物事の意味
今日の愛媛は、ずっと雨です。
昨夜から降り続けていますが、久しぶりの雨です。
雨の日と晴れの日では、どちらがいいかと問われると、やはり晴れの日がいいと思います。
最近では大雨が続くと、川が氾濫して、地域に甚大な被害を及ぼすことが、少なくありません。
でも、雨が降らなければ水不足になってしまいます。
かつて松山はひどい渇水になって、ダムの底が露出するほど、水不足になったことがありました。
二、三年前に愛媛国体が行われた時も、いつもは水がたくさんある、今治の玉川ダムの湖が、渇水によって、やはり底が露出するほどになりました。
このダムでは、ボート競技が行われる予定だったのですが、一時は競技の開催も危ぶまれました。
でも、この時は開催直前に台風が来てくれて、雨を降らせてくれたので、何とか競技を行うことができました。
雨万歳です。
雨は、空中の水蒸気が凝縮して、空から落ちて来る現象です。
そこに、いいも悪いもありません。
しとしと降ろうが、土砂降りになろうが、雨はただの雨に過ぎません。
その雨を迷惑に思うのか、ありがたく思うのかは、こちらの勝手な都合です。
同じ事が、雨以外のものにも言えます。
病気や怪我で、つらい思いをする人がいます。
時には、それが元で亡くなる場合もあります。
そういう面だけを見ると、病気や怪我はよくないものだと、なるでしょう。
実際、病気も怪我も、人々から好まれていません。
ところが、病気や怪我をすることで、それまでの生き方を見直して、豊かな人生を手に入れた人もいるのです。
そういう方たちは、病気のお陰で、怪我のお陰で、と言います。
この方たちに取っては、病気も怪我も悪者ではないのです。
病気にしても怪我にしても、そこから何をくみ取るか、そこにどんな意味を見出せるかで、その人の敵にも味方にもなるわけです。
でも、敵になるか味方になるかを、病気や怪我が決めているわけではありません。
決めるのは、やはりこちらなのです。
何かを悪いものと見なし、嫌な気分になるのも、一つの道です。
何かから思っても見なかった、いい一面を発見して、得した気分になるのも、一つの道です。
どちらの道を進むのか、その選択権は私たちにあります。
どうして、自分には嫌なことばかりが、起こるのだろうと悩む人もいるでしょう。
でも、それは言い換えれば、自分が物事の嫌な面ばかりを、選び続けているということです。
誰かに呪われているとか、自分は不幸の星の下に産まれたのだという考え方をするのは、やはり自分で選択した思考です。
誰かが無理やり、こう考えろと、考えさせているわけではありません。
思いがけない変化や、期待外れの出来事などに、落胆しない人はいないでしょう。
でも、そこに新たな道を見つけられた人は、うなだれていた頭を持ち上げて、前進できるようになります。
物事をどう受け止めるのか、そこにどんな意味を見出すのか。
どの道を進むのかを決めるのは、いつだってあなた自身なのです。