振動する世界 その3
何故、世界は振動するのでしょうか。
それは、何故素粒子は振動するのか、という問いと同じです。
人間の心も、それ以外の全てのものも、みんなエネルギーです。
同じエネルギーである物質空間が、素粒子で構成されているのなら、心もまた素粒子で構成されていると、考えることができるでしょう。
であれば、意識あるいは心が振動する理由を探れば、素粒子が振動する理由も見つかると思います。
振動するということは、瞬間瞬間に状態が変化するということです。
瞬間瞬間の変化の連続が、意識を生み出していると言えるのです。
無数のフィルムのコマが、動く映像を創り出すのと同じ理屈ですね。
映画のような映像は、コマが動かなければ、ただの静止画像になってしまいます。
映画の映像を見るためには、コマがどんどん変わることが必須条件です。
さらに言えば、映画というものは、スクリーンに映し出された映像ではなく、フィルムに収められたコマを、次々に変えて行くことなのです。
映像は映画の一側面であり、映画という存在が、二次元的に投影されただけのものです。
つまり、コマを変化させることが映画であり、映像は映画が活動した結果と言えるでしょう。
同じように考えますと、意識というものは、瞬間瞬間の変化がなければ、意識として成立しないわけです。
精神エネルギーが瞬間瞬間変化することで、そこに意識が生まれるという見方もできますが、正しくは、瞬間瞬間の変化そのものが、意識なのだと思います。
エネルギーの振動と意識とは、同じものを違う視点から、表現しているだけでしょう。
ですから、ある意識の振動数というものは、その意識の個性を表していると言えるのです。
また、この振動数は知性が高くなれば、自分で変化させられます。
喜怒哀楽という感情の変化は、振動数を変化させています。
知性が高くなければ、いつも感情に引っ張られて、振動数が上がったり下がったりするでしょう。
知性が高い人は、物事を高い位置から眺めることで、感情を安定させて、振動数を一定に保ちます。
また、高い位置から眺めることで、自分の振動数を上げるのです。
意識の存在と意識の振動は同じ意味であり、意識の状態と意識の振動数も同じ意味なのです。
意識があれば、そこにエネルギーの振動がありますし、エネルギーの振動があれば、そこに意識が存在していると言えるでしょう。
素粒子が振動しているということは、素粒子に意識があるということです。
もちろん、人間が理解できるような意識ではありません。
あくまで、素粒子レベルの意識です。
その素粒子で構成された、世界全体が振動しているということは、世界そのものが意識であると言えるでしょう。
何故、世界は振動するのかという問いの答えは、「世界が意識だから」です。
納得できない人は、夢の世界を考えてみて下さい。
夢の中に現れる世界は、夢を見ている人の意識の表れです。
すなわち夢の世界は、夢を見ている人の意識なのです。
夢と現実を厳密に区別しようとしても、実際は区別できません。
私たちが勝手に、夢と現実を区別しているだけに過ぎないのです。
この世界こそが現実だという、思い込みですね。
この世界が何であるのかも理解できていないのに、これが現実だと言い切ることなど、できないのです。
夢の中にも世界があり、それが誰かの意識であるわけですから、この世界が誰かの意識であり、誰かの夢の世界だとみなしても、何も問題はないでしょう。
では、誰の意識、誰の夢なのでしょうか。
その誰かというのは、人間全体の集団意識と言えるでしょう。
私たちが認識している世界は、私たちだけのものです。
他の生き物は、その生き物なりの世界を認識しています。
私たちが存在している世界は、私たち人間の意識全体で、創り出しているのです。
言い方を変えれば、この世界は、みんなで見ている夢なのです。