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世界について考えよう その6

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世界は、心の中にある。
自分の体も、心の中にある。

こんなことを言われても、ぴんと来ないと思います。

でも、夢の中の世界を、思い出して下さい。

夢の中には、世界があり、その世界を体験している、自分がいます。

夢は心の中のものですから、この世界と、そこでの自分の体は、自分の心の中にあるわけです。

 ※Enrique MeseguerさんによるPixabayからの画像です。

私たちが現実だと考えている、この世界でも、それと同じことが言えるのです。

では、私たちの体とは何なのか。

体が世界を知覚して、その情報を心に伝えているのではないのか。

体自体が、知覚するべき世界の一部であるとすれば、何が世界を知覚していると言えるのか。

こんな疑問が湧いて来ると思います。

では現実世界を、夢の世界に置き換えて、考えてみましょう。

 ※Shrikesh KumarさんによるPixabayからの画像です。

夢の世界は、私たちの心の中にあります。

つまり、精神エネルギーで構成されているのですね。

その精神エネルギーで世界を創った時、必ずその世界を観察する、自分という意識が存在します。

夢を見る時、夢の世界で何かをしている自分を、上から眺めている自分というものを、体験したことがありませんか。

それは、何かをしている自分を映した、動画を眺めているようなものです。

 ※Roman GracさんによるPixabayからの画像 です。

でも、その動画の中の自分に意識を集中すると、いつの間にか、その動画の世界に入り込んでしまい、意識は眺めている自分ではなく、何かをしている自分そのものに変わります。

上から眺めている時は、何かをしている自分の感覚は、伝わって来ません。

ですから、見えている映像は希薄な二次元的なものです。

しかし、何かをしている自分になると、とたんに世界はリアルな三次元になるのです。

 ※Public CoさんによるPixabayからの画像です。

つまり、何かをしている自分とは、その世界を実感するための情報を、取り込むための窓口なのです。

そこに焦点を合わせれば、そこから世界の情報が、意識の中に流れ込みますし、焦点を外せば、世界の情報は途切れます。

これと同じように考えれば、現実と呼ばれる世界も、自分の体を含めた全てが、実は自分の心の中にあると考えても、矛盾はありません。

それは物質エネルギーも、一種の精神エネルギーだと、考えるということでもあります。

つまり、現実と思われるこの世界も、一種の夢のようなものだということです。

そして私たちは、この世界の自分の体に、意識を合わせている時だけ、この体を通して、周囲の世界をリアルに知覚しているのです。

じゃあ、意識を合わせていない時って、いつなのかと言われるかもしれませんね。

それは、眠っている時と、この世を去った時です。