地球へのやさしさ
地球にやさしい
環境にやさしい
今、流行の言葉ですね。
この言葉のきっかけになったのは、地球温暖化だと思いますが、最近よく言われるのが、ナノプラスチックという、プラスチック分子の弊害です。
海に溶け込んでいるナノプラスチックは、オキアミなどの小さな生き物に、取り込まれます。
そのあと、オキアミなどを食べる生き物に取り込まれ、その生き物を食べる、もっと大きな生き物に取り込まれます。
食物連鎖の上位に行くほど、ナノプラスチックは濃縮されて、多量に取り込まれるということです。
天然マグロは食物連鎖の上位にいますので、ナノプラスチックの含有量が、とても多いそうです。
そして、それを今度は人間が食べるのですから、知らんぷりをして放置していたプラスチックが、巡り巡って人間の元へ戻って来るというわけです。
だから大変ということなのでしょうけど、ちょっと違うような気がします。
温暖化にしてもそうですが、このままでは人類はどうなるのか、ということで対策を訴えます。
南極の氷が溶けて、海水面が上昇すると、海岸近くにある大都市は、ほとんどが水没すると言われると、これは何とかしないと、と考えるのでしょうね。
環境のことに、全然見向きもしない人の目や耳を、この問題に向けさせるためには、こういう訴え方をしないと、仕方がないのでしょう。
だから、地球にやさしい、環境にやさしい取り組みをしようとなるのでしょうが、やはりちょっと違和感を覚えてしまいます。
仕方がないのはわかっていますが、本当はもっと突っ込んだ見方が、できるようになってくれればと願う次第です。
何が言いたいのかと言いますと、自分たちに悪影響があるから、やめましょうという考え方は、正しい考え方ではないということです。
また、地球に優しい、環境にやさしい、エコです、と言えば、その企業は優良企業ということになり、企業の宣伝になるのも、何か間違っています。
日本政府は脱炭素化を打ち出しましたが、そのために原子力発電所を復活させろという声が、出て来ているようです。
温暖化は地球に優しくないけれど、放射能汚染は地球に優しいとでも、言いたいのでしょうか。
結局は、自分たちの金儲けのことしか、考えていないのです。
温暖化にしても、プラスチック問題にしても、根っこは同じです。
金儲けになることには手を出すけれど、ならなければ知らんぷりなのです。
やさしくするという場合、その対象となるのは、生命のあるものであり、やさしくされることに反応できるものというのが、前提になると思います。
ですから、通常は人間に対して使う言葉です。
人間以外で使うとすれば、動植物まででしょう。
生き物としては認められていない、石や材木、山や海や川、空に浮かぶ雲や、燃えさかる炎などには、使いません。
しかし、地球や環境にやさしい、と言うのです。
この言葉を本気で使うのであれば、地球や、環境を構成している全ての存在を、生命のある存在と認めなくてはなりません。
人間とは全く異なる形態の存在だけれども、それでも生命があり、何かを感じているのだと、理解する必要があるのです。
また、地球や環境にやさしくするという言葉を使う時、地球や環境を、人間とは別物のように見ています。
これは宇宙を研究し、宇宙を語る学者が、自分自身が宇宙の一部であることを、忘れているのと同じです。
実際は人間も地球の一部であり、環境の一部なのです。
つまり、地球にやさしい、環境にやさしい、というのは、自分たち自身にやさしい、という意味になるのです。
下らないことで争ったり、国同士で戦争をしたり、こんなことをしていて、地球にやさしい、環境にやさしい、もないでしょう。
また、自分のことを無価値だと決め込む人も、地球にやさしいという言葉は使えません。
地球にやさしくする、地球を大切にするというのは、自分にやさしくする、自分を大切にするとうことと、同じ意味なのです。
全ては一つなのです。
別のものに見えたとしても、みんな根っこは同じなのです。
自分に影響があるかどうかなど考えているうちは、やさしさは偽物です。
自分と他の存在が一つであると感じている場合、その存在のために行動することで、自分がどうなるのかなど考えません。
自分の大切な人のために、我が身を顧みずに、行動するのと同じです。
お金が儲かるかどうかを考えるなど、愚の骨頂でしょう。
それに、温暖化や環境汚染によって、人間や生き物が暮らせない状態になったとしても、地球はそんなことで潰れるほど、やわではありません。
人間には想像もつかないような年月をかけて、地球は自分自身を浄化するでしょう。
人間は地球や自然の管理者を気取っていますが、とんでもない話です。
こちらが地球や自然のお世話になり、生かしてもらっているのです。
子供が親に、好き勝手をさせてもらっているのと同じです。
その子供が他の所で、親の世話は大変だと、偉そうに喋っているようなものです。
地球に人間の勝手な世話はいりません。
そんなことではなく、自分が地球の一部であり、自分と他の存在たちは、一つなのだと理解してもらうことを、地球は望んでいるに違いありません。
そうなれば、地球にやさしくなどと、無理に叫ばなくても、誰も地球を汚すような真似は、しないはずです。