倭の国の文化
日本食のことを、和食と言います。
日本のお菓子を、和菓子と言います。
日本の着物ことは、和服と言います。
日本式のことは、和風と言います。
でも、日本という国の名前に、和という文字は含まれていません。
これはどういうことなのかと、調べてみますと、昔、日本は倭国と呼ばれていました。
この「倭」と今の「和」は同じ字のようなのです。
つまり、和食とは倭食であり、和服は倭服、和風は倭風ということですね。
この倭という名は、中国の魏志倭人伝にも出て来る言葉です。
「倭」という漢字の意味は、小さいとか従順ということだそうです。
当時の中国は大国であり、文化の中心でした。
その中国から見て、日本の人たちは、素直で従順に見えたのでしょうね。
実際、今の日本の文化の基盤に、中国の文化が広く浸透しているのは、誰もが認めているところです。
日本の人たちは、中国文化の素晴らしさを、素直に受け入れていたのでしょう。
しかし、今の日本の文化は、中国の文化から引き継がれたものだけではありません。
西欧の国々から入って来た文化も、中国からの文化に負けないぐらい、日本文化の中で息づいています。
宗教もいろんな宗教が入って来ていますが、別に争うことなく共存しています。
こだわりがないとか、節操がないとかという、見方もできるでしょうが、日本人は好奇心が旺盛で、楽しいことは何でも取り入れる、という習性があるように思えます。
日本人の日常の食事も、純粋な和食と呼べるものばかりでなく、洋食や中華も当たり前のようにありますし、カレーは日本人の大好物です。
他にも、いろんな国の食事が気軽に楽しめますし、創作料理もどんどん出て来ています。
自分の国の食事が最高だとは、誰も思っていません。
スポーツや芸術も、自国だけを応援したり称賛したりはしません。
素晴らしいものは、どこの国のものかに関係なく、惜しげない拍手を贈ります。
こういうことは、国が教えたり強制したりしているのではなく、自然なものとして受け継がれているようです。
逆に、国が大きく国民の意識に介入していた時は、自国ばかりを褒めたり、他国を平気で侵害するような風潮が、あったように思います。
一人一人が自由な発想を持てる時、素敵な物や面白い物は、素直に受け入れて、自分たちのものにするという、日本人の性質が発揮されやすいのでしょう。
そして、それこそが日本文化の、基礎になっているのだと思います。
国の名前は、倭から日本に変わっていますが、精神は倭のままで残っているのでしょう。
ですから、日本食は和食だし、日本の着物は和服なのです。
国を支配している人々は、いろんな思惑を持っていますから、ある国には従うけれど、ある国には敵対心を持つ、ということがよく見られます。
これは、本来の日本人の在り方とは、違うと思います。
それに対して、一般の人々はどこの国の人に対しても、オープンな気持ちで接することができます。
もちろん、偏見を持つ人はいます。
でも、そんな人たちに毒されなければ、異文化を受け入れて楽しむという、好奇心に満ちた精神が、人々の心を刺激するのです。
日本の文化、すなわち和の文化というものは、目に見えている建築物や食事、作法というよりも、その根底にある、どんなものでも自らの中に取り込むという、日本人の気質を言うのだと思います。
外国の人にも、そんな方はいますし、日本人の中にも、異質なものを拒む人もいます。
でも、全体的に見ると、日本人には異質なものを取り込めるという、好奇心と度量の広さがあると言えるでしょう。
今の世の中は、どちらが正しいのかとか、どちらが強いのかなど、競争や争いを基盤とした、自分と他者を分離する思考が、蔓延しているように見えます。
それは自分と自然を、別のものとして受け止めるという、考え方にもつながります。
それで人々が幸せになれるのであれば、構わないのですが、実際はその逆です。
互いの違いを認め、それを調和のとれた多様性として、活かして行く力が、日本人にはあると思います。
また、自分と自然を分けて考えず、自然と共に生きるという考えが、昔は当たり前のようにあったでしょう。
今の世界では、そんな日本人の気質が、求められているように見えます。
本来の日本人気質をもっと高めるために、互いの存在を認め合い、様々な価値観があることを、受け入れるような教育が、広まることを私は望みます。
所有権や金銭的な損得という発想は、本来の日本人気質の邪魔をします。
ですから、資本主義的な価値観を離れて、日本人の気質を考えてみて欲しいと思います。
一人一人がそういう意識を持って、日常を暮らすようになれば、必ずその意識は、世界中に広がって行きます。
そして和の文化は、争いに反発し合う世界を、本当の平和へ導くことができるでしょう。