歴史文化財に思うこと その1
先日、松山市から後世に残したい、歴史文化財についての、アンケートが届きました。
20ほどの具体的な文化財が挙げられていて、それらについての想いや、文化財を残して行くための、松山市の取り組みについての感想などを、聞くものでしたが、それで歴史文化財について、ちょっと考えてみました。
このアンケートに限りませんが、歴史文化財など古いものについて、後世に残したいとか、未来に引き継いでいかねばならない、などという言葉を、よく耳にします。
言われてみると、確かにそうですねと思いたくなる話ではありますが、でも、こういう誰もが当たり前だと、思いたくなるようなことは、本当にそうなのかと、疑ってみる必要があります。
そもそも、何を残したいと言うのでしょうか。
よく言われるのは、何百年も昔に造られた物で、一度失われてしまうと、二度と戻すことはできないから、そこに価値があるということでしょう。
確かに、歴史を研究する人にとっては、大切な資料であり証拠ですから、それを残す必要性を強く感じると思います。
しかし、歴史の研究家でない人たちにとっては、ただの古い建造物に過ぎません。
これは五百年前に建てられたものです、と説明されても、へぇ、すごいですねと言って、それでおしまいです。
どこかの会社が面白い新商品を開発して、それをお披露目した時に、へぇ、すごいなぁと思うのと変わりません。
一般の人にとって、歴史建造物というものは、それほど重要なものではないのです。
形のない無形文化財と呼ばれるものについても、同じことが言えます。
いくら行政が文化財に指定しても、その価値は庶民にはわかりません。
庶民がわからないのであれば、その文化財を後世に伝え残して行くということは、容易ではないと思います。
それに対して、行政ができることと言えば、歴史文化財を観光の目玉にして、多くの観光客を呼び込もうということぐらいです。
そうすれば、歴史的な価値はよくわからなくても、自分たちが暮らす地域のシンボル的な物としては、一般の人も認識します。
それに、観光客が落とすお金で、地域経済が潤うというメリットがあります。
けれども、それがその文化財を後世に残す理由だとなると、ちょっとどうかなと思ってしまいます。
自分たちのシンボル的な、観光資源が失われると、経済的に大きな損失になるので、これを後世に残せるようにしましょう、ということですと、今一つ説得力に欠けてしまいます。
それに、お金に困らないのであれば、いらないということなのか、という話になるでしょう。
そうではありませんと言われるでしょうが、観光客を呼び込むために、文化財を残して行くという発想がある限り、却って後世に伝えるべきものが、見えなくなってしまうのではないかと思うのです。