死を覚悟する その1
普段、死について意識することは、あまりないと思います。
自分や家族、親しい人たちが、この世からいなくなることなど、ほとんど考えることなく、日常生活に埋没している人が、多いのではないでしょうか。
生きることに一生懸命で、そんなことを考えている暇はない?
楽しいことなら考えたいけど、怖いことは考えたくない?
考えたところで、よくわからないから、考えるだけ無駄?
いろいろ言い分はあるでしょうが、死はいつか必ず誰にでも訪れます。
死について何も考えていない人にとって、死の匂いは常に唐突であり、いきなり奈落の底へ突き落とされたように感じるでしょう。
突然取り上げられた時間。
まだ先があると信じていた時の、試合終了のホイッスル。
そこにあるのは、怒りと悲しみ、そして絶望です。
何で自分が?
どうして今?
いつかは必ず死が訪れるのはわかっていても、いざ自分の番が来ると、心の中はかき乱されます。
自分ではなく、大切な人の死でも、同じことです。
いつもその人が、そこにいるのが当たり前だと思っていたのに、その人が突然いなくなってしまう。
それはまるで、心が引き裂かれるようなものでしょう。
その人が亡くなったあと、心には大きな穴がぽっかりと開き、いつまで経っても埋めることができません。
自分の死でも、大切な人の死でも、残されるのは後悔ばかりです。
でも、何を後悔するのでしょうか。
こんなことになるのなら、こうしておけばよかった。
こうなるのがわかっていたら、絶対こうしていたのに。
死ぬなんて思っていなかったから、あんな態度を取っていた。
こんな感じのことを、悔やんでしまうのではないでしょうか。
でも、考えてみて下さい。
死ぬとわかっていたなら、Aという生き方をするのに、わかっていなかったから、Bという生き方をする。
これって変だと思いませんか。
Bという生き方を選択し、それをAに変更できないのであれば、死ぬとわかっていようがいまいが、関係のないことです。
Aに変更できるのであれば、死に関係なく、初めからAの生き方をすれば、いいですよね。
それを、死という取り返しがつかない状況になるまで、変更しないまま放って置き、死が迫ってから、慌てたり後悔したりするのは、考えてみれば愚かなことでしょう。
本当にやりたいことがあるのなら、死というものを持ち出さずに、元気なうちから、そうすればいいのです。
誰かを大切に想うのであれば、死が訪れるのを待たないで、普段から相手のことを、大切にするべきでしょう。
映画やドラマ、物語などには、よく死が登場します。
その中で、やはり死は何が大切なのかを、教えてくれています。
それなのに、実際の暮らしの中では、せっかくの教えを無駄にして、世の中の流れに乗ったまま、物事を深く考えずに生きてしまうのです。
死は誰にでも訪れます。
でも、それがいつどのような形で、訪れるのかはわかりません。
死について、いつも考え続ける必要はありません。
しかし、生きていることが当たり前だと、勝手に思い込むのは、やめた方がいいでしょう。
自分にしても、大切な人にしても、いつ死が訪れるのかは、わからないわけです。
一日一日を悔いのないよう過ごすこと。
それが、何より大事なことなのです。