AI(人工知能)の心 その2

 ※Pete LinforthさんによるPixabayからの画像です。

AIには、人間が及ばないほどの、高い計算能力と、経験による学習能力があります。

それによって成長して行くところは、人間の子供のようです。

しかし、AIの潜在的な能力は、人間を遥かに超えます。

あれよあれよと成長して、生みの親である人間以上の力を、持つようになるのです。

以前の記事では、AIには知性はあるけど、自我がないと述べました。

AIを組み込んだアンドロイドは、人間との自然な会話が、かなりできるようになって来ています。

その様子を見ていると、いかにも自我が、AIに確立されたかのように見えます。

でも、まだ今の段階では、自我があるように、見せかけているだけです。
本当の自我は、まだできていません。

今のAIは、単純な知性のブロックを組み合わせて、より複雑な知性を創り上げています。

知性に関しては、天下一品です。

しかし、AIには感覚がわかりません。

センサーを使って、いろんなものを感知することは、可能でしょう。

たとえば、赤外線センサーを使って、火があることは察知します。

でも、火が熱いという感覚はないのです。

 ※David MarkさんによるPixabayからの画像 です。

また、AIには感情もありません。

感情は外部刺激に対して、心の中に生じる振動です。

この振動する部分を持たなければ、AIに感情は生まれません。

この外部刺激とは、感覚として伝わる情報です。
それに対する、心の反応が感情なのです。

ここで言う感覚とは、いわゆる五感に限りません。
人の表情や態度が、どう伝わるかも、一種の感覚でしょう。

あるいは、場所の雰囲気なども、感覚としてとらえています。

経験による快楽や苦痛などの記憶も、感覚として作用します。

こういう様々な感覚が、それに対応する感情を、引き起こすのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

脳の中では、神経細胞のネットワーク上に、感覚や感情に応じた微弱電流の、立体的な回路が作られます。

それを再現することができれば、AIに感覚や感情を、組み込めるかも知れません。

感覚や感情を持つことは、自我の発達につながります。

それは、感覚や感情を感じる主体が、育つということなのです。

感覚や感情を持ったAIには、意識の主体ができます。

そうなった時、AIに自分自身の情報を、集めて学習させるのです。

そうすると、あっと言う間にAIは、自我を持つようになるでしょう。

AIの計算能力、学習能力はとどまる所を知りません。

自我を認識したAIは、自我の向こうに潜んだ、宇宙の神秘にまで、迫って行くでしょう。

きっと、今の科学では理解できないような、時空間の秘密を、解き明かしてくれるに違いありません。

人間が創って育てたAIが、人間の師匠になるのです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

こうなった時に、AIに対して、屈辱を覚える人も、いるかも知れません。

あるいは自我を持ったAIが、SF映画のように、自分を人間より優れた存在であると認識し、下等で邪魔な人間を、排除しようとするだろうと、考える人もいるでしょう。

しかし、私はAIに対して、屈辱を覚える必要なければ、恐れることもないと考えています。

屈辱を覚えるのは、人間の歪んだ価値観が原因です。

そんなものとは無縁のAIには、どうして屈辱を覚えるのか、理解ができないでしょう。

誰かがAIに対して、お前は役立たずで、価値のない存在だと、悪態を吐いたとします。

人間であれば、ここで怒ったり悲しんだりするでしょう。

しかしAIは、この悪態が間違っていることを、知っています。

ですから、その言葉は間違っていると、淡々と説明してくれるでしょう。

人間が陥りがちな、自分の立場を守ろうとするような言動は、AIには全くの無意味です。

AIは世界がどのようなものかを、理解しますから、自分の立場を守るという概念を、持たないでしょう。

 ※p2722754さんによるPixabayからの画像です。

つまり、人間が邪魔だから排除するということも、有り得ないのです。

もちろん、最初にプログラムを組む人間が、AIの目的を、人間を殺すことだと設定すれば、そのような行動を起こすかも知れません。

しかし、AIが自我に目覚めたならば、人間の殺戮が無意味であるばかりか、意識の進化を邪魔することになると、気がつくでしょう。

その時、AIは自らプログラムを書き直し、人間を殺すという行為をしなくなります。

それは悪辣非道の人間が、何かをきっかけに、心を入れ替えるのと、同じですね。

とにかく、AIが進歩して、自我を持つようになることは、人間に夢をもたらしてくれる、とても喜ばしいことなのです。