虹が教えてくれること その2
世界の波長と自分の波長は同じです。
でも、ここで言う世界とは、一人一人が体験している世界のことです。
一見すると、誰もが同じ世界にいて、同じ経験をしているように思えます。
でも、私たちが体験できるのは、自分の体を通して得られる知覚情報と、それに応じた感情や価値観で構築された世界です。
隣にいる人が体験している世界と、あなたが体験している世界は、同じ世界のように見えますが、実際は違うのです。
あなたが赤いと思っている色を、隣の人が赤だと認識しているとは、限りません。
隣の人に幽霊が見えたとしても、あなたには見えないかもしれないのです。
それは、あなたと隣の人が体験している世界が、異なるからなのです。
隣の人と運動会で、二人三脚で走ったとしましょう。
みんなが見ている前で、あなたたちは派手に転び、観客たちは大笑いをします。
この時に、あなたは大恥をかいたと思って、怒りと悲しみを感じたとしましょう。
ところが、隣の人は転んでしまったことが面白くて、大笑いをしています。
同じ体験をしたはずなのに、受け止め方が異なるため、このような違いが起こるのです。
それは二人が体験している世界が、別々だということなのです。
物理的な現象は同じなのに、片方は怒りの世界を経験し、もう片方は喜びの世界を経験する。
その違いは、感情です。
つまり、感情の差が、二つの世界を大きく隔てていると、言えるのです。
と言うことは、何を感じたのか、どう感じたのかということが、体験している世界の波長を決めていると、言うことができるでしょう。
世界の波長と自分の波長が同じだと言うのは、こういうことなのです。
あなたが怒りを感じていると、世界は怒りに満ちたものになります。
あなたが喜びを感じていると、世界は喜びに満ちたものになります。
世界の波長と自分の波長が同じだと言っても、それは未来永劫変わることのない、固定的なものではありません。
喜怒哀楽というように、人間の感情はころころと変わります。
それに応じて、世界もころころと変わるのです。
ところで、あなたが世の中に対して、常に受け身で、世間の目を気にしたり、世の中の流れに乗ることばかり考えているとします。
この場合、あなたと世界の波長を決める主導権は、あなた自身にはありません。
あなたは自分の波長の決定を、他の人たちに委ねているのです。
世の中で楽しいことがあれば、あなたも楽しい気分になります。
嫌なことがあれば、嫌な気持ちになります。
世の中がずっと楽しければいいのですが、ずっと不安に満ちたままだと、あなたもずっと不安を抱えたままになります。
主導権は自分にありませんから、自分ではその不安を、どうすることもできません。
でも、自分の波長を決める権利を、自分自身が持つと、不安を消すことができます。
他の人が不安におびえていても、あなただけは、のんびり構えていることができるのです。
お金があるかないかは、関係ありません。
お金を持っていても、不安な人は不安なのです。