世界について考えよう その6
世界は、心の中にある。
自分の体も、心の中にある。
こんなことを言われても、ぴんと来ないと思います。
でも、夢の中の世界を、思い出して下さい。
夢の中には、世界があり、その世界を体験している、自分がいます。
夢は心の中のものですから、この世界と、そこでの自分の体は、自分の心の中にあるわけです。
私たちが現実だと考えている、この世界でも、それと同じことが言えるのです。
では、私たちの体とは何なのか。
体が世界を知覚して、その情報を心に伝えているのではないのか。
体自体が、知覚するべき世界の一部であるとすれば、何が世界を知覚していると言えるのか。
こんな疑問が湧いて来ると思います。
では現実世界を、夢の世界に置き換えて、考えてみましょう。
夢の世界は、私たちの心の中にあります。
つまり、精神エネルギーで構成されているのですね。
その精神エネルギーで世界を創った時、必ずその世界を観察する、自分という意識が存在します。
夢を見る時、夢の世界で何かをしている自分を、上から眺めている自分というものを、体験したことがありませんか。
それは、何かをしている自分を映した、動画を眺めているようなものです。
でも、その動画の中の自分に意識を集中すると、いつの間にか、その動画の世界に入り込んでしまい、意識は眺めている自分ではなく、何かをしている自分そのものに変わります。
上から眺めている時は、何かをしている自分の感覚は、伝わって来ません。
ですから、見えている映像は希薄な二次元的なものです。
しかし、何かをしている自分になると、とたんに世界はリアルな三次元になるのです。
つまり、何かをしている自分とは、その世界を実感するための情報を、取り込むための窓口なのです。
そこに焦点を合わせれば、そこから世界の情報が、意識の中に流れ込みますし、焦点を外せば、世界の情報は途切れます。
これと同じように考えれば、現実と呼ばれる世界も、自分の体を含めた全てが、実は自分の心の中にあると考えても、矛盾はありません。
それは物質エネルギーも、一種の精神エネルギーだと、考えるということでもあります。
つまり、現実と思われるこの世界も、一種の夢のようなものだということです。
そして私たちは、この世界の自分の体に、意識を合わせている時だけ、この体を通して、周囲の世界をリアルに知覚しているのです。
じゃあ、意識を合わせていない時って、いつなのかと言われるかもしれませんね。
それは、眠っている時と、この世を去った時です。