地球の子供たち その1
私たちは地球の分身です。
地球と名付けられた、巨大なエネルギーの一部です。
どんなに自分と自然や環境、他の生き物たちを区別しても、私たちの本質は、地球とつながっているのです。
それは、お釈迦様に悪態をついていた孫悟空が、所詮はお釈迦様の手のひらの上に、いるのだという話と同じです。
私たちは、どんなに自分たちを特別視したところで、地球の一部であるという事実は、変わらないのです。
そうは言われても、実感が湧かないでしょうね。
それは、私たちが視覚的な情報に、頼り過ぎているからです。
どうしても、自分の体と、そうでないものを、きっちり区別したくなってしまうでしょう。
でも、人間も他のものも、全てはエネルギー体です。
はっきりとした形があって、互いの境界があると思うのは、感覚による幻想なのです。
全てをエネルギーとして見ると、形というものはぼやけてしまいますし、互いの境界もはっきりしなくなります。
私たちは川と海を区別しています。
でも、どこからが本当の川で、どこからが本当の海なのかは、はっきり線引きすることは、できないでしょう。
地図上では、河口の両側にある海岸線を、結んだ線を境に、川と海を分けることはできます。
これは視覚的に、私たちが肉体としての自分と、他のものを区別するのと同じです。
でも、川が淡水の流れ、海が塩水が貯まったもの、と理解すれば、その大まかな区別はできても、きっちりとした線引きはできません。
淡水である川の水は、地図上の川と海の境界線を越えて、海側へ流れ込みます。
境界線近くの水は、ほとんど淡水と言えるでしょう。
また、そこを少し離れた所では、汽水と言って、淡水と海水が混ざり合ったものになります。
つまり、どっちつかずの状態ですね。
それから先が海水になりますが、この汽水と海水の境目も曖昧です。
また、大潮や高潮と言った、海の状態によっては、川を海水が逆流する場合もあります。
地理上は川でも、中身は海水です。
この川を人間、海を地球と考えてみて下さい。
水はそれぞれのエネルギーです。
淡水の流れが、川を形作るように、人間のエネルギーが、人の姿形を作っています。
川の水は、海の水が蒸発して、雨となって山に降り注いだものが、海に向かって流れるものです。
人間のエネルギーも、元々は地球のエネルギーから、創られたものです。
そして、川が海とつながっているように、私たちも地球としっかりつながっているのです。