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エネルギー保存則 その3

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生きていても、死んでいても、人間の意識は存在し続けます。

しかし、生きている時と、死んでいる時とでは、意識の形態が異なると考えられます。

寝ている時と、死んでいる時では、意識が同じ状態にあるとすれば、そちらが本来の私たちであり、覚醒時の意識は特別仕様と、見ることができます。

しかし何故、意識を特別仕様にして、この世界を体験する必要があるのでしょうか。

肉体を離れている、あるいは肉体を持っていない状態の意識が、本来の自分であるならば、何もこの世界に生まれて来なくても、いいようなものです。

それを、わざわざ意識の形態を変えてまでして、この世界に生まれて来るのだとすれば、そこには何か大きな理由があるはずです。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

私たちは、生まれて来る前のことを覚えていませんし、眠っている間のことも思い出せません。

ですから、この世界に生きていることに、何か理由があるとはわかりません。

それでも、理由があるのは間違いないと思われますので、その理由を探ることは、何より重要だと思います。

ルールも知らないゲームに、いきなり参加させられて、何となく過ごしていても、仕方がありません。

ゲームに参加するのであれば、ゲームの目的を確かめる必要があります。

目的がわかれば、それまでルールだと信じていたことが、勝手な思い込みだったと、知ることになるでしょう。

では、どんな目的なのか。

 ※junkoさんによるPixabayからの画像です。

幽霊は姿や形がはっきりしません。

この世界にいない時の私たちは、幽霊のように形が定かでない存在なのだとすると、はっきりした形で構成されているこの世界は、とてもエキゾチックだと思います。

自分という姿形があるからこそ、自分と他のものの区別がつくわけです。

形のない光は、いくらでも重ね合わせられますが、姿形のない意識というものが、光のように重ね合わさることができるなら、自分という線引きがはっきりしないかもしれません。

それに対して、この世界では自分というものが、はっきりと確立されています。

逆に言えば、自分がはっきりしない意識なんて、想像ができないくらいです。

これこそが、恐らくはこの世界の特徴であり、価値なのだと思います。

個を体験するというのは、この世界でしか体験できないのでしょう。

また、個を体験しながら、他の存在とのつながりを感じることができれば、それは新たな発見ということに、なるのかもしれません。