情報は選ぼう
世の中には、情報があふれています。
情報が手に入らないのは困りますが、情報があり過ぎるのも困ります。
ある人にとって必要な情報が、自分にとって必要だとは限りません。
ある人が関心を持つことに、自分が関心を持つべきとは、言えないのです。
どんな情報が自分に必要なのか、どんな情報を自分は求めているのか。
それは、自分が何をしたいのか、どんな人間になりたいのか、どんな暮らしがしたいのか、ということで決まって来ます。
そこがはっきりしないまま、他人が騒いでいる情報に飛びついたりすると、振り回されるばかりで、少しも役に立たないでしょう。
誰かが、これは大変だと叫んだり、これが今の最先端の情報だと主張したりした時に、すぐに飛びついてしまう人は、自分というものがありません。
自分が本当にやりたいこと、自分が目指す生き様などが、はっきりしていないので、常に不安が付きまといます。
自分で何も決められないので、いつも他人の考え方や意見にばかり目を向けて、とにかく他の人たちに自分を合わせようとするのです。
それが居心地よければいいのですが、結局は他人の考えで、生きることになるわけですから、しんどくなるのは必至でしょう。
学校や職場で、決められた枠にはまるよう求められると、それに耐えられなくなる人も、出て来ますが、それと同じことですね。
人は一人一人異なる存在です。
決められた枠や、他人の形に、合うわけがありません。
情報を選ぶ前に、まずは自分というものを、大切にしましょう。
それから情報を選ぶわけですが、自分が生きるのに必要な情報、ためになる情報を、選ばなければなりません。
人それぞれなので、全ての人が平和で楽しい暮らしを、求めているわけではないでしょう。
あえて争いごとを求め、その中で勝ち抜いて行くことを、目標にしている人もいると思います。
仲間と暮らすことを望む人もいれば、一人でがんばろうと言う人もいます。
どんな道を選ぼうと、その人の自由です。
でも、気をつけないといけないのは、自分の望みを叶えるために、他人を巻き込んで利用しようとする人が、いるということです。
こういう人たちは、口で上手いことを言って、巧妙に人を仲間に誘い込みます。
あるいは不安を煽って、自分の言うことに従わせようとします。
自分が不安な人は、同じように不安を感じる人を、集めたくなるものです。
また、不安になる人は、自分の生き方を、つかめていない人でもあります。
不安な者同士が集まっても、何の解決策も見い出せません。
余計に不安が強くなるだけです。
誰かに頼ろうとしたり、誰かを利用しようとしていると、必ずしっぺ返しをくらいます。
自分の選択および、その結果に対して、全ては自分に責任があるという思いで、情報を選んで活用すればいいでしょう。
また、我が道を進むというのであれば、自分の選択を信頼し、周りで何があろうとも、自信を持って突き進むことです。
少しでも不安があるようであれば、自分の選択を信頼しているとは言えません。
不安は不安を呼び、不安どおりの結果を引き寄せます。
しっかりした生き方をする人というのは、物質的な喜びや裕福さを、目標とはしません。
心の喜びを求め、他人への感謝と思いやりを、自然なこととして受け止めています。
こういう人たちは、目先の条件だけで、情報を選びません。
自分の心が震えるかどうかで、判断するのです。
つまり、一番の情報というものは、自分の心の中にあるものなのです。