分離思考 その2
自分を全体から分離すると、どうなるのか。
それは、私たちの日常でも、よく見られることです。
たとえば、嫌なことをされたとか、馴染めないということで、学校や職場から孤立する人がいます。
何故そうなったのかという、具体的な原因や理由、あるいは善悪の判断は、脇に置きます。
ここで問題にするのは、孤立してしまった人の状態と、どんどん人が孤立して行く、組織の状態です。
孤立してしまった人は、糸が切れた凧のような感じでしょう。
自分ではどうすることもできない状況で、孤独と不安を味わうのです。
糸が切れているので、ずっと同じ状態が続くのだと、考えてしまいます。
一方、組織の方はと言いますと、人がどんどん孤立して行くと、辞めてしまう人が増えるでしょう。
そうなると、組織が成り立たなくなってしまいます。
無理やり、人をつなぎとめたところで、その人の心が離れていたのでは、ただ、そこにいるというだけのことになります。
組織としての活動は、停滞してしまうでしょう。
ところで、このような組織の上に立つ者も、実は、糸が切れた凧 なのです。
自分自身が糸が切れているため、周囲とのつながりを、どうすればいいのか理解ができません。
また、本当は孤独で不安なのに、地位や権力を持つことで、その気持ちをごまかしてしまうのです。
彼らは何から分離しているのでしょうか。
それは、人間という存在からです。
人は一人では生きられないと、理解している人たちは、他の人たちとの間に、つながりを感じています。
離れていたとしても、そのつながりが切れることはありません。
組織の中で孤立した人も、人間としてのつながりを、誰かとの間に持っていれば、切れたはずの凧の糸が、実は切れていなかったことに、気がつきます。
そうなれば、孤独から抜け出して、安心することができるのです。
しかし、そのつながりを持てない人は、不安に押し潰されそうになります。
そこで誰かを、自分の思い通りに動かすことで、あるいは相手の無理難題に、自分を合わせることで、自分にはつながりがあるのだと、自分を安心させようとするのです。
それは子供の虐待や、ろくでもない相手からの洗脳などの形で、知られています。
お金や地位や権力を持てる位置にいる者は、そういうものを使って、他人を思い通りに動かそうとするでしょう。
傲慢な経営者や議員などが、その典型です。
彼らは、世の中で困っている人がいても、何も感じません。
そんなことより、自らの保身に力を注ぎます。
また、そんな人物に従うことで、安心感を得ようとする者も、少なくありません。
そういう状況が、社会の様々な問題を引き起こし、大きな混乱をもたらします。
その実例は、世界中の至る所で見られます。
人間という存在から、自分を分離するということは、簡単に言えば、無知なのです。
人間が何かということを、理解していませんから、自分がどうあるべきかがわかりません。
人間として、自分はどうしたいのか、という気持ちさえも、押し潰されて見えなくなっています。
ところが、自分が人間であるのは事実ですから、人とのつながりがなければ、安らぎは得られません。
それをごまかすために、人はお金や力を求め続け、それらを十分に得たあとでも、さらに強欲に求め続けようとするのです。
自分が人であることを忘れた、哀れな人ほど、お金や力に執着します。
そういう者たちが、自分たちの地位の安定を図り、資本主義信仰を世の中に広げたのです。
でも所詮は、世界を牛耳っている多くの権力者たちも、糸の切れた孤独な凧なのです。
彼らの愚かな指示に、従う理由はありません。
今どうすればいいのか。
その答えは、人間である自分の心の中にあるのです。