ハイブリッド その2
国籍や民族というものを考える時、そこには血の濃さというイメージが、つきまといます。
家族かどうかというのも、基本的には血がつながっているかどうかが、重視されます。
しかし、子供が受け継ぐ親の遺伝子は、父親と母親の半分ずつです。
孫になると、そのさらに半分ですから、四分の一になります。
ひ孫になると、さらにその半分で、八分の一です。
こうして代を重ねるごとに、血の濃さは半減して行きますので、百年も二百年も昔の祖先の血は、とても薄まっているのです。
でも、この場合の祖先というのは、通常は父方の祖先です。
母方も含めて考えると、私たちの持つ遺伝子は、数多くの祖先から受け継がれたものが、入り交じっているという事が、わかるでしょう。
私たちは全員が、実に多様な遺伝子を持っており、血の濃さという発想は、全く無意味なのです。
ハイブリッドの人が、多く存在するかどうかは、国や地域によって異なります。
多く存在する所は、文化的に開放的で、少ない所は閉鎖的だと、見ることができます。
小さな地域では、単に交通手段が少ないとか、外の者に関心を持たれていないなどの、事情があるでしょう。
しかし、行き来もしやすいし、たくさんの人から人気がある所なのに、ハイブリッドの人が少ないのであれば、よそ者を受け入れない、土地柄なのかもしれません。
かつて日本は、とても閉鎖的な国でした。
異国の人を見かけると、ガイジンと呼んで、特別視をしていました。
でも、最近は異国の人を見かけても、全然珍しさがなく、じろじろ見る人もいなくなったと思います。
テレビの番組を見ていても、ニュース番組からバラエティ番組まで、至る所にハイブリッドの人たちが、映っています。
また、自分の近所に、何人もハイブリッドの人たちがいる、という状況ではありませんが、いずれそうなる日が、やって来るものと思われます。
そうなると、肌の色や見かけだけで、日本人かどうかを決めるようなことは、なくなるでしょう。
外から来た人間か、日本で暮らしている者なのか、見ただけでは区別ができなくなりますし、いちいち国籍を尋ねるような、野暮で面倒臭いことも、しなくなると思います。
重視されるのは、その人と仲間意識を共有できるかどうかの、一点だけでしょう。
仲間と言っても、とても近い仲間もあれば、ゆるい関係の仲間もあります。
それでも、みんな自分の仲間だと、感じられるようになるのです。
そういうことが、どこの国でも当たり前になって来ると、国境を決める意味が、なくなります。
何故なら、どこの国も同じような状況になるからです。
各地域の文化は尊重されながら、全体は一つという感覚を、みんなが持つようになり、誰もが自分の所属を聞かれた時に、自分は地球人だと答えるでしょう。
これは実に素晴らしいことです。
そして、ハイブリッドの人たちは、そんな世界を引き寄せるための、先駆けとなってくれているのです。