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死を覚悟する その2

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ゲームには制限時間というものがありますよね。

限られた時間の中で、いかに点数を稼ぐのか、あるいは目的を達成できるのか。

時間が限られていることは、初めからわかっていますから、ゲームを始める人は、全力でゲームに集中します。

他の余計なことは考えません。
自分の目標を目指して、出せる力を全部出そうとするでしょう。

人生を一種のゲームととらえたならば、死というのは、制限時間のことですね。

制限時間があると、わかっているゲームと同じですから、死を意識できる人は、人生を無駄なく生きようとします。

ただ、人生をどのようなゲームととらえるかで、その楽しみ方は変わって来るでしょう。

人生を誰かと競うものだと考えるなら、競争に勝ち残ることに、夢中になります。

家族や仲間と共にいることが、人生だととらえる人は、一緒にいる人々と楽しむことを、常に考えます。

人生は探求だと受け止める人は、日夜何かの研究に没頭するでしょう。

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死をどのようにとらえるのかは、人によって様々ですが、死が人生というゲームの、終了を知らせる合図であることには、間違いありません。

人生は限られていると自覚している人は、それぞれが活き活きと暮らしていると思います。

それに対して、人生に終わりがあることを、自覚していない人は、何となく生きてしまいます。

流行に流され、世の中の動きに翻弄され、何かがあっても、自分で決断ができません。

何故自分が生きているのか、どうして今ここにいるのか、理解できないまま不安になります。

自分が何をしていいのかわからず、気だるさを感じたりもします。

それでも、自分に死が迫っていると悟ると、自分の人生は何だったのかと、振り返ることになるでしょう。

もっと違った生き方が、あったのではないだろうか。

あの時、ああいう風に決断していれば、どうなっていたのだろう。

もし、今度生まれ変わることがあったなら、その時はこんな風な生き方をしてみたい。

そんなことを考えるのは、ようやくではありますが、生きるということに目を向けるようになった、ということです。

死が迫っていても、まだ訪れていないのであればチャンスです。

新たなことを、生まれ変わってからするのではなく、残された時間を、そこに費やすのがいいでしょう。

もったいないですからね。

場合によれば、そうすることで活力を取り戻すことができ、迫っていたはずの死を、遠ざけることになるかもしれません。

ゲームで言えば、時間が延長されるということです。

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負けると思っていた試合で、土壇場で同点に持ち込み、試合時間が延長されたなら、その時間は、それまでよりも気合いを入れるでしょう。

それと同じで、死が迫っていても、あきらめることはありません。

どうやったら死を遠ざけるか、と考えるのではなく、残された時間を、いかに自分らしく生きるのか、ということに焦点を合わせるのです。

それが、ゲームを逆転勝利へと、つないでくれるかもしれません。

勝利とは、人生に満足するということです。

敗北とは、人生に悔いを残すということです。

ただ、この勝利や敗北というものは、人生をどのようなゲームと受け止めるかで、違って来ます。

あるゲームでは敗北と見られる状況でも、違うゲームのルールでは、それこそが勝利だという場合があるのです。

要は、自分が人生をどのようなゲームと、見るかなのです。

いずれにしても死は、それぞれの人に、人生というゲームをしていたのだと、気づかせてくれます。

また、そのゲームは人それぞれで、自分のゲームは自分だけのものだと、わからせてくれるのです。

不安になったり、気だるくなるのは、結局、自分が誰のゲームをしているのか、わからないからなのです。

みんなが同じゲームをしていると受け止めるのは、単なる思い込みです。

また、ずるいことをしてゲームの勝利者になりたい、と考える人たちの策略に乗せられて、いつの間にかすり込まれた妄想です。

死は、そのことを私たちに教えてくれているのです。

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君は一体、誰のゲームをしているのか。
自分のゲームはどうなっているのか。
もうすぐ時間がなくなるが、それで構わないのか。

こんな言葉を、死は投げかけています。

死を理解し、受け入れるということは、自分のルールで自分の人生を、楽しみながら生きるということに、つながります。

そういう生き方が、できるようになれば、死は恐怖の象徴ではなくなります。

死は単なるジェットコースターの、終着駅に過ぎないのだと、わかるようになるでしょう。