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新型コロナの二面性

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 ※国立感染症研究所より

世界的に多大なる被害を振りまいた新型コロナウィルス。
日本も例外ではなく、これまでに多くの命が奪われ、人々の生活が困窮させられています。

みなさんご存知のように、コロナに感染すると家族からも隔離されてしまいます。

それだけでも辛いことなのに、病状が重症の肺炎に進行し、治療の甲斐なく死に至る状況になると、もっと悲惨です。
家族に手を握ってもらうことも、声をかけてもらうこともできないのです。

これはご本人と家族の双方にとって、本当に辛く悲しいことです。
明日は我が身かも知れませんが、コロナで亡くなった方や家族を失われた方々には、謹んでお悔やみを申し上げます。

ところで形は違いますが、コロナは地震や津波、洪水や火山爆発などと同じ自然災害です。

他の自然災害と異なるのは、地域限定ではなく、どこまでも広がって行くことです。
それは、まるで大きな湖の真ん中に、巨大な岩が投げ込まれた時に生じた波紋のようです。

地域限定の災害の場合、その地域の方たちは今後の対策に真剣に取り組むでしょう。
また、その方たちは、同じような被害に遭った人たちへの、深い同情と励ましの念を抱くようになると思います。

一方で、災害を免れた地域の人たちは、少し事情が違います。
被害に遭った方たちを、気の毒には思うでしょう。
でも、どこか他人事のように、感じてしまうと思うのです。

これは良い悪いではなく、仕方がないことなのです。
被害がなかった所から、ボランティアとして駆けつける人々は、本当に素晴らしいです。

ご自分たちでは、普通のことだと認識しておられるのでしょう。
でも、やはり特別に立派な心を、持たれているのだと思います。

 ※smokefishさんによるPixabayからの画像です。

他人の不幸を他人事のように感じてしまうのは、自然災害だけではありません。
軍事基地や過疎、貧困や高齢者問題などの問題もそうです。
事故や殺人などの悲しみについても、同じです

いずれも自分が、直接関わるものでなければ、他人事のように感じるのです。
そして、時とともに忘れて行くのです。

しかし、コロナウィルスは老若男女を問いません。
国や民族・宗教を超えて、広がり続けます。

人々は嫌でも、この境遇を共有することなります。
他人事ではないからです。

その結果として、自然に思いやる対象の輪が、広がって行きます。
大変さを共有することで、互いに連帯感が強まるのです。

家で外出を自粛しながら、苦しむ人たちを励ますメッセージを出す人たち。
学校へ行けない子供たちを、楽しませる工夫を凝らす人たち。
その姿は、見ている者を感動させてくれます。

また、苦境に陥った店の経営を立て直す努力や、違う業種同士の助け合いも心を打ちます。
支援を受けた人たちや子供の笑顔は、とても心に残ります。

感染のリスクの中、人々のために仕事を続ける人たちには、感謝の念が絶えません。
その感謝の気持ちを表明される方たちも、また素晴らしいと思います。

こういった感動は、自分が何かの行動を取ろうとする、きっかけとなります。
どうしようかと迷っている時に、背中を後押ししてくれる、大きな力となるのです。

私が思い切ってブログを始めた理由も、実はここにあるのです。