意識を探る
手で自分の体に触れてみて下さい。
皮膚の感触や温もり、皮膚の下の脂肪や筋肉、骨などの感じも伝わって来ますよね。
体から手を離さずに、そのまま手をずらすようにして、他の部分を順番に触れて見ましょう。
手には次々に、体の各部位の感触が、連続して伝わって来ます。
この感じは、意識においても、同じことが言えます。
私たちの意識は、時間に応じて変化する部分と、変化しない部分があります。
言語的な思考は、変化する方です。
非言語的な思考は、変化しない方です。
非言語的な思考は、一瞬一瞬をじっと見つめている感じです。
言語的な思考は、一瞬一瞬で変化して行きます。
つまり、一瞬一瞬が連続することによって、生じる思考です。
言語的な思考は、時間の流れの中においてのみ、有効な思考なのです。
自分の体を手で触れた時の、手が非言語的な意識で、触れられる体の各部位が、言語的思考を構成する、一瞬一瞬の要素です。
手の動きは時間を示します。
手の動きがなければ、手は一ヶ所の感触しかわかりません。
それは言語的思考が、止まっている状態です。
何が言いたいかと言いますと、私たちが通常行っている思考というものは、意識体としての自分自身の中に、創られた意識の焦点が、意識体の中を動き回ることで、生じているということです。
意識の焦点を創っているのは、全体としての意識体です。
自分の意識体の中の、どの部分に焦点を合わせるかで、その人の思考が決まります。
つまり、物の考え方や価値観が、決まるのです。
新しい考え方や価値観を得るという時は、焦点を合わせる部分が移動した、あるいは焦点の移動範囲が広くなった、と言えるでしょう。
考え方ががらりと変わったならば、以前に焦点を合わせていた部分には、もう焦点を合わせなくなったということです。
これは人間的な成長を示していますが、大きな飛躍となる思考の変化の場合、人間的な進化を示します。
通常は意識の焦点は、同じような所を、行ったり来たりしています。
刺激を感じないような日々を、機械的に送っている場合、意識の焦点の移動領域は、狭い範囲に限られます。
落ち込んだり、世の中を否定的に見てしまうような、ネガティブな思考に囚われている時は、意識の焦点は極めて狭い領域に、閉じ込められたようになっています。
私たちの思考は、意識の焦点が、平面的な移動をしている結果だとしましょう。
しかし、意識の焦点が動ける範囲というものは、実は立体的だとします。
平面的にしか動かないのは、動ける領域がそこだけだと、意識の焦点が認識しているからです。
ネガティブな思考に囚われている時は、ほとんど動ける範囲がないと、意識の焦点は認識しています。
そうじゃないと理解すると、広い範囲で動けるようになります。
それと同じで、平面的な移動だけでなく、立体的に移動できるんだと、意識の焦点が認識できれば、人は今とは全く異なる思考を、手に入れることになるでしょう。
それには、どうすればいいのか。
それは固定観念を捨てるということです。
人間の科学は万能ではありません。
人間が知っている知識や情報というものは、ごく限られた範囲のものです。
データとして確認したと言っても、その知識が地球を遠く離れた所でも、通用するという保証はありません。
意識というものを、理解しようとしない科学は、その時点で不完全だと言えます。
そんな科学や、日常の経験に基づいた、いわゆる常識を、絶対的なものだと信じているうちは、意識の焦点は立体的に動くことはできません。
自分が生まれて来る前から、この世界には様々な思考や価値観が、渦巻いています。
ですから、それが当たり前のように思ってしまうわけですが、そうではないのだと理解することが、人間の進化への第一歩となるのです。