前世と来世 その2
前世や来世があるのだとすると、それは何を意味しているのでしょうか。
考えればわかることですが、自分や大切な人たちの存在が、今世限りではないということです。
人生が今世限りだと考えると、自分が置かれた環境と、他の人が置かれた環境を比べて、その見た目の違いだけで、優劣を決めてしまいがちです。
また、生きる目的や価値観も、限られた時間の中で、多くの人が受け入れているものを、自分自身も受け入れるようになります。
他の人と違うことをしたり、他の人が思いつかないようなことを、口にしたりする人は、変わり者あるいは狂人と見なされます。
本当は誰よりまともで、優れているかもしれない人が、おかしな奴というレッテルを貼られ、社会の隅へ押しやられることは、実際に数多くあると思います。
食べ物であれ、資源であれ、限られただけしかない物を、手に入れようとすると、どうしても力の強い物が優勢になります。
動物の世界でも、力のある雄が多くの雌を獲得し、広い縄張りを得るのです。
それと同じで、人間も限られた物を奪い合いますし、それで相手が泣いたり苦しんでも、お構いなしです。
しかし、必要な物が奪い合うことなく、いつでも手に入るのであれば、争う必要はありません。
それが限られたものであるのかどうかが、価値観を大きく変えるのです。
人生あるいは世界についても、今世限りだと思うのか、前世や来世と数限りなく、人生は繰り返されると考えるのかで、一つの人生の過ごし方が、大きく違って来るでしょう。
世界を支配して、自分たちだけが、いい思いをしようという発想は、無意味なものだと理解できると思います。
今の現状だけを見て、自分と他人の優劣を決めるのではなく、どうして今世では、自分は今の状況にいるのかを、深く考えるようになるでしょう。
自分という存在を、一つの人生だけで考えず、もっと大きな存在として、認識できるようになりますし、世界というものについても、これまでとは異なる視点で、見るようになります。
そうなると、恐らく世界を知覚する感覚も、これまでとは違って来ると思います。
これは、まさに人類大進化と呼べるものでしょう。
前世や来世に興味を持つということは、実は、このような壮大な話につながる、一歩なのです。