お互いの思いやり
思いやりのある人と出会うと、心が和みますよね。
また、誰かを思いやる時、とても優しい気持ちになっています。
優しい気持ちの自分って、すごくいいと思いませんか。
このように、誰かから親切にされた時、された方だけでなく、した方も気持ちがいいのです。
ところが、誰かを思いやったつもりが、予想外の嫌な態度を見せられることがあります。
そんな時には、とても悲しい気持ちになり、もう二度と誰かに親切なんか、するものかと思うかもしれません。
あるいは逆に、気持ちが尖っている時には、普段ならばどうでもいいような、ちょっとしたことでも、気に障ることがあります。
相手が親切な気持ちでしてくれたことでも、余計なお世話だと受け止めてしまいます。
どちらも誰にでも起こり得ることですが、いずれも残念なことですよね。
たとえば、混んでるバスや電車で、座っていた若い人が、途中から乗車して来た、年配の人に席を譲ろうとすることがあります。
普段から、ゆずり慣れている人はともかく、そうでない人が、知らない人に声をかけて、席を譲るというのは、相当勇気のいることです。
それを、迷いに迷った挙げ句、譲ってあげようと立ち上がったのに、他の乗客たちの見ている前で、年寄り扱いするなと怒られたら、どんな気持ちになるでしょうか。
恐らく、その人はお年寄りを見ても、再び席を譲ろうとはしないでしょう。
あるいは、怒られなかったにしても、結構です、大丈夫です、と断られても、大恥をかいたような気になるものです。
こんな場合には、自分はまだ年寄りではないと思ったとしても、にっこり笑って、ありがとうとお礼を述べ、座らせてもらった方がいいと思います。
できれば、一言二言、席を譲ってくれた人と、ちょっとした会話でもできれば、最高です。
もし、座れない事情があるのなら、相手の気持ちへの感謝を示してから、そのことを説明し、やはり一言二言、会話をかわすというのが、いいでしょう。
そういうのが、お互いを思いやるということなのです。
悪気はなかったにしても、誰かの好意に対して、嫌な態度を見せてしまったならば、次からはそうならないよう、気をつけましょう。
お店などで、自分は客だということで、傲慢な態度を見せる人がいます。
一方で、せっかく来てくれたお客に、無愛想で不親切な応対をする店もあります。
こういう場面にでくわすと、とても残念ですし、悲しい気持ちになります。
みんな人間に生まれて来たのに、人間としての喜びを、自ら放棄しているようなものです。
お互いを思いやり、感謝し合う世の中であれば、世の中を騒がすような事件などが、ニュースで伝えられることはなくなるでしょう。
こういう世の中にするためには、子供の頃からの教育が大切です。
無理やり知識を詰め込む教育ではなく、人間としての基盤を築くような教育こそが、必要なのだと思います。
また、その教育は学校任せにするのではなく、家庭や地域でも、しっかりと子供に教えないといけません。
いずれは社会の中心を担う子供たちが、思いやりと感謝の心を、当たり前のこととして抱くことができれば、世の中は間違いなく、いい方向へ変わるでしょう。