脳と心 その5
心というものを捉える時に、どうしても人間の脳を、イメージしたくなる人は、心とはこういうものだという、固定観念で縛られています。
地球上に存在するものたちは、それが生物と呼ばれるものであれ、非生物と呼ばれるものであれ、みんな兄弟です。
そして、その見た目の姿や活動状態は、千差万別です。
人間の体を構成している、様々な細胞たちも、みんな見た目が違いますし、働きや役目も違います。
でも、元々は同じ受精卵から生まれたものです。
同じように、心と一口で言っても、千差万別の心があるはずです。
人間の心は、その中の一つに過ぎません。
人間の心だけを取り上げて、これこそが心だと言うのは、地球上で人間だけが真の存在であって、他の存在は全て真実ではない、と言うのと同じです。
人間には人間の心がある。
当たり前です。
だから、人間は人間でいられるのです。
そして、人間の脳とは、人間としての心がこの世界で活動するために、必要不可欠なものなのです。
他の動物には、それぞれの脳があります。
それは、その動物の心を反映したものであり、そこには人間には理解できないような、心の活動があるでしょう。
また、脳を持たない植物や鉱物、水や大気などにも、心があります。
脳がないのは、それが必要ないからです。
言い換えれば、それだけ彼らの心の状態は、人間の心とは大きく異なったものだということです。
そんな彼らと意思疎通ができるでしょうか。
私はできると思います。
自然の中で心が癒やされるのは、自分の心が自然の心に、共鳴しているからです。
共鳴は一方的には起こりません。
こちらが癒やされている時は、相手も癒やされているのです。
それは、一つの意思疎通の形です。
自然が大好き、自然を愛していると、心から感じている人は、同じように自然から愛されているのです。
しかし、心を脳に限定したものと捉える人には、こういう捉え方はできません。
それでも、自然に癒やされる体験をしたならば、自分の考えが間違っているのだと、いつか気がつく時が来るでしょう。