどんな仕事をするかは、重要ではありません。

重要なのは、その仕事に取り組む、その人の姿勢なのです。

たとえば、人を助ける医者になっておきながら、患者の顔も見ずに、パソコンのデータばかりを見ていたり、患者の話を聞こうともせず、データだけで判断して、とにかく診察の数をさばくことだけを、考えるような人はどうでしょうか。

一方で、寝る間も惜しんで、患者のために動き回り、患者の思いを共有してくれる医者もいるのです。

どちらも仕事は同じ医者です。

あなたは、どちらの医者でも構わないと思いますか。

通常は、患者に親身になってくれる医者を、選ぶでしょう。

その姿が、その人の人柄を示しているからであり、医者という仕事以前に、その人物に親近感を抱くことになるのです。

では、患者の顔をろくに見ないで、経営ばかりを考えている医者は、どうでしょうか。

この医者が自身の本当の姿を、表していると言えるでしょうか。

私は、そうではないと思います。

 ※miantosさんによるPixabayからの画像です。

人間は基本的に、みんな同じです。

他の者とのつながりを求め、そこに喜びを感じるものです。

でも、実際にそうなっていない人も、多く見られます。

それは、その人が生まれ育った環境により、すり込まれた歪んだ価値観が、本来の姿を覆い隠しているのです。

自分の姿は、自分ではよくわからないものです。

似たような人の姿を見せてもらうことで、自分の姿を悟ることができます。

他人の気持ちを顧みない、生き方をする人を見た時に、患者の顔を見ない医者も、自身の姿を重ね合わせて、それが本当の姿ではないと、知るかもしれません。

本当の姿を見せている時、そこにはいかなる期待も下心もありません。

他人からどのように見られるかという、不安や心配もありません。

混雑したバスで、お年寄りや困っている人に席を譲る時、本当にその人のことを気に掛けるのであれば、自然に席を譲れるでしょう。

他の乗客の目を気にすることもなければ、断られるかもしれないという、心配もしません。

それが自分の自然な姿なので、そうするだけのことです。

たとえ断られたとしても、同じような状況になると、また同じことを自然にするでしょう。

そして、そういう自分であり続けるということが、本当の姿でいるということなのです。

 ※PezibearさんによるPixabayからの画像です。

誰に認められることがなくても、本当の姿でいられることは、その人にとって幸せなことです。

あなたの本当の姿は、どのようなものでしょうか。