1+1=? その4
人類全体を一つの存在として見た時、私たち一人一人は、その一つの存在の中に含まれています。
人類全体を見る時には、1+1=1 になりますが、個別の人間に目を向けると、1+1=2 になるのです。
これは、とても面白いことだと思います。
言ってみれば、私たちや私たちの世界とは、人類全体の意識が、自らの中のどこかに、意識の焦点を合わせた時に、創られると見ることができるわけです。
個人的にも、頭の中に空想の世界を思い描き、その中に様々なキャラクターを想定することができますが、それに似たものでしょう。
空想の世界の中の、一人一人のキャラクターに想いを寄せる時、私たちの意識は、そのキャラクターになりきります。
でも、他のキャラクターも同等であり、自分自身の分身です。
そして、空想の世界から意識を離すと、それぞれのキャラクターが統合された、本来の自分に戻るわけです。
空想の世界を思い描くのは、全くの自由ですから、思い描ける数に制限はありません。
それらの世界は、お互いがパラレルワールドの関係にありますが、全体意識から見れば、全ては自分の中にあるものです。
目を閉じて、自分の存在だけをぼんやり感じている時、そこには何の形もないし、何の世界もありません。
でも、何かに意識の焦点を合わせると、そこに形が生まれ、想像の世界が開かれるのです。
ぼんやりしている時の自分の中には、焦点を合わせていない、いろんな要素が合わさって存在しています。
1+1=1の状態です。
しかし、意識の焦点を何かに合わせると、1+1=2 の状態が創られるのです。
1+1=1 の自分が本来の自分であるならば、1+1=2 の世界の自分は、仮の自分と言えるでしょう。
しかし、そこには 1+1=1 の自分では得られない、特別な情報や感覚があるわけで、1+1=1 の自分から見れば、学びの宝庫です。
つまり、私たちが暮らすこの世界は、一見不自由に見えますが、本来の自分から見れば、とても刺激的でエキサイティングな世界なのです。
楽しいことも、悲しいことも、腹が立つことも、空しいことも、それらは全て、この世界を体験しているからこそ、発見できる感覚であり感情なのです。
そこに善悪を意味づけるのは、人間の勝手ではありますが、それらの体験を、一部の善悪の判断だけで理解するのは、得られるものがとても薄っぺらいものになるでしょう。
この世界は、お金を稼いで生き延びるために、あるのではありません。
この世界を、どのようなものにするのか、という点にこそ、私たちがこの世界を体験している意味があるのです。
この世界は、それほど意義深く価値ある所ですし、この世界を体験している私たちは、もっとわくわくどきどきしていいのです。
何かに縛られて、自分自身を押さえ込むような生き方は、一つの経験ではありますが、それが全てではありません。
もっと自由に、この世界の面白さを、味わいつくすつもりで、生きることが、本来の目的なのだと思います。