自分の翼
人は誰もが価値観を持っています。
それは大人だけでなく、子供も同じです。
価値観はその人の考え方や行動に影響を与えます。
生き方の方向を決定づけていると言ってもいいでしょう。
辞書によれば価値観とは、「物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断」と説明されています。
趣味や嗜好品、インテリアやファッション、こういうものは価値観の実例として、一番わかりやすいですね。
人によって好みが分かれるのは、価値観の相違というものであり、それは誰しもが理解しているところでしょう。
ところが、自分で価値観だと認識しづらい価値観というものがあるのです。
認識できている価値観は変更ができますが、認識できなければ変更は困難です。
自覚していない病気のような、この価値観。
それは、みんなが常識だと考えているものです。
義務教育の後は高校へ進学し、その後は大学に入る。
大学を卒業したら、どこかに就職してお金を稼ぐ。
勉強はいい学校へ入るためにするもので、大人になれば関係ない。
お金がなければ幸せになれない。
お金を稼いだり、好きなことができるのは、特別な才能や、恵まれた環境がある者だけだ。
学歴がなければ、まともな暮らしができない。
体の小さな者は、体の大きな者と争っても勝てない。
親や先生、あるいは立派に見える大人は、こういうことが常識だと、子供たちに教えます。
世の中を知らない子供や、人生経験の浅い若い人は、これに反論ができません。
彼らはそのまま、それを自分自身の価値観の中に、組み込んでしまいます。
でも、それが価値観の一つだとは理解していません。
支配者が誰かを支配するには、どうするか。
相手から自信と思考能力を奪い取り、こちらの言うことに従わなければ、生きて行けないと信じ込ませるのです。
常識と呼ばれる価値観は、そういった支配に利用されることが多いのです。
理不尽な仕事を命じて、結果が出ないと部下のせいにする上司。
生徒がイジメに悩んでいても、問題が表沙汰にならないよう、担任に強いる校長。
力の弱い者に、暴力を振るったり恥をかかせたりして、自分に従わせようとする乱暴者。
こういう者たちは、相手が逆らえない状態にあるのがわかっています。
逆らえないのは、すり込まれた価値観で、自分をがんじがらめにしているからです。
世間を騒がしたり、事件を起こすような人たち。
彼らの背景にも、こういう価値観のすり込みがあって、自暴自棄になっていることが多いと思います。
本来、価値観はその人自身にプラスになるものです。
本人を苦しませるのは、本当の価値観とは言えません。それは洗脳です。
私は常識の全てを、否定するつもりはありません。
でも、理由をきちんと説明できずに、ただ常識だという形で、逆らえない者に押しつけられた価値観は、洗脳と同じだと思います。
あなたが悩む時、生きている実感が湧かない時、あるいは将来に漠然とした不安を感じている時、それは恐らく、あなたの中にすり込まれた、常識という名の価値観が原因です。
何事もなく自由に生きているつもりであっても、自分の翼で羽ばたいているわけではないのです。
常識という列車に乗せられて、お決まりの線路の上を走っているだけに過ぎません。
もし、列車が脱線したら、あなたは身動きが取れなくなるでしょう。
あるいは、列車の窓から見える風景が、自分が思っているものとは、全然違うように見えるかも知れません。
それはその列車が、本来のあなたの価値観ではないからです。
列車に乗るということ自体が、知らない間にすりこまれた、他人の価値観なのです。
自分の翼で飛んでみませんか。
この言葉の意味は、自分の本当の価値観に従って、生きてみませんかということです。
人生の主役はあなたです。
あなたは自由であり、人生の主導権は、常にあなたにあるのです。